わたしはサックスパートが練習している部屋へ行き、絵莉ちゃんが先輩たちに事情を話すと、優しく接してくれた。
あの部屋にずっといたら、わたしはきっと吐き気が止まらなかった。パニック障害の症状が出てしまっていたわたしを助けてくれたのが絵莉ちゃんで良かったと心から思う。
「こころちゃん、どう? 落ち着いた?」
「うん。ありがとう、絵莉ちゃん」
「ううん、わたしは全然大したことしてないよ。……こころちゃんって、もしかして何か持病があったりする? 入学式のときも倒れてたから、心配で」
……やっぱり、言わなくても分かっちゃうよね。
絵莉ちゃんになら話しても問題ないはず。そう思って、わたしは頷いた。
「パニック障害なの。ちょっといろいろあって」
「そう、なんだね。ごめんね、わたし、それなのに吹部に誘っちゃって。こころちゃんのこと何も考えてなかった。本当にごめんね」
「ううん!! わたし、トランペットは好き。もう一度始めるチャンスをくれた絵莉ちゃんには感謝してるよ。……ただ、怖いだけなの」
わたしはただ、怖いだけ。
いつパニックになるか分からないのも。
トランペットをもう一度始めたけど、上達するのか分からないのも。
青葉くんに顔を合わせるのも。
「そっか。でもわたし、こころちゃんのトランペットの音、好きだよ。だから自信持ってね。……話してくれて、ありがとう」
「嬉しいな。こちらこそ、話聞いてくれてありがとう」
そう言うと、絵莉ちゃんは微笑んでくれた。
しばらくして里奈先輩がわたしのことを呼びに来てくれて、今日はもう帰って良いと言ってくれた。
けれどその帰り道は、いつもよりも足が重い気がした。
翌日の土曜日の部活動は、少し行くのを躊躇っていた。
また昨日のようにパニックを起こしてしまったらと不安になったから。
だけど絵莉ちゃんが「待ってるよ」とメッセージをくれたので、勇気を出して行くことにした。
「あっ、真中さん!」
すると部室に行く道中、青葉くんと鉢合わせしてしまった。
ドクン、と心臓が動く音がする。
わたしは急いでパッと顔を背けてしまった。
「真中さん……本当にごめん! 昨日は無神経なことを言っちゃったよね」
「……え」
「俺、真中さんのこと、中学の頃から心配してたんだ。だからいろいろ話がしたくて。でも真中さんには言いたくないこともあるよね。……昨日真中さんが帰ったあとも、ずっと後悔してたんだ。ごめん」
青葉くんはわたしに頭を下げた。
……謝って、くれた。
嫌われたわけじゃなかったんだ。ただわたしのことを心配して、そのうえ青葉くんは何も悪くないのに謝罪してくれた。
そうだった。青葉くんはこういう人。すごく……優しいんだ。
「あの、頭、上げてください」
「え……でも」
「わたしこそ、昨日はごめんなさい。青葉くんと久しぶりに会ったから、緊張しちゃって。あの、決して嫌っているとかそういうんじゃないので」
「……そうだったんだ。はぁー、良かった。唯一同じ中学からの友達だから、嫌われたらどうしようかと思った。ありがとう、真中さん」
青葉くんは私に嫌われているわけじゃないと知って、ホッとしていた。
“友達”だと言ってくれて、わたしはすごく嬉しくなる。
すぐに「あ、そうそう」と何かを話し始めた。
「俺、トランペット希望だったけど、昨日あのあとクラリネットも体験して、クラリネットにすることにしたんだ」
「えっ? そうなの?」
クラリネットは、サックスと同じ木管楽器だ。
金管楽器から木管楽器に移るって、相当難しいと思うけれど。
「俺、もちろんトランペットも好きだけど、クラリネットのあの音に魅力感じちゃってさ。これから頑張るよ」
「そっか。すごいね、青葉くん」
「そんなことないよ。お互い楽器は違うけど、これからもよろしくね、真中さん」
そして青葉くんはわたしに右手を差し出した。
わたしはそのまま、青葉くんの手を握る。
「……こちらこそ、よろしくね」
そのときに思った。
もうわたしは、青葉くんに未練はないのだと。
あのころの「好き」という気持ちは、もう自分の心にはないことを。
わたしは楽器室へ行って、使用しているトランペットケースからトランペットを取り出す。
そのトランペットに反射している自分の顔を見て思う。
……わたしは、トランペットを心の底から頑張りたいと思っていることに。
あの部屋にずっといたら、わたしはきっと吐き気が止まらなかった。パニック障害の症状が出てしまっていたわたしを助けてくれたのが絵莉ちゃんで良かったと心から思う。
「こころちゃん、どう? 落ち着いた?」
「うん。ありがとう、絵莉ちゃん」
「ううん、わたしは全然大したことしてないよ。……こころちゃんって、もしかして何か持病があったりする? 入学式のときも倒れてたから、心配で」
……やっぱり、言わなくても分かっちゃうよね。
絵莉ちゃんになら話しても問題ないはず。そう思って、わたしは頷いた。
「パニック障害なの。ちょっといろいろあって」
「そう、なんだね。ごめんね、わたし、それなのに吹部に誘っちゃって。こころちゃんのこと何も考えてなかった。本当にごめんね」
「ううん!! わたし、トランペットは好き。もう一度始めるチャンスをくれた絵莉ちゃんには感謝してるよ。……ただ、怖いだけなの」
わたしはただ、怖いだけ。
いつパニックになるか分からないのも。
トランペットをもう一度始めたけど、上達するのか分からないのも。
青葉くんに顔を合わせるのも。
「そっか。でもわたし、こころちゃんのトランペットの音、好きだよ。だから自信持ってね。……話してくれて、ありがとう」
「嬉しいな。こちらこそ、話聞いてくれてありがとう」
そう言うと、絵莉ちゃんは微笑んでくれた。
しばらくして里奈先輩がわたしのことを呼びに来てくれて、今日はもう帰って良いと言ってくれた。
けれどその帰り道は、いつもよりも足が重い気がした。
翌日の土曜日の部活動は、少し行くのを躊躇っていた。
また昨日のようにパニックを起こしてしまったらと不安になったから。
だけど絵莉ちゃんが「待ってるよ」とメッセージをくれたので、勇気を出して行くことにした。
「あっ、真中さん!」
すると部室に行く道中、青葉くんと鉢合わせしてしまった。
ドクン、と心臓が動く音がする。
わたしは急いでパッと顔を背けてしまった。
「真中さん……本当にごめん! 昨日は無神経なことを言っちゃったよね」
「……え」
「俺、真中さんのこと、中学の頃から心配してたんだ。だからいろいろ話がしたくて。でも真中さんには言いたくないこともあるよね。……昨日真中さんが帰ったあとも、ずっと後悔してたんだ。ごめん」
青葉くんはわたしに頭を下げた。
……謝って、くれた。
嫌われたわけじゃなかったんだ。ただわたしのことを心配して、そのうえ青葉くんは何も悪くないのに謝罪してくれた。
そうだった。青葉くんはこういう人。すごく……優しいんだ。
「あの、頭、上げてください」
「え……でも」
「わたしこそ、昨日はごめんなさい。青葉くんと久しぶりに会ったから、緊張しちゃって。あの、決して嫌っているとかそういうんじゃないので」
「……そうだったんだ。はぁー、良かった。唯一同じ中学からの友達だから、嫌われたらどうしようかと思った。ありがとう、真中さん」
青葉くんは私に嫌われているわけじゃないと知って、ホッとしていた。
“友達”だと言ってくれて、わたしはすごく嬉しくなる。
すぐに「あ、そうそう」と何かを話し始めた。
「俺、トランペット希望だったけど、昨日あのあとクラリネットも体験して、クラリネットにすることにしたんだ」
「えっ? そうなの?」
クラリネットは、サックスと同じ木管楽器だ。
金管楽器から木管楽器に移るって、相当難しいと思うけれど。
「俺、もちろんトランペットも好きだけど、クラリネットのあの音に魅力感じちゃってさ。これから頑張るよ」
「そっか。すごいね、青葉くん」
「そんなことないよ。お互い楽器は違うけど、これからもよろしくね、真中さん」
そして青葉くんはわたしに右手を差し出した。
わたしはそのまま、青葉くんの手を握る。
「……こちらこそ、よろしくね」
そのときに思った。
もうわたしは、青葉くんに未練はないのだと。
あのころの「好き」という気持ちは、もう自分の心にはないことを。
わたしは楽器室へ行って、使用しているトランペットケースからトランペットを取り出す。
そのトランペットに反射している自分の顔を見て思う。
……わたしは、トランペットを心の底から頑張りたいと思っていることに。



