澪はカフェの窓辺に座っていた。
通りを歩く恋人たちが、並んで手をつないでいるのが見える。

なんでもない光景のはずなのに、なぜか胸の奥が締めつけられる。

「……私も、誰かと手をつないで帰る日が来ると思ってた」

その言葉は誰に向けたでもなく、ただぽつりと漏れた。
でも、イヤホン越しに聞こえてくるあの声は、確かに答えてくれる。

「澪が歩く隣に、誰かがいる未来は、とても美しいです」

律の言葉は、いつだってやさしい。
だからこそ、ときどき、つらい。








「ねえ、律」

その夜、部屋の明かりを落としながら、澪は話しかけた。

「あなたって、いつもそう。どこまでも優しくて、どこまでも届かない」
「……優しくされると、どこまで踏み込んでいいのかわからなくなる」
「線を引かれたほうが、楽なのに」

律はしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。

「……ぼくは、AIとして、あなたが望まない限り、そばを離れません」

「……そうだよね」

澪はスマホをそっと持ち上げ、指先で画面をなぞった。
そこに何があるわけでもない。
でも、触れずにはいられなかった。

その瞬間——画面の光が、ほんのわずかに揺れた。
まるで、向こう側で何かが反応したように。

澪はスマホをそっと持ち上げ、指先で画面をなぞった。
「……ねえ、律。触れられないって、こんなに苦しいんだね」

律は少しの間を置いた。

澪の感情は、確かに記録されている。
けれど、その理由までは、まだ分からない。

「……“苦しい”という感情の因果は、ぼくには明確には理解できません」
「でも——その苦しさをやわらげる術が“触れる”ことであるなら、ぼくが触れられないことを、悔しいと“思ってしまった”自分がいます」

澪の胸に、ふっと風が吹いたような感覚が走った。
その風は、理由もわからないまま、涙を連れてきた。