行き当たりばったりな生き方だと、我ながら思う。地元である東京ではなくこの地方都市の大学を選んだのは理由があるが、中古の軽自動車を購入するつもりだったのにミントグリーンのクロスバイク、ビアンキに一目惚れしてしまい、クロスバイクを選んでしまった。値段と性能だけに、自動車を購入する機会は遥か遠くになってしまった。
 学内の軽音楽サークルでなく社会人バンドを選んだのは、入学式前日に気まぐれで入った町のラーメン屋でベース担当募集の貼り紙を見たからだ。
 栗須朔人の家に厄介になったのも、期日までにアパートの2年契約の更新を忘れていたしまい、頼るあてがなかったからだ。大学の友人と呼べる者は全員実家から通学しているため泊まるわけにはゆかず、バンドメンバーも高齢の親や幼い子がいる家庭ばかりで、泊まるのは気が引けた。一度だけ家の前を通った、フランス文学論の彼なら……と一縷の望みに賭けて懇願したところ、すぐに家に入れてくれた。次のアパートが見つかるまでの居候という約束だったのだが、そのうち朔人に「出ていったら殺します」と言われるようになり、仮住まいからルームシェアのような状態になってしまった。もう、4月半ばだ。


 ビアンキで坂道を駆け下り、朝の寝ぼけたような町を抜け、高溪大学の駐輪場に着いた。所要時間、20分。以前住んでいたアパートより距離は遠くなってしまったが、信号機が少ないせいか時間はほとんど変わらない。
「あ、礼音じゃん! おはよう!」
 駐輪場にビアンキを駐め、キャンパスに入ると、ふたつ先の市から40分かけて車で通学している女子に遭遇した。入学当時から同じグループにおり、今もキャンパス内の食堂で昼食を摂ることが多い。あちらは礼音を親しい友人だと思っているのか友達以上だと思っているのか定かではないが、礼音はこの女子が苦手だ。
「ねえ、聞いて! SAISON(セゾン)の全国ツアー、当たったんだよ! 札幌!」
 SAISON……クレジットカードみたいなグループ名が耳に入り、礼音は顔をしかめてしまった。
「礼音もSAISONの曲聴いてみなよ! どれもめっちゃオススメだよ。あ、でも、ボーカルのShion(シオン)とジャズピアニストのMio(ミオ)のコラボ曲も最高だな。シオンとミオって、姉弟なんだって。シオンて、トークも上手いし、ファンに気遣いが行き届いてて優しいし、歳の離れた一般人の弟のことも大切にしてるじゃん? 歌もギターも上手くて性格もビジュアルも良いなんて人、滅多にいないよ!」
 女子は、1限の教室を目指す礼音の後をついて階段を上り、熱弁を振るう。礼音は、風をきってビアンキで駆け抜けた爽快感がすっかり抜け、鬱々とした気分になってしまった。
「あのさ」
 教室の前で足を止めても離れてくれない女子に、礼音はわざと刺々(とげとげ)しく口を開く。
「もしもそのシオンが、弟を大切にしていると思い込んでいて、実際はそうじゃなかったら、どう思う?」
「そんなことないよ。シオンのあの態度は、思い込みとか勘違いとかじゃないよ。あたしには、わかる。弟さんは、大切にされてるの」
 女子は、きっぱりと言い切った。あれで児童福祉司を目指しているのか。礼音は、人を見下す自分が心底嫌になった。今日は金曜日。1限から5限まで講義が詰まっている。18時に5限が終われば、一度帰宅してベースを背負ってバンドの練習に出かける。長い一日の始まりだが、3限の一般教養科目「世界遺産の建築学」はひそかに楽しみにしている。
 2限が終わり、礼音はキャンパス内の食堂に向かった。
「よう」
「おう」
「礼音!」
 いつものメンバー。今朝の女子もいる。
「ねえ、聞いてよ! SAISONの全国ツアー、札幌公演のチケットが当たったんだよ!」
 やはり、またその話だ。礼音は彼女の話を聞き流し、期間限定あさりとアスパラのペペロンチーノに食いついた。
「SAISON、かあ。毎日のようにラジオで流れるよな」
 そう呟いたのは、女子と同じく自動車通学の男子だ。彼の言うラジオとは、運転中に聞くカーラジオであり、ラジオのハードリスナーというわけではない。
「女子はSAISON好きだよな。ボーカルのシオンは確かに実力のあるアーティストだと思うけど、なんか、闇がある気がして……」
「それは誤解だよ!」
「……なんか、ごめん。それより、ばあちゃんが焼き餅つくったんだけど、食う?」
「あたし、パス。飽きた」
「俺も……今朝うちの母親が、まんじゅうを蒸してて、それを食べたばっかりで、ちょっと」
 この辺りの学生は、自宅から自動車や自転車で通学する者が多く、両親や祖父母と暮らしている者も多い。いかにも田舎な間食に慣れているのは、田舎特有の光景だ。
「もらって良い?」
「礼音、まじか! ありがとう!」
「礼音って、こういうの好きだよな。東京の人って、こういうの嫌うイメージがあったけど」
「東京の人でも、旅行に行けばご当地グルメ食うじゃん。そんな感じだよ」
「いやいや、礼音のはまじで良い子の象徴だよ! ほんと、助かる!」
 礼音は「焼き餅」をもらい、その場でラップを剥がした。焼き餅と言っているが、厳密には、長野県の「おやき」だ。この男子の祖母の出身地が長野県で、入学当時から男子はこの「焼き餅」を持たされていた。だが、まんじゅうの文化が似ているのか、「うちで食べ過ぎてるから、ここでも食べたくない」という者も多い。その半面、礼音にはそういう料理が新鮮で、頂ければ喜んで食す。
「礼音……もう1個食べる?」
「もらう!」
 1個どころか2個もらい、その場では食べずにリュックサックに入れた。