礼音は東京で生まれ育った。14歳上の姉、美音と、7歳上の兄、施音とは、母親の違うきょうだいである。礼音は幼い頃から、姉と兄とは母親が違うことは感じていたが、家族仲は悪くなかったと思っている。
 家族が壊れたのは、礼音が10歳のとき。父が経営していた会社が倒産した。諸々の手続きが終了すると、父と母は夜逃げ同然に家を出ていった。
「私の名義で2DKのアパートを契約させられた時点で、おかしいと思った。2DKに5人で住めるはずがないのに。もっと強気に問いただせば良かった。ごめんなさい」
 姉はよく、泣きながら礼音に謝った。兄は姉を責めたが、礼音は姉を責める気になれなかった。姉が何度も両親に話し合いをしようとしていたを、礼音はこっそり見ていたのだ。幼い礼音には話し合いの内容はわからなかったが、両親は話をはぐらかし、父は高圧的な態度で姉をねじ伏せ、母はわざと傷ついたように見せていたように見えた。両親は、話し合いをする気がなかったのだ。
 両親の夜逃げは、姉と兄の進路を狂わせた。姉は音大を卒業したが、研究生として大学に在籍していた。大学を辞めざるを得ず、アルバイトを始めた。兄は大学受験を見据えて勉強していたが、大学進学よりも目先の生活費を優先し、大学受験は諦めた。
 2DKのアパートに3人で暮らすのは無理があったが、金を貯めて物件を探すまでの我慢としてアパートで暮らすことにした。礼音にできるのは、姉と兄に迷惑をかけずに過ごすことだった。小学校では、クラスメイトにも教師にも、両親のことを根掘り葉掘り訊かれた。礼音が答えずにいると、礼音が両親を追い出したことにされた。クラスメイトから無視されたり嫌がらせを受けたが、姉にも兄にも言わなかった。担任教師も、礼音の身元保証人である姉に伝えることはしなかった。
 姉は音大時代、ピアノを専攻しており、ジャズが得意だった。大学のOGの伝手で、演奏会に出演させてもらうこともあった。姉は愚直な性格ゆえ舐めてかかられることが多かったが、卒業生には恵まれていた。アルバイトも先輩が立ち上げたれたレストランで、夜はピアノの生演奏をするような小洒落た店だった。その演奏を姉が任されることもあり、閉店時間に姉はピアノを借りて練習させてもらっていた。演奏の動画も配信して、チャンネル登録者も多かった。
 姉は礼音と兄の分の食事を作り置きしてアルバイトに行っていたのだが、少食の姉が用意した食事は兄には物足りず、兄は礼音の分の食事まで食べていた。当初、礼音はそれに気づかず、姉貴は礼音が嫌いなんだ、という兄の言葉を信じて、姉は兄の分の食事しか用意しないのだと思い込んでいた。兄は礼音の分の食事を食べておきながら、冷蔵庫にある食材で礼音の分の料理をつくってくれた。その頃から兄は異常性を見せていたが、当時の礼音は気づく由もなかった。
 兄は高校の軽音楽部に所属し、エレキギターをやっていた。ベースの田村央哉は兄のクラスメイトで、互いの家を行き来するほど仲が良かった。その央哉が、兄が離れた隙に礼音に言ったのだ。「あんたの兄ちゃん、やばいほどあんたのことが好きなんだな」と。
「あんたは姉ちゃんと一緒に逃げろ。あいつに搾取される前に」
 央哉は礼音の兄と一緒に、放課後家で練習することがあった。央哉のベースが、礼音は好きだった。兄は、自分のギターが央哉のベースを先導しているかのように練習を評したが、礼音には央哉のベースが兄のギターを知り尽くして演奏を生かしているように聴こえた。ベースは単なる縁の下の力持ちではない。礼音は無垢なふりをして、央哉にベースを教えてもらうことにした。央哉は驚き、少々戸惑い、それでも後継者ができたみたいに喜んだ。央哉以上に、兄が喜んだ。
「央哉が使えなくなったら、礼音がメンバー入りだな」
 そのときの兄の表情は、忘れられない。お気に入りの手下を見つけたような、玩具を手に入れたような、勝ち誇った顔だった。


 兄の異常性に、姉は徐々に気づき、礼音を兄から引き離すようになった。狭い部屋に3人で川の字になって布団を敷いて寝ざるを得なかったのだが、兄が毎晩のように礼音に抱きついて寝るようになり、姉は兄の動向を(いぶか)しむようになった。作り置きしていたはずの礼音の食事の件も、姉は気づいた。兄と話し合いの度を超えた口論をするようになり、礼音が中学生になるタイミングで、姉は礼音を連れて学区外の賃貸マンションに引っ越した。
 姉の演奏する動画がレコード会社に注目され、契約した。ジャズピアニストとしてテレビでも取り上げられるようになたが、弟の存在も、礼音の名も一切メディアには出さなかった。生活は豊かではなかったが、姉は礼音をエレキベースの教室に通わせてくれた。
 姉は兄とは接触を拒んだ。礼音は央哉とも会っていない。礼音が高校に進学する頃、兄も姉を執拗に追いかけるように、ロックバンドSAISONとしてメジャーデビューした。深夜アニメの主題歌としてタイアップした楽曲が話題になり、SAISONとSHIONの名は一躍有名になった。SHIONはテレビやラジオで、姉がジャズピアニストのMioであること、一般人の弟がいることを明かし、弟とは仲が良いように語るようになった。
 礼音は高校の軽音楽部に入部し、そこでもベース担当だった。礼音がSHIONの弟だという噂は流れたが、誰も礼音に直接確認しなかった。触れてはいけない話題になっていた。
 進路を決めるとき、礼音は音楽の道は一切考えていなかった。壊れた家族のことは心の奥底に澱のように残っており、社会福祉全般の支援をする社会福祉士に興味が湧いた。大学は、姉の意向とも一致し、東京から離れた高溪大学を選んだ。
 姉とは連絡を取っているが、兄とは縁を切ったものだと思っていた。エレキベースは続けているし、オヤジバンドは楽しい。だが、音楽番組は見ないようにしていた。SAISONやSHIONの華々しい活躍を目の当たりにすると、兄の存在に怯えてしまう自分がいる。姉が守ってくれたお蔭で平穏な人生を歩んでいるのに。