家の外観は、いかにも昭和の洋風建築といったタイル張りだが、中は叔父の好みの和モダンにリノベーションされている。
「炬燵のスイッチを入れるので、座ってて下さい。夕飯、煮込みうどんで良いですか?」
「お、おう……特に嫌いなものはないし」
「かしこまりました」
「かしこまるのか!?」
 礼音が炬燵に入ったのを見て、朔人はアルバイトの前に煮ておいた煮込みうどんの鍋を温め返す。ケトルで湯を沸かし、お茶を淹れた。礼音は、茶器と茶托をまじまじと見つめる。
「何か」
「あの……こんなに尽くされて良いのかな、と」
「かなり外にいたんじゃないんですか? 暖まって下さい」
「外にいたのは、1時間くらいなんだけどな」
 礼音にしてみれば、1時間は長くないようだ。本人は首を傾げてお茶をすすった。
 朔人はキッチンに立ち、アルバイト先で頂いた独活(うど)の処理をする。芽の方は天ぷら、茎の方は胡麻和え。煮込みうどんと一緒に出すと、礼音は固まった。
「田舎料理は苦手でしたか」
「じゃなくて……あんたのイメージが……」
「柚子ピールのクッキーもありますが、食後に召し上がりますか? 紅茶かコーヒーも淹れますから」
「尽くし過ぎだろう……!」
 礼音は炬燵にひっくり返って悶絶した。こちらに友人はひとりもおらず、「ぼっち」を極めた朔人には、自分が尽くし過ぎるのか、わからない。キッチンで立ち食いする朔人に、礼音が、こっち来いよ、と声をかけてくれた。朔人も炬燵に自分の分の夕飯を持ってきて、食べ始める。
「ひとつ、訊きたいのですが」
 のそのそ起き上がった礼音に、朔人は訊ねる。
「なぜ、僕なのですか?」
「1年のときフランス文学論で隣の席だったっしょ」
 朔人は記憶を手繰り寄せる。1年の後期に一般教養のフランス文学論を受講した。担当講師がランダムで座席を決めたから、学科も学年もばらばらの座席表ができたのを覚えている。隣の男子学生は、いつも寝ていたから、顔は見ていない。黒髪に白いメッシュが入っていた。
「……俺はだいたい寝ていたから、記憶にないかもな」
 礼音は、濃いピンク色に染めた部分の髪を掻き上げた。
「てか、栗須(くりす)朔人って、本名なんだな」
「ええ。よく外国人に間違えられますが、この顔の通り、日本人です」
「あんた、綺麗な顔をしてるよな」
 スルーすれば済む話である。それなのに、朔人は軽く流せなかった。
「……悪い」
「いえ。親に感謝です」
「映画監督の名前に似てるよな。何だっけ、あれ」
 朔人が知らないふりをすると、礼音はそれ以上突っ込んでこなかった。
「明日、退去でしたっけ。荷物はどうしていますか?」
「トランクルームを借りて、一時保管してる。友人の車を使わせてもらった」
「そうだったんですね」
 朔人が車を出して荷物の運搬をする必要があると思っていたが、必要なさそうだ。退去の予定時間を聞くと、朔人が外出する時間と重なっていない。が、礼音にはそれ以外の予定もあるかもしれない。合鍵を渡す必要があるだろうか。
「飯の途中だけど、スマホ出して良い? バンドのメンバーに連絡したいから」
「大丈夫ですよ。気にしないで下さい」
 スマホの許可をもらおうとする礼音が、朔人は意外だった。食事中も平気でスマートフォンをいじる人だとばかり思っていたから。
「……よし。明日は夕方には帰ってくるから」
「ちょっと待って下さい。もしかして、バンドの練習を休むとか、その手の連絡ですか? だったら、休まなくて大丈夫です。合鍵をお渡ししますから、気にせずに行ってきて下さい」
「逆だよ、逆。バンドの練習に出られるっていう連絡。あんたがバイトに行く時間までには帰ってこられるから」
「……練習の後に飲み会とか行ってきても、大丈夫ですよ……? 車で迎えに行きますから」
「俺、あんたが思ってるほど陽キャじゃないよ」
 礼音は煮込みうどんを食べ終わり、物足りなそうに器を傾ける。朔人は、冷蔵庫の米飯を電子レンジで温め、卯の花と蕗味噌(ふきみそ)も小鉢に出した。朔人も食べたかったから、ついでだ。
「そっか。もうクッキーを出しても良かったですよね」
「こっちも食べます!」
 茶碗の米飯に卯の花と蕗味噌を乗せ、礼音は美味そうにかき込んだ。なんか、良いかも。朔人は静かな手応えを感じた。
「すみません。普段から、こういうものしか食べていないもので」
「こんなに健康に良さそうなものばっかり食ってんの? てっきり、パンとコーヒーだけかと思ってた」
「……ひょっとして、僕のイメージが独り歩きしていませんか?」
「あんた、女子の間で高嶺の花みたいになってるんだぜ。聖人クリス・サクトって言われて。大学の図書館で盗撮されてたの、知らないのか?」
「そうでしたか。盗撮されるほどの何かは持ち合わせておりませんが」
「夕方の図書館で本を見ながら俯いているだけで絵になるんだよ、あんたは」
「そうでしたか。体育館で盗撮されているわけではなくて、良かったです」
 本当に、イメージが独り歩きしていた。そして、体育館で盗撮されているわけでもなくて、良かった。教職課程を受講している朔人は、体育の講義が必須である。着替えを盗撮されたわけではなさそうなので、安心した。ちなみに、女子受けはどうでも良い。波風立たず、ひっそりと卒業するのが、朔人の目標である。
 遅い夕飯を終え、柚子ピールのクッキーとコーヒーに手をつける頃には、日付が変わろうとしていた。こんなにゆっくり、誰かと食事を摂るなど、初めてかもしれない。叔父の家にお邪魔したときは、幼い従弟がいたから賑やかだったし、お開きになるのも早かった。時間を気にせずご飯を食べて過ごす日が来るとは、思いもしなかった。
「柚子、美味い」
 テレビをつけるタイミングを逃し、静かな空間に、礼音の声が落ちた。
「良かった。庭の柚子なんです」
「庭の柚子が、こんなオシャンティになるのかよ!?」
「オシャンティ」
「何でもないです」
「柚子のジャムもありますよ」
 冷蔵庫から柚子ジャムの瓶を出し、クッキーに乗せる。礼音が、俺を餌付けするのはやめてくれ、と言いながら、ジャムをクッキーを頬張った。庭の柚子が豊作だったから、ピールとジャムにしただけなのに、こんなに美味しそうに食べてもらえるとは、思わなかった。またつくろう、と朔人はやり甲斐を覚えてしまった。卯の花も、蕗味噌も、柚子もクッキーも、自分が食べるために調理しただけだ。それなのに、喜んで食べてくれる人がいるのがこんなに張り合いのあることが、じんわりと嬉しくなった。
 礼音が炬燵で寝てしまい、朔人は洗い物をする。深夜だが、叔父にメールをしておいた。叔父はあっさりと礼音の滞在を許可し、住んでもらっても構わないとまで返信に書いた。さすがに住まないだろう。朔人は叔父にお礼の返事を書いてから、風呂に入り就寝した。いつもより遅い就寝なのに、罪悪感がなかった。