大学のキャンパスは港区。人生初の通勤ラッシュに眩暈がした。キャンパスの女の子はみんなリクルートスーツを着ていた。紺色のフレアスカートのスーツを母に借りた自分がひどく浮いて見えた。生まれて初めてしたお化粧はおかしくないか不安だった。あまり可愛くない制服が正しいのか正しくないのか分からないファッションセンスを隠してくれていたことを知った。
「加賀さんよろしくー」
「うちらたぶんサークルとか忙しいから代返とか色々よろしくねえ」
文学部で同じクラスになった内部進学者は私の他に二人。スクールカースト最上位のクイーンビー、チアリーディング部のキャプテンと副キャプテンだったルイとナツキ。教室の隅にいたような私とは正反対の人種。クラスが貼られた掲示板の前でさっそくパシリ扱いされたことに屈辱を感じた。吹雪とはクラスが離れてしまった。
いらいらしたまま入学式を過ごした。嫌なことは続く。ホールを出ると人混みに流されて吹雪とはぐれてしまった。人がごった返す中、吹雪を探すのは至難の業だ。仕方なく人の流れに身を任せた。その流れの両脇ではサークルの勧誘者が列を作って、サークルのチラシを配っていた。列を抜けたと思ったらまばらに大きな看板を持って勧誘をする在校生が立っていた。
「大丈夫? 顔色悪いよ」
サークルのオリジナルパーカーらしきものを着た背の高い男性に声をかけられた。
一目惚れだった。高校までは身近にかっこいい男の子なんていなかった。今までに少女漫画をたくさん読んできてもフィクションだと思っていたし、芸能人でもない一般人に一目惚れするなんてページ数の都合によるものだと思っていた。でも、どういうわけか一目惚れしてしまった。
「だっ、大丈夫です! ちょっと人酔いしちゃって」
「わかる。俺も二年前酔っちゃったもん。友達ともはぐれちゃったし、色々大変だったよ」
「そうなんです、私もちょうど友達とはぐれちゃったところで」
「大丈夫? 友達と連絡とれる?」
「あっ、はい。ラインあるので」
「ここだと人多くて待ち合わせも大変だろうからさ、よかったらうちのサークルのブースで落ち合ったら?」
「あ、はい! 何のサークルですか?」
「ダーツ。楽しいからついでにちょっと話だけでも聞いていってよ」
吹雪に連絡をして、ダーツサークルのブースで落ち合うことにした。先輩はうまくしゃべれない私の緊張をほぐすように、色々話しかけてくれた。
「俺、境優紫。理工学部の三年」
「加賀水彩都です、文学部です!」
「文学部なんだ? 源氏物語いいよね、俺は結構好き」
定型文的なアイスブレイクの随所に、教養が表れていた。
ブースにはいわゆる陽キャっぽい人だらけだった。執事とお嬢様の恋愛漫画にハマっているようなオタクの私がうまくやっていけるとは思えなかった。
「おっ、さっそく今年も可愛い子ナンパしてきたなー」
「人聞きが悪すぎる。新入生ちゃんの前で変なこと言うなよ。あと、お前は働け」
軽口を叩く男の人を笑いながら小突く先輩。ちらりと覗く八重歯も魅力的だった。
「俺はあいにく優紫みたいにイケメンじゃないから、チラシが捌けねえんだよ。はあ、顔交換してくれ」
「うるさい、つべこべ言わずに仕事しろ。サークルに貢献しろ」
「お前が言うな、この問題児」
「だーかーらっ、新入生ちゃんの前でそういうこと言うなっつーの」
優紫は彼を追い払う。
「ごめんね、騒がしくて」
優紫とサークルの会長を名乗る人の二人とラインを交換して、その場で入部届を書いた。ちょうどそのタイミングで、吹雪と合流した。
「えっ、ミサもう入部決めたの? 早くない?」
「あ、善は急げって言うし……」
「まあ、ミサが入るなら私も入るけどさ」
吹雪も入部を決め、懇親会にも一緒に行った。部の予算が少ないので、未成年ばかりの新歓コンパでお酒を飲み放題にする予算はないらしいので、先輩たちも全員ソフトドリンクを飲んでいた。髪の色が派手な人も何人かいて、私は場違いなように思えた。
しかし、中高時代のような不良はいなかった。金髪でピアスの新入生も礼儀正しく挨拶と自己紹介をしていたし、漫画が好きだといってもバカにする人はいなかった。同じ一年生の女の子とアドレスを交換した。
食事会のあとは、ダーツを投げに行った。経験者は経験者で集まって投げていたが、初心者は丁寧に教えてもらえた。優紫は部内で一番うまいらしく、教え方もすごく分かりやすい。優紫は面倒見が良かった。今まで出会った男性の中で一番紳士的だった。乱暴で意地悪で下品な高校までのクラスの男子とは全然違う。
「偉そうにしてるけど、俺、平部員だよ」
と自嘲するように笑う優紫もかっこよかった。二時間投げているうちに多少は投げ方がわかってきた。
見た目がかっこいい人は性格が悪いなんて嘘だ。優紫は優しかった。家に帰った後、すごく頑張っていたねとラインをくれた。
「分かんないことあったら何でも聞いてね」
優紫はいろいろなことを教えてくれた。ダーツサークルのメンバーのこと、簡単に単位のとれる一般教養の授業、文学部の簡単な必修科目を知っている先輩の名前、学校の近くの穴場の遊び場、ラーメン激戦区のおいしいラーメン屋さんの見分け方まで教えてくれた。
コミュニケーションは苦手だけれども、サークルで一番美形の優紫が可愛がっている一年生として私はすぐにサークルになじめた。浮いた話どころか一歩間違えれば昼ドラみたいにドロドロな恋愛絡みの噂はたくさんあったけれど、優紫ほどではないにしろモテそうな先輩ばかりだったからそれも当然だと思った。でも、陰キャをいじめそうな人はいなかったし、飲み会で勝手につぶれる先輩はいてもお酒の強要はなかった。
一年生のメンバーが固まってくると、親睦を深めるためにみんなでカラオケに行った。そこではアニメソングを歌ってもとやかく言われなかった。呼び方も「加賀さん」から「水彩都ちゃん」に変わった。
「水彩都ちゃんって、彩希葉先輩に似てるよね。もしかして親戚?」
カラオケの時に、同期に質問された。
「誰それ?」
少なくとも内部生ではない。
「えー、知らないの? 西村彩希葉先輩だよ。サークルの冊子の表紙にもなってたじゃん。去年のミス麗宝。ってか、うちのサークルの先輩」
そういえば綺麗な女の人がファンシーな空間でぬいぐるみを抱えている写真だった気がする。
「え、会ったことある?」
「大会以外ではめったにサークルに顔出さないらしいよ。看護学部の三年だから、キャンパスも違うし、医学部と合同のダンスサークルでキャプテンやってるからそっちが忙しいんだって」
医学部と看護学部は一年生からずっと神奈川のキャンパスにも関わらず、彼女の伝説は港区キャンパスまで伝わってきているらしい。数年前まで公共スペースでのマナーが悪いと言われていたダンスサークルを改革したカリスマ。多くの男子生徒を魅了し続けているけれども、ダンスサークルの三歳年上の先輩と付き合っているらしくつけいる隙はない。私の対極に位置する存在だった。みんな彼女の話で盛り上がっていたが、あまり気に留めることはなかった。
優紫とはラインで雑談をするようになった。優紫が九州の出身であること、年の離れたお兄さんがいること、好きな漫画の話、休日の過ごし方、他愛のない話をたくさんした。優紫は訛がなかったから、九州出身ということがとても意外だった。
「そろそろマイダーツ一緒に買いに行かない? 今週の日曜日空いてる?」
急に誘われた。優紫はデートのつもりがなくても、デートだと思いたかった。持っている服の中で一番かわいい水色のワンピースを着ていった。
渋谷のダーツショップで、女の子向けの投げやすい重さのスターターセットを選んでくれた。
「俺のおすすめはこれ。試しに投げてみて」
試し投げを何回かしたところ、優紫が選んでくれたものはすべてしっくり来た。ダーツ本体と、ケースと、予備のフライトとシャフトとチップ。あとは、マシンでやるときに結果を記録するカードを選んで終わりだ。
優紫は万華鏡のような幾何学模様が描かれたカードを使っていた。それと色違いのカードのエリアに陳列されたカードをじっと見ていた。さすがに、気持ち悪がられないかと不安になったけれど、それは杞憂だった。
「あれ、この辺にあるやつ、俺のカードと色違いじゃん。センスいいね~」
優紫の顔が少し近くて、思わず変な声が出そうになった。偶然だと思ってくれたようだ。
「好みが、あいますね」
裏返りそうになる声を抑えながら答えた。
「ね、嬉しいね」
こういう返しをさらっとする優紫が、好きだ。優紫はそのエリアにあったカードのうち、紫色の物を一枚とった。カードを含めて今日選んだもの一式をレジに持っていき、会計を済ませた。
「水彩都ちゃんにプレゼント。俺も頑張って教えるからさ、ダーツうまくなってね」
「ありがとうございます! 宝物にします!」
たぶん私、世界で一番幸せだ。
四月も終わりにさしかかると、私は優紫に口説かれるようになった。優紫の甘い言葉はカシスリキュールのように私を酔わせた。ゴールデンウィークの新歓合宿の夜、みんなが羽目を外して酔いつぶれている中、ダーツボードを設置してある部屋にこっそり呼び出された。二人きりの空間で心臓が破裂しそうだった。
「暇だったら賭けをしようよ」
と優紫は言った。
「今から俺が三本投げて、全部ブルに入ったらちょっと話聞いてくれる?」
ブル。ダーツボードの真ん中の丸いエリア。そこに三本入れるのは、私はまだ一度も成功させたことがない。うまい人でも毎回できるというわけではない。
「そんなことしなくても話くらい聞きますけど、先輩が投げてるの見るの……勉強になるのでいいですよ」
本当は、投げている時の真剣なまなざしが好きだからと言いたかった。一本目、二本目と入れていく。三本目は、ダブルブルのど真ん中に刺さった。
「ナイスハットトリックです」
私は小さく拍手をした。
「好きだよ。俺と付き合って」
二人だけの世界に、先輩の声だけが甘く響いた。時計の音も聞こえない。
この初恋は運命だと思った。私も好きです、好きです。ありったけの「好きです」を先輩に伝えた。
晴れて私たちは恋人になった。
「俺たちが付き合ってること、秘密ね」
「はい」
優紫は私の唇に長い人差し指を当てた。それだけで心臓が跳ねた。あの頃は、敬語も抜けなくて、「優紫先輩」と呼んでいた。生まれて初めて、親友の吹雪に秘密を作った。
初デートは東京タワーに行った。
「東京タワーは初めて?」
「初めてですよ」
「東京の人って東京タワーあんまりいかないって本当なんだね」
エレベーターに乗って展望階に行くと優紫は、ビルの並んだ景色を見下ろしながら言った。
「俺みたいな地方民にとって東京ってさ、夢とか未来がつまった場所なんだよ」
都民のクラスメイトはいまいち共感してくれなかったけど、と付け足す。
「小さいころに、テレビで東京タワー見て日本一の高さですって言われて、だから東京タワーは憧れのシンボルみたいなものかな。今の子たちはスカイツリーがシンボルなんだろうけどさ。東京タワーにしろ、スカイツリーにしろ、自分の半径一キロにない世界がひたすら広がってる場所に、自分のレゾンデートルを探しに来るんだよ」
西東京の限られた世界しか知らなかった私も優紫の気持ちがよく分かったような気がした。
優紫は東京で育った私よりトーキョーに詳しかった。新宿駅のダンジョンで迷うことなんてないし、どこの駅でもダーツができるスポットや美味しいご飯が食べられる場所を知っていた。私の門限は二十三時だったけど二十一時に帰れるように、電車の時間も調べてくれていた。
「事前調査も彼氏の務めだからね」
渋谷、原宿はもちろん銀座にも行った。おしゃれなカフェで限定パフェを一口ずつ交換するようなデートにずっと憧れていた。東京タワーもそうだけど、都民が案外いかない浅草みたいな観光地にも詳しかった。
優紫は私の望むもの全てをくれた。毎日数え切れないほどの愛の言葉をくれた。いわゆるオタクだった私が、漫画の執事キャラが好きだと言えば、私を「お嬢様」「お姫様」と呼んだ。私の長い髪を撫でる指先が好きだった。
「お嬢様を撮るなんて恐れ多いですよ、なんてね」
優紫はカメラを趣味にしていたけれど、あまりポートレートを撮らない人だった。風景写真ばかりを撮っていた。人間よりも、自然や人類の作り出した叡知であるところの建造物の方が美しいと優紫は語った。優紫自身も撮るのが好きなだけで、撮られるのはあまり好きではないらしい。
あるとき、サークル内で恋愛談義が行われた。好きなタイプを聞かれた優紫は「ショートカットの子」と答えた。私はその日、髪を切った方がいいか優紫に相談した。
「水彩都は可愛いから、絶対ショートの方が似合う。髪色も明るくしたら芸能界にスカウトされるかもな」
私は即座に美容院を予約した。優紫が一番可愛いと思ってくれる私でありたかった。
優紫は私によくコスメをプレゼントしてくれた。優紫がくれた海外ブランド物の口紅や紫のマニキュアが似合う女になりたかった。男性は女性の買い物に付き合うのが嫌いだと誰かが言っていたが、優紫はまったくそんなことはなく、私が元々着ていたようなダサい服なんかとは比べ物にならないほど、素敵な服を選んでくれた。
「ねえ、明日のデートこれ着て来てよ。絶対似合うからさ」
なぜかよくぬいぐるみもくれた。最初にくれたのは私が幼稚園に入るか入らないかくらいの頃に流行ったアニメキャラの巨大なぬいぐるみだった。
サークル内恋愛というものは隠せない。狭いキャンパスでは誰が見ているか分からない。クラスメイトのルイとナツキに私が優紫と手を繋いでいるところを見られた。正直、怖かった。けれども、二人は案外友好的だった。
「水彩都、やるじゃぁん! 水彩都に先越されるとは思わなかったぁ」
「彼氏めちゃくちゃイケメンじゃーん! 彼氏の友達紹介してよー。切実に彼氏ほしー」
彼氏ができたというだけで、二人の私を見る目が変わった。いつの間にか呼び方も「加賀さん」から「水彩都」になっていた。馴れ馴れしい。吐き気がする。
「てか、冗談抜きに羨ましいよねぇ。彼氏の友達にイケメンいたら本気で紹介してほしいんだけどぉ」
「ダメ? お願い。うちら友達っしょ?」
ダーツサークルに彼女が欲しいと言っている先輩や同期の男子はいるが、二人は友達ではない。
「今度……ね」
かといってはっきり断る勇気もなかったので、曖昧にごまかした。しかし、それはOKととられてしまった。
「ありがとー! 水彩都大好き!」
「神様仏様水彩都様ぁ」
いきなり抱き着かれた。二人の態度は今までと明らかに違う。私に対して下手に出ている。私をおだてている。私が価値のある人間になったからだ。思わず笑みがこぼれた。
「いいよ、私たち友達だもんね」
「うん、大親友!」
二人にダーツサークルの男の子を紹介してあげると死ぬほど感謝された。この件がきっかけで、私たちはガールズトークに花を咲かせることになる。ルイとナツキとは、よくつるむようになった。今まで私を馬鹿にしていたことは水に流す。だって、今の二人は私をちやほやしてくれる。大切なのは今だから。三人で撮ったプリクラに「一生親友」と書いてこれが友情の証。根に持つなんて不健全。もう大学生なんだから健全な友情をはぐくまなくちゃ。
「ねー、水彩都、クラコンどこでやりたいー? 水彩都の好きなところでいいよー」
ダンスサークルに入ったルイとナツキは大学でもクラスの中心にいたので、私も一目置かれるようになった。ああ、気持ちいい。
優紫は優紫で友達が多く、よく友達の家で宅飲みをしている画像をSNSにアップしていた。私も服装やメイクが垢抜けると、スクールカーストの階段を一気に駆け上がり、人並みの大学生らしく派手な友人たちにバーベキューやたこ焼きパーティーに誘われるようになった。吹雪以外と遊ぶのは初めてのことだった。
「水彩都の大学生活が充実してると俺も嬉しい。どんどん遊んできな。せっかくの大学生活なんだし、友達たくさん作らなきゃ」
優紫は私を束縛しなかった。男性がいる場に行くなとも言わなかったし、むしろ友達とどんどん遊ぶことを推奨した。
「水彩都は声可愛いからさ、俺、水彩都がこの曲歌ってるのすげー聞きたい」
カラオケではアニメソングの代わりに優紫にリクエストされて覚えた数年前に流行ったJ-Popを歌うようになった。こっちの方が、陽キャの集まりで浮かない。優紫のおかげで私は変われた。
高校時代までの学生時代はチュートリアルだ。学生生活本番とばかりに、サークルも恋もイベントも謳歌した。私はすべてを手に入れた。今までほしかったもの、全部。秋の文化祭のミスコンに優紫が私を推薦して三次予選まで進んだ。あと少しで最終選考次点だったらしい。文化祭のステージに上がれなかったのは残念だが、そこまで進んだだけで大快挙だ。その分、優紫と文化祭を回る時間ができたので逆にラッキーだったとさえ思えた。
「十二時から友達がダンスステージ出てるの。見に行っていい?」
「俺の友達もダンスサークルなんだ。遅れるとアレだから、少し早く行こうか」
お互いの友達の出店やステージを一緒に回った。中庭についたのは十一時十五分。ちょうど一つ前の出番の医学部と看護学部の合同ダンスサークルのパフォーマンスが始まるところだった。センターで踊る西村彩希葉は一際輝いていて、ルイやナツキが崇拝する理由が分かった。
ダーツも頑張った。一生懸命教えてくれた優紫の期待に応えたかった。年明けの大学生大会女子の部では決勝トーナメントまで進出した。女子の部が午前、男子の部が午後だったから、午前中優紫は私の応援をしに来てくれた。でも、一緒に会場入りしたはずなのに、会場が広かったからはぐれてしまって、予選の時は会場を間違えてしまったらしい。かっこいい優紫にもおっちょこちょいな一面があって可愛く思えた。それに、決勝トーナメントはちゃんと応援に来てくれたからチャラだ。ちなみに、その大会でも彩希葉先輩は優勝していた。天は二物も三物も与えるんだなと思った。
季節は廻り、付き合って一周年を迎えた。すべての季節に優紫がいた。優紫は毎日愛を囁いて、私の望む全てをくれた。
「加賀さんよろしくー」
「うちらたぶんサークルとか忙しいから代返とか色々よろしくねえ」
文学部で同じクラスになった内部進学者は私の他に二人。スクールカースト最上位のクイーンビー、チアリーディング部のキャプテンと副キャプテンだったルイとナツキ。教室の隅にいたような私とは正反対の人種。クラスが貼られた掲示板の前でさっそくパシリ扱いされたことに屈辱を感じた。吹雪とはクラスが離れてしまった。
いらいらしたまま入学式を過ごした。嫌なことは続く。ホールを出ると人混みに流されて吹雪とはぐれてしまった。人がごった返す中、吹雪を探すのは至難の業だ。仕方なく人の流れに身を任せた。その流れの両脇ではサークルの勧誘者が列を作って、サークルのチラシを配っていた。列を抜けたと思ったらまばらに大きな看板を持って勧誘をする在校生が立っていた。
「大丈夫? 顔色悪いよ」
サークルのオリジナルパーカーらしきものを着た背の高い男性に声をかけられた。
一目惚れだった。高校までは身近にかっこいい男の子なんていなかった。今までに少女漫画をたくさん読んできてもフィクションだと思っていたし、芸能人でもない一般人に一目惚れするなんてページ数の都合によるものだと思っていた。でも、どういうわけか一目惚れしてしまった。
「だっ、大丈夫です! ちょっと人酔いしちゃって」
「わかる。俺も二年前酔っちゃったもん。友達ともはぐれちゃったし、色々大変だったよ」
「そうなんです、私もちょうど友達とはぐれちゃったところで」
「大丈夫? 友達と連絡とれる?」
「あっ、はい。ラインあるので」
「ここだと人多くて待ち合わせも大変だろうからさ、よかったらうちのサークルのブースで落ち合ったら?」
「あ、はい! 何のサークルですか?」
「ダーツ。楽しいからついでにちょっと話だけでも聞いていってよ」
吹雪に連絡をして、ダーツサークルのブースで落ち合うことにした。先輩はうまくしゃべれない私の緊張をほぐすように、色々話しかけてくれた。
「俺、境優紫。理工学部の三年」
「加賀水彩都です、文学部です!」
「文学部なんだ? 源氏物語いいよね、俺は結構好き」
定型文的なアイスブレイクの随所に、教養が表れていた。
ブースにはいわゆる陽キャっぽい人だらけだった。執事とお嬢様の恋愛漫画にハマっているようなオタクの私がうまくやっていけるとは思えなかった。
「おっ、さっそく今年も可愛い子ナンパしてきたなー」
「人聞きが悪すぎる。新入生ちゃんの前で変なこと言うなよ。あと、お前は働け」
軽口を叩く男の人を笑いながら小突く先輩。ちらりと覗く八重歯も魅力的だった。
「俺はあいにく優紫みたいにイケメンじゃないから、チラシが捌けねえんだよ。はあ、顔交換してくれ」
「うるさい、つべこべ言わずに仕事しろ。サークルに貢献しろ」
「お前が言うな、この問題児」
「だーかーらっ、新入生ちゃんの前でそういうこと言うなっつーの」
優紫は彼を追い払う。
「ごめんね、騒がしくて」
優紫とサークルの会長を名乗る人の二人とラインを交換して、その場で入部届を書いた。ちょうどそのタイミングで、吹雪と合流した。
「えっ、ミサもう入部決めたの? 早くない?」
「あ、善は急げって言うし……」
「まあ、ミサが入るなら私も入るけどさ」
吹雪も入部を決め、懇親会にも一緒に行った。部の予算が少ないので、未成年ばかりの新歓コンパでお酒を飲み放題にする予算はないらしいので、先輩たちも全員ソフトドリンクを飲んでいた。髪の色が派手な人も何人かいて、私は場違いなように思えた。
しかし、中高時代のような不良はいなかった。金髪でピアスの新入生も礼儀正しく挨拶と自己紹介をしていたし、漫画が好きだといってもバカにする人はいなかった。同じ一年生の女の子とアドレスを交換した。
食事会のあとは、ダーツを投げに行った。経験者は経験者で集まって投げていたが、初心者は丁寧に教えてもらえた。優紫は部内で一番うまいらしく、教え方もすごく分かりやすい。優紫は面倒見が良かった。今まで出会った男性の中で一番紳士的だった。乱暴で意地悪で下品な高校までのクラスの男子とは全然違う。
「偉そうにしてるけど、俺、平部員だよ」
と自嘲するように笑う優紫もかっこよかった。二時間投げているうちに多少は投げ方がわかってきた。
見た目がかっこいい人は性格が悪いなんて嘘だ。優紫は優しかった。家に帰った後、すごく頑張っていたねとラインをくれた。
「分かんないことあったら何でも聞いてね」
優紫はいろいろなことを教えてくれた。ダーツサークルのメンバーのこと、簡単に単位のとれる一般教養の授業、文学部の簡単な必修科目を知っている先輩の名前、学校の近くの穴場の遊び場、ラーメン激戦区のおいしいラーメン屋さんの見分け方まで教えてくれた。
コミュニケーションは苦手だけれども、サークルで一番美形の優紫が可愛がっている一年生として私はすぐにサークルになじめた。浮いた話どころか一歩間違えれば昼ドラみたいにドロドロな恋愛絡みの噂はたくさんあったけれど、優紫ほどではないにしろモテそうな先輩ばかりだったからそれも当然だと思った。でも、陰キャをいじめそうな人はいなかったし、飲み会で勝手につぶれる先輩はいてもお酒の強要はなかった。
一年生のメンバーが固まってくると、親睦を深めるためにみんなでカラオケに行った。そこではアニメソングを歌ってもとやかく言われなかった。呼び方も「加賀さん」から「水彩都ちゃん」に変わった。
「水彩都ちゃんって、彩希葉先輩に似てるよね。もしかして親戚?」
カラオケの時に、同期に質問された。
「誰それ?」
少なくとも内部生ではない。
「えー、知らないの? 西村彩希葉先輩だよ。サークルの冊子の表紙にもなってたじゃん。去年のミス麗宝。ってか、うちのサークルの先輩」
そういえば綺麗な女の人がファンシーな空間でぬいぐるみを抱えている写真だった気がする。
「え、会ったことある?」
「大会以外ではめったにサークルに顔出さないらしいよ。看護学部の三年だから、キャンパスも違うし、医学部と合同のダンスサークルでキャプテンやってるからそっちが忙しいんだって」
医学部と看護学部は一年生からずっと神奈川のキャンパスにも関わらず、彼女の伝説は港区キャンパスまで伝わってきているらしい。数年前まで公共スペースでのマナーが悪いと言われていたダンスサークルを改革したカリスマ。多くの男子生徒を魅了し続けているけれども、ダンスサークルの三歳年上の先輩と付き合っているらしくつけいる隙はない。私の対極に位置する存在だった。みんな彼女の話で盛り上がっていたが、あまり気に留めることはなかった。
優紫とはラインで雑談をするようになった。優紫が九州の出身であること、年の離れたお兄さんがいること、好きな漫画の話、休日の過ごし方、他愛のない話をたくさんした。優紫は訛がなかったから、九州出身ということがとても意外だった。
「そろそろマイダーツ一緒に買いに行かない? 今週の日曜日空いてる?」
急に誘われた。優紫はデートのつもりがなくても、デートだと思いたかった。持っている服の中で一番かわいい水色のワンピースを着ていった。
渋谷のダーツショップで、女の子向けの投げやすい重さのスターターセットを選んでくれた。
「俺のおすすめはこれ。試しに投げてみて」
試し投げを何回かしたところ、優紫が選んでくれたものはすべてしっくり来た。ダーツ本体と、ケースと、予備のフライトとシャフトとチップ。あとは、マシンでやるときに結果を記録するカードを選んで終わりだ。
優紫は万華鏡のような幾何学模様が描かれたカードを使っていた。それと色違いのカードのエリアに陳列されたカードをじっと見ていた。さすがに、気持ち悪がられないかと不安になったけれど、それは杞憂だった。
「あれ、この辺にあるやつ、俺のカードと色違いじゃん。センスいいね~」
優紫の顔が少し近くて、思わず変な声が出そうになった。偶然だと思ってくれたようだ。
「好みが、あいますね」
裏返りそうになる声を抑えながら答えた。
「ね、嬉しいね」
こういう返しをさらっとする優紫が、好きだ。優紫はそのエリアにあったカードのうち、紫色の物を一枚とった。カードを含めて今日選んだもの一式をレジに持っていき、会計を済ませた。
「水彩都ちゃんにプレゼント。俺も頑張って教えるからさ、ダーツうまくなってね」
「ありがとうございます! 宝物にします!」
たぶん私、世界で一番幸せだ。
四月も終わりにさしかかると、私は優紫に口説かれるようになった。優紫の甘い言葉はカシスリキュールのように私を酔わせた。ゴールデンウィークの新歓合宿の夜、みんなが羽目を外して酔いつぶれている中、ダーツボードを設置してある部屋にこっそり呼び出された。二人きりの空間で心臓が破裂しそうだった。
「暇だったら賭けをしようよ」
と優紫は言った。
「今から俺が三本投げて、全部ブルに入ったらちょっと話聞いてくれる?」
ブル。ダーツボードの真ん中の丸いエリア。そこに三本入れるのは、私はまだ一度も成功させたことがない。うまい人でも毎回できるというわけではない。
「そんなことしなくても話くらい聞きますけど、先輩が投げてるの見るの……勉強になるのでいいですよ」
本当は、投げている時の真剣なまなざしが好きだからと言いたかった。一本目、二本目と入れていく。三本目は、ダブルブルのど真ん中に刺さった。
「ナイスハットトリックです」
私は小さく拍手をした。
「好きだよ。俺と付き合って」
二人だけの世界に、先輩の声だけが甘く響いた。時計の音も聞こえない。
この初恋は運命だと思った。私も好きです、好きです。ありったけの「好きです」を先輩に伝えた。
晴れて私たちは恋人になった。
「俺たちが付き合ってること、秘密ね」
「はい」
優紫は私の唇に長い人差し指を当てた。それだけで心臓が跳ねた。あの頃は、敬語も抜けなくて、「優紫先輩」と呼んでいた。生まれて初めて、親友の吹雪に秘密を作った。
初デートは東京タワーに行った。
「東京タワーは初めて?」
「初めてですよ」
「東京の人って東京タワーあんまりいかないって本当なんだね」
エレベーターに乗って展望階に行くと優紫は、ビルの並んだ景色を見下ろしながら言った。
「俺みたいな地方民にとって東京ってさ、夢とか未来がつまった場所なんだよ」
都民のクラスメイトはいまいち共感してくれなかったけど、と付け足す。
「小さいころに、テレビで東京タワー見て日本一の高さですって言われて、だから東京タワーは憧れのシンボルみたいなものかな。今の子たちはスカイツリーがシンボルなんだろうけどさ。東京タワーにしろ、スカイツリーにしろ、自分の半径一キロにない世界がひたすら広がってる場所に、自分のレゾンデートルを探しに来るんだよ」
西東京の限られた世界しか知らなかった私も優紫の気持ちがよく分かったような気がした。
優紫は東京で育った私よりトーキョーに詳しかった。新宿駅のダンジョンで迷うことなんてないし、どこの駅でもダーツができるスポットや美味しいご飯が食べられる場所を知っていた。私の門限は二十三時だったけど二十一時に帰れるように、電車の時間も調べてくれていた。
「事前調査も彼氏の務めだからね」
渋谷、原宿はもちろん銀座にも行った。おしゃれなカフェで限定パフェを一口ずつ交換するようなデートにずっと憧れていた。東京タワーもそうだけど、都民が案外いかない浅草みたいな観光地にも詳しかった。
優紫は私の望むもの全てをくれた。毎日数え切れないほどの愛の言葉をくれた。いわゆるオタクだった私が、漫画の執事キャラが好きだと言えば、私を「お嬢様」「お姫様」と呼んだ。私の長い髪を撫でる指先が好きだった。
「お嬢様を撮るなんて恐れ多いですよ、なんてね」
優紫はカメラを趣味にしていたけれど、あまりポートレートを撮らない人だった。風景写真ばかりを撮っていた。人間よりも、自然や人類の作り出した叡知であるところの建造物の方が美しいと優紫は語った。優紫自身も撮るのが好きなだけで、撮られるのはあまり好きではないらしい。
あるとき、サークル内で恋愛談義が行われた。好きなタイプを聞かれた優紫は「ショートカットの子」と答えた。私はその日、髪を切った方がいいか優紫に相談した。
「水彩都は可愛いから、絶対ショートの方が似合う。髪色も明るくしたら芸能界にスカウトされるかもな」
私は即座に美容院を予約した。優紫が一番可愛いと思ってくれる私でありたかった。
優紫は私によくコスメをプレゼントしてくれた。優紫がくれた海外ブランド物の口紅や紫のマニキュアが似合う女になりたかった。男性は女性の買い物に付き合うのが嫌いだと誰かが言っていたが、優紫はまったくそんなことはなく、私が元々着ていたようなダサい服なんかとは比べ物にならないほど、素敵な服を選んでくれた。
「ねえ、明日のデートこれ着て来てよ。絶対似合うからさ」
なぜかよくぬいぐるみもくれた。最初にくれたのは私が幼稚園に入るか入らないかくらいの頃に流行ったアニメキャラの巨大なぬいぐるみだった。
サークル内恋愛というものは隠せない。狭いキャンパスでは誰が見ているか分からない。クラスメイトのルイとナツキに私が優紫と手を繋いでいるところを見られた。正直、怖かった。けれども、二人は案外友好的だった。
「水彩都、やるじゃぁん! 水彩都に先越されるとは思わなかったぁ」
「彼氏めちゃくちゃイケメンじゃーん! 彼氏の友達紹介してよー。切実に彼氏ほしー」
彼氏ができたというだけで、二人の私を見る目が変わった。いつの間にか呼び方も「加賀さん」から「水彩都」になっていた。馴れ馴れしい。吐き気がする。
「てか、冗談抜きに羨ましいよねぇ。彼氏の友達にイケメンいたら本気で紹介してほしいんだけどぉ」
「ダメ? お願い。うちら友達っしょ?」
ダーツサークルに彼女が欲しいと言っている先輩や同期の男子はいるが、二人は友達ではない。
「今度……ね」
かといってはっきり断る勇気もなかったので、曖昧にごまかした。しかし、それはOKととられてしまった。
「ありがとー! 水彩都大好き!」
「神様仏様水彩都様ぁ」
いきなり抱き着かれた。二人の態度は今までと明らかに違う。私に対して下手に出ている。私をおだてている。私が価値のある人間になったからだ。思わず笑みがこぼれた。
「いいよ、私たち友達だもんね」
「うん、大親友!」
二人にダーツサークルの男の子を紹介してあげると死ぬほど感謝された。この件がきっかけで、私たちはガールズトークに花を咲かせることになる。ルイとナツキとは、よくつるむようになった。今まで私を馬鹿にしていたことは水に流す。だって、今の二人は私をちやほやしてくれる。大切なのは今だから。三人で撮ったプリクラに「一生親友」と書いてこれが友情の証。根に持つなんて不健全。もう大学生なんだから健全な友情をはぐくまなくちゃ。
「ねー、水彩都、クラコンどこでやりたいー? 水彩都の好きなところでいいよー」
ダンスサークルに入ったルイとナツキは大学でもクラスの中心にいたので、私も一目置かれるようになった。ああ、気持ちいい。
優紫は優紫で友達が多く、よく友達の家で宅飲みをしている画像をSNSにアップしていた。私も服装やメイクが垢抜けると、スクールカーストの階段を一気に駆け上がり、人並みの大学生らしく派手な友人たちにバーベキューやたこ焼きパーティーに誘われるようになった。吹雪以外と遊ぶのは初めてのことだった。
「水彩都の大学生活が充実してると俺も嬉しい。どんどん遊んできな。せっかくの大学生活なんだし、友達たくさん作らなきゃ」
優紫は私を束縛しなかった。男性がいる場に行くなとも言わなかったし、むしろ友達とどんどん遊ぶことを推奨した。
「水彩都は声可愛いからさ、俺、水彩都がこの曲歌ってるのすげー聞きたい」
カラオケではアニメソングの代わりに優紫にリクエストされて覚えた数年前に流行ったJ-Popを歌うようになった。こっちの方が、陽キャの集まりで浮かない。優紫のおかげで私は変われた。
高校時代までの学生時代はチュートリアルだ。学生生活本番とばかりに、サークルも恋もイベントも謳歌した。私はすべてを手に入れた。今までほしかったもの、全部。秋の文化祭のミスコンに優紫が私を推薦して三次予選まで進んだ。あと少しで最終選考次点だったらしい。文化祭のステージに上がれなかったのは残念だが、そこまで進んだだけで大快挙だ。その分、優紫と文化祭を回る時間ができたので逆にラッキーだったとさえ思えた。
「十二時から友達がダンスステージ出てるの。見に行っていい?」
「俺の友達もダンスサークルなんだ。遅れるとアレだから、少し早く行こうか」
お互いの友達の出店やステージを一緒に回った。中庭についたのは十一時十五分。ちょうど一つ前の出番の医学部と看護学部の合同ダンスサークルのパフォーマンスが始まるところだった。センターで踊る西村彩希葉は一際輝いていて、ルイやナツキが崇拝する理由が分かった。
ダーツも頑張った。一生懸命教えてくれた優紫の期待に応えたかった。年明けの大学生大会女子の部では決勝トーナメントまで進出した。女子の部が午前、男子の部が午後だったから、午前中優紫は私の応援をしに来てくれた。でも、一緒に会場入りしたはずなのに、会場が広かったからはぐれてしまって、予選の時は会場を間違えてしまったらしい。かっこいい優紫にもおっちょこちょいな一面があって可愛く思えた。それに、決勝トーナメントはちゃんと応援に来てくれたからチャラだ。ちなみに、その大会でも彩希葉先輩は優勝していた。天は二物も三物も与えるんだなと思った。
季節は廻り、付き合って一周年を迎えた。すべての季節に優紫がいた。優紫は毎日愛を囁いて、私の望む全てをくれた。



