手を繋いだ瞬間、僕たちは別の空間にいた。
 体育館ではない。白い無限の空間で、足元には鏡のような床が広がっている。そして空中には、無数の記憶の欠片が星座のように浮かんでいる。
「ここは——」
『時間の狭間だ』
 光の中の未来の僕が現れる。今度ははっきりした実体を持って。
『君たちの集合意識が作り出した、時間の外側の空間』
「時間の外側?」
 山田さんが辺りを見回す。
『過去も未来も存在しない場所』
 未来の山田さんも現れる。
『ここでなら、あの男たちも追ってこられない』
 僕は安堵する。とりあえず危険からは逃れられたようだ。
 でも未来の僕たちの表情は深刻だった。
『でも長くはいられない』
 未来の鈴木が警告する。
『この空間は不安定だ。現実世界との接続を失うと、君たちは永遠にここに閉じ込められる』
「永遠に?」
『そうだ』
 未来の僕が頷く。
『時間の狭間は、存在するための最低限の条件さえ満たしていない』
 僕は足元の鏡を見る。そこに映っているのは僕の顔だったが、どこか透明で、実体感に乏しい。
「僕たち、薄くなってる?」
『時間の外側にいると、存在そのものが希薄になる』
 未来の山田さんが説明する。
『だから急がなければならない』
「なにを?」
『記憶統合プロジェクトの真相を暴くんだ』
 未来の僕が手を振ると、空中の記憶の欠片たちが集まってきて、大きなスクリーンのような形を作る。そこに映像が映し出される。
 映っているのは、巨大な地下施設だった。研究室やコンピューター室、そして無数の培養カプセルが並んでいる。
『これが彼らの本当の目的だ』
 未来の僕が解説する。
 映像の中で、白衣を着た研究者たちが何かを議論している。
『記憶統合プロジェクト、第四フェーズに移行します』
『被験者の脳波パターンは予想通りです』
『完全なクローン意識の作成まで、あと一歩です』
 クローン意識——僕は背筋が寒くなる。
『彼らの目的は、君たちの記憶と意識をコピーして、人工的な意識体を作ることだった』
 未来の僕が続ける。
『そして最終的には、オリジナルである君たちを消去する予定だった』
「消去?」
『そうだ』
 未来の山田さんが頷く。
『記憶を完全に抽出された人間は、植物状態になる』
 僕たちは言葉を失う。
『でも彼らの計画には欠陥があった』
 未来の鈴木が付け加える。
『記憶の物質化現象は、彼らが思っていたよりも複雑だった』
 映像が変わる。今度は実験室の様子が映っている。培養カプセルの中で、人間のような形をした何かが蠢いている。
『初期の実験で作られたクローン意識体だ』
 未来の僕が説明する。
『でも見ての通り、失敗作だ』
 カプセルの中の存在は、確かに人間の形をしていたが、どこか不完全で、恐ろしい外見をしていた。顔の造作は曖昧で、手足の長さもバラバラ。
『記憶だけでは完全な意識は作れない』
 未来の山田さんが言う。
『感情や、直感や、無意識の部分が欠けている』
「それで僕たちの記憶が必要だったのね」
 山田さんが理解する。
『そうだ』
 未来の僕が頷く。
『でも彼らは一つ重要なことを見落としていた』
「なにを?」
『君たちの世代の記憶は、ただの情報じゃない』
 未来の僕が空中に手を翳すと、新しい映像が現れる。それは僕たちが記憶の欠片を額に当てて、体内に戻しているシーンだった。
『君たちの記憶は、時間そのものと結びついている』
 未来の僕が説明する。
『過去と現在と未来を同時に内包した、四次元的な存在だ』
 四次元的な存在——その言葉が頭の中で響く。
『だから彼らの装置では抽出できない』
 未来の山田さんが続ける。
『無理に抽出しようとすると——』
 映像が再び変わる。今度は実験室で爆発が起こっているシーンだった。
『時間の歪みが発生する』
 未来の鈴木が解説する。
『彼らはそれを「時間の檻」と呼んでいる』
「時間の檻?」
『過去と未来が現在に流れ込んで、時間の流れが停止する現象だ』
 未来の僕が深刻な表情で言う。
『一度発生すると、半径数キロの範囲で時間が止まってしまう』
 僕は恐怖を感じる。そんな危険な実験が行われていたなんて。
『でも彼らは諦めていない』
 未来の山田さんが警告する。
『今度はもっと強力な装置を使って、君たちの記憶を抽出しようとしている』
「それって——」
『成功すれば、完全なクローン意識が完成する』
 未来の僕が頷く。
『でも失敗すれば——』
『この町全体が時間の檻に閉じ込められる』
 僕たちは戦慄する。
「どうすればいいの?」
 僕が訊く。
『彼らの計画を阻止するんだ』
 未来の僕が立ち上がる。
『でもそのためには、現実世界に戻らなければならない』
「戻って大丈夫?」
 鈴木が心配する。
「あの男たちが待ってるんでしょう?」
『大丈夫』
 未来の山田さんが微笑む。
『君たちにはもう、彼らに対抗する力がある』
「対抗する力?」
『時間を操る力だ』
 未来の僕が説明する。
『記憶を体内に戻したことで、君たちの時間認識は完全に拡張された』
 僕は自分の手を見る。確かに、何か違う感覚がある。まるで時間の流れを直接感じ取れるような。
『その力を使えば、彼らの攻撃を回避できる』
 未来の鈴木が続ける。
『でも注意しろ。力を使いすぎると——』
『時間の檻の中に自分たちが閉じ込められる』
 未来の僕たちの表情が一斉に曇る。
『君たちの力は諸刃の剣だ』
 未来の僕が警告する。
『使い方を間違えると、自分たちが時間の外側に取り残される』
「じゃあどうすれば——」
『信じることだ』
 未来の山田さんが答える。
『自分たちの力を、そして仲間を信じることだ』
 そのとき、白い空間が揺れ始めた。
『時間だ』
 未来の僕が急かす。
『現実世界との接続が切れそうになっている』
 僕たちは再び手を繋ぐ。
『覚えておけ』
 未来の僕が最後に言う。
『君たちは一人じゃない。すべての時間軸の君たちが、君たちを支えている』
 光が僕たちを包む。
 そして——
 気がつくと、僕たちは再び体育館にいた。
 でも状況は全く変わっていなかった。黒いスーツの男たちが、巨大な装置の前で待機している。
「どのくらい時間が経った?」
 山田さんが小声で訊く。
「一瞬だ」
 僕が答える。
「時間の狭間では、現実世界の時間は進まない」
 男たちが動き始める。
「抵抗は無意味だ」
 リーダーらしき男が宣言する。
「君たちの記憶は、必ず我々がいただく」
 でも僕はもう恐れていなかった。
 時間の狭間で学んだことがある。僕たちは単なる子供じゃない。時間そのものと結びついた、新しい種類の存在なのだ。
「みんな」
 僕が仲間たちに呼びかける。
「力を合わせよう」
 三十人の生徒が頷く。
 そして僕たちは、初めて意識的に時間操作を試みた。