体育館には既に三十人ほどの生徒が集まっていた。
全員が僕と同じように、ポケットやカバンに記憶の欠片を持っている。中には手のひらいっぱいに欠片を抱えている生徒もいて、それらは微かに光を放ちながら、まるで生きているかのように脈動していた。
「多いね」
山田さんが呟く。
僕も驚いた。症状を持つ生徒がこれほど多いとは思わなかった。そして気づいたのは、集まった生徒たちが皆、どこか似たような表情をしているということだった。
困惑と不安。そして、諦めにも似た静けさ。
「あ、田中君」
声をかけられて振り返ると、同じクラスの鈴木が手を振っていた。彼の手にも小さな記憶の欠片が握られている。
「鈴木も症状が?」
「昨日から」
彼は苦笑いを浮かべる。
「最初は面白かったんだけど、段々怖くなってきた」
「怖い?」
「記憶を見返してると、自分がだれだかわからなくなってくるんだ」
鈴木の表情が曇る。
「これって本当に僕の記憶なのかな、って」
僕は彼の言葉に共感する。僕も同じような感覚を抱いていた。記憶の欠片を通して見る過去の自分が、どこか他人のように感じられることがある。
「でも面白いこともあるよ」
鈴木が続ける。
「他の人の記憶の欠片に触れると、その人の体験を追体験できるんだ」
「他人の記憶?」
「そう。さっき廊下で拾った欠片なんだけど——」
鈴木が差し出した欠片は、僕が見たことのない形をしていた。表面が波打つように変形していて、色も虹色に変化している。
「触ってみて」
僕が恐る恐る指先で触れると——
突然、全く知らない記憶が流れ込んできた。
『——お疲れさまでした』
研究室のような場所。白衣を着た大人たちが、データの入ったタブレットを見ながら何かを議論している。
『第三段階の実験は成功ですね』
『ええ。被験者たちの反応は予想を上回っています』
『記憶の物質化は順調に進行中。次は記憶の統合実験に移りましょう』
『統合実験?』
『そう。複数の個体の記憶を統合して、新しい意識体を作り出す実験です』
映像が途切れる。
僕は慌てて手を引く。
「これって——」
「知らない人の記憶だよね」
鈴木が頷く。
「でもなんの記憶だろう?」
僕は震えた。今見た映像が何を意味するのか、薄々感づいていたからだ。
実験。被験者。記憶の統合。
もしかして僕たちは——
そのとき、体育館の扉が開かれた。現れたのは、見知らぬ大人の男性だった。白衣を着ていて、手にはタブレットを持っている。
僕は息を呑む。さっき記憶の欠片で見た人物の一人だった。
「みなさん、お疲れさまです」
男性が壇上に上がる。
「私は田所と申します。みなさんの症状について研究している者です」
ざわめき。生徒たちが不安そうに顔を見合わせる。
「まず最初に申し上げておきますが」
田所が続ける。
「みなさんの症状は病気ではありません。正常な発達過程の一部です」
「発達過程?」
誰かが声を上げる。
「そうです。みなさんは今、人類の次の段階へと進化しているのです」
進化——その言葉が体育館に響く。
「記憶の物質化現象は、脳の処理能力が飛躍的に向上した結果です。みなさんの脳は、通常の人間のそれを遥かに超える情報処理を行っています」
僕は山田さんを見る。彼女の表情は青白く、震えていた。
「でも」
田所が続ける。
「この変化には副作用もあります。記憶を外部に排出し続けると、最終的に自我の境界が曖昧になってしまうのです」
自我の境界——
「そこでみなさんにお願いがあります」
田所がタブレットを操作する。
「記憶の統合実験にご協力いただきたいのです」
統合実験——さっき記憶の欠片で見た言葉だった。
「統合実験とはなんですか?」
勇気のある生徒が手を上げる。
「複数の個体の記憶を統合して、より高次の意識体を創造する実験です」
田所が説明する。
「簡単に言えば、みなさんの記憶と意識を一つにまとめることです」
体育館が静まり返る。
「一つにまとめるって——」
「個人としてのみなさんは消失します」
田所があっさりと言う。
「代わりに、より優れた集合意識が誕生するのです」
その瞬間、体育館中がざわめき始める。生徒たちが立ち上がり、抗議の声を上げる。
でも田所は動じない。
「みなさんに選択権はありません」
彼が冷静に続ける。
「記憶の物質化が始まった時点で、すでに不可逆的な変化が始まっているのです。個人として生き続けることは不可能です」
「嘘だ!」
誰かが叫ぶ。
「嘘ではありません」
田所がタブレットを見せる。
「みなさんの脳波データを見てください。すでに個人の境界が曖昧になり始めています」
画面には、波形のグラフが表示されている。確かに異常な値を示していた。
「統合実験は明日の午後に実施します」
田所が宣言する。
「それまでは、この体育館で待機していただきます」
そのとき、体育館の電気が消えた。
暗闇の中で、生徒たちの記憶の欠片だけが光っている。まるで星空のように。
そして暗闇の中から、あの声が聞こえた。
『君たちには、まだ選択肢がある』
光の中の「僕」の声だった。
『でも時間は残り少ない』
全員が僕と同じように、ポケットやカバンに記憶の欠片を持っている。中には手のひらいっぱいに欠片を抱えている生徒もいて、それらは微かに光を放ちながら、まるで生きているかのように脈動していた。
「多いね」
山田さんが呟く。
僕も驚いた。症状を持つ生徒がこれほど多いとは思わなかった。そして気づいたのは、集まった生徒たちが皆、どこか似たような表情をしているということだった。
困惑と不安。そして、諦めにも似た静けさ。
「あ、田中君」
声をかけられて振り返ると、同じクラスの鈴木が手を振っていた。彼の手にも小さな記憶の欠片が握られている。
「鈴木も症状が?」
「昨日から」
彼は苦笑いを浮かべる。
「最初は面白かったんだけど、段々怖くなってきた」
「怖い?」
「記憶を見返してると、自分がだれだかわからなくなってくるんだ」
鈴木の表情が曇る。
「これって本当に僕の記憶なのかな、って」
僕は彼の言葉に共感する。僕も同じような感覚を抱いていた。記憶の欠片を通して見る過去の自分が、どこか他人のように感じられることがある。
「でも面白いこともあるよ」
鈴木が続ける。
「他の人の記憶の欠片に触れると、その人の体験を追体験できるんだ」
「他人の記憶?」
「そう。さっき廊下で拾った欠片なんだけど——」
鈴木が差し出した欠片は、僕が見たことのない形をしていた。表面が波打つように変形していて、色も虹色に変化している。
「触ってみて」
僕が恐る恐る指先で触れると——
突然、全く知らない記憶が流れ込んできた。
『——お疲れさまでした』
研究室のような場所。白衣を着た大人たちが、データの入ったタブレットを見ながら何かを議論している。
『第三段階の実験は成功ですね』
『ええ。被験者たちの反応は予想を上回っています』
『記憶の物質化は順調に進行中。次は記憶の統合実験に移りましょう』
『統合実験?』
『そう。複数の個体の記憶を統合して、新しい意識体を作り出す実験です』
映像が途切れる。
僕は慌てて手を引く。
「これって——」
「知らない人の記憶だよね」
鈴木が頷く。
「でもなんの記憶だろう?」
僕は震えた。今見た映像が何を意味するのか、薄々感づいていたからだ。
実験。被験者。記憶の統合。
もしかして僕たちは——
そのとき、体育館の扉が開かれた。現れたのは、見知らぬ大人の男性だった。白衣を着ていて、手にはタブレットを持っている。
僕は息を呑む。さっき記憶の欠片で見た人物の一人だった。
「みなさん、お疲れさまです」
男性が壇上に上がる。
「私は田所と申します。みなさんの症状について研究している者です」
ざわめき。生徒たちが不安そうに顔を見合わせる。
「まず最初に申し上げておきますが」
田所が続ける。
「みなさんの症状は病気ではありません。正常な発達過程の一部です」
「発達過程?」
誰かが声を上げる。
「そうです。みなさんは今、人類の次の段階へと進化しているのです」
進化——その言葉が体育館に響く。
「記憶の物質化現象は、脳の処理能力が飛躍的に向上した結果です。みなさんの脳は、通常の人間のそれを遥かに超える情報処理を行っています」
僕は山田さんを見る。彼女の表情は青白く、震えていた。
「でも」
田所が続ける。
「この変化には副作用もあります。記憶を外部に排出し続けると、最終的に自我の境界が曖昧になってしまうのです」
自我の境界——
「そこでみなさんにお願いがあります」
田所がタブレットを操作する。
「記憶の統合実験にご協力いただきたいのです」
統合実験——さっき記憶の欠片で見た言葉だった。
「統合実験とはなんですか?」
勇気のある生徒が手を上げる。
「複数の個体の記憶を統合して、より高次の意識体を創造する実験です」
田所が説明する。
「簡単に言えば、みなさんの記憶と意識を一つにまとめることです」
体育館が静まり返る。
「一つにまとめるって——」
「個人としてのみなさんは消失します」
田所があっさりと言う。
「代わりに、より優れた集合意識が誕生するのです」
その瞬間、体育館中がざわめき始める。生徒たちが立ち上がり、抗議の声を上げる。
でも田所は動じない。
「みなさんに選択権はありません」
彼が冷静に続ける。
「記憶の物質化が始まった時点で、すでに不可逆的な変化が始まっているのです。個人として生き続けることは不可能です」
「嘘だ!」
誰かが叫ぶ。
「嘘ではありません」
田所がタブレットを見せる。
「みなさんの脳波データを見てください。すでに個人の境界が曖昧になり始めています」
画面には、波形のグラフが表示されている。確かに異常な値を示していた。
「統合実験は明日の午後に実施します」
田所が宣言する。
「それまでは、この体育館で待機していただきます」
そのとき、体育館の電気が消えた。
暗闇の中で、生徒たちの記憶の欠片だけが光っている。まるで星空のように。
そして暗闇の中から、あの声が聞こえた。
『君たちには、まだ選択肢がある』
光の中の「僕」の声だった。
『でも時間は残り少ない』



