僕の記憶は今、七つの欠片に砕けている。
 いや、正確には七つじゃない。数えるたびに増えたり減ったりする。まるで生きているみたいに。昨日は九つだった。一昨日は五つ。でも今朝起きたら、確実に七つになっていた。
「また始まったんだね」
 隣の席の佐々木が、僕の机に散らばった記憶の欠片を見て呟く。欠片といっても、実際には透明なガラス玉のような形をしている。手のひらに乗せると、中で光が踊るように揺れて、触れた人の記憶を映し出す。
 僕はその中の一つを拾い上げる。昨日の放課後の記憶だ。
『——君、ちょっと待って』
 映像が脳裏に流れ込む。夕陽が差し込む教室で、後ろから呼び止める声。振り返ると、クラスメイトの山田美咲が立っている。彼女の頬は薄っすらと赤く染まっていて、手には白い封筒を握りしめている。
『あの、これ』
 差し出される封筒。中身は分からないけれど、重要なもののような気がする。でも記憶はそこで途切れている。その後どうなったのか、僕は覚えていない。
「どうだった?」
 佐々木が訊く。
「告白、かな」
 僕は記憶の欠片を机に戻す。
「でも結末がわからない」
「ふーん」
 佐々木はそれ以上何も言わない。彼は僕の症状について、もう慣れてしまっているのかもしれない。
 記憶断片化現象——正式名称は『時系列認知障害』というらしい。発症者の記憶が物理的な形を持って体外に排出される、原因不明の症状だ。この町では三ヶ月前から散発的に報告されていて、主に十代の青少年に現れる。
 僕が最初に症状を自覚したのは、一週間前のことだった。
 朝起きると、枕元に小さなガラス玉が転がっていた。最初は夢でも見ているのかと思った。でも指で摘み上げると、確かな重量があって、表面は滑らかで冷たかった。
 そして触れた瞬間、映像が流れ込んできた。
『——おかえり』
 玄関で僕を迎える母の笑顔。いつもの風景だったはずなのに、なぜかとても懐かしく感じられて、同時に遠い記憶のようにも思えた。
 そのときはまだ、自分に何が起こっているのか理解できなかった。

 でも翌日、また新しい欠片が現れた。今度は友人たちと遊んだ記憶だった。そして次の日も、また次の日も。気がつくと、僕の日常の記憶は次々と物質化して、手の届くところに転がっているようになった。
 最初は面白がっていた。自分の記憶を客観的に見られるなんて、まるでSFの世界みたいだと思った。でも段々と恐ろしくなってきた。
 記憶が外に出てしまうということは、それらを失ってしまうということでもあったから。
「で、今日はどうするの?」
 佐々木が訊く。
 僕は時計を見る。もう昼休みが始まっている。普通なら友人たちと一緒に昼食を摂る時間だ。でも最近は、記憶の欠片を整理することに時間を取られがちだった。
「山田さんに聞いてみようかな」
 僕は立ち上がる。
「昨日、実際になにがあったのか」
「そうだね」
 佐々木が頷く。
「でも気をつけて。あまり深く探ろうとすると——」
 彼の言葉は途中で止まる。まるで何かを思い出すのを恐れているかのように。
「なに?」
「いや、なんでもない」
 佐々木は首を振る。
「ただ、この症状について調べすぎない方がいいかもしれない」
 僕は彼の表情を見つめる。何か隠していることがあるような気がした。でも追求する前に、チャイムが鳴った。
 昼休みの終わりを告げる音。
 僕は記憶の欠片をポケットにしまい込む。午後の授業が始まる前に、山田さんを見つけなければならない。昨日の記憶の続きを知るために。
 でもそのときはまだ知らなかった。記憶を追いかけることが、僕たちを取り返しのつかない場所へと導いていくということを。