前よりも、少しだけ呼吸を合わせることができた。

 アンサンブル練習2日目。
 昨日よりはほんの少し音が重なった気がしたけれど、それでもまだ遠かった。
 日向心音(ひなたここね)は、自分の譜面からそっと目を上げた。

 ピアノの神谷奏多(かみやそうた)は、相変わらず表情を変えない。
 フルートの石井澄香(いしいすみか)は、音は明るいのに、笑顔がどこかぎこちない。
 チェロの佐伯陸(さえきりく)は、黙って低音を支えてくれているけれど、目が合うとすぐに視線を逸らす。

 誰かの心に触れたくて音を出しても、届かないまま宙を漂っている気がした。

 「……もう一回、やってみてもいいですか」

 思わず口から出ていた。自分でも驚くような声だった。

 奏多が少しだけ目を細める。

 「いいけど、次で最後にしよう。もう時間も遅い」

 澄香が「うん」と頷き、陸も静かに構えなおす。
 心音も、弓を持ち直した。もう一度だけ──ちゃんと伝えたい。


   旋律が始まる。
 最初に入るのはピアノ。穏やかに、しかし芯のある音。
 そこに澄香のフルートが重なり、空気を柔らかく彩っていく。

 そして、心音のヴァイオリンが入る。
 今度こそ、迷わず、震えずに。

 (ちゃんと、伝われ……)

 願うように奏でた。
 昨日よりも、ずっと近くで音が響いている気がした。
 ふと視線を落とすと、陸のチェロがそっと呼吸を合わせていた。まるで、背中を支えるように。

 最後の和音を鳴らし終えた瞬間、音楽室の空気がすっと静まった。

 「……悪くなかった」
 奏多が、ぽつりと呟いた。

 その一言が、心音には小さなご褒美のように感じられた。
 澄香も
「ね、少しまとまってきたよね」
と微笑む。でも、その目はどこか遠くを見ていた。

 心音は、弓をそっと下ろして、みんなの顔を見渡した。

 それぞれが不器用で、何かを抱えていて。
 でも、たった一小節でも──今、音がふれあった気がした。



 片付けの最中、陸がぽつりと言った。

 「心音の音、昨日より……あたたかかった」

 「え?」

 思わず彼の顔を見た。
 陸は照れくさそうに視線をそらしながら、弦を丁寧に拭いていた。

 「なんとなく。……昨日の夜、少しだけ、考えてた」

 「考えてた、って?」

 「どうしたら、君の音に寄り添えるかって。……まだ答えは出てないけど」

 その言葉が、心のどこかにやさしく染み込んだ。

 (私の音に……寄り添おうとしてくれた人が、いたんだ)

 心音は涙が出そうになるのを、必死にこらえた。

 そしてその背後で、澄香がそっと心音たちを見ていた。
 誰にも気づかれないように、そのまなざしを、ほんの少しだけ伏せながら。