澄香がアンサンブルを離れて、ちょうど一週間が経った。

 その間も、練習は続けられていた。けれど五人の音は、どこか空虚で、どこか寂しげだった。
 特に、心音のヴァイオリンにはそれが顕著に表れていた。

 「……心音。無理に出さなくていいよ」

 そう言ったのは、綾乃だった。第二ヴァイオリンを担当する彼女は、心音とはタイプの異なる静かな子だが、誰よりも“音の表情”に敏感だった。

 「ありがとう。でも……出したいの。届かなくても、出したいの」

 そう応える心音の目は、弱さを越えて、どこか覚悟を湛えていた。




 その日の放課後。
 校舎の裏手の小さな中庭。

 澄香は、ひとりベンチに腰掛けて、空を見上げていた。

 春の雲が流れていく。鳥のさえずりが遠くに聞こえる。
 それでも、心の中の雑音は消えなかった。

 ──戻りたい。でも、戻るのが怖い。
 また、誰かと比べてしまう自分が嫌だった。

 そのときだった。

「……ここにいると思った」

 聞き慣れた、低くて優しい声。振り返ると、佐伯陸がいた。

 チェロのケースを肩に、彼は少し照れたような顔をしている。

 「練習の帰り?」

 「うん。……でも、ちょっと寄り道」

 そう言って、彼は隣に腰を下ろす。

 澄香は、ほんの少しだけ身を引いた。

「……みんな、どうしてる?」

 「それなりにやってるよ。心音も頑張ってる。……でも、やっぱり澄香の音がないと、足りないって感じる」

 陸の言葉に、澄香は視線を落とした。

「……私、また比べちゃうと思う。心音と、自分と、……みんなと」

 「それでいいんじゃないか?」

 「え?」

 「比べて、悩んで、嫉妬して……それでも、音に向き合い続ける。それが、俺たちのアンサンブルなんじゃないかって思う」

 その言葉は、思いのほか温かかった。

 「……私の音、いる?」

 「もちろん」

 陸は、ためらいなく頷いた。

「俺は、澄香の音が好きだよ。誰かと比べた結果じゃなくて──澄香が出す、あのまっすぐな音が」

 その瞬間、澄香の目に光が宿った。

 ゆっくりと、風が吹く。

 ふたりの間に、沈黙が流れた。けれどそれは、以前のような重苦しいものではなかった。




 次の日の放課後。

 音楽室のドアが、静かに開いた。

「……おかえり」

 心音が微笑みながら言った。

 譜面台の前には、六人全員の楽器が並んでいた。
 澄香はゆっくりとうなずいて、フルートのケースを開いた。

 そして──

 再び、六人の音が重なりはじめた。