アンサンブルとしての練習が始まってから、二週間が経とうとしていた。

 初めはぎこちなかった六人の音も、少しずつ溶け合いはじめ、全体としては順調だった。

 ──表面上は。

 しかし心音は、毎日の練習が終わるたびに、胸の奥にぽつりと違和感を抱えていた。

 音が合っている。
 でも、それだけではないはずなのに。




「……心音、ちょっといい?」

 放課後の音楽室。練習が終わって片付けをしていた心音に声をかけたのは、美月だった。

 オーボエをケースにしまいながら、彼女は真っ直ぐに心音を見つめて言った。

 「最近、澄香先輩の様子……おかしくない?」

 「澄香先輩が……?」

 「うん。フルートの音、前より硬くなってる。特に心音と合わせるときだけ。なんというか……避けてるように感じる」

 その言葉に、心音の心が小さくざわめいた。

 たしかに、練習中、澄香の目線が自分を避けていることに気づいていた。けれど、それを“気のせい”だと思い込もうとしていたのだ。




 次の日の昼休み。

 思い切って心音は澄香を屋上に呼び出した。ふたりきりの時間をとるのは、久しぶりだった。

 風に髪を揺らしながら、澄香はフェンスにもたれていた。

 「ねえ、澄香先輩……何か、私……何かしてしまった?」

 心音の言葉に、澄香は一瞬だけ目を伏せ、それから小さな声で言った。

 「……心音って、ずるいよね」

 「え……?」

 「昔はさ、私たち、同じくらいだった。音のことも、気持ちのことも。でも今は……心音ばっかり、先に行ってる。音も、気持ちも……」

 その瞳には、悔しさと寂しさが滲んでいた。

 「もしかして……神谷くんのこと?」

 心音が問いかけると、澄香の肩がぴくりと揺れた。

 「違うって言ったら嘘になる。でも……それだけじゃない。音も、存在も、全部……私には届かなくなってる気がして。あのアンサンブルに、私がいる意味って……なんだろうって思うの」

 風が吹き、二人の間に沈黙が流れる。

 心音は、何も言えなかった。
 なにかを返そうとすればするほど、自分のなかに言葉が見つからなかった。




 その夜。
 自室でヴァイオリンを抱えていた心音は、何度も弓を止めては、空を見つめていた。

 ───私は、なにかを見落としていた。
 響き合う音がすべてじゃない。
 その背後にある“気持ち”を、私は無視していたのかもしれない。

 次第に、彼女の指が震え始めた。

 奏多のピアノの音が、頭の中で鳴っていた。
 あの日の柔らかな音色。
 心をすくい上げるような旋律。
 けれど──その音は、今の彼女には遠すぎた。




 次の日の練習。
 澄香は、無言でフルートを吹き、練習が終わるとすぐに部室を出ていった。
 心音は、あとを追いかけることができなかった。

 そして──

 その日から、澄香は練習に来なくなった。