月曜日の放課後。
音楽準備室に張り出された「選抜メンバー発表」の掲示に、部員たちがざわめいていた。
アンサンブルのメンバーは五名。
すでに候補に名前が挙がっていた心音、陸、美月、澄香。そしてピアノ担当の奏多──その四人までは、すでに内々に伝えられていた。
だが、もうひとつのパート。
それは、セカンドヴァイオリン。
伴奏や旋律との繋ぎ役として重要な立場を担うそのポジションだけが、まだ“空席”だった。
誰がその座を射止めるのか。
それが今日、正式に発表される。
「……やっぱり、綾乃か」
掲示板の前でつぶやいたのは、心音のクラスメイトでもある同学年のヴァイオリン奏者・綾乃。
美しいロングヘアとクールな瞳を持つ彼女は、心音とは対照的に、常に正確無比な演奏で知られていた。
「技術だけなら、たぶん、私のほうが上。けど……あの人たち、“響き合う音”を選んだのよね」
綾乃は掲示を見つめたまま、ひとり呟いた。
《選抜アンサンブルメンバー》
・ファーストヴァイオリン:日向心音
・セカンドヴァイオリン:三島綾乃
・チェロ:佐伯陸
・オーボエ:朝比奈美月
・フルート:石井澄香
・ピアノ:神谷奏多
心音は、名簿を見たあと、後ろから小さな声をかけられた。
「おめでとう。……一緒に弾けるの、ちょっと楽しみかも」
振り向くと、そこには綾乃がいた。
その表情には、いつもの冷ややかさではなく、わずかに柔らかな陰影が差していた。
「綾乃さん……私、正直、驚きました。てっきり、別の人が……」
「私もね。でも、奏多先輩に言われたの。“あなたの音は、人の音を引き立てる力がある”って」
綾乃は軽く肩をすくめた。
「たぶん私は、完璧な演奏がしたかった。でも今は、誰かと“重なる音”を知りたいって、ちょっとだけ思ってる」
それは、彼女なりの“変化”だった。
その日の練習。
六人の音が、はじめて揃った。
まだ完璧ではない。
けれど確かに、そこには新しい色が生まれはじめていた。
フルートの風に導かれ、オーボエが澄んだ旋律を添え、
チェロの低音が土台を築き、ピアノの音が橋をかける。
そして、ふたりのヴァイオリン──心音と綾乃の音が、空を描くように交差する。
心音は思った。
(これが、“ひとりでは奏でられない音”……)
そしてその中に、確かにいた。
奏多のピアノ。
彼の指先の熱が、音になって伝わってくる。
(この音が、私は──)
けれどその“想い”の輪郭は、まだ曖昧なままだった。
練習後、誰よりも遅れて帰り支度をしていた心音に、奏多が声をかけた。
「心音。ちょっと、話せる?」
「……はい」
ふたりきりの音楽室。
誰もいない静寂の中、奏多は少しだけ迷った表情を見せた。
「心音の音……変わったね。前よりずっと、やわらかくて、誰かを想ってるみたいな音になった」
「……わかりますか?」
「うん。たぶん、誰にでも伝わるよ。特に、陸には」
その言葉に、心音の鼓動が高鳴る。
「……あのね、心音」
奏多が何かを言いかけたその瞬間──
ドアが、ノックされた。
「ごめん、心音。帰り道、一緒にどう?」
入ってきたのは、陸だった。
奏多は微笑みながら一歩下がり、心音を見た。
「行ってあげなよ」
心音は、戸惑いながらも、うなずいた。
夜の校舎を歩きながら、陸がぽつりと言った。
「今日の音、すごくよかった。君が……どんどん遠くへ行くみたいで、ちょっと、怖くなった」
「私も……自分でも、わからないの。でも、奏でたいって思うの。あなたたちと、このメンバーで」
その声に、陸が小さく笑った。
「じゃあ……もう少しだけ、君の隣で音を重ねさせて」
心音は、黙ってうなずいた。
音楽準備室に張り出された「選抜メンバー発表」の掲示に、部員たちがざわめいていた。
アンサンブルのメンバーは五名。
すでに候補に名前が挙がっていた心音、陸、美月、澄香。そしてピアノ担当の奏多──その四人までは、すでに内々に伝えられていた。
だが、もうひとつのパート。
それは、セカンドヴァイオリン。
伴奏や旋律との繋ぎ役として重要な立場を担うそのポジションだけが、まだ“空席”だった。
誰がその座を射止めるのか。
それが今日、正式に発表される。
「……やっぱり、綾乃か」
掲示板の前でつぶやいたのは、心音のクラスメイトでもある同学年のヴァイオリン奏者・綾乃。
美しいロングヘアとクールな瞳を持つ彼女は、心音とは対照的に、常に正確無比な演奏で知られていた。
「技術だけなら、たぶん、私のほうが上。けど……あの人たち、“響き合う音”を選んだのよね」
綾乃は掲示を見つめたまま、ひとり呟いた。
《選抜アンサンブルメンバー》
・ファーストヴァイオリン:日向心音
・セカンドヴァイオリン:三島綾乃
・チェロ:佐伯陸
・オーボエ:朝比奈美月
・フルート:石井澄香
・ピアノ:神谷奏多
心音は、名簿を見たあと、後ろから小さな声をかけられた。
「おめでとう。……一緒に弾けるの、ちょっと楽しみかも」
振り向くと、そこには綾乃がいた。
その表情には、いつもの冷ややかさではなく、わずかに柔らかな陰影が差していた。
「綾乃さん……私、正直、驚きました。てっきり、別の人が……」
「私もね。でも、奏多先輩に言われたの。“あなたの音は、人の音を引き立てる力がある”って」
綾乃は軽く肩をすくめた。
「たぶん私は、完璧な演奏がしたかった。でも今は、誰かと“重なる音”を知りたいって、ちょっとだけ思ってる」
それは、彼女なりの“変化”だった。
その日の練習。
六人の音が、はじめて揃った。
まだ完璧ではない。
けれど確かに、そこには新しい色が生まれはじめていた。
フルートの風に導かれ、オーボエが澄んだ旋律を添え、
チェロの低音が土台を築き、ピアノの音が橋をかける。
そして、ふたりのヴァイオリン──心音と綾乃の音が、空を描くように交差する。
心音は思った。
(これが、“ひとりでは奏でられない音”……)
そしてその中に、確かにいた。
奏多のピアノ。
彼の指先の熱が、音になって伝わってくる。
(この音が、私は──)
けれどその“想い”の輪郭は、まだ曖昧なままだった。
練習後、誰よりも遅れて帰り支度をしていた心音に、奏多が声をかけた。
「心音。ちょっと、話せる?」
「……はい」
ふたりきりの音楽室。
誰もいない静寂の中、奏多は少しだけ迷った表情を見せた。
「心音の音……変わったね。前よりずっと、やわらかくて、誰かを想ってるみたいな音になった」
「……わかりますか?」
「うん。たぶん、誰にでも伝わるよ。特に、陸には」
その言葉に、心音の鼓動が高鳴る。
「……あのね、心音」
奏多が何かを言いかけたその瞬間──
ドアが、ノックされた。
「ごめん、心音。帰り道、一緒にどう?」
入ってきたのは、陸だった。
奏多は微笑みながら一歩下がり、心音を見た。
「行ってあげなよ」
心音は、戸惑いながらも、うなずいた。
夜の校舎を歩きながら、陸がぽつりと言った。
「今日の音、すごくよかった。君が……どんどん遠くへ行くみたいで、ちょっと、怖くなった」
「私も……自分でも、わからないの。でも、奏でたいって思うの。あなたたちと、このメンバーで」
その声に、陸が小さく笑った。
「じゃあ……もう少しだけ、君の隣で音を重ねさせて」
心音は、黙ってうなずいた。



