鏡の前で、笑顔をつくる。

 「……よしっ!」

 軽く頬を叩いてから、石井澄香(いしいすみか)は音楽室のドアを開いた。
 誰もいないはずの部屋に差し込む光。その中に、ふたりの姿があった。

 神谷奏多(かみやそうた)と、日向心音(ひなたここね)

 「──あっ」

 思わず立ち止まった。
 ピアノとヴァイオリンの音が、柔らかく混ざり合っていた。
 心音が、恥ずかしそうに笑っていた。
 奏多が、それを静かに見つめていた。

 ……どうして?

 「ごめん、邪魔だったかな?」
 なるべく明るい声を出して、笑顔を貼りつける。
 心音が驚いたように立ち上がる。
「澄香ちゃん……!」

 「ふたりとも練習してたんだ? すごいなあ、やる気出る〜!」

 笑ってみせた。明るく、快活に、いつもの澄香で。
 でも心の奥で、チリチリと音がしていた。焦げるような、焼けるような、そんな音。

 心音は無自覚だ。自分がどう見えているのか。
 自分の音が、誰かの心をどう動かしてしまうのか。

 ──ずるいな。

 言葉にはしなかったけれど、喉の奥に引っかかっていた。

 「そうだ、来週からのアンサンブル、よろしくね!」
 無理やり話題を変える。心音は「うん」と小さくうなずいた。

 奏多はそれに何も言わず、ただ静かにピアノの鍵盤蓋(けんばんふた)を閉じていた。

 

 放課後、ひとりで歩く帰り道。

 澄香は自分の吹くフルートの音を思い出していた。
 澄んでいて、まっすぐで、けれどどこか届かない。
 どれだけ想っても、彼の心には触れられない気がしていた。

 心音のヴァイオリンは、確かに不安定だった。けれど、何かを引き寄せる音だった。

 「……奏多くん、あんな顔するんだね」

 悔しくて、悲しくて、それでも笑いたくて。
 夕焼け空に、そっとため息をこぼした。

 恋って、こんなにも不協和音なんだ。