発表会が終わったその日の夕暮れ、
 中庭のベンチに心音はひとりで座っていた。

 演奏を終えた興奮と、それに続く静けさ。
 その落差に、心が追いついていない。

 (すごく、うれしかった。だけど……)

 明確な答えが欲しいわけじゃない。
 でも、あの時間が“特別だった”ことだけは、確かだと信じたかった。

 「心音さん」

 呼ばれて振り返ると、そこには美月が立っていた。
 制服の裾が風で揺れ、オーボエケースを抱える手が少しだけ強張っている。

 「……お疲れさま。すごくよかったよ、今日の演奏」

 「ありがとう。心音さんのヴァイオリンも……まっすぐで、あったかくて、胸にきました」

 互いに礼を言い合う、それだけの時間。

 だけど、美月はぽつりと続けた。

 「神谷くんのこと、好きなんです」

 心音の胸が、小さく波打った。

 「最初に声をかけてくれたときから、ずっと。
 あの人の音に、何度も助けられて……気づいたら、惹かれてました」

 それは、告白ではなく──共有だった。
 痛みを分け合うための、静かな言葉。

 「……私も、だよ」

 心音もまた、少しだけ微笑んだ。

 「怖いね、好きになるって」

 「うん。でも、幸せだね」

 そう言って、美月は目を伏せた。

 「誰かを好きになるって、同時に自分と向き合うことなんだなって、思いました」

 (わたしも、そうかもしれない)

 自分の音と、想いと、誰かの音と──
 向き合うことを、怖がってはいけない。

 「……ちゃんと、伝えたらいいと思うよ」

 心音の言葉に、美月はゆっくりと首を振った。

 「ううん。たぶん私は、音で十分だった。
 今日、一緒に演奏できて、それだけで……少し、前に進めた気がする」

 それは、静かな決意だった。

 「心音さんは?」

 「……伝えたいな、ちゃんと」

 鼓動が速くなる。
 でもその分だけ、確かになれる気がした。

 その夜、窓の外には雲ひとつない満月が浮かんでいた。

 心音は机に向かいながら、楽譜の端にそっとペンを走らせる。

 「ありがとう、今日の音──全部、あなたに届きますように」