金曜の放課後、音楽室はいつもより静かだった。

 週末前の疲れもあってか、みんなの集中力は少しだけ揺れていた。
 それでも、美月は変わらず、正確で丁寧な演奏をしていた。

 (……すごいな)

 心音は、演奏しながら密かに思う。
 感情を抑えているように見えて、その音には確かな熱がある。

 だが、演奏が終わっても、美月は他人と必要以上に言葉を交わすことはなかった。
 どこか、一線を引いているようだった。

 「ねえ、美月ってさ、前の学校ではどんなアンサンブル組んでたの?」

 休憩中、澄香が何気ない口調で尋ねた。

 「……ピアノと、ヴァイオリンとの三重奏が多かったです」

 「へえ、じゃあ奏多とは相性いいかもね」

 そう言って、澄香は意味ありげに笑った。
 その言葉に、美月は一瞬だけ目を伏せた。

 心音は、その仕草を見逃さなかった。

 (今の……なんだろう?)

 

 その日の帰り道。
 澄香はいつもより無口だった。

 心音と二人、並んで歩く歩道の夕暮れ。
 虫の声が、秋の訪れを告げていた。

 「澄香、疲れてる?」

 「ううん……ちょっと考えごと」

 「美月さんのこと?」

 心音がそっと尋ねると、澄香は肩をすくめて笑った。

 「……鋭いね、心音って。いつも人の気持ち、見抜く」

 「そんなことないよ。気になるだけ……。だって、奏多くん、美月さんのこと、特別に感じてるみたいだったから」

 その言葉に、澄香の足がふと止まった。

 「……私、ずっと神谷の隣にいるつもりだったのかも」

 「え……」

 「同じフルート専攻で、同じ空気を吸って、同じ景色を見て、ずっと並んでいけると思ってた。でも、違った」

 澄香の声は、風にさらわれそうなほど、かすかだった。

 「神谷の“音”が変わったの、心音と演奏し始めた頃からだった。
 それに気づいたとき、私、ちょっとだけ、怖くなったんだ」

 (……私のせい?)

 言葉が喉に詰まった。

 澄香は、そんな心音の様子を見て、微笑んだ。

 「でもね、心音の音、好きだよ。私が今まで聴いた中で、一番“まっすぐ”だから」

 その声には、嫉妬でも恨みでもない、まるで自分自身に言い聞かせるような静けさがあった。

 (澄香……)

 その夜、心音は譜面を開いたまま、音が目に入らなかった。

 新しい音、美月の存在、澄香の不安、奏多の沈黙──
 それぞれが不協和のように響いて、胸の奥で鳴り止まなかった。