音楽室の空気が、張りつめていた。

 五人の椅子が円を描くように並び、それぞれが譜面を前に黙って座っている。

 「……じゃあ、合わせてみようか」

 神谷奏多がそう言って、ピアノに手を置くと、全員が静かに呼吸を整えた。

 (五人での演奏──これが初めて)

 心音は自分の弓をそっと構えながら、隣の美月を横目で見た。

 オーボエの朝比奈美月は、澄んだ表情のまま、息を吸い込んだ。

 奏多のカウント。
 そして、最初の一音──

 柔らかなピアノの和音に、フルートがそっと重なり、チェロが深く支える。
 心音のヴァイオリンがその上に重なり、最後にオーボエの旋律が立ち上がった。

 (……綺麗)

 思わず、心音は演奏しながら感じた。

 美月の音は──透明で、まるで水面に落ちた一滴のようだった。
 決して強くはないけれど、耳に残る。不思議な力を持っていた。

 けれど──数分後、演奏が止まると、音楽室の空気はぴりついていた。

 「……なんか、うまくいかないね」

 澄香が小さくため息をついた。

 「それぞれの音は悪くないけど、溶け合ってない」

 「タイミングが微妙にずれてる。特に中間部のテンポ感が噛み合ってない」

 陸も冷静に分析する。

 心音は、自分の演奏を思い返す。
 (私のせい……? それとも……)

 「ごめんなさい。たぶん、私の入りが少し早かったかも」

 美月が口を開いた。けれど、その声には謝罪というより、ただの“報告”のような冷静さがあった。

 「……ううん、私も音が硬かったと思う」

 心音もすぐに応じた。

 「とりあえず、もう一度やってみよう」

 奏多の一言で、再び楽譜がめくられる。
 その瞬間、澄香がふとつぶやいた。

 「……まるで最初に戻ったみたい」

 「え?」

 「最初、私たち四人が組んだときも、こんなふうにバラバラだったじゃない。
 でも、少しずつ合ってきた。時間はかかったけど、ちゃんと音がつながるようになった」

 その言葉に、心音ははっとした。

 (そうだ。焦らなくていい)

 新しいアンサンブル、新しい音、新しい誰か。
 最初からうまくいくはずなんて、ない。

 「……がんばろう。また、私たちで合わせていこう」

 自然に、そんな言葉が心音の口から出た。

 それに、美月も、ほんの少しだけ目を細めてうなずいた。

 「……はい。よろしくお願いします」

 その笑顔に、心音はわずかな戸惑いを覚える。
 どこか距離のある微笑み。
 それでも、その奥にあるものを知りたいと思った。

 (私はこの人を、もっと知りたい)

 演奏という名の「対話」が始まった。
 それぞれの本音がまだ隠されていても、音だけは嘘をつけない。

 そんな“音合わせ”の一日目が、夕暮れとともに、静かに幕を下ろした。