昨日も全然眠れなかった。
しかも復習は途中になっちゃったし、宿題は一応終わってるからいいけど…
あ、よくない!今日当てられるんだった!
それやって来てないっ、授業始まる前にちょっと見ておこ…う?

「……。」

なんか、変だ。
教室に入った瞬間、クラス中がザワつき始めた。
私の方を見ながら、指を差したりひそひそ何か言ったり… 
何かしたっけ、私。
梨奈とのあれ?でもそんなの他の人に関係ないし、それでこんな指差されることある?
じゃあ何…

「道端で男にすがってたぞ」

とんっと机の上にスクールバッグを置いた時だった。

「お前の母親」

どこからか聞こえて来た、わざと私に聞こえるみたいに。

「わーわー泣きわめいてさ~、地べたに這いつくばってたわ」

隅っこの席なのにみんなが注目してこっちを見る。

「別れたくない~!いっくん~!って」
「いっくんって誰だよ!」
「いっくん行かないでよいっくん〜って!」
「いっくんうざっ」

ケラケラと笑って。

「マジドン引きだったわー」

……。
教室中が笑ってる、私を見ながら。

「お前の母親男好きだもんな~、しょちゅう違う男連れて歩いてんじゃん!」
「え、マジ?」
「だって俺こいつん家近所だもん、すっげぇボロいアパート」

昨日のあれを知ってるんだ、すべて想像がつく。したくないけど。

「お前も本当は勉強より男が好きなんじゃねぇの?」

想像なんて、したくないけど…

「男紹介してやろうか、金ないからなんでもするよな?あのアパートだろ、欲しいだろ金」
「必死かよ〜!」
「え、何?どこまでイケんの?」
「お前が必死なのかよっ」
「ばーか、金にはなるだろちょっとくらい!紹介料とかさ!」
「いいなそれ!やるか!なんてな〜」

キャキャキャッと笑う声が耳を突く、塞ぎたいのに塞ぐものがない。窓から入って来る太陽の光は眩しくて、窓に反射して余計に眩しい。
だけど教科書を出さなきゃノートを開かなきゃ、当てられるんだ予習しとかないと…
だけど手が動かない。震えて動けない。

「そんなこと言ったらかわいそうだよ~」

きゅるんっと甲高い声が、教室の真ん中から聞こえた。この声はいつも私に話しかけて来る声、梨奈の声…

「どーせならお金持ちのおじさん、がいいよねっ♡」

くすっと梨奈が笑った。せせら笑った。

「梨奈は無理だけど真穂は勉強ばっかしてるから、それぐらい年齢いってないと話合わないんじゃない?知らないで社勉強以外♡誰か紹介してあげてよ~!」

クラス中呼びかけるみたいに教室に響く甲高い声にみんなが同調して笑う、梨奈の言葉にみんなが笑う。

「誰かいないの~?あ、紹介してくれる友達もいないんだ!かわいそ~っ♡」

…っ。
あ、なんだこれ?
なんなんだ、これ?
ふーん、そうなんだ…
結局みんなこんなもんかよ。

プツンと何かが切れた。私の体の奥で何かが切れた音がした。
“真穂ちゃんは梨奈の自慢の友達だよ♡”
何が自慢の友達だよ。私だって都合よく使ってくるやつのことなんか友達と思ったことねーよ。
そんなのこっちから願い下げだから!

いらない、全部いらない。

何もかも…壊してやる!
こんなところ私が壊してやる…!!

バッと勢いよく教室から飛び出た。
スクールバッグを机の上に置いたまま廊下を抜けて階段を降りて校舎の外に出る。
走って走って、この憤りをぶつけるみたいに走って、校舎裏にある道具倉庫の前まで。
はぁはぁと息を切らしながら引き戸を開ける、ゆっくり視線を左側に向けて中に入って行く。
私が見ているものはひとつ、少し前にここに返した野球部がしまい忘れた…

「何してんの?」

取ろうとした手前でぱしっと手首を掴まれた。顔を見なくてもわかる、私に話しかけてくるのなんて1人しかいない。

「何しようとしてんの?」
「別にっ」
「今度は落ちてなかったけど」
「……。」

手を振り払おうとしてもぎゅっと掴まれた手は離そうとしてくれなくて、グッと引っ張っても掴まれたままだった。

「廊下の窓から香野が走って行くの見えたから」
「…。」
「何する気だった?」

あぁイライラする。
歪んで歪んで、どうしてこうもいびつな形をしてるんだろう。もうぐちゃぐちゃで何も見えない。
おかしいのは私なの?私がおかしいの?

「あんたには関係ない」

この掴まれた手だってうっとおしくて仕方ない。

「関係ないでしょ!離してよ…っ」

思いっきりグッと引っ張って掴まれた腕を引きはがす、カッと目に力をため込んで顔を上げた。

「あんたはいいよね!何しても結局病院の息子なんだからっ!ご立派な親がいるもんね、だからそんな金髪にしてピアス開けて自由にで出来るんでしょ!?」

声が道具倉庫に響いて誇りが舞う、それにもイライラして止まらない。

「私はずっと真面目にやって来たの!ずっとずっと必死にやって来たの!」

気付くと違う男を連れて来て、猫みたいな声で誘っては捨てられて。誰に見付けてほしいのかわからない派手なメイクにもう歳のくせに短いスカートを履いて、甘えた声で私を呼ぶ。

どうしてそっちが甘えるの?なんで私が応えなきゃいけないの?

「私だって嫌だからっ!一緒になんてされたくない…っ、私だってそんなの思ってるよ!!」

どんどん歪んでいく、見えなくなる。いびつな形は鋭く尖って私を壊そうとする。

「だから誰よりも勉強して、いい成績残して…いい大学入っていい会社に…っ」

ボロボロとこぼれて来る涙のせいで本当に何も見えなくなった。
こんなことで泣きたくないのに。バカみたいじゃん。
だけど悔しくてたまらないの。

「香っ」
「あんたなんかにわかるわけないっ!」

ずるい 
ずるい 
うらやましい 

私だってそんな家に生まれたかった。
恵まれた場所に選ばれたかった。
どんだけ胸を張ったってそれも所詮出来損ないのレプリカでしかないんだ。

「あんたなんかとは違うっ、最初から何もかも用意されたあんたとは!私がどれだけやって来たとおもっ」
「ふざけんなよっ!!!」

キーンと耳鳴りがして鼓膜が破れるかと思った。突然沸点が上がったみたいな知切の声に。

「好き勝手言いやがって…っ」

悲しく叫んでるみたいな声に。

「香野もそんなやつなのかよ…」

ガサガサと金色の髪を掻いて、私の顔を見た。

「俺はがんばって努力して自分の道進もうとしてる香野がカッコいいと思った!マジでっ、すげぇーカッコいいと思った!」

まっすぐ私を見る、金色の髪の下からのぞく瞳は力強い。

「だりぃーこと言うんじゃねぇよっ!」
「だ、だりぃ…!?」
「マジだりぃクソだりぃ」
「口悪っ」

何、言ってるの?なんでそんなこと…
なんで、どうして?
どうしてあんたがそんな…

「俺だって…必死なんだよっ」

悔しそうな顔してるの?

「なっ、何がそんな必死なわけ?そのナリでよく言えるよ」

どう見ても舐めてるし、学校舐めてるし。
言っとくけど金髪もピアスも校則違反だから、大病院の息子ってだけで許されてるんでしょ?どーせ。

「もっとちゃんとやってから言ってくれる?寝る間も惜しんでこっちは勉強してんの、こないだのテストだって2位だから!学年2位!!」
「俺1位だけど」
「は?適当なこと言わないでくれる!?そんなすぐバレるような嘘っ」
「マジだし。あ、ほら順位表ポケットに入れっぱなしだったから、これ」

………は?
はぁ~~~~~~~~~~~~!!?
制服のズボンのポケットから出て来たしわくちゃの順位表にはしっかり堂々と1位って書いてあった。
え、じゃあこいつが?
本当の本当にこいつが私を差し置いて学年1位の成績なの…?
し、信じられないんだけど…

「私よりバカじゃないじゃん!私よりバカだって言ってたのに!?」
「だって俺はマジで窓ガラス割ろうと思ったもん」
「バカじゃん!!」

つい寄ってしまった眉のまま見上げたら、へらって笑ってた。よくわからない、へらへら笑って、だけど時折目を伏せるの。

「まぁ、これが俺ん家じゃ普通だから」
「え…?」
「これが普通なんだよ、一般常識ってやつ?」
「何言ってるの…?どう考えても普通じゃないでしょ、どれだけ勉強したらいいと思ってるのそれ…」

これだけ勉強してる私が2位なんだ、どうやったら1位が取れるか日々考えて勉強してるって言うのに。

「俺兄ちゃんが2人いんだけど」
「急に何の話!?」
「超絶頭いいんだ、どっちもやべぇくらい勉強できて毎回1位!超模範生徒!!」
「それはすごいね…」

やっぱり優秀なんだ、あれだけの大病院だもんね。それくらい優秀じゃないと継げないよね、でもそうだとしてもそれはやっぱり…

「…だから」

その努力は計り知れない。

「俺なんかが必死にやったとこで無意味なんだよ」

普通なんかじゃない。その裏にはちゃんと知切の努力がある。

「…ごめん」
「え?」
「何も知らないのに、あんなこと言って…ごめん」
「あぁ、まぁ…」

ただの八つ当たりだあんなの、恥ずかしい…お母さんと大して変わらないよ。

「でも…!」

もちろんそれはお兄さんたちにもあるだろうけど、でも…

「普通じゃないよ!それだけ知切ががんばってるってことじゃん!」

私だけがって思ってた。私だけが普通じゃないって思ってた。そんな私が大嫌いだったの。

「そこでやめることだって出来るのにやめないで続けてる知切はすごいよ!それってすごいことだよ!!」

私はいつだって2位だ。1位を今まで一度も取ったことがない、それはたぶんそうゆうことで。

「サンキュ香野…まぁでも思ったんだよな」

大きな口を開けて笑って、その瞳はキラキラしてた。

「香野見て気付かされた」
「え…、私を見て?」
「俺は親のためでも兄ちゃんたちのためでもない、別に病院継ぎたいわけでもねぇし…俺は俺のためにやってんだって」

私にはない瞳だった。私の瞳はきっとそんな色をしてない。
金髪に負けないぐらいキレイだ。

「これは俺の人生だからな!」

私はすごいと思うよ、ちっとも普通じゃない。胸を張ってそう言えるんだから。

「何それ…カッコいいじゃん」

私なんかより全然カッコいいじゃん。
埃っぽい倉庫でキラキラと金色が輝く、どこでも輝いて見えるんだねその金髪は。

「香野もそうじゃねぇの?」
「え…」
「だから必死にやってたんだろ?」

心のどこかで恥ずかしいって思ってたの、バカみたいに勉強してバカみたいに自分追いつめて…心のどこかでずっとやめたいって思ってた。
こんな自分やめたかった。

「あんな必死にやっといて他人のためとかもったいなくね?」

でも、そうだ。
決めたのは私だった。
私がやりたくてやってるんだった、私のために。
下を向いたら涙がこぼれるから向きたくなかったんだけど、でもどうしたって涙が出てくるから…
私の中のモヤモヤしたもの全部流してくれるみたいに。

私、ずっと誰かに気付いてほしかった。

「じゃ、行くか」
「え、どこに?」

知切がバットスタンドから1本バットを手に取った。

「むかつくだろ、このままだったら」
「え?」

さらに1本取り出して私の手に、はいっと…

「えっ!?本当にやる気!?」
「だってむかつくだろ」
「でもダメでしょ!どう考えてもダメだよ!」
「俺ん家、超絶でけぇ知切病院なんだよ」
「知ってるし、そんなこと!それが何っ」

知切がニヤッとほくそ笑んだ。すごい悪い顔してる、さっきまで清々しく笑ってたのに。

「だから息子の俺になんかあったら困るわけね?この学校にめちゃくちゃ金払ってるし、学校もなるべーくうちとは揉めたくないわけよ」

ニヤリと笑いながら私にバットを持たせる。
何それ、どうゆう意味?それはつまり…

「だから金髪ピアスも許されるんだよな~!」
「えっ!?それってそーゆうことなの!?」
「結局金だから、勝つのは金!」
「勉強するって話は!?」
「まぁ知識はねぇとな、うまく金を稼ぐにはそれなりの知識は必須だ」

あれ、待ってなんか…
金髪ピアスでいかついヤンキーみたいな格好してるのに実は努力家でがんばり屋さんっていう大逆転劇かと思ったのにこれは?

「もみ消してやるよ」

そんなの絶対よくない!絶対ダメ!!
私がここまでどれだけ真面目に…
なんて思ったけど、知切の不敵な笑みに感化され受け取ってしまった…差し出されたバットを。
まぁ確かにね?
むかつくしね、真面目にやってるのも馬鹿馬鹿しいよね。じゃあ私も笑ってやろうかな、だってそこにバットがあるんだから。

「いいか?バットは腰で振れ、腕の力だけで振ろうとするなよ!」

道具倉庫から出て行く、光がなかった倉庫から出たら眩しくてしょうがなかった。目を細めながら太陽を見上げたら、ふふって笑いたくなってしまった。

「じゃあ、壊しにいくぞ!」

準備はOK、思いっきりいこうか。
割に行こうか、窓ガラス。