心臓が、痛い。
 遥真は胸に手を当て、洗い場でしゃがみ込んだ。もう少しでラストオーダーの時間。後少し我慢すれば良い。遥真は深呼吸して立ち上がった。グラスに水を注ぎ、一気に飲み干す。せっかく幸成や親友二人が来てくれているのだ、それに最終営業日に落合たちに迷惑はかけたくない。
「神保くん、大丈夫か?」
 心配した落合が洗い場に顔を出した。遥真は強張った顔を無理やり笑顔に変え、頷いた。
「ラーメン、できあがったら俺が持って行くから。無理しないで休んでて良いよ」
 遥真は首を横に振った。カウンター越しに丼を置き、客に丼をテーブルに降ろしてもらうことも可能ではあるが、熱いラーメン丼を上手く自分のテーブルに下ろすことができない人もいる。鈴音もそのうちの一人で、従業員が運んでいた。
「大丈夫ですよ、運ぶぐらい僕もできますから」
「だけど……」
「最後だから、やれます」
 遥真はにこりと笑って答えた。先ほどの緊張感がなくなっている様子に、落合も少し考えてから「わかった」と返答した。


「……なるほどね。教えてくれてありがとう」
 幸成は蒼生と兼彦から遥真と鈴音の関係を聞くと、何かが腑に落ちたような口振りをした。
「遥真くんのことだ、俺や店に心配をかけたくないとか、迷惑になるとか考えて何も言わなかったんだと思う。だからあまり責めないであげてね」
 幸成は小さな溜息を吐きながら、二人に諭す。自分達よりも遥かに大人な幸成にそう言われて、蒼生も兼彦も頷かずかない訳にはいかず、渋々それを飲み込んだ。何より、目の前の大人が冷静に怒りを鎮めようと努めている様子が、びりびりと肌まで伝わってくる。何か動きがあれば自分達も動くことを前提に、三人は鈴音と遥真の様子を窺うことにした。

 数分後、ラーメンが出来上がったという落合の声が店内に響いた。ラーメン屋に似つかわしくない緊張感が店内に走る。ラストオーダーも終わり、閉店間際となった店内は蒼生と兼彦と幸成、そして鈴音だけが席に座っている。他の客に関しては、つい数分前に友理恵が会計した客で最後だった。
 厨房からトレイにラーメンを乗せた遥真が出てくると、蒼生達の視線が二人に集まった。強張った顔でラーメンを運ぶ遥真の肩が小さく揺れている。
「……お待たせしました、ご注文の塩ラーメンです」
 遥真の声に鈴音の背中がぴくりと反応する。彼を見上げるその顔は困惑の表情にも見えたが、ほんのりと頬が赤い。恐る恐る彼女の顔を見た遥真はすぐさま目を逸らし、トレイをテーブルに置くと鈴音の目の前にラーメンを置いた。
「ごゆっくり……どうぞ」
 語尾が消えるような声で遥真は言った。心臓が口の中から飛び出してしまいそうで、ゴクリと唾を飲み込む。早々に退散しようとすると、鈴音が割箸を取り出しながら口を開いた。
「私ね……最後にここのラーメンが食べたかったの」
 鈴音の声に遥真は足を止めた。ただ、振り向くことはせず、その声を背中で受け止めている。こちらの方を見ないと分かったのか、鈴音は手を合わせると割箸を割って麺を掬い上げた。遥真の背後からラーメンを啜る音と、塩と魚介の出汁の香りがした。
「ここ、遥真くんを知る前からのお気に入りのお店だったの。前に、話したよね?」
 確かに、聞き覚えはあった気がする。いつ聞いた話かは思い出すことができない。彼女は毎日のように遥真の側へ来ては自分の話をひたすら続けた。それも、常識の範囲を超えて。今も隠れてここに通っているのは知っていた。鉢合わせしなかったのは、落合と友理恵が相当な配慮をしたからだろう。
「それだけなの、ほんとに、それだけ。だからね……また」
「本当にそれだけかな?」
「え……?」
 鈴音が何かを言い掛けた時、幸成が遥真と鈴音の間に文字通り割り入った。思わず遥真も振り向いた。その大きな身体に隠れて鈴音の姿は見えなくなっている。
「幸成さん……?」
 幸成は振り向かずに右手だけ、遥真の方に向けて鈴音から距離を取った。
「どうして……あなたが?」
 余程遥真のことしか頭になかったのだろう、鈴音は幸成がここにいることに気が付いていなかったようだった。
「遥真くんがラーメン屋で働く姿を見たいと思うのは君だけじゃないよ」
 柔らかな口調で幸成は答えたが、その目は笑っているようには見えない。遠目で様子を窺っていた兼彦が、鼻をスンと鳴らした。
「でも、君はバーで働く遥真くんにも興味津々のようだけどね」
 鈴音は一瞬目を細めると、幸成から顔を背けて目の前のラーメンを食べ始めた。
「あれ、違うのかな。うちに来始めたの、遥真くんが勤め始めてすぐだったと思うけど?」
「……ぐ、偶然です」
「ふぅん。まぁ、それもそうか。君は水曜日にしかうちに来ないしね。遥真くんがいない日だ、本当に偶然かもしれない」
「なら別に……」
「でもさ」
 幸成の声に鈴音の肩がぴくんと動く。その小さな反応を幸成は見逃さなかった。
「この前、山村くんに聞いてなかった?『最近あの人見ないですね』って。あの人って、誰のこと?」
 鈴音の箸の動きが止まった。遥真から彼女の表情は窺えないが、横目で蒼生達の方に視線を向けると、彼らが目を丸くしているのを見て幸成が鈴音を詰めているのが分かる。鈴音は黙りこみ、店内には厨房の冷蔵庫と換気扇の音が響いた。
「それに、この前のチョコレート。本当は誰当てだったの?」
 幸成の言葉に圧がかかった。鈴音の喉がヒュッという音を立てる。チョコレートという単語に、遥真はこの前の休憩時間を思い出した。その瞬間、彼の質問の意味が分かって、遥真は身震いした。いつだったか彼女と普通に会話が出来た頃に、あの銘柄のチョコレートが好きだと話したことまで思い出し、冷や汗がどっと吹き溢れる。咄嗟に遥真は幸成のシャツを掴んだ。嫌な記憶がじわじわと頭の中に浮かび上がる。数分置きに鳴るメッセージの着信音、ブロックをしても別アカウントで何度も送られてくる恐怖。全授業の講義室の後方から感じる視線、時折り失くなる私物、こじ開けられただろう学校のロッカー。自宅ポストに手紙や手作りお菓子の直接投函、真夜中のインターフォンに、アルバイトと学校の出待ち……。
 思い出すだけでも吐き気がし、遥真は思わず口に手を当てた。ただ、誰にでもする対応をしただけだった。グループディスカッションの授業で、同じグループになっただけの間柄だったはずだった。それなのに、相手は度を超えた勘違いをし、好意以上に執着という厄介な感情を抱いてしまった。それでも実家で離れている家族に心配をかけたくなくて、大事にしないよう学校と友人の協力を得て全部終わらせた。甘い措置だと、親友達には散々言われたが、これで終われば誰の未来も傷つかないと思った。だが、その結果がこれだ。
 甘かった、と簡単に言えればまだ余裕があるのだが、それすらも口にできない自分には覚悟もなければ先のことを考える術がない。ただただ情けない。
 鈴音は幸成が先ほどの質問をしてから黙りを決めている。店内に漂う異様な空気に、落合と友理恵がようやく出てくると、事態を把握した二人によって鈴音は店外へ連れて行かれた。幸成はその背中を冷たい目で見送るとスマホを取り出した。
「遥真くん、さすがに警察案件だよ」
 警察、という言葉に遥真は咄嗟に握っていた幸成のシャツを強く引いた。
「君ねぇ……」
 無言で止める遥真に、幸成は盛大な溜息を吐いた。
「こうなる前に俺に相談は出来なかったの?」
「……どうにかなるって、思っていました。あれから今日まで、彼女の姿は見てませんし……」
 幸成に事前に相談をしなかったのは勝手な判断だったが、実際、今までは人の手を借りてどうにかなっていた。
「甘いね。彼女はもう新しいバイト先も把握しているんだよ?チャンスさえあれば君が一人の時に接触してきたかもしれない。今までとは違う攻撃もしてきたかもしれないんだよ」
 遥真は黙り込む。ぐうの音も出ないとはこの事だ。
「今日は『この店が最後だったから』という理由が成り立った。聞けば彼女もここの常連らしいじゃないか。約束を守って君のいない日に来店していた話を蒼生くんに聞いたよ。でもね、今日来たじゃない。常連だとしても、あの子はそれが許される立場じゃないだろう?隙さえあれば君に近付くことを考えていたなんて明白じゃないか。考えたらわかるよね?」
 相変わらず遥真は黙ったままで、眉間に皺を寄せている。口に当てた手はまだ離れてはおらず、喉のあたりで吐き気を堰き止めていた。
「蒼生くん達から聞いたけど、家族に心配をかけたくないから警察沙汰にしなかったんだってね」
 幸成は心配そうに屈むと、遥真の顔を見上げた。
「あのね、遥真くん。そういう優しさは人を傷付ける。君以外も、君自身も。心配はかけて良いんだよ、家族なんだから」
 遥真はゆっくりと首を縦に振った。子ども相手に諭すような言い方をされ、気恥ずかしさもあったが、幸成の言っていることは遥真の中で腑に落ちた。自分が浅はかだったことを今更ながら反省する。
「で、どうするのか決めたのかい?」
「……え?」
 遥真が顔を上げると幸成はにこりといつもの笑顔で微笑んだ。答えに困っていると、窓から外に出た鈴音と落合夫妻の様子を窺っていた蒼生と兼彦が当然のように「学校にはもう一度。親には最初から全部、きちんと説明しろ」と言った。
「……分かった。母さんにはちゃんと連絡する。もちろん、学校にも言う。でもやっぱり、警察はいい」
「ハァ?」
 蒼生が大きな声を出した。
「お前な……。今回のことで反省したんじゃないのか?」
 兼彦も眉を寄せて納得できないと言い張った。
「うん、反省はした。それに、学校にもう一度報告が行く時は、自主退学してもらう話だったし、そうなればあの子も実家に帰るかなって……」
 言いながら遥真は下を向く。向けられる視線がグサグサと自分を刺してくるのが分かった。
「俺達はな、お前のそういう考え方が甘いって言ってるんだ。第一、あいつが実家に帰らなかったらどうするんだ?」
 蒼生が溜息混じりに言った。今度こそ接近禁止を強く言い渡すのなら、法的処置が手っ取り早いと言いたいらしい。
「……それは、流石に困るけど」
「あのなぁ……」
 遥真の後先を考えない発言に兼彦も文字通り頭を抱えた。すると、そのやり取りを見ていた幸成が「じゃあ、こうしよう」と、口を開いた。
「遥真くん、うちに住まない?」
「…………え」
 幸成の突然の提案に、遥真は開いた口が塞がらなくなった。
「うちは完全オートロックだし、セキュリティ面は心配ないよ。管理人も常駐しているから、何かあれば直ぐに人も呼べる。まぁ、そもそも入らせないけど。それに君の今のアパートからそんなに距離ないし、通学も問題ない。まぁ、流石に暫くは車で送迎するけどね」
 すらすらと口上を述べるように話す幸成に、遥真は相変わらずぽかんと口を開けたまま目をぱちくりとしている。
「あぁ、家事はハウスキーパーさんを呼ぶから気にしなくて良いから」
「そ、そういうことではなくて!」
 普段、考えていることを見透かすような物言いのくせにこういう時は的外れなことを言う幸成に、遥真は首を勢いよく横に振りながら言った。
「既に色々とお世話になっているのに、そんなこと……」
「既にお世話になっているんだったら問題ないんじゃないか?」
 やりとりを見ていた蒼生が口を挟んだ。横で兼彦も静かに頷いている。この二人は遥真のすぐ近くに信頼出来る人間が常にいることが重要だと言った。
「それは確かに安心だけど……勝手なこと言うなよ。幸成さんにだって生活があるし、僕がそこに介入するなんて。これ以上迷惑かけれないよ」
 すると、幸成は首を傾げた。
「提案したのは俺だけど」
「そうですけど、アパートだってまだ契約残ってるし……。それに僕が居たら幸成さん、恋人も家にあげられないですよ?」
 遥真は言いながら胸元を摩った。大したことを言った覚えはないのに、心臓の近くでチクリと小さな痛みを感じる。
「遥真くんの安全が保証されるならアパートの違約金ぐらい払うよ。それに、恋人は居ないから安心して」
 ふわりとした笑顔で幸成は言った。
「……でも」
 遥真が答えあぐねていると、店の入り口から落合が戻って来た。鈴音はどうやら、友理恵が自宅へ送る届けることになったらしい。窓の外から車が発進するのが見えた。
「最終日に、こんなことになって申し訳なかったよ」
 落合が深々と頭を下げた。彼もまた今度こそ警察に相談すべきだと遥真に言ったが、また頑なに首を横に振る。残り数日でここを離れてしまう落合は心配そうな顔で遥真の顔を見つめた。遥真は居た堪れず、無理矢理笑顔を作った。
「……ごめんなさい」
 遥真は最終営業日の最後が自分のせいで台無しになってしまったことを悔やんだ。しかし、落合は慌ててそれを否定した。
「いや、何もしてあげられなくてごめん。俺が、ちゃんと線引きをして出入り禁止を言い渡せていれば良かったんだ。君を前にしなければ普通の子だったし……いや、あんな事をしでかした以上、普通とは言えなかったんだけど……」
 落合は溜息混じりに言った。文字通り肩をがっくりと落とし、苦笑いを浮かべている。
「確かに、彼女を出禁にできたのはあなただけですから、線引きはすべきでしたね。でも、どうせ遥真くんが『しなくて良い』って言ったんでしょう」
「幸成さんっ」
 やはり全て見透かしている。この人には隠し事なんて無理だと、遥真が半ば諦め始めた。
「でも、これからは私が彼を見守りますから」
「えっ」
 にこりと微笑む幸成に、落合が目を丸くした。
「そ、一緒に住んでくれるって言ってたし。丁度俺らも安心するって話をしてたところです」
 蒼生が調子良く会話に入り込む。
「ちょ、それはまだ決まってないでしょ!」
「なら今決めろ」
「兼彦まで……」
 誰も味方になってくれそうにないことが分かり、遥真は反論をやめた。助け舟を期待して落合の方を見ると「誰かと一緒に暮らしてくれている方が、離れた後も安心出来る」とはっきりと言われてしまった。
「じゃあ、こういうのはどうかな」
「……なんでしょう」
 遥真は渋々顔で幸成に聞き返した。
「違約金は君に貸してあげよう。それで、月々一万円から返す……って事で良いから」
「強引な貸し付けですよ、それ」
 遥真は大きな溜息を漏らした。
「でも、そうでもしなきゃ、君は首を縦に振らないだろう?」
 幸成の言葉に蒼生と兼彦がウンウンと頷いている。別に幸成と暮らすのが嫌な訳じゃない。ただ、本当にそこまで甘えてしまって良いのだろうか。それに一緒に暮らし始めて、彼に幻滅されることがあるかもしれないと思うと、気が進まない。そうならないように配慮して暮らすのもなんだか失礼な気もした。だが、ここにいる人達には既にかなりの迷惑をかけてしまっている。今日の出来事も加わり、更に心配をかけてしまうのであれば、もう自分にある選択肢は一つしかない。
 遥真は暫く考えてから口を開いた。
「……わかりました、お世話になります」
「ウン、喜んで」
 幸成の返事に蒼生と兼彦がにんまりと笑った。
「そういう訳です。ですから、安心してください」
 再び幸成が落合に向き直る。不本意だと思いながら、遥真は心なしかホッとした。

 
 店の片付けはその場にいた全員で行った。落合が流石に遥真以外に手伝って貰うわけにはいかない、と断ったのだが蒼生と兼彦はお世話になった礼だと言い、幸成に至っては遥真を連れて帰るからと言い出して結局全員が片付けに動いていた。
「ま、最上さんが俺らの分まで支払い済ませてたし……こうでもしなきゃ、最後だっていうのに何も貢献できてないからな」
 遥真の横で一緒に洗い物をしていた蒼生が口をへの字に曲げながら言った。視線の先はホールのテーブルと椅子を順番に拭き上げている兼彦に向けられている。一方で、カウンターテーブルを拭いていた幸成と目が合い、遥真はにこりと微笑んだ。
「おまえ、最上さんを絶ッ対に逃すなよ」
「……なに、その言い方」
 含みのある言い方に、遥真は怪訝な顔をした。
「そのままの意味だよ。ハウスキーパーが来るとか言ってたけど、家の事はなんでもやれ。とにかく、学生のうちはなにがなんでもしがみついとけ。言うこと聞いて良い子にしてろよ?追い出されたらお前の家なんてどこにもないからな」
「あのねぇ……僕が借金して住まわせてもらう訳だから、そもそも逃がすなっていうのが変でしょ。というか、逃げたところですぐ捕まりそうだし……」
「ま、それもそうだな」
 蒼生はくすりと笑って皿に付いた泡を水で流し始める。すると、布巾を持った幸成が厨房に入ってきた。
「ふふふ。蒼生くんは心配症だね」
「心配ですよ、こいつは超が付くほどお人好しですから」
 遥真は幸成から布巾を受け取ると、そのままシンクで濯ぎ、固く絞った。
「確かにね。でもこんなに尽くす男、他にいないだろう?それこそ捨てる前にもっと使って良いんだよ」
 面白がって笑う幸成に、蒼生はケラケラと笑ったが、遥真は小さな溜息を吐いた。
 
 その後、友理恵が店に戻り、最後のレジ締めを落合と始めた。遥真達はもう少し片付けを手伝おうとしたが、落合に止められて今日のところは帰宅することにした。
「また、明日きますね」
「うん、助かるよ」
 今日が最終営業日だったため、店内の荷物はまだまだダンボールに入り切っていない。だが、今日までに少しずつ片付けられていたせいもあり、詰め込み作業は明日の午前中には余裕で終わりそうだった。遥真は授業の関係で午前中から参加することは叶わず、最後の掃除を手伝う約束をしている。
「なら車で送るよ。ここの引越しが終わったら自分の荷物も詰めようね」
「そうですね。でも、明日は送り迎え良いですよ。流石に大学は朝早いですし、幸成さんも仕事の日でしょう?」
 店に貼り出されたシフト表を以前写真に撮っていた遥真はスマホで明日のシフトを確認した。幸成は仕入れ業務の関係で、夕方には店に顔を出す予定らしい。
「ダメです」
「ダメですって……お店はどうするんですか」
「明日はできる子達で固めてる日だから大丈夫。今日の今日は自分の身の心配をもっとするべきだよ」
 そう言われて遥真は不貞腐れ気味に「そうですけど……」と小さく文句を垂れる。
「良いから、甘えさせてもらえ」
 成人男性が一人で外を出歩けないことを情けないとでも思っているのだろう。遥真の考えていそうなことを兼彦が指摘し、遥真は唇を尖らせた。渋々と頷く遥真に、落合と幸成が目配せをし、蒼生と兼彦は呆れた顔をした。
「それじゃあ、遥真くん。帰ろうか」
「あ、はい。じゃあ、店長、また明日。蒼生と兼彦も今日はありがとね」
 幸成に促され、遥真はみんなに声をかける。
「あぁ、また明日頼むよ。今日は本当に悪かったよ……ゆっくり休んでくれ」
 落合と友理恵は再び遥真に謝ると、残りの仕事に戻ると言って店の扉を閉めた。
「こっちは、お前に振り回される事の方が多いからな」
「あぁ。良いボディーガードが見つかって良かったよ。大丈夫だろうけど、寝る直前まで気をつけるんだぞ。GPSとか付けられてたら溜まったもんじゃないからな」
 毎日なにかしらの迷惑をかけているような兼彦の言い方にムッとしたが、蒼生の念押しに遥真は言い返すのをやめた。
「わかったよ、色々ありがとう」
 遥真の素直な返事を聞いた兼彦と蒼生は、静かに微笑み、ルームシェアをしているアパートへと向かってる歩き出した。
 その二人の後ろ姿を見て、幸成はくすりと笑う。
「幸成さん?」
「……遥真くんに、良い友達が出来てて安心したよ」
「良い友達っていうのは否定はしませんけど、あれは半分以上がお節介っていうか……」
「仕方ないよ、君がそういう人なんだから」
「……え?」
「ほら、もう帰ろう。君、色々頑張りすぎだよ」
 そう言って幸成は遥真の手を取り、車へと向かう。手を引かれ、車の助手席まで連れてこられると、ドアを開けて中へと座らされた。
「少し、落ち着いたら行こうか」
 運転席に乗り込んだ幸成は静かにそう言ってもう一度遥真の手を握り直す。片付けの最中も微かに震え続けていたのを見られていたらしいことに気がついて、遥真は身体中が熱くなるのを感じた。
「あ、あのっ」
「明日、うちから学校に行こうよ」
「えっ、でも」
「明日どうしても必要な荷物があるなら、今から取りに行こう。どうせ一人じゃ眠れないでしょ」
 幸成の言葉に遥真は黙り込む。多分、彼の言う通り、ベッドに入っても安眠はできやしないだろう。シャワーを浴びている最中にも、部屋の外に誰か居るかもしれないと、気が気ではなくなりそうだ。
「そうだ、一緒に寝てあげようか?」
「一人で寝れますっ!でも、その……お願いします……」
「ん、添い寝?」
「ち、違くて!」
「あはは、了解」
 幸成は楽しそうに笑うと、握っていた遥真の手を離した。
「じゃあ、帰ろうか」
「……はい」
 車のエンジンがかかる。遥真は人肌に触れた手をまじまじと見つめ、車の発進とともに手のひらに残った熱を握りしめた。