「最上さん、ごちそうさまでした!兼彦、明後日一限無いよな?俺達も並ぶぞ!」
 靴を履いている途中の兼彦の背中をバシバシと叩きながら、蒼生が意気込む。成人男性三人が順に靴を履くとなると、途端に狭くなる空間で暴れるため、兼彦は言ってもきかない蒼生に一発食らわせた。
「痛いっ!何するんだ!」
「何するんだはお前だよ。ったく……人の家の玄関で暴れるな」
「大丈夫だよ。壊れて困るものは置いてないし」
 幸成のフォローを味方につけた蒼生は兼彦をジト目で睨む。
「明後日、並ぶからなっ」
「分かったよ……遥真、最上さん、お邪魔しました」
「また来てね」
「また学校で」
 幸成と遥真が順に言うと、二人は先にドアを開けて外へ出る。スペースの空いた玄関で今度は晃満が靴を履き始めた。
「晃満くん、気をつけて帰ってね」
「……お前も。何かあったらすぐ連絡しろよ。特にこいつから酷い仕打ちを受けたとか……」
「そんな事、絶対ないから大丈夫だよ」
 遥真が自信たっぷりに答えた。冗談だとも本気で心配してるとも言い難い雰囲気に、晃満は少々面食らう。
「幸成さんは僕に酷い事なんてしないよ」
「……そうかよ」
 明らかに不機嫌な晃満を見て、幸成はくすりと笑う。その小さな笑い声に晃満は眉をぴくりと動かすと「じゃあな」と言って、最後に幸成の目をじっと見てからドアを閉めた。ドアが閉まると、外から楽しげな声が聞こえ始める。蒼生がまた晃満を揶揄っているようで、それに応戦する晃満の声がした。三人の声が段々と薄れていくと、幸成が静かに笑い出す。
「……まるで嵐だったね」
「すみません、騒がしくて」
「ううん。君が愛されているのを見て、なんか嬉しかったよ」
 幸成は遥真の頬に手を添え、キスを落とす。触れた唇がじん、と熱くて、遥真は幸成に抱き付いた。
「あの……今日って幸成さん、お仕事ですよね」
「うん、貸切の予約だってね。そろそろ行かないと……仕込みの準備があるんだ」
 つい先日、どこかの会社が部の懇親会に使いたいと予約を入れたようだった。二次会の利用らしいが、参加人数はそれなりで貸切予約となった。そうなるとバーテンの高坂と旭だけでは緊急対応が難しくなると踏み、急遽シフトを組み直したようだった。
「本当なら明日まで遥真くんとゆっくり出来ると思ったんだけど……。流石に大口予約で店長が居ないのもねぇ」
 幸成は遥真の頭を軽く撫で、手を引いてリビングへと歩き出す。洗い物は兼彦がやってくれたため、片付けるものは殆どない。
「僕もお手伝いに行きますか?」
「ううん。遥真くん連勤になるでしょ。だから、時間まで充電させて」
「わっ」
 幸成はソファーに座り、遥真を引き込んだ。幸成の膝上に着地した遥真は、顔の近さに目を瞬かせる。キスをされるのかと思って目を閉じると、抱きしめられた。幸成の吐息が頬を掠め、背中が跳ねる。
「……朝まで一緒に居たいのに」
 さっきまでは誰よりも大人で、遥真を決して離さないと友人達に誓った幸成が、頭を擦り付け駄々を捏ねる。その姿がおかしくて、遥真は幸成の頭を撫でながらくすくすと笑った。
「ふふふ。でも僕、明日は授業ないですから、朝からずっと一緒にいれますよ?」
「じゃあさ、明日は一緒に朝寝坊してくれる?それでブランチ食べに行こう。その帰りにポイントカードの交換行こうよ。明後日の学校帰りだと荷物増えちゃうし」
 幸成の提案に遥真はにこりと微笑んで頷いた。甘えたモードに入った彼の提案を断る理由が見つからず、全てを受け入れてしまう。
「ふふ、楽しみにしていますね」
「うん。美味しいとこ、行こうね」
 遥真の額に幸成は自分の額を重ねる。互いの体温が伝わって、ふわふわと熱に浮かされたような感覚に落ち、遥真は目を瞑った。すると、唇にキスが落とされた。何度か触れるだけのキスを繰り返していくうちに、お互いにゆっくりと口を開いて更に深く重なっていく。熱い舌が絡み、遥真の背中がのけ反った。
「……遥真くん」
 キスをしながら名前を呼ばれるだけで、遥真は夢心地になり、自分の身体のありとあらゆるものが全て幸成へ向かっていくような気がした。それが嬉しくて、幸せで、せがむように自分からも唇を押し付ける。幸成の優しい腕が返事をするように抱きしめ返し、このまま時間が止まってしまえばと、願ってしまった。
 キスが唇を離れ、鼻筋、頬、首筋、鎖骨へと降りて来ると、流石にこれ以上は遥真だけでは止められないと思い「ダメ、です」と弱々しい口調で幸成を制した。
「……ダメ?」
「だって……止まりそうにないですし……」
 恥ずかしそうに答える遥真を見て、幸成は文字通り肩を落とす。時計を確認し、深い溜息を吐いた。
「……今日から旭に店長してもらおうかな……」
 もう一度遥真を強く抱きしめながら幸成は言う。自分を理由に仕事への足が重くて仕方ないと我儘を言う幸成は初めてで、遥真は嬉しそうに抱きしめ返した。
「あー……そうなると店長命令で出勤確定かも……やっぱ行くしかないね」
 がっくりと肩を落とす幸成の胸に頭を寄せる。少し速い心音が心地よくて、目を伏せた。
「今日はなんだか我儘ですね」
「我儘にもなるよ、一緒に居ても居たりないぐらいには君と居たいから」
 遥真の髪を指に絡め取り、弄ぶ。どこを触られていても嬉しくて、遥真の頬が緩んだ。
「……ちなみにね、旭曰く、夜の店の店長は高身長で強面のが良いらしいよ。その方が舐められないって」
「強面って……幸成さんの場合、かっこいいの間違いじゃないですか?」
「それ、遥真くんしか言ってくれないよ」
 幸成はくすりと笑い、遥真の顎を掬ってもう一度キスを落とした。甘ったるく何度か啄むと、名残惜しく離れていく。
「さてと……今回こそは遅れると色々と言われちゃうからね。きっと遅くなるから、俺に構わず先に寝てるんだよ」
「…………はい」
 小さな声で遥真が返事をすると、幸成は困ったように眉をハの字に寄せた。
「……その返事の仕方に俺が弱いの知ってる?」
「ふふふ……はい」
 遥真が頬を赤らめ笑うと、幸成は遥真の頭を優しく撫でてから部屋へ荷物を取りに行く。玄関の壁に掛けていた車のキーを取り、靴を履くと、遥真に向き直った。
「戸締まり、ちゃんとね?」
「はい、わかってます」
「夕飯、一人でごめんね」
「大丈夫です、ポメ郎もいるので」
 幸成は遥真の頬へ手を伸ばし、指の腹で数回撫でると、そこにキスを落とした。擽ったくて身じろぐ遥真を愛おしく見つめた。
「……じゃあ、行って来るね」
「いってらっしゃい、幸成さん」
「うん。行ってきます」
 静かにドアが閉まる。離れてしまった温もりに少し寂しさを感じたが、それ以上に遥真の胸はいっぱいで、たった今送り出したばかりの恋人の帰りをもう楽しみにしていた。