ルーチェの新しい住まいとなったのは、城の敷地内にあるソレイユ宮と呼ばれる場所だった。二階建ての建物であるこの宮には、中に入ると左右に分かれる階段があり、二階には主人用の広い部屋と客間、そして一階には食事をする部屋と浴室、使用人部屋がある。

 この城にいくつかある離宮の中では一番小さいが、一番美しい離宮であるとも云われているそうだ。

「こちらがルーチェ様のお部屋にございます」

 セルカが扉を開ける。先に入るよう促されたので、ルーチェは中へと入った。
 そこは光があふれる美しい部屋だった。

「とても綺麗…」

 感嘆の息を漏らすルーチェに、セルカは前を向いたまま口を開く。

「家具や調度品は白色と菫色で統一するよう、陛下の御指示があったそうです」

 ルーチェは部屋の奥へと進み、大きなガラス扉の前で立ち止まった。少し開いているのか、さらさらと風が入ってきている。透ける二色のカーテンが光を受け、きらきらと煌めいていた。

 そっと扉を押すと、広々としたテラスに出る。真下には先ほど散策した庭園と門があり、その奥には銅像がある広場が、更に奥には城の心臓部とも言える居館が見えた。

「ルーチェ様。こちらをご覧ください」

 セルカに呼ばれて中へと戻ると、天蓋付きベッドの上で美しいドレスが裾を広げていた。その傍にあるメッセージカードを手に取ると、贈り主の名は書いていないものの、特定するには十分すぎる言葉が綴られている。
 ルーチェは瞬くように微笑った。



 皇帝の即位十年目を祝う式典は、予定通りに開催された。国内の貴族は勿論のこと、周辺諸国からは王侯貴族たちが賓客として招かれ、主都を賑やかにさせた。

 中には、未だ独身であるヴィルジールに娘を差し出すべく、目が痛くなるほど着飾らせた娘を連れてくる貴族も数知れず。

 野心と保身、或いは畏怖。様々な感情が入り混じるホールの前に、一台の馬車が到着した。中から姿を現した人を一番最初に目にした貴族の男は、息をするように声を漏らした。

「──あの美しい女性はどなただ?」

 男の声を聞いて、周辺にいた者たちも振り返る。そして、誰もが息を呑んだ。そこに息づく美しさと儚さ、可憐さに。

 一人の少女と、それを取り囲む賓客たちの図が出来上がって程なくして、ある男が人混みを掻き分けて現れる。

「──聖女様。お迎えに上がりました」

 その男は“聖女”と呼んだ少女──ルーチェの前で跪くと、エスコートするべく手を差し出した。

「陛下の懐刀であるデューク卿が…」

「聖女様と言ったか? ではこの方が、竜を退け結界を張ったという…」

 ルーチェは足を引きそうになったが、わざわざ迎えにきてくれたアスランに応えるために前を向いた。

 今や帝国中を騒がせている存在が目の前にいると知り、その関心から挨拶をと近づいてくる者が絶えないが、アスランが盾となってくれた。


 式典は宰相のエヴァンの開会の挨拶から始まり、主催者の挨拶、祝辞、乾杯と滞りなく進んでいった。

 招待客として招かれたルーチェは、用意された席から見物していた。彼らがいる位置からは見えないよう配慮されている、両傍にカーテンがある二階席だ。

 ワイングラスを片手に会話を楽しんでいる人たちを眺めていると、背後のカーテンが捲られる。現れたのは長袖の黒いドレス姿のセルカだ。

「ルーチェ様、陛下がお呼びです。下に参りましょう」

 ルーチェはゆっくりと立ち上がった。あの人混みの中に行くのは気が進まないが、ここに来た目的の一つを果たさなければならない。

「分かりました」

 ルーチェはセルカに導かれるようにして、静かに歩き出した。歩みを進めるたびにドレスの裾が揺れる。揺れるたびに、贅沢に散りばめられている小粒の宝石がきらきらと輝き、ルーチェの美しさを際立たせていた。

「──聖女様ではないか!なんとお美しい」

「見ろ!聖女様がお越しになったぞ!」

 ルーチェの登場に気づいた者が声を上げ、それを聞いた者がまた声を上げる。御礼を、挨拶をと人が押し寄せてきては、セルカに追い払われている。その光景には既視感のようなものがあった。

 おそらく、聖女としてイージスで過ごしていた頃にも、このようなことがあったのだろう。

(聖女と呼ばれ、感謝して頂いても──私は、あの時の力の使い方が分からないというのに)

 ただ一度の奇跡を起こしただけ。それだけのことで、聖女と呼ばれ、聖女として扱われるのだろうか。

 これからの人生をどんなふうに生きたいのか、その答えもまだ見つかっていない。

(なのに、いいのかな)

 息苦しさに似た痛みを感じた時、ルーチェの前方にいた人たちが、道を開けるように左右に分かれていった。

「──ルーチェ」

 耳を打つ声に、ルーチェは俯きかけた顔を上げる。

「……皇帝陛下」

 歩みを止めたルーチェの元へと、ヴィルジールが歩いてくる。銀色の髪を靡かせ、青い瞳にはルーチェだけを映して。

 ヴィルジールはルーチェの目の前で足を止めると、薄い唇を開いた。

「……悪くない」
「───っ!」

 満足げに呟かれたそのひと言に、ルーチェは瞳を瞬かせた。

(そ、それって……)

 ドレスの裾を握る指先に力が入る。やはりこのドレスの贈り主はヴィルジールだったのだ。

 添えられていたメッセージカードの文を見て、確信はしていた。だが、本人の口から聞けるまでは──と思い、こうして着てきたのだ。

 禁色とも言える、鮮やかな青色のドレスを。