「立ち話もあれだから……父さんも母さんも、こっち座ってくれる?」

 リビングのソファへ進もうとする神岡を、俺はジリジリとした思いで見つめる。
 バーベキューの予定も何もすっ飛ばして、このまま突っ込んだ話を始めるのは、どう考えても最悪の選択に思えた。

「…………あっ!!
 ねえ樹さんっ! いろんな話は、とりあえず乾杯してちょっと焼いたり食べたりしてからにしませんか?
 ほら、せっかく時間に合わせて火も起こしていただいたんだし。……お肉もホイル焼きも鮮度が大事ですよ!? ね、それがいいですよねお義父さんお義母さんっ♪♪」
 彼の口から最初の一言が出る前に、なんとか阻止したい。
 そんな気持ちで、思わずそういう提案が口をついて出た。

「——うん、そうだな。
 こういう空気で難しい話はとりあえずたまらんからな」
 義父も、どこか息苦しい空気を察しつつそう呟く。
「ね、樹さん、そうしましょう!」
 距離が離れているせいで肘鉄も難しく、俺はなんだかぎこちない目配せなどをしながら彼にそう微笑みかける。

「…………確かにそうだね」

 彼もそのことに気づいたらしく、何とか方向転換をしてくれた。
 はあぁーー……心の中で、思わず大きなため息が漏れる。

 今日の彼の判断力は、もしかしたら本当に壊滅状態なのかもしれない。
 こういう緊張は、俺としては体調的にも極力避けたいところなのだが……止むを得ない。

「でも……
 その話っていうのは……柊ちゃん、どこか体調が悪いとか、病気とか……そういうことではないのよね?」
 義母が、心配そうな眼差しで俺を見つめる。

「ええ、そうじゃないんです。じゃなくって……
 何というか——
 少なくとも、悲しいお知らせとかではなくて……」

 今の段階でどう言えばいいのか分からず、中途半端な不安やら照れやらがつい漏れ出してしまう。
 そんな俺の複雑な顔を、彼女は少し不思議そうに見たが、すぐにホッとしたような明るい笑顔になった。
「はーよかった、一瞬ドキっとしちゃった」
「そうか。そういう話でないなら、まずは安心だ」
 義父も、柔らかく微笑んでそう言ってくれる。

「————ありがとうございます」

 こんな風に温かい親と、新しい命のことでいがみ合ったりはしたくない。
絶対に。

 俺は、心の中でひたすらそんなことを願った。




* 




 庭に用意されたバーベキューセットには、既にちょうどいい具合に炭火が起こされていた。
 その網へ食材を乗せ、とりあえず4人のグラスへ互いにビールを注ぎ合う。

「最近は夏が恐ろしく暑いが、みんなでこうして元気に集まれることに乾杯」
 義父がそんな音頭を取る。
 夏の終わりの夕暮れ。涼しい風が心も体も癒すように肌を撫でていく。
 次第に焼き上がる肉や野菜も、そんな心地良い外気の中で食べる美味しさは格別だ。

「今通ってるお料理教室のお友達がね、面白いの。ヘルシーメニューをたくさん覚えたから夕食の献立も随分改善されて、おかげで最近は旦那さんもスリムになってきたのに、自分には効果がない、なんで?……って悩んでるのよね。ヘルシーでも食べ過ぎちゃ意味ないでしょ、ってツッコミそうになって慌ててストップしたわ。うふふ」
 義母が、明るくそんな他愛のない話で笑う。

 こういう時、神岡のパートナーがもし女性だったら、姑のこんな話になんと答えるんだろう?
 女同士で盛り上がるのか……それとも、太る痩せるの話題なんて、微妙に気まずい空気になったりするんだろうか?
 何れにしても、俺は女じゃない。この手の話をうまく盛り上げるスキルは持ち合わせていないのだが……とにかく、本題前の空気はなんとか明るく爽やかにしておかなきゃならんのだ!!
「お義母さんは、そういう悩みとは無縁のスリムさですね。周囲の方から羨ましがられるんじゃないですか?」
「えー、私もそんな人のこと言えるようなあれじゃないんだけどね。でも、毎日エクササイズの時間作ったり、ちょっとは頑張ってるのよ」
「ああ、やっぱり。樹さんのお姉さんみたいに見えますから」
「やだ〜〜〜柊ちゃんったらっ♡ あ、ほらお肉ちょうどいい感じに焼けたわよ、今日は最高級のお肉用意したからたっぷり食べて♪♪」

 俺と義母の会話を、神岡と義父は何となく冷めた空気で聞いている。もーーーー、樹さん少し協力してくれっ!!
「お義父さん! この赤ワイン、お義父さんのお好きな銘柄でしたよね? 探して買ってきたんです。栓抜きますねー。ささ、どうぞ」
「おお、ありがとう! 柊くんは本当に気が利くなー。じゃ、いただこう」
「あーっと樹さんはちょっとペース早すぎですよっ!」
「ん、ああそうか」 
 義父の気持ちを解そうと俺はせっせと酒を勧め、一方で神岡にはブレーキをかける。変に酔われて喧嘩スイッチでも入った日には全てが終わる。

 今日の話を切り出すために、最適な環境を作るのだ。
 両親が適度にリラックスし、俺たちの話が少しでも受け入れられやすい環境に。


 やがて、硬かった空気も次第に和らぎ始めた。
 ——後は、本題を切り出すタイミングを計るだけだ。

「柊くん、そういや君はほとんど飲んでないじゃないか。何か他の酒の方がいいかな?」
 義父が、そんな風に気遣ってくれる。

 ——そろそろ、この辺なんじゃないだろうか。
 今、俺は酒が飲めない、その理由と絡めて。

「……えっと……あの、実は、その……」
 俺は微妙に言い澱みつつ、隣で黙々とワインを飲む彼に小さく目配せをした。

「…………」
 うん、やっぱ気づかないよね。
 彼は俺のそんなサインを完全にスルーモードである。
 仕方なく、割と力の入った肘鉄に切り換えた。

「……んぐ……っ!?」
「樹さん、あのっ。
 お義父さんが俺にお酒を勧めてくれてるんですけど……ほら、今どうして俺が飲めないか……そろそろお話ししたらどうかな、と」

「————ん。……そうだね」
 彼は、何か考え込んでいた事から引き戻されたように、肘鉄の入った脇腹を何となく摩りつつ真剣な眼差しでそう呟く。

「——父さん、母さんも。
 さっき、少し言いかけた件なんだけど……
 実は、今日はこの話をしたくて、柊とここへ来たんだ。
 ——冷静に聞いてほしい」

 彼は、まっすぐに両親の方へ顔を上げると、いつになく複雑な思いの入り交じる表情でそう切り出した。

 二人は、彼の言葉に黙って視線を向ける。
 彼は、動かしがたい決意を込めるように一つ大きく息を吸い込んだ。

「——柊のお腹には……今、双子がいる。
 僕と彼の子が。
 ——二人とも、男の子だ」

「————」

 その告白に、二人とも思わずぐっと固まり……
 彼の言った言葉を何とか理解するためなのだろう、その場は沈黙に包まれた。


「……どういうことだ、樹。
 ちゃんと説明しなさい」

 義父が、堪りかねたようにどこか上擦ったような声で呟く。

「——柊がうちの会社に入社して間もなく、彼に体調不良が続いた。
 それで、原因を調べるために病院で検査を受けたんだけど……その時、彼の身体は男性と女性両方の機能を持っていることがわかったんだ。
 そして、彼の中で今、女性の機能が正常に働いている、ということも。

 可能性は非常に低いけれど、妊娠が可能かもしれないと……医師からそう説明されて。
 僕たちは、新しい命を家族に迎えることを心から望んだ。
 半ば諦めかけたりしながらも続けた努力が、やっと実ったんだ。
 ——今、妊娠6ヶ月目に入ったところだよ」

 そんな彼の説明に、がっちりと固まっていた二人の硬直も、少しずつ解け始めた。

「…………そうなのか……
 何だかあまり驚いてしまって……
 ちょっとリアクションが変かもしれないが、許してくれ」
 義父が何とか心理状態を通常モードに戻そうと努めながら、そう呟く。

「……柊ちゃん……
 あなた……体調は、大丈夫なの……?
 男性が妊娠なんて、本当に身体がちゃんと対応できるの?」
 義母は、酷く心配そうな眼差しを俺に向ける。

「ええ、大丈夫です。産婦人科の名医に診てもらっていますし、今のところ経過も順調だと、健診で褒められてます」

「……本当ね?
 本当に、心配しなくていいのね?

 ……ちょっとびっくりしすぎて、私も何から言ったらいいのかわからないんだけど……
 とにかく、絶対に無理はしちゃだめよ。妊婦さんが無理して大変なことになった話は、本当にたくさん聞くから。
 ましてや、あなたの身体は女性とは違うんだし……双子ならば尚更、体調にはくれぐれも気をつけてくれなきゃ……万一あなたに何かあったりしたら、私絶対嫌よ!!」

 義母は、なぜかどこか泣き出しそうな、この上なく優しい表情で俺を気遣ってくれる。

「——お義母さん、ありがとうございます……」
 そんな彼女の思いを、俺も思わず胸がじわっと熱くなる思いで大切に受け取った。

「……でも……
 冷静に考えれば、これってすごくおめでたい話よね!! もー、何の話かと思ったら、こんなに素敵なことだったなんて! お祝いしなくちゃね、充《みつる》さん!」

「——……本当にそうだな、麗子。
 これは、私たちにとっても最高のグッドニュースだ。
 おめでとう。樹、柊くん。
 元気一杯な孫に……それも、一度に二人の孫にもうすぐ会えるとは……本当に、想像もしていなかった」


 もはや満面の笑みを浮かべる義母と、じわじわと嬉しそうに綻んでいく義父の表情を、俺たちは黙って見つめた。

 二人のそんな喜びに満ちた様子に、俺たちの胸にも大きな幸福感が満ちてくる。

 そして……それと同時に、ずっと胸に渦巻き続ける不安が、いよいよざわざわとその激しさを増し始める。

 これから切り出さねばならないもう一つの話に、目の前の彼らの表情が、一体どう変わってしまうのか……
 そんな、胸を剣でギリギリと差し込まれるような痛みを、俺たちはどうすることもできなかった。