カラカラに晴れて暑い、お盆休み真っ只中の昼少し前。
 神岡と俺は、横浜にある俺の実家へ向かって車を走らせていた。


 両親には、午後1時に訪問を約束してある。
 とりあえず砕けた話ではない。神岡は、ビシッと引き締まった最高級スーツで臨戦モードだ。

 俺も本来はそういう出で立ちで臨むべきところなのだが……ここにきて、どうやらスラックスの腹部に微かに窮屈な感覚が生まれ始めていた。
 双子なのだ。お腹も当然その分早めに大きくなってくる。藤堂からも、そう説明を受けていた。ただ、骨格全体は女性よりも大きいため、膨張は女性に比べれば多少は穏やかかもしれない……らしいけど。
 何れにしても、不必要に腹部を締め上げたりは絶対にできない。
 結局、あまり締め付けなくて済むゆったりしたチノパンと柔らかいサマーセーター、というカジュアルモードに甘んじた。

「荷物は全部僕が持つから。足元、気をつけてね」
 車へ乗り込む際の神岡の気遣いもすっかりそんな感じで……どこかが変に気恥ずかしく、むず痒い。
 うっかりすると自分自身も男である自覚を手放してしまいそうな……いや、俺男だから!断じてママになる訳じゃないし!!……そんな微妙に複雑な気分で、助手席に背を預けた。


「…………」
 ハンドルを握りじっと前を見つめる神岡の横顔から、ビリビリと緊張が伝わってくる。
 当然だ。ぶっちゃけた話、これから会う両親からどんな反応をされてもおかしくない状況なのだから。

 隠しようのない正真正銘のハイクラスなオーラ。
 そして、それとは少しそぐわないほどの、真っ直ぐな明るさや細やかさ。
 両親が冷静に彼のことを見てくれれば、俺がこれ以上ないパートナーを掴んだことくらいは喜んでもらえる……気がするのだが。


「……柊くん、どうしたの? どこか具合でも悪い?」
 俺の視線を感じたのか、神岡がふっと視線をこちらへ向けて問いかけた。


「……いえ。
 樹さん、やっぱり男前だなあと思って」

 その途端、彼の肩がぐぐっと震えた。


「……ちょっと休憩」
 眉間をピクピクさせながら、通りがかりのコンビニの駐車場に入る。

「何か飲み物買ってこよう。柊くんは?」
「あ、じゃあミネラルウォーターを」
「わかった」
 それだけ言うと、バタンと車を降りていく。

 ……何か、怒らせただろうか?
 気に触るようなことは言ってないつもりだが……


 買い物を終え、再び車に乗り込んで自分のスパークリングウォーターを勢いよく呷ると、彼は必死な目でぐっと俺を見据えた。

「……あのね柊くん、今そういう刺激はすごく困る!
 ただでさえバクバクな心拍数抑えるのに必死なのに……これ以上心臓に負担がかかると血圧が心配だ……!」
 神岡は何やら照れながらわたわたとおじさんくさいことを呟き、ふうっと大きく一つ息を吐き出す。

 ……俺のあんな一言で、そんなに……?
 がっちり凝り固まった俺の緊張も、そんな彼のリアクションにふっと緩む。
 思わず笑いが漏れた。

「……いつも面白いですね、樹さん」
「他人事みたいにそんなこと言って」
 今度は子どもみたいにむすっとむくれる。ますますおかしい。

 笑った後の喉を通るミネラルウォーターの冷たさが、ざわついた神経を心地よく潤す。


「今日、どんな展開になったとしても……
 俺には、あなたがいる。あなたと、この子たちが。
 だから、大丈夫です」

 気づけば、自然にそんな言葉が口から出ていた。


 俺の言葉に、彼は少し驚いたような眼差しを向けて——そして、その張り詰めた表情が、心から嬉しそうに綻んだ。

「いつ君がそう言ってくれるか、待ってた」

「…………」

「君には、僕がいる。
 僕が、たとえ何度君にそう言ったところで……君自身がそう思えなければ、君の不安や悲しみを本当に取り除くことは、きっとできない。
 ずっと、それが気がかりだった。
 ご両親の反応に、君がもしも深く傷つき、打ち拉がれてしまうとしたら……
 これから先の僕たちの幸せを育てる気力を君が失ってしまうことが、僕にとっては何よりも怖いことだった。

 だから——今、君の口からその言葉を聞けて、嬉しいよ。
 ……本当に嬉しい」


 じわりと微かに潤んだように俺を見つめる彼の瞳が、何だか悲しいほど温かくて……

 ——やばい。

 涙が出そうだ……俺も。


 何もかもが手に入らなくたっていい。
 この人と、新しい二つの命さえ、幸せにできるならば。

 なんだか変なタイミングで、俺は改めてそんなことを思った。









 手近なカフェで軽い昼食を済ませた、約束の午後1時ちょうど。
 俺と神岡は、実家の門のベルを押した。

 実家は、建築デザイナーの両親がそれぞれアイデアを出し合いつつ設計・施工した、言わずもがなのデザイナーズ住宅だ。
 二人の個性や持ち味のようなものを感じさせつつも、それらがバランス良くまとめられた洗練された外観。シャープな印象でありながら、快適な開放感に満ちている。
 神岡は、緊張の中にあってもやはり一流ハウスメーカーの副社長だ。仕事柄、敏感にその魅力を感じるようで、建物のあちこちへ真剣な視線を走らせる。

 しばらく間をおいて、インターホンから返事が返ってきた。

『あら! ちょっと柊、随分早いじゃないの!?』

 俺と神岡は、微妙に顔を見合わせた。
「……母さん?
 だって、今日1時に行くって伝えてあったろ?」
『え、1時? あなた3時って言ってなかったっけ?』

「…………
 都合が変わって1時に変更したいって、後から連絡し直したじゃんか!」
『あー、最近ずうっと慌ただしくしてたから、全然覚えてないわ。困ったわね……仕方ない、いま開けるからちょっと待ってね』
 プツリと、インターホンが切れた。

「…………大丈夫かな?」
「……すみません」
 神岡の複雑な微笑に、俺はなんだか小さく謝罪を述べる。
 まあ、昔からこういう感じなのだ。うちの両親は。



「いらっしゃいませ。散らかっておりますけど、どうぞお上がりください。
 おかえり柊。あなたが大切な人連れてくるっていうから二人で掃除してたんだけど、まだ終わってないのよ。ほら3時だと思ってたし」
 バタバタとどこか慌ただしく俺たちをリビングに通し、母親はそんなことを言う。
「おお、いらっしゃいませ! 柊、久しぶりだな。もうちょっと片付けちゃうから待っててくれ」
 父も、ファイルやら資料やらを抱えたまま笑顔で振り返り、額の汗を拭ったりしている。
「あ……僕、何かお手伝いしましょうか?」
「おお、これは助かります!
 あのー、もしかして柊の上司の方とか……ですかな? いやあいつも息子がお世話になっております」
「父さん、普通こういう挨拶に上司連れてこないだろ!? ってかまあ上司なんだけど……その辺は後で詳しく話す! だからとりあえず客に掃除頼むなって! 樹さん、俺やりますから座っててください」
「いや柊くん、絶対ダメだ掃除なんて! 君こそ座っててくれ」
「ん? 柊、掃除がダメってどこか体調でも悪いのか?」
「ねえ柊、ところであなたの紹介したいっていう方は……これからいらっしゃるのかしら? うふふふ♪」

「…………全部後で話すから」


 全く落ち着かないままリビングのソファに座り、青ざめつつ3人の掃除がひと段落するのを待つ以外、俺には何もできなかった。









「改めて、いらっしゃいませ。お見苦しいところをお見せしてしまい、失礼いたしました。
 柊の父の、三崎 諒《りょう》と申します」
「母の香奈子でございます」

 清々しく片付いたリビング。
 俺たちの前にやっとコーヒーを並べ、両親は改めてきりっとした佇まいで挨拶をした。

「初めまして。神岡 樹と申します」
 彼は、美しい微笑と品の良い物腰で丁寧に礼をする。
 やはり一流の男は、いざという時に醸すオーラが違う。


「————本日は、柊くんとの結婚をお許しいただきたく、ご挨拶に参りました」


 ごく自然な間合いを図り、かつ余計な疑問を挟む隙のない絶妙なタイミングで、彼が本題をズバリと言い放つ。
 艶やかに通るその声が、リビングの空気を心地よく振動させた。


 それぞれ笑顔を消さないまま——リビングが微妙な空気で固まる。


 俺は、大きく一つ息を吸い込んだ。

「——父さん、母さん。
 このひとが、今日紹介したい人だよ。
 ……俺の大切な人だ」


 母が、戸惑いつつゆっくり俺に視線を移す。
「…………
 ……そうなの、柊……?
 ……お付き合いしてるお嬢さんがこれから来る……とか、そういうことではなくて……?」

「うん、違う。
 俺、この人と結婚する——っていうか、もうパートナーだから」
「……おい、柊。ちょっと待て……一体どういう……」
 父も、動揺を隠さない声でそう言いかける。
 それを遮り、俺は今日伝えなければならないことを一気に言い切った。

「ふたりになんと言われても、俺の気持ちは変わらない。絶対に。
 ——俺、今お腹に双子がいるんだ。
 ……この人と、俺の子」


「…………妊娠……してるの? あなた……」
「うん」


「————」


「——お父さん、お母さん。
 ご挨拶が大変遅くなったこと、どうかお許しください」

 低く穏やかな声でそう伝え、神岡が深く頭を下げた。


「柊くんとは、約2年ほど前に出会いまして……
 お互いに戸惑いながらも、お互いにそれ以外の選択肢を選ぶことが結局できずに……そして、お互いの側にいられる幸せを噛み締めながら、ここまで一緒に歩いてきました。

 彼の身体が女性の機能を併せ持ち、妊娠が可能だという事実を知った時は、正直驚きましたが——今、彼のお腹で、僕たちの二つの命が元気に成長しています」


「……でも……だって。
 こうなるまでに……何か一言、私たちに報告してくれても、良かったんじゃないの……?」

 動揺する思いをまとめきれないまま、母が小さくそう呟く。

「もし報告したら……なんて言った?
 おめでとう、妊活頑張りなさいって、応援する気になった?
 ——反対するだろ。絶対に」

「————」

「お二人を、このように驚かせてしまったことには、本当にお詫びの申し上げようもありません。
 僕たちのことをご報告に伺うタイミングが、今までどうにも掴めませんでした。
 けれど……
 今目の前にある幸せのどれもが、僕には絶対に手が届かないと諦めていたものでした。
 心から愛する人に寄り添って生きる喜びも……新しい命を授かることが、これほど幸せに満ちたものだということも。
 全て、彼が僕に教えてくれました。

 柊くんを、必ず幸せにします。
 ——僕の全力をかけて」


 驚愕のあまり言葉を繋げず、ただ呆然とする両親に、彼は静かにそう伝える。

 穏やかな言葉の一つ一つに、包み隠さない思いが込められた声。
 その思いの深さがありありと聴く者に響く、揺るがない力の篭る声。

 両親も、大きく混乱しつつもその誠実な思いを受け止めざるを得ないようだ。

 
「……神岡 樹さん、ですね」

 沈黙を破り、父が静かに口を開いた。

「ありがとうございます。
 大切に育てた私たちの息子を、それほどに深く愛していただいて……嬉しいです。 
 柊は幸せ者です。これほど深く愛してくれる人に出会えて。
 そうだよな。母さん」


「…………うん。
 そうね。
 柊が今、神岡さんと幸せな時を過ごしてることは、間違いないようだし……。
 それに、もう孫が二人もお腹にいるっていうのだし。
 ……いろいろなことは置いといて、もうなんだかウキウキしてきちゃったわね」

 母も、ガッチリと固まっていた表情をやれやれというように緩めて微笑む。
 どうやら、驚きなどという地点はすっかり超越してしまったようだ。


「——ありがとうございます。お父さん、お母さん」

「……ごめん。驚かせて。
 ありがとう。父さん、母さん」

 困惑しつつもどこか嬉しそうな両親に、俺たちは改めて深々と頭を下げた。


「私たちも、お客様の家を建てる際、それぞれの住宅に求めるものを聞き取る中で、お客様それぞれの家庭環境や暮らしぶりを垣間見るんだけどな。
 本当に、人生は、人それぞれだ。
 何が正しくて、何が誤りなんて、結局そんなものはない。
 その人が自分自身で納得できる生き方をできていることが、つまり幸せなんだと……そういうことを常に感じるんだ。
 だから——お前が今の生き方に納得できているなら、それでいい。
 私は、そう思うよ」
 父は、穏やかな表情でそう話す。

「ただ、あなたの身体に危険が及ぶようなことだけは、親として簡単に許すわけにはいかないわ。この気持ちは、わかってほしいの。柊にも、神岡さんにも。
 妊娠してるって……まだ理解が追いつかないんだけど……本当に、大丈夫なの?」
 母が、強い不安の漂う眼差しで俺を見つめる。

「優秀な産婦人科の名医に診てもらってるよ。大丈夫だから」
「柊くんの命に関わるようなことには絶対にならないよう、細心の注意を払っています。必ず、無事に出産を乗り越えますので、どうかご安心ください」

「……そうですか。
 それを聞いて、ひとまず安心しました。
 ——神岡さん。どうぞ柊を、よろしくお願いいたします」

 母は、そこで俄かに目をじわっと滲ませて、微かに震える声で深く頭を下げた。
 いつも能天気なくらいに明るくサバサバした人が。
 初めて見る母のそんな様子に、俺の胸もぎゅうっと締め付けられ——思わず涙がこみ上げた。


「とにかく、まずはめでたい。二人の幸せを祝おうじゃないか、母さん。
 一度に二人の孫なんて……すごいな。可愛い子たちに会える日が楽しみだ」
 そう微笑みながら目の前のコーヒーに初めて口をつけると、父は少し改まったような目で顔を上げた。

「……ところで、神岡さん。
 あの……大変不躾で申し訳ないのですが……
 あなたは……もしかして、あの神岡工務店の……神岡さん、でいらっしゃいますか……?」

 一瞬躊躇うようにしつつ、どこか怖々とそんなことを神岡に問いかける。

「ええ。神岡工務店の副社長を勤めております。
 優れた建築デザイナーであるお二人のお名前は、実はよく存じ上げております」
「え……樹さん、そうなんですか?」


「……ああ、やっぱり。
 とびきり美青年の息子さんがいるって噂、聞いたことあったから……」


「………………ちょっと。
 どうしてそれ早く言わないの、柊」


「……」


 二人は、改めて度肝を抜かれたような顔で、もう一度俺たちをまじまじと見つめた。