「……俺、居候させてもらっている部屋の先輩から、告白めいた言葉を受け取りました。
 一週間前の、クリスマスイブの夜に」
 須和くんは、ざわざわと波立つ表情で俺たちを見つめた。
「信頼できる優秀な先輩で、でもちょっと変わり者で。数式が恋人みたいに言われるタイプの人だから、そんな感情を向けられているとは思いもしなくて……」

「……」
 彼の報告のショッキングな内容に、俺も神岡も思わず口を噤んだ。
 この状況は、宮田からすればぶっちゃけ相当なピンチだ。
 しかし、宮田の恋を応援したいからといって、俺たちが安易に宮田に肩入れするような助言を須和くんに与えるのは軽率だろう。これは、須和くん本人が答えを出さなきゃならない問題だ。
 乱れかけた思考をまとめ、俺は須和くんに問いかけた。
「……それで、須和くんは今、その先輩にどう答えるべきか、困惑してる……ってことかな?」
「はい」
 俺の問いかけに、須和くんは思い詰めたように頷いた。
「でも、困ってるのは、どうして?
 須和くん自身がその人を信頼してて、しかも頭脳も優秀となれば、恋人として申し分ない相手に思えるが……それほどに深く悩むことはないんじゃないかな?」
 神岡が柔らかく須和くんにそう尋ねた。

「…………
 ですよね。俺も、そう思うんです。何度も自分に言いました。そんな迷わなくても、彼に頷けばいいだろう、って。
 なのに……」
 そこで言葉を切り、須和くんは深く俯く。

 ふと、神岡が空気を切り替えるようにぽんと手を打った。
「そうだ。須和くん、これから何か大事な予定ある? 車を運転しなきゃならないスケジュールとか」
「え? いや、この後は特に何もないですが……」
「じゃあよかった。柊くん、昨日のおつまみ、やっぱり須和くんにも出そうよ。ちょっといい白ワインも冷やしといたからさ」
 神岡がソファから立ち上がりながら、悪戯っぽく俺に微笑んだ。
「ええ、それいいですね!」
「は? えっと……」
「まあ、ちょっと待っててよ」
 少し驚いたような顔をしている須和くんにニカっと笑って、俺たちはキッチンへ向かった。









 昨夜同様に生ハムでクリームチーズを巻いた簡単おつまみを皿に並べ、グラス3つと白ワインのボトルをテーブルへ運んできた俺たちに、須和くんは意表を突かれた顔をする。
「……あの、これから一体何が始まるんです?」
「始まるも何も。恋の悩みにお酒の力は必須だろ?」
「そうそう。それにほら、須和くんと俺たちはもうだいたい身内みたいなもんなんだからさ。いっそ全部ぶちまけちゃった方がうまくいくって! はい、とりあえずかんぱーい!」

 勢いに押されて乾杯を交わしたグラスを見つめ、須和くんもふっと柔らかな笑顔になった。
「……そうですね。
 じゃ、遠慮なくいただきます。
 って、めちゃくちゃ美味いワインですねこれ!!」
 緊張の解れたような須和くんの表情に、俺たちも小さく安堵の息をついた。


「——迷ってるのは、宮田さんがいるからです」
 しばらくワインとつまみを楽しんだ須和くんは、ワインのグラスをテーブルに置くと不意にそう呟いた。

「……宮田くんがいるから?」
 神岡が、静かにそう問いかける。

「はい。
 俺が先輩に頷けずにいるのは、宮田さんのことが俺の中で引っかかっているからです」

「引っかかる、っていうのは……どういう意味で?」
 俺は恐る恐る尋ねた。
 そこをはっきり聞かなければ、話は進まない。

「——先輩と過ごしてる時間と、宮田さんと過ごしていた時間を、比べてみたんです。何が違うか、どう違うかを。
 先輩は、無愛想だけど穏やかで、優しいし、俺の嫌がるようなことは絶対にしない。安心してそばにいられる人です。
 けど、宮田さんは——」

 次の言葉を待ちながら、俺たちは内心固唾を飲む。

「…………
 宮田さんは、チャラいし、危なっかしいし、人が嫌がるかどうかなんて考えずにズケズケものを言うし。イラっとさせられることもしばしばです」

「……」
 つまり、宮田はボロ負けってことか?

「なのに……いや、だからなのかな。一緒にいて、すごく気楽なんです。この人には何を言っても大丈夫、みたいな。
 どんなこともふわっと受け止めてもらえる、ははっと一緒に笑ってしまえる。この人の隣にいれば、きっといつも軽い心でいられる。そんな不思議な心地良さがあるんです」

「……へえ、宮田くん、なかなかいいとこあるじゃないか」
「いや、こうやって褒めるみたいになっちゃうのもなんかムカつくんですけどね!?」
 神岡の呟きに、須和くんはなぜかムキになって食ってかかるように言い返す。そんな彼の態度に、俺たちはつい口元がニマついてしまうのを必死に隠しながらうんうんと頷いた。
「そっか。……つまり、君が迷ってる原因は、その先輩に応えようとすると宮田さんが思い浮かんで決心がつかない、ってことなのかな?」
「……はい。そうです。多分」
 躊躇を振り切るように顔を上げ、須和くんは俺の問いかけに頷いた。

 会話が途切れ、小さな沈黙が訪れた。
 グラスを口に運びながら、俺は内心で密かな喜びを噛み締める。
 須和くんの中に、宮田の存在が少なからず占めていることは、間違いないようだ。

 後は、宮田が須和くんに今後どんなアクションを起こすかだ。
 正念場だぞ宮田!!

 おつまみのピックに手を伸ばした神岡が、名案を思いついたように明るく須和くんを見た。
「じゃあ、こうしたらどうだろう?
 今日は、これから一度宮田くんのところに帰るんだ。大晦日は一年の締めくくりなんだし、いろいろ話し合うのに丁度いいじゃないか」
 唐突な提案に、須和くんはあわあわと青ざめながら動揺する。
「え……!? で、でも、まだ全然気持ちがとっ散らかってる最中だし、宮田さんのとこには多分あの後輩がいるだろうし……」
「さあ、それはどうだろう。
 宮田くんは、同居してる後輩のことを、須和くんになんて説明してるの? お互い想い合ってるって?」
「いや、そういう関係じゃないとは言ってますけど……」
「君は、彼の言葉を、信じたい? 信じたくない?」

「…………」

 神岡は、表情を改めて真っ直ぐに須和くんを見つめた。
「君が彼を信じられない気持ちは、痛いほどわかる。けれど、彼を信じたい気持ちがあるなら、まずは目の前の彼を信じることから始めるべきだ。
 君が彼を信じないスタンスを取ったままでは、何一つスタートしない。そうだろ?
 急いで答えを出す必要はない。先輩と、宮田くん。二人それぞれと、逃げずにちゃんと向き合うんだ。その上で、自分に一番必要な存在は誰なのか、じっくり考えてみたらどうだろう?」

 神岡の言葉に、俺も深く頷いた。
「君自身がよく考えて、後悔しない選択をしてほしいと、俺も心から思うよ。
 関係の拗れかけた相手に会うとか、ほんと勇気いるよね。でも『虎穴に入らずんば虎子を得ず』ってね」

「……宮田さんには虎の子みたいな尊さや愛らしさはひとかけらもないんですが……」
 モゴモゴとそう呟いてから、須和くんは徐《おもむろ》に顔を上げた。
「でも。確かに、その通りですね。
 この苦しい状況を何とかしたいなら、まずは宮田さんに会ってちゃんと話をしなきゃ始まりませんね。
 ——わかりました。これから部屋に行ってもいいか、宮田さんに確認してみます」

 おっしゃあーー!!とガッツポーズが出かけるのをぐっと堪え、俺は深く頷いた。神岡も恐らく全く同じ気持ちなのだろう。頷きが見事にシンクロした。
「うん、それがいい」
「うまく話し合えるといいね」
「はい。どうなるかわかりませんが、やってみます。
 神岡さん、三崎さん。いつも本当にありがとうございます」
 須和くんは、どこか気持ちの切り替わったような顔で俺たちを見ると、改めて深々と頭を下げた。

 宮田ーーっ! こんないい子、あんたにははっきり言って勿体無いんだからな!! 気張れよ!!

 心の内でそんな言葉を宮田に怒鳴りつつ、俺はグラスをぐいと大きく呷った。