「とりあえずさ、筋肉ムキムキで()()()がデカそうな男三人くらい連れてきてー」

 アイドル・星河早苗は、東京某所の自宅の広いリビングに置かれた豪勢なソファーに下着のみというあられもない姿で横たわり、ウイスキーをロックで飲みながらマネージャーである私にそう言った。

「は、はあ……」

 微妙な反応を示す私に対し、星河早苗はウイスキーのボトルに手を伸ばしつつちらりと視線を向けた。

「どうしたの?」
「アソコがデカそう、とは、つまり、そういう……」

 星河早苗は私の言葉に軽く頷く。

「想像の通りの()()だよ。それだけで赤くなってるとか香川ちゃんめっちゃウブじゃん。あ、もしかして香川ちゃんって処女?」
「し、しょじょ?!」

 面と向かって言われたことが無い言葉が飛んできてたじろいでしまう。

「何その反応、めっちゃウケるんだけど。ま、とりあえず行ってきてー。よろしくー」

 連れてこないといけなそうなのでひとまず星河早苗の自宅を出る。

 夏の夜は遅い時間になっても生ぬるい風が閑静な住宅街を吹き抜け、夜道を歩く私の身体に気持ち悪く絡みついてくる。

 ひとまず人の多いところまで出てみようか。この時間に人が闊歩している場所と言えば、東国一の歓楽街と言われる歌舞伎町一番街くらいだろうか。行ったことがないので、何となく恐怖を感じる。

 私はもう今年で二五歳になるが、未だにそういった歓楽街には足を踏み入れたことがない。私にとっては別世界だ。そんな私なので、むろん、街中で知らない人に声をかけるというナンパじみたことなどやったことがない。

 ()()()()()()を知らない訳ではないのだが、未経験なせいかそういったことについては口にするだけでも幾分かの躊躇いと戸惑いを感じる。

 それでも、星河早苗の頼みとあらばやるしかない。それがマネージャーというものだ。そう、先輩に教わってきた。



 私が東京の私大を卒業して芸能事務所に入社してからもう三年目になる。そんな今年の四月、初めて一人で任された仕事があの星河早苗のマネージャーであった。

 星河早苗は、二年ほど前から活動しているソロアイドルである。

 清楚系キャラで売り出したデビュー曲が大ヒットして一躍有名になり、多くの固定ファンを持つ彼女は今の日本で五本の指に入るほどに人気のある芸能人である。

 そう。彼女は清楚系キャラで活動している。先程の発言からはその欠片すら感じ取れなかったが、メディアやファンの前にいる時の彼女の清楚っぷりは教科書にできるほど板に付いている。

 しかし、プライベートになると、先程のような一面が顔を覗かせる。大酒飲み、男好き、遊び人、豪奢な生活……。とても、十八歳とは思えない生活と性格である。なんなら、飲酒はまだ法令で禁止されている年齢だ。

 そんな彼女のマネージャーをしていたのが私を指導してくれていた先輩で、別の部署に異動した先輩から引き継いで私が彼女のマネージャーに昇格したのだった。

 彼女のことは先輩のサポートをしていた時から数えて三年以上見てきているが、未だに彼女の素の人間性がよくわからない。先輩のサポートをしていたときは、定時の頃になったら先輩に帰されていたので、今回のようなことはこれまで見たことも聞いたこともなかったし対応したことがなかった。

 だから、正直どういう人が好みなのか、どのような人を連れてくればいいのかよく分からないのである。ムキムキの人、なら見た目でわかる。そこはいい。だが、()()()の大きい人というのはどう見分ければいいのか。普段は隠されているものの特徴を他の部分から知ることなどできるのだろうか。フィーリングとか言われたら私にはどうしようも出来ないのだが。見たことがないのだから。

 車を走らせつつ色々と考えているうちにいつの間にか歌舞伎町近くに着いていたらしい。カーナビがナビゲーション終了を知らせてきた。

 近くのコインパーキングに車を止めて運転席から下りる。

 コインパーキングから少し歩いて角を曲がった先。そこには私がこれまで見てきた世界とは全く違うものが広がっていた。

 絢爛豪華、酒池肉林、無法地帯。

 そういった言葉が良く似合う場所だった。これが、歌舞伎町一番街……。

 できることなら、死ぬまで足を踏み入れたくなかった。そう感じてしまった。少なくとも私は、好きで足を踏み入れることなど出来ない。もう帰りたい。逃げてしまいたい。

 それでも、私は星河早苗の希望の男を連れてこなければならない。そんな、正義感のような気持ちだけで私は異世界へと歩を進めていった。



「ただいま戻りました……」

 およそ二時間後、私は三人の筋肉ムキムキ男を連れて星河早苗の自宅に戻ってきた。

「ういーおかえりー。いい男見つかったー?」
「お気に召すかは分かりかねますが、三名の男性についてきていただきました……」
「おーこれは香川ちゃんの審美眼が試されるねぇ」

 右手に琥珀色の液体が入ったグラスを持ってニヤニヤしながらそんなことを言う星河早苗のこの後の反応が怖い。もし気に入った人が三人の中に一人もいない場合、どのような処置が下されることになるのだろうか。

 ただ、いくら悩んでももうどうしようもないので、外で待機してもらっていた三人に家の中に入ってきてもらった。

「お邪魔します」
「失礼します」
「お邪魔しますー」

 三人が口々に星河早苗に挨拶する。

「おおーいいじゃんいいじゃん!!香川ちゃんいい勘してるよ!!」
「あ、はい、お気に召したのならよかったです……」
「ほんとわがまま聞いてくれてありがとね!そうだ、香川ちゃん、ちょっと着いてきて」

「君たちはソファーにでも座って待っててねー」と言いつつ立ち上がった星河早苗は、私に手招きをして着いてくるように言った。彼女の背中を追っていくと六畳ほどあるウォークインクローゼットに着いた。

「とりあえず、ほんのちょっとだけどお礼をしようと思ってね。こっち来て」

 そう言うと星河早苗はしゃがんでウォークインクローゼットの端に鎮座している金庫を操作し始めた。自然、彼女の手元から目を逸らす。

「はい、これ。今日のお礼」

 そう言われて手渡されたのは帯付きの札束三束であった。

「え、いや、そんな、これは、受け取れません……!」

 慌てて返そうとするが、星河早苗は頑として受け取らない。

「いいからいいから。大人しくもらっておきなさい。これは今日のお礼なんだから」
「いや、ですが……」
「私はお金が有り余ってるからいいの。それに、香川ちゃんお金足りないんでしょ?お母様の老人ホーム費用」
「……!!」

 何故それを、と思った。思い返してみると、一度だけ星河早苗に話したことがあった。

 まだ私が先輩の下について仕事していたころ、十ヶ月ほど前だったか。星河早苗に私の両親のことについて聞かれた。そのときにほんの一言、母の介護がきつい、老人ホームに入れてあげたいがお金が無いと口にした記憶がある。

 もしかして、星河早苗はその言葉を覚えていたとでも言うのだろうか。ただのマネージャー見習いの女の何気ない一言を、年中忙殺されているトップアイドルが記憶していたとでも。

 だがそうでないと彼女の先程の発言は説明がつかない。でなければ私が介護費用が足りなくて苦労していることなど知ってるはずがないのだから。

 驚いて星河早苗の顔を見つめる私を彼女は意味ありげに見つめ返す。そして、無言で手渡そうとしてくる。

「あ、ありがとうございます……」

 受け取ってしまった。本当にいいのだろうか。マネージャーがアイドルから個人的に金を貰って問題ないのか。

「香川ちゃん心配しすぎー。これは私のポケットマネーなの。で、今の香川ちゃんはただ単に私の友達。友達なんだから遠慮しなくていーの。わかった?」

 私の心を読んだのか、幼児を諭すような口調で星河早苗が言う。その言葉には誰にも有無を言わさぬ圧のようなものがあった。

「……かしこまりました。ありがとうございます」

 受け取ってしまった。今回は、ありがたく受け取ろう。だが、今回だけだ。またもらう訳にはいかない。私だって会社から給料をもらっている。星河早苗の脛をかじるようなことはできない。

「うん、素直でよろしい!じゃ、今日はお疲れ様。もう家に帰っていいよ。また明日ね」
「ありがとうございます。お疲れ様でした」

 星河早苗の自宅を出てスマホの画面を見ると、時刻は午前一時半と表示されていた。

 もう終電もないような時刻だが、明日の仕事は午後の三時からなので、今から帰ってもゆっくり寝れる。さっさとタクシーを捕まえて帰宅しよう。



「おはようございます」
「ん、おはよー。昨日はありがとね!!」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
「もー、そんなかしこまらなくていいんだってー。香川ちゃん私より七歳も上じゃん。タメでいいのにー」

 さすがにそれはダメだろう。

「そ、それはいけません!私はあくまでも星河さんのマネージャーですから」
「香川ちゃん、立場気にしすぎよ?昨日も言ったでしょ?私たちはただのマネージャーとアイドルじゃなくて友達なの。ま、仕事中はそういう立場を気にしてていいと思うけど、終わったら普通に接してね?」

 普通に接するとなるとマネージャーとアイドルとして接するということではないのか……。彼女の言う「普通」は友達として接してくれということなのだろうが……。

「……少し考えさせてください」
「いいよ!なんか告白の返事待つみたいだねー。告白して返事待ってるときってこんな感じなのかな?」

 分からない。私はこれまでの人生で誰かに告白したことがない。

「ま、ゆっくり考えて。返事はいつでもいいから」

 そう言うと彼女は「さ、お仕事いきますか!」と言って控え室の扉に手をかけた。

「はい、行きましょう」



「疲れたぁ……」

 控え室のソファーに倒れ込みそう呟いたのは星河早苗である。

 今日は新作CDの発売に合わせて行われた握手会だった。わずか三時間の開催にも関わらず多くのファンが駆けつけていた。私がカウントしていた限りでは、おそらく六百人を超えるファンが星河早苗と一瞬でも握手をしようと詰めかけた。

 その一人ひとりに対応し続け、水を口に含む間もなくにこやかにアイドルで居続けた星河早苗の疲労は想像を遥かに超えるものだろう。

「お疲れ様です」
「いやぁ疲れるねぇ……香川ちゃんもお疲れ様ぁ」

 ソファーに寝転がった星河早苗がペットボトルの水を飲む。

「あ、そうそう。ちょっと香川ちゃんにお願いあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「出禁にしてほしい人がいてさー」
「………………デキン?」

 星河早苗の言う『デキン』とは、私たちがよく知るあの『出禁』でいいのだろうか。

「何その外人みたいな言い方。めっちゃウケるんだけど」

 ひとしきり笑ったあと、息を吸った彼女はこう言った。

「あの『出禁』だよ。私が苦手な人がいたから次から出禁にしてほしいなーって思って」

 なんともアイドルらしからぬ発言だとは思ったが、普通に考えればおかしい話ではない。アイドルも人間である。好き嫌いなどあって当然だ。ただ、多くのアイドルはそれを口にしない。そのような贅沢を言える立場ではないからだ。

 ただ、星河早苗の場合は違う。彼女は今や日本で五本の指に入るほどの人気を誇る芸能人である。うちの事務所は彼女のおかげで儲かっていると言っても過言ではないほどに稼いでいるのだ。そんな彼女だからこそ、こんなわがままも言えるのである。

「かしこまりました。どのような方を出禁にすればよろしいのでしょうか?」
「えっとね、ハゲとデブ」
「ハゲとデブ………」

 さすがに清楚が無さすぎる。

「もしかして香川ちゃん引いてる?」
「い、いえ、滅相もございません……!」

 もっと清楚感のある言葉でもう少し具体的な基準がほしいところだ。

「どれくらいの、という具体的な基準をいただけるとありがたいのですが……」
「うーんとね、ハゲはパッと見て頭の半分に毛がない人かな。デブは服の上からお腹が出っ張ってるのが分かれば即デブ認定だねー」
「なる、ほど……」

 手元のメモ帳に今の発言をメモしておく。次のイベントからはこの条件に当てはまる人を出禁にすればいい訳だ。

「今回の握手会に来た人だと、整理券ナンバー三、四十五、七十二、七十三、百五十八、三百二十二………」
「ちょ、ちょっと待っていただけませんか?」
「うん、どうしたの?」
「もしかして、本日来場された方の特徴を全て覚えていらっしゃるのですか?」
「うん。覚えてるよー」

 なんということだろうか。あまりにも驚異的な記憶力である。

「そ、そうでしたか……」

 私は驚きすぎてこれ以上言葉が出てこなかった。

「そういうハゲやデブには太客ももちろんいるんだけど、握手会は基本無料だからさ。太客だろうがそうじゃなかろうが別に出禁にしても売り上げにはほとんど影響ないわけよ」

 驚く私を置いていき、星河早苗は話を進めていく。

「ま、そういうわけで出禁の処置よろしくぅー」
「該当する人たちが来たら止めればいいんですか?」
「そそそ。誘導員に言って、なんかテキトーにイチャモンつけて出禁にするようにやっといてほしーな」
「かしこまりました。そのように対処致します」
「やったー!ありがとねー」

 これも星河早苗の望みだ。マネージャーであるならば叶えるしかない。

「香川ちゃーん?またなんか小難しいこと考えてるでしょ?」

 当たらずも遠からずなのがなかなか怖い。

「いや、そのようなことは……」
「ふーん?まぁなんでもいいんだけど。わがまま聞けないなら聞けないって言っていいからね?前のマネージャーの香川ちゃんの先輩は全部叶えてくれたけど、香川ちゃんも私の希望を全部叶えろなんて言わないから。出来ないなら出来ない、やりたくないならやりたくないでいいの。わかった?」
「はい。かしこまりました」

 私の返事を聞いた星河早苗は無言でにっこり笑って親指を立てた。今のこの表情は清楚系アイドルらしい綺麗な笑顔である。その裏にそれなりに黒い裏を秘めているのだが、それがおくびにも出ていないのが本当に凄いと思う。これがアイドルか。

「とりあえず、その事は置いといて今日は一緒にご飯行こっ!」

 アイドルモードのままで星河早苗が言う。

「お食事……ですか?私でよろしければ同行致しますが、それほど所持金がございませんので高いお店は厳しいのですが……」
「え、なんでよ。私が奢るよ」
「いやいやいやいやいやいやいやいや」

 流石にそれはダメだろう。

「それはいくらなんでもダメです……!」
「なんで?私の方が稼いでるんだからいいんだよ」

 確かに星河早苗の方が私より稼いでるのは事実だが。

「それでも……」
「だーかーらーね、私たち、友達だって言ったじゃん?だからいーの。私は友達に奢りたいから奢る。それだけのことだから」
「は、はぁ……」

 なんだか無理矢理納得させられた感がある。しかし、そもそも私にも彼女の言うことをはねのける意志などなかったのかもしれない。

 気がつけば私は東京某所の芸能人御用達高級イタリアンレストランで星河早苗と向かい合って座っていた。

「あぁ……」
「いやーここ水原ちゃんに聞いてからずっと来たいと思ってたんだよねー」

「ふぁー楽しみー」と言いながら紙ナプキンを畳む星河早苗を見る。何か言おうと思ったのだが、結局私の口から何か言葉が出てくることはなかった。

 しばらく待つと、一品目の料理が運ばれてきた。

「おーきたきた」
「…………あの」
「うん?」
「……芸能人でもなんでもない私がこんなとこに連れてきていただいていいのでしょうか……」
「別にいいでしょー」

 星河早苗は即答した。

「ここは確かに芸能人御用達ではあるけれど、芸能人専用ではないからね。私たち以外のお客さんは芸能人じゃない人も多いし、その全員がお金持ちとか上流階級とかでもないし。だから別に気にしなくていいと思うよ?」

 なるほど。言われてみれば確かにその通りである。とは言っても気楽に過ごせる場所ではないが。

 こんなところに来るとわかっていればこんな着古してくたびれた地味なスーツは着てこなかった。もうちょいマシな服を引っ張り出すなり買うなりしていた。周りの客は正装に近い服装だったり、かなりのおしゃれ服を着ている。正面に座る星河早苗もいつの間に用意していたのか、かなり絢爛な衣装を身につけている。こんなちゃちな服を着ているのは私だけである。

 一つ考え始めると他のことも色々気になってしまってなかなか食事が手につかない。それを見かねてか星河早苗は「何考えてるかわかんないけど早く食べなよ。美味しいよ」と言って私を促した。

「あ、はい、いただきます」

 フォークを手に取り一口食べる。

 ………美味しい!!

 さすが高級イタリアンレストラン……!!

 美味しすぎて驚いた。これまで高級〇〇というような店には入ったことがなかったので、ここまで美味しいとは知らなかった。ありきたりな表現だが、本当にほっぺたが落ちそうな美味しさである。

「ふふふ、美味しいねー。私も初めて来たけどここはなかなかいいと思うよ」

 色々美味しいものを食べているであろう星河早苗からその言葉が出るということはここの料理は本当に美味しいのだろう。

「美味しいですね……!!」
「そうやって美味しそうに食べてくれるのいいねー。ますます奢りたくなっちゃうわ」

 なんか先輩っぽいことを言われているが美味しすぎて手が止まらないので何も言わず黙っておく。



 コースが進んでいき、今日の最後の料理が運ばれてきた。

「お、きたきた。あれが今日のデザートだよ」

 星河早苗がウェイターを指し示す。片手に銀のお盆を持って料理を運んできたウェイターは私と星河早苗の前に一つずつ皿を置いた後、一礼してキッチンの方に戻っていった。

 運ばれてきたのはチョコレートのケーキだった。ケーキの上に色々飾りが乗せられている豪華な見た目のケーキである。

 と、そこで気づいた。上に乗っているホワイトチョコレートの板に何か書かれている。

「あ、気づいたね」

 顔は見ていないが明らかにニヤニヤしているのが分かる声で星河早苗がそう言う。

 チョコレート板にはチョコペンでこう書かれていた。

『Dearななちゃん HappyBirthday!!』

 驚いて星河早苗の顔を見る。声で感じた通りに彼女はニヤニヤと笑っていた。

 急いでスマホを取りだして待ち受け画面を呼び出す。そこには『七月七日』と表示されていた。

「香川ちゃん、自分の誕生日忘れてたでしょ?どうせそんなことだろうなと思ってちょっとお祝い仕掛けてみたのよ。お誕生日おめでとう、七夏ちゃん」
「なんで……」

 なんで彼女は私の誕生日を知っているのだ。なんで彼女は私の下の名前を知っているのだ。なんで彼女はわざわざ私の誕生日なんかを祝ってくれるのだ。分からない。なんで。なんで。

「なんでって、前に話してくれたじゃん。七夕に生まれたからってことと、あとは生きていく中で自分の叶えたい願いを叶えてほしいっていう意味を込められて七夏って名前をつけられたんだって」

 確かにその通りだ。私の名前は香川七夏である。そしてその名前の由来も合っている。ということは確かに私が彼女に話したのだろう。だろうが、全く記憶にない。私が記憶にないようなことを星河早苗は記憶していたというのか。

 いつ話したのか必死に思い出そうとする私の耳に星河早苗のため息が聞こえてきた。

「まーなんかだいぶびっくりしているようですが。七夏ちゃんが自分で話してたんだよ?自分で話したことも自分の誕生日も忘れるとかさすがにやばすぎだよ。仕事に精を出してくれるのはマネージメントしてもらってるこっちからしたらありがたいことだけど、ある程度は息抜きもしないと。自分のことを癒してあげられるのも、休ませてあげられるのも、結局自分だけなんだよ?その自分が仕事にばっかり気を取られて誕生日ですら忘れているようじゃだめだよ。私のマネージャーを引き継いでからなんか根詰めすぎてるのが目に見えてわかったから、今日こうやって無理矢理ご飯に連れてきたわけ。全く、世話が焼けるマネージャーだこと」

 そして星河早苗は両手を広げ、もう一度これ見よがしに特大のため息をついた。

 私は自分の誕生日も忘れるくらい仕事に呑まれていたのか。しかもそれを私より忙しいはずの星河早苗に気づかれるとは。

 ……ああ、そうか。

 ふと気がつく。

 彼女は自分の実生活を守るためにあえてあのような清楚キャラを演じているのか。

 元々の自分とは全く異なる人間になりきることで自分のプライベートと明確に区別できるようにして、心の余裕を保っているという訳だ。

 あのような気の緩んだような話し方も。

 普段の清楚の欠片もない言動も。

 彼女が彼女自身を守るためにあのようにして表に出していたのだと考えれば理解できるような気がした。

「まーたなんか小難しいこと考えてるね?今日は、それは禁止です」
「え?」
「今日はそういう風に考え込むの禁止って言ってるの。七夏ちゃんの誕生日なんだからもっとぱぁーっと楽しまなきゃ!」
「………」

 いいのだろうか。

「はい、返事は?」
「……かしこまりました」

 そう言うと、星河早苗は大きく両腕を交差させてバツ印を作った。

「はーいそういう敬語も禁止!友達同士の夜ご飯なんだから、もっと気楽に行こ!」
「……」

 いきなり敬語禁止と言われても……。

 どうにかそれは勘弁してほしいと思い彼女の顔を見つめる。

 しかし、彼女の強い視線は私の脆弱で気弱な意思など易々と貫いていく。どうやっても私は彼女には勝てなかった。

「…………うん。わかった」
「そそそ。それでいいの。やっと友達らしい話し方してくれたわぁ」

 本当に彼女には敵わない。そう思った。七歳も年下の若い子なのに、彼女から教わることばかりである。

 彼女の裏の顔を初めて見た時には、ただ単にかなり裏表の激しい子だと思っていた。あるいはちょっと性悪なのかと思ったりもした。しかし、どうやらそれは間違いだったようだ。

 彼女は人も自分も思いやることが出来、人間としての器がとても大きいのだろうと思う。でなければ、昨日や今日のようなことはきっと出来まい。

「さ、早くケーキ食べちゃいな。早く食べないと温くなって美味しさ半減しちゃうよ。それに、この後とっておきの場所に連れていきたいし」
「とっておきの場所?」
「ふふん、気になる?行ってからのお楽しみだよー。とりあえず食べて食べて」
「……うん!」

 私は一生、この人について行こうと思った。