◆   ◇   ◆

 宿屋の部屋で休んだ俺は、ベルナーと別れて一人商業ギルドへやってきていた。
 というのもおおよそこの世界では、店を開く時には商業ギルドで手続きをする必要がある。調整屋とかいう俺以外の誰が開くのか、というお店だとしても、だ。

 商業ギルドは宿屋から少し離れた大通りにある、煌びやかな建物だった。
 どこの国でも冒険者ギルドはそれなりに小さく質素で、商業ギルドは大きく豪華、という法則があると聞くが、帝国についてもそれは例外ではないのかもしれない。
 入口の扉を開くと、見た目と変わらない豪華な内装がお目見えする。

「あの、すみません」
「ようこそ商業ギルドへ! 本日はどのようなご用件でしょうか?」

 ひとまず入口のそばにある総合受付の人に話しかける。

「帝国でお店を開きたいと思っているのですが」
「かしこまりました。それではこちらの書類に記入の上、3番の窓口にご提出ください」
「あ、そこの君! ちょっと待ってくれ!」
「わかり――え?」

 受付の人から書類を受け取ろうと手を伸ばしたところで、後方から制止の大声が届く。
 振り向くと、眼鏡の女性がこちらに向かって猛スピードで走ってくるところだった。

「君! カインか?」
「え? ええ……そうですけど」

 眼鏡の女性が息を荒くしながらこちらに駆け寄ってくると、受付の女性が驚いた様子で声を上げた。

「もしかして、統括長のお客様でしたでしょうか!」
「……統括長?」
「まぁまぁ肩書きなんてのは、どうでもいいのさ。アンと呼んでくれ」

 少しよれたシャツに白衣を身にまとった眼鏡の女性――アンは、眼鏡をくいと直すと俺の手を握り、そして受付の女性に視線をあわせた。

「この人は一般のカウンターではなくこちらで対応するから、もう大丈夫だよ」
「は、はい!」
「ではカイン、行こうか」
「え? あ、わかりました……」

 何が起きているのかわからないけど、手を振り払うこともできはしないので、とりあえずアンについていくことにした。
 シャンデリアが何基も吊り下がり、目に眩しい受付の空間の真ん中を、アンに手をひっぱられながら進む。

「あの、手は離してもらってもいいですか」
「でもこうでもしないと、君は逃げるだろう? 前科があると聞いたよ」
「な、なぜそれを……!」

 進むスピードは止めずに、こちらを振り向いてにやりと笑うアン。
 なぜそれを知っているんだ、この人は!
 かつて王国で調整屋を開こうとした時、今日と同じように別室送りにされかけて、あまりの怖さで逃げたことがあるのだ。
 とはいってもそれももう数年前の話。さすがにもう逃げない……と思う。
 結局、アンの手を振り払うことはできず、階段を上り1階の雰囲気とはガラリと変わって高級感のある落ち着いた雰囲気の2階を進み、最奥の部屋へ案内された。

 ……逃げたいかも。

 そう思うにはもう遅く、統括長応接室、と書かれた部屋に入れられ、鍵を閉められた。

「え」
「さ、こちらに座ってくれ」
「あの、鍵……」
「紅茶も入れよう。ちょうど昨日美味しい紅茶を買ったんだ」

 わぁ、統括長自ら紅茶を入れてくれるなんて!
 ……じゃないんだわ。

 どうにもこちらの話を聞いてくれないようなので、俺はあきらめて指し示されたソファに座ることにした。
 深い茶色の内装で落ち着いた雰囲気の雰囲気と合ったソファは、動物の革でできていて一目見るだけで高級品だとわかる。
 実際に座ってみると、安い革にありがちな硬さもなく、ふかふかでいつでも座っていたいような居心地の良いソファだった。

「さ、どうぞ」

 すぐにアンが目の前の一枚板のテーブルに紅茶を置いてくれたので、とりあえずいただく。

「ん、美味しい!」
「だろう? ここから西にあるドロイテ山脈でとれた茶葉だから、冷めても美味しいんだ」

 ドロイテ山脈と言うと、標高が高いものの風や立地の関係で寒暖差が大きい場所だ。栽培するのが大変な一方、そこでとれたお茶は味が濃く、高級品として名高い。

 ……え、そんな高級品出してくれたの?

 思わずカップから口を離してしまう。
 たぶん、このいっぱいだけで俺の3日分の食事はゆうに賄えるくらいの値段だったはず……
 というか、よくよく見たらこのカップも、マークを見るにそれはそれは有名なブランドのカップだ。
 とてもじゃないが、割りでもしたら大変なことになる。

「そんなに緊張しなくていい。別に君を取って食おうだなんてしないさ」
「……でも、ここまでの待遇を受けるほどの人間ではないのですが」

 かすかに震える手を誤魔化しながら、ゆっくりとカップをソーサーに戻す。
 アンはその光景を微笑ましそうに見ていたが、やがて俺の対面にあるソファに座り足を組むと、腕を組んでから口を開いた。

「君に頼み事をしようと思っているんだ。それの対価としては十分だよ」
「頼み事?」

 どうしよう、一気に逃げたくなってきた。
 ちらりと背後を向くが、そういえば扉には鍵がかかっていた。

「意外と君は騙されやすい性格なのかもな。こういうのは十分に注意してからついてくるべきだぞ」

 くくっと愉快そうに笑うアンに視線を向けなおす。
 おちゃらけた軽い雰囲気で話してはいるが、隙を見せることなく常にこちらを狙いすましているような女性だ。
 とはいえ敵意は感じない。どちらかというと、ベルナーと同じ好奇心で動いているような雰囲気を感じる。

「ま、別にこちらは騙そうとしているわけではないから、安心してくれ」
「なら、いいんですけど」
「そうだなどこから話そうか……」

 アンは腕を組みながら、顎に手をやる。

「まあいいか、ひとまず結論から言おう」

 アンの目をじっと見つめると、眼鏡の向こうの瞳がきらりと光ったような気がして、ごくり、と息をのむ。
 そうして彼女は、先ほどとはうってかわって落ち着いた声音で言い放った。

「――君に、旧文明の遺物を調べてほしい」
「やります!」
「君が武器調整屋をしたいというのは重々承知――え?」

 一転して、きょとんと目をみはるアン。
 あれ、俺変なこと言った?
 その表情を見つめながら首を傾げると、アンはコホンと咳払いをしてから居住まいを正した。

「そんなに即答で了承してくれるとは思わなかったよ。こちらとしては願ったり叶ったりだが……本当にそれでいいのかい?」
「はい。俺にも考えてることがあるので」

 そう返すと、アンは腕を組み口端を上げ、顎をくいと動かして先を促した。
 といっても俺にもまだそんな確固たる計画があるわけではない。
 帝都で武器調整屋のお店を開こうとは思っているが、王都で開いていたときみたいに大きなお店でいろいろと置いてあって常にいる……みたいなことはしない。
 普段はベルナーとダンジョンに潜り、旧文明の遺物に触れつつ、ダンジョンの中で調整屋をやろうとしているのだ。

「つまり、移動調整屋、ということだね」
「そういうことです。まぁ、これが全然人気出なかったら、新しい方法を探しますが」
「いや、良いと思うよ。冒険者たちは基本的に、街に帰ってからじゃないと大きな武器の整備はできないからね」

 俺が自分の計画を話し終えると、アンはうんうんと頷いてお茶を一口飲んだ。

「とはいえ、怪我をするリスクは考えているかい? こういっちゃなんだが君、戦いには慣れてないんだろ?」

 脳裏をよぎるのは、ダンジョンを埋め尽くすゴーレムや、ベルナーとモモとでなんとか倒したマスターゴーレム。

「考えてないわけじゃないんですけど」

 でも、自分の中で『怪我のリスク』と『旧文明の遺物』を天秤にかけたときに、一瞬で『旧文明の遺物』に傾いてしまったのだ。

「街の中にいても、旧文明の遺物には出会えませんから」
「ふふ。君は旧文明の遺物に魅せられてしまったようだな」
「否定はしません」

 互いに少し笑い合ってから、カップに口をつけた。
 その後少し談笑して、「おかわりを入れよう」とアンが立ち上がる。

「……ん?」

 なんだか違和感を覚えてその姿をじっと見つめる。
 普通に成人女性が歩き、紅茶が載っているカートのそばに立つ絵面だが、どこか変な感じがする。
 先ほどここに来るときまでは気付かなかった。なんだろう……
 顎に手をやり考え込んでいると、戻ってきたアンは不思議そうにこちらを見下ろした。

「熱い視線を向けられていたものだと思っていたけど、違ったかい?」
「あ、すみません。変なことを思っていたわけじゃなくて……!」
「わかっているよ。きっと気にしてるのは、これのことだろ?」

 そう言い、アンがタイトなパンツの右裾を少しだけ捲ると、金属質な肢体……つまり義足があった。
 認識するなり、抱えていたもやもやがすべて繋がる。

 義足というのは別に珍しいものではないが、ここまで精緻な設計のものは高級なものであって、平民が見ることはない。
 それに精緻のものであるものほど壊れやすいので、なかなか使われないのだ。
 しかしアンの右裾に見えるそれは、使い込まれて微細な傷がたくさんついている年季が入ったもの。
 普段から手入れをしているのが窺えて、なんだか嬉しくなった。
 じっとそれを見つめていると、アンはふふ、と笑った。

「昔から使っているからちょっとガタが来てるんだ。気になってしまったらすまないね」
「いえ、こっちこそ不躾にすみません」

 とはいえ、不調気味な機械を目の前にして、もやもやしてしまうのは武器調整屋の性というところ。
 パンツの裾を戻しているのを見ながら、俺はつい漏らしてしまった。

「もしよかったら、不調の原因を見つけましょうか? 直すことはできないけど、そういうのは得意です」
「ふむ…………」

 しまった、やっぱりあまり良くなかったかな。
 でもそうだよね、今日初めて会った人に長年大事に使ってる義足を任せるだなんて、しないよね。

「では、お手並み拝見と行こうか」

 簡単に了承されてしまって、呆気にとられる。

「え? あ、良いんですか」
「こっちのお願いを聞いてもらうんだから、こっちがお願いを聞くのも普通だろう。ま、くれぐれも壊してくれるなよ?」
「も、もちろんです!」

 旧文明の遺物を調べることと、俺がアンの義足に触れるというのは全然方向性が違うような気がするんだけど、良いのだろうか。
 しかしアンが結構乗り気で義足を脚から取り外して渡してきたので、気にしないことにした。

「では、少々お借りして……」

 ずしりと両手に重みを感じる。膝上から爪先までの義足だ。
 金属質な質感ではあるが、それぞれの筋肉を再現するかのように何本も組み合わさってできた義足は柔軟に動く。
 膝関節や足首には歯車らしきものがついているのか、人間の脚とはまた違った独特な動きをしていて、面白い。
 とりあえず外側には異常がなさそうなので、目を瞑って魔力を流す。
 その瞬間、自分の背筋がびりびりと痺れる感覚に襲われ、心臓が早鐘を打ち始める。

「これ、旧文明の遺物だ!」
「ほう……よくわかったね」

 おそらく瞼の向こうでは、アンが不敵に笑んでいることだろう。
 しかし俺の頭の中は、回路で組まれた魔法陣を見つけ、さらには目の前に広がる緻密かつ合理的な回路を見た興奮でいっぱいだった。
 調整スキルを通して見てみると、義足が不調気味なのが一瞬でわかる。
 この義足の動作機巧に旧文明の遺物が使われており、おそらく回路で作られた魔法陣がすべての機巧を制御しているようだ。
 しかしこの魔法陣の一部が切れてしまっている。
 少しが切れている分には動くことは動くが、不自然な動きをする箇所があってもおかしくはないだろう。

「アンさん。これって、直しても大丈夫なやつですか?」
「…………なぜ、そんなことを?」

 先ほどのような軽い調子の返答があると思っていたら、なんだか1トーン低い声で質問が返ってきて、思わず目を開き彼女を見てしまう。
 表情こそ今までと変わらない微笑を浮かべていたが、瞳は笑っていなかった。
 俺がぴくりと体を震わせると、「すまない、圧をかけるつもりはなかったんだ」と言って彼女は一口紅茶を飲むが、やはりその瞳は真剣そのものだった。

「今までこの義足を見た武器屋や防具屋は、悪いところを直そうという気持ちが強かったから、気になってね」
「うーん……直したい気持ちはもちろんあるんですが、そもそも直すかどうかは、持ち主が決めることなので」

 その視線にふざけた返答をするのも失礼かと思い、俺は調整屋として真摯に答えた。
 命にかかわる応急処置なら話は別だが、とくに至急でもないものについては客の意向が最優先だろう。
 長い間使っている義足の調子が急に変わったら戸惑うだろうし、アンにも仕事があるからそれで支障を来たすのもよくない。
 故障を直すことも大事だが、こういった常日頃から使うものに関しては、故障の前後でのギャップをなるべく小さくする、というのも考えたほうがいい……と師匠から習ったのだ。

「なるほどね、新しいタイプの意見だ」
「はは。全部師匠からの受け売りですが」
「さぞ良い師匠だったんだろうね」

 俺は乾いた笑いを浮かべてそれに応える。
 良い師匠ではあった。とても厳しかったし、放蕩癖があるから何かを長い間教えてもらった……という記憶はないけれど、調整屋としての極意は叩き込んでくれたから。

「その義足は、直してくれて構わないよ。全盛期よりも動きが鈍くて困ってるんだ」
「わかりました。じゃあ、なるべく元の状態に近づけるように、やってみます」

 そう言って、再び目をつむり魔力を義足に通した。
 魔法陣以外の回路に変なところは見られないから、さっと魔法陣を直す。
 切れたものを繋げることはできないから、そばにある回路を伸ばして、捩って繋げる方法だけれども。

「できました。試してみてください」
「おや、早いね」

 驚いた様子のアンだったが、すぐに俺の手から義足を取ると脚に装着し、辺りを歩き始めた。

「おお! これはすごい。昔の感覚が蘇ったみたいだ」
「切れた回路を繋ぎなおしたわけじゃなくて、繋げる処置をしただけなので、激しすぎる動きは避けたほうが長持ちするかとは思います」

 一応そうは言ったが、普通に走ったりジャンプしたりする分には問題ないと思う。
 ひとしきり脚の調子を試すために、部屋の中をぐるぐると回っていたアンだったが、やがて椅子に戻ってくる。
 そしてペコリと頭を下げた。

「やはり君に頼んでよかった。嘘や偽りもなかったしね」
「それはよかったです…………ん?」

 なんだか引っかかる言い方だ。
 頭を上げる彼女を訝るように見ると、アンはいたずらめいた笑みを浮かべていた。

「私のスキルは、人が真実を話しているか、嘘を話しているかがわかるものなんだ」
「え!?」
「あぁ、安心してくれ。別にどんなことを考えているのかはわからないから。ただ、真か偽かがわかるだけのことだ」

 手をひらひらと振りながら視線をそらすアン。
 だけのこと、という割には、商業ギルドではかなり有用なスキルだ。
 商人ってのは、なかなか小賢しい人が多いからね。

「さ、別に私の大したことのないスキルの話は脇に置いておいて、お礼をしないとな」

 アンはそう言うと、テーブルの上に置いてあったベルを二回鳴らした。
 するとすぐに、「失礼します」という声とともに、書類を手に持った職員の女性がやってきた。
 女性はテーブルの上に書類を数枚、そしてカードのようなものをアンに手渡すと、すぐに部屋から出ていってしまった。

「君の話を聞いた限り、帝都に店自体は構えるつもりだろう? あと住む家も必要だと思って、こちらで用意しておいた」

 さらりと言ってのけるが、俺は言っていることの理解が追いつかずにいた。

「え……え?」
「ギルドから依頼の対価だと思ってくれていい。ただ旧文明の遺物の調査はついでで構わないよ」
「でも、それで家と店を……い、いいんですか?」
「もちろんだとも。それくらいギルドは君たちに期待してるのさ」
「はぁ……では、お言葉に甘えて……」

 商人の相談というのは裏があって怖いものだと相場は決まってるが、商業ギルドの統括長だし、大丈夫だよね……?
 そう思うことにして、とりあえず差し出された物件の書類を受け取る。

「あとはこれだが」

 アンが手に持つ『これ』を見る。
 パンツや上着のポケットに入りそうなサイズのカードだ。
 それが2枚あった。

「こちらは、帝国での商業登録証だ。なくさないで持っておいてくれよ。そしてこっちが……」

 何の気なく、アンは軽々と俺にその2枚目を手渡した。
 礼を言ってから受け取り、それに視線を落とす。
『冒険者登録証』と書かれたそのカードは、俺が持っているものより豪華なもので、よく見ると俺の名前とともに、『特任冒険者』と書かれている。
 飾り気のない元々の登録証と違い、こちらはベルナーのものとまではいかないが、色も装飾も豪華になっている。

 ……しかし疑問といえば、なぜ商業ギルドの統括長であるアンが、これを差し出してきたか、だ。

「これ、なんで……」
「そりゃあ、私は商業ギルドと冒険者ギルドのどちらもの統括長をやっているからね。いつもベルナーが世話になっているよ」

 とんでもない爆弾発言に、飛び出んばかりに目を見開いてしまう。

「あと、この元々のカードはこっちで処分しておくから、安心してほしい」
「え!? あ、いつの間に!!」

 アンの手元には、俺がベルナーから押し付けられた、普通の冒険者登録証。
 渡してないのに、いつの間にとったんだ! 手癖が悪いな!!
 どう言おうか迷っていると、アンは壁にかかった時計に視線をやり、「おっとすまない」と口を開いた。

「次の会議の時間になってしまった。とくに何もなければ、これで失礼するよ」

 そうして、パクパクと何も言葉を出力できない俺を前に、満足そうに頬を緩めてうんうんと頷くと、「では」と言って颯爽と部屋から出ていってしまった。

「…………へ?」

 何が起こったのかわからない俺は、とりあえず呆然とその場に座り尽くす。
 ただ、とりあえず、わかったことはある。

 商人にペースをとられると逃げられなくなるから、今後気を付けよう、と。