顔面を何かがペロペロと舐めている。

「ベルナー、兄ちゃん起きたみたいだぜ」
「お、そりゃよかったよかった」

 瞼を開くと、視界いっぱいに犬の顔が飛び込んできた。たぶんこいつに舐められていたのだろう。

「……モモ?」
「モモだぜ!」
「気分はどうだ? 魔力消費えぐかったみたいだからな、無理すんなよ」

 モモの横からベルナーの顔も視界に入り込んでくる。
 とりあえず誰も死んでいないことにホッとして、そして全身に広がる倦怠感を認識して、俺は再び目を閉じた。

「うーん…………気持ち悪い……」
「ガハハ、良かったな。それが生きてる証拠だ」

 ベルナーはガハハと笑い、そして俺の目の上に濡れたタオルを置いてくれた。
 そのまま休んでいると、魔力が回復してきたのか少しずつ体調が戻ってくる。良かった、魔力の回復が早いほうで。
 起き上がれそうになったので、タオルを取って上体を起こす。
 そして、辺りをぐるりと見回した。

 記憶では金属質の壁に囲まれた部屋だったが、今俺の目の前にあるのは、木々がまばらに見えて陽の光が燦燦と降り注ぐ開けた場所。
 ちょうど日陰になっているところで俺が寝ていて、そばでベルナーが何か鍋をかき回していたところだった。
 なんだか平和で、落ち着いていて、静かで。
 意識を失ったときの状況とあまりに対照的で、思わず首を傾げた。

「ここは?」
「マスターゴーレムを倒したとこから、出てすぐの森だ。ようは、山脈の向こう側ってことだな」

 ベルナーが話すには、マスターゴーレムを大砲で倒したあと、大砲が壁に収納されたかと思うと外に繋がる扉が突如として出現したらしい。
 外に出てモンスターに出会うのは避けたかったが、倒れた俺の看病などゴーレムの破片がちらばるボス部屋でできるはずもないので、ひとまず外に出てきたのだとか。

「俺が倒れちゃったばかりに、ごめん」
「気にすんな。このあたりのモンスターなら、俺は片手だけでも倒せるからな」
「それに、このダンジョンを完全制覇したから、このあたりはモンスターが出なくなったぜ!」

 再びガハハと笑ったベルナーと、俺の膝の上で丸まるモモ。
 なんだか張り詰めていた心が楽になって、俺はふう、と息を吐く。
 そんな俺の様子を見ていたベルナーが鍋をかき回す手を止め俺のそばまでやってきて腰を下ろすと、「すまねぇ!」と勢いよく頭を下げた。

「一発目の冒険だってのに、とんでもねえ戦いに巻き込んじまった」

 戦闘ジャンキーという噂を聞いていたから、「楽しかったな!」とか言うのかと思っていたから、思わず面食らってしまう。
 しかしその声音には冗談めいたものなど一切ない。

「頭を上げてよ、ベルナー」

 俺の言葉と共にベルナーは顔を上げる。
 その表情がまるで怒られて気落ちしている子犬のようで、思わず噴き出してしまった。

「……なんだよ」
「くくっ……ごめんごめん。まさか悪徳宰相みたいな顔して俺を強引にバーティに誘った男が、そんな顔をするとは思わなくて……ふっ」

 頭に犬耳が生えて、ぺたんと元気なく垂れている幻覚が見えるようで、俺は最後まで笑いをこらえきれなかった。

「悪かったとは、思ってんだ。俺だって」
「まぁでも、楽しかったから、いいよ。許してあげる」

 少なくとも、辛かったり怖かったり、と悪いことだけではなかったのだ。
 王都にいてはわからなかったことをたくさん知れたし、武器調整屋を始めてからすっかり忘れていた、調整スキルの楽しさも思い出した。
 それに、旧文明の技術とかいう、すごく楽しいものも知れた。
 あの高揚感は、まだ体の中でくすぶっている。

「だからそんなしゅんとしてないで」
「……お前が良いってんなら、良いけどよ……」
「あ、でも帝国に行くまではもうダンジョン寄るのはやめてね」

 一瞬元気そうになったベルナーだったが、すぐに再びしゅんとなった。
 この野郎まさか、ここからダンジョンに寄り道しようとしてたわけじゃないだろうな。
 俺もそれなりに魔力を使いはしたが、ベルナーも大量のゴーレムを倒してたし、マスターゴーレムと結構な死闘を繰り広げてたと思うんだけど……
 もしかしてギルドの副統括長にもなると、体力は一瞬で回復するスキルも持ってたりするのか?

「そういえば兄ちゃんたち、帝国に向かってるんだったか」

 モモがそう言いながらのそりと顔をあげる。

「そうだよ。……って、そっか……となるとモモはここでお別れなのか」

 ダンジョンから発生したものは、基本的にダンジョンの敷地から外に出ることはできない。無理にダンジョンの外に出ようとしても、謎の見えない障壁に阻まれて、外に出られないのだとか。
 モモは物心ついたときにはこのダンジョンにいた、と言っていた。
 誰かが捨てていった、というのも考えられるなくはないが、喋る犬ということを考慮すると、まぁ十中八九、遺跡から湧いた何某かだろう。

「まぁ、ゴーレムが新しく湧かなくなったことを考えると、ここに住んでても別に悪かないと思うけどな」
「え、でも仲間のよしみじゃん。一緒に冒険したの、一日もないけど」

 く~ん、と悲しそうに、でも極低温で鳴くモモの頭を撫でる。
 一緒に過ごした時間は少なかったけど、人生を変えるような出来事を経験したときに一緒にいたのだ。
 このままさよならだと、ちょっと寂しい。

「…………ん?」

 なんだか違和感を覚えて、撫でる動きを止めた。
 モモが不思議そうにこちらを見上げているが、それをよそにこの違和感の正体を探るべく考えを巡らせる。
 いや、ふわっふわの毛並みに、動物のような温かい体なのだが、なんだろう。
 普通の生物を触っているには触っているが、なんかそうではない何かがあるような……?

「ねえ、モモ」
「なんだぜ?」
「……調整スキル使ってみてもいい?」

 旧文明の機巧を触ったからこそわかる、この違和感。
 なんだかモモの体が、先ほどの旧文明と同じような感触がしたのだった。

「兄ちゃん、もしかして何か治癒術みたいなスキルが使えるのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」

 つぶらな瞳でこちらを見るモモ。
 しかしその声音は少しだけ期待と、悲しさに満ちているように聞こえた。
 モモはとてとてとダンジョンとは反対側のほうへ歩くと、俺たちから少し離れたところで歩を止める。
 そして宙に前足を当てた。

「おれはこの遺跡で生まれた犬だから、ここから先出られないんだぜ」

 そう言い、てしてしと宙をひっかき始める。
 きっとそこに、三人の中ではモモにしか感じられない障壁の存在があるのだろう。
 俺は立ち上がりモモのそばに歩み寄ると、おもむろにその柔らかな毛の体をなでた。

「慰めてくれてんのか、兄ちゃん?」
「まぁそれもあるんだけど……」

 しんみりとしたモモをよそに、俺はモモの体に触れて、今度は確信すら得始めていた。
 やはり、モモの体はあの旧文明と同じ感覚がする。
 ゴーレムといった遺跡が生み出した生物であれば調整スキルでどうすることもできないが、遺跡が生み出した遺物であれば話は変わる。

「もしかしたらさ……モモ、ここから出られるようになるかも」
「なんだって!?」

 モモはそれを聞くなり、つぶらな瞳をカッと見開く。
 ベルナーも少し遠くで驚いた様子だ。

「必ずとまでは言い切れないから、俺の勘違いの可能性も否めはしないんだけど」
「いいな、ぜひやってみてくれなんだぜ!」

 先ほどまでの哀愁の雰囲気が一転、尻尾は激しく振られ耳が垂れている。
 ここまで嬉しがるとは思っていなかった。
 それはそれでこちらの緊張感が増すな……

「じゃあ、ちょっとやってみる。なんか体に異常とか出たらすぐに教えてね」
「おうだぜ!」

 俺はその場にあぐらをかいて、組んだ脚の間にモモを置く。
 そして今度は両手でモモの体にしっかりと触れて、目を瞑り魔力を流し込んだ。

「……やっぱり」

 モモの体全体に回路が現れる。
 頭のてっぺんから尻尾の先まで、ボス部屋の壁とは比較にならないほど細部まで作り込まれている。
 つまり、モモは生物ではなく、遺物になる。
 だとすると、俺の調整スキルでどうにかできそうなはず。

 少しの間、体をくまなく探して、体内でかすかに魔力を吸収し続ける機巧を発見した。
 おそらくこれが、モモが活動するために周囲から燃料として魔力を吸収するための、人間で言うところの心臓に当たるのだろう。
 それを分析していくと、モモがここから出られない理由がわかったのだった。

「お、終わったのかだぜ?」
「うーん……」

 俺が目を開けて手を離すなり、モモはわくわくした様子でこちらを見る。
 しかし俺が浮かない顔を浮かべた瞬間、一気に尻尾が垂れ下がった。

「やっぱり、ダメだったか……?」
「このままだと、ちょっと難しいみたい」
「そうか……」
「ただ、いま調べた感じ、1つだけ突破口があるかもしれない」

 再び尻尾が立ち上がり、ふりふりととてつもないスピードで振られる。

「いまのところは、モモの心臓にあたる機巧が何かしらの魔力を発生させて、この障壁を生み出していると思うんだよね」
「……なるほどだぜ?」
「……たぶんわかってないよね」

 なるほど、と言いながら首を傾げるのは、わかってない証拠なんだよ、モモ。

「まあとにかく、調整しちゃマズいところの機巧のせいで、この障壁が発生しちゃうわけ」
「そうか……」
「そう。この障壁が現れるのは俺のスキルではどうしようもできないんだけど、たぶん壊せそうなんだよね……ベルナー! こっち来て!」

 再び疑問に支配された瞳を前に、俺は、いつの間にか戻って鍋をかき回していたベルナーを呼ぶ。
 こちらの話はしっかりと聞こえたようで、拳にナックルダスターを嵌めながらやってきた。

「俺の出番ってことか?」
「そうなんだけど、そのナックルダスターはいらない」

 そう言うと、ベルナーはモモと同様に首を傾げた。
 なんで犬と同じ挙動をするのか、このギルド副統括長は……

「モモを抱っこして、体が動かないように押さえてくれる?」
「別に良いが……何をするんだ?」
「見てればわかるよ。モモは障壁のギリギリ近くのところで、外を向き続けて」
「わかったぜ!」

 二人は疑問がさめやらない様子だったが、ひとまず俺の言った通りにしてくれる。
 そして俺は、配置についた二人の横に移動すると、またモモの体に両手で触れて魔力を入れた。
 先ほどモモの体を見たときに、喉奥あたりに謎の機巧を見つけていた。
 旧文明の遺物らしく回路で魔法陣が描かれていて、細部はわからないけど、機巧の形を見るにおそらく何かしらを射出するものだと思う。
 ただどことも回路が繋がっておらず、あるだけで機能しない無駄な構造と化していたのだ。
 でも俺たち人間や普通の犬にはないものだから、きっとこれが仕事をしてくれるはず。

「それじゃあ、行くよ」

 調整スキルでほかのところから回路をじわじわと伸ばしていく。
 距離自体は短いからすぐにその謎の機巧に回路が届き、ゆっくりと魔力が充填される――

「おわっ!」
「なんだぁ!?」

 と思いきや、俺たちの体の魔力が一気に吸収され始めた。
 なんとか両手を離さずに、俺は目を開けてモモの様子を見る。
 モモは障壁のある方向をぼうっと見つめ、俺たちの変わりようには気づいていない様子だ。
 そんなことをしている間にも、どんどん魔力は吸収され、まるで根こそぎ奪われそうだ。
 ベルナーも同じ状況のようで、額に汗をかき、目の焦点が少しぶれ始めている。

 ――まずいかもしれない。

 とはいえ調整中に体から手を離すのは、あまり良くない。
 どうするか……と悩む。
 すると、突如としてモモの目と口が光りはじめた。

「え」
「え」

 二人の素っ頓狂な声が辺りに響く。想像だにしていなかった変化に、顔を見合わせる余裕もない。
 直後、モモの口から凄まじい勢いで、明るい光線が射出された。

 凄まじい光と凄まじい音が辺りをつんざくが、光線は目の前の障壁に当たり、辺りに散乱している。

「うわっ! モモ、大丈夫?」
「…………」

 俺の問いにモモは反応することなく、障壁に向かって光線を吐き出し続けている。
 ただ体の回路に異変があったり、体に支障が出ていたり……なんてことはなさそうなので、それは一安心というところか。
 とはいえ、このまま魔力を吸収されつづけるのは、こちらに良くない。
 俺は魔力の量が多いほうだからいいけど、おそらくベルナーは並くらいだからね。

「ベルナー、無理そうだったら手、離してね」
「おう…………」

 汗をかきつづけるベルナーも、障壁をじっと見つめてぼうっとしつつ頷く。
 そして彼は怪訝な表情になった。

「おい、カイン。障壁、削れてね?」
「え、本当?」

 俺はベルナーの言葉と共に、彼の視線の先を見る。
 光線が眩しくてあまり直視できないが、薄目で見る限りは大したことが起きているようには見えないが。

「そうかな……?」
「ああ。だってヒビが――」

 ベルナーがモモから片手を離し、障壁が続いているであろう場所を指さす。
 その直後、バキバキッ!という音がなったかと思うと、光線が当たっているところに大きな亀裂が入った。
 亀裂はどんどんと大きくなっていき、そして二又・三又と分かれて広がり、ついにはダンジョンを覆うような大きさにまでなったのだった。

「これ、あとはどうするんだろ」
「あー……」

 亀裂が入ったのは良いが、光線はすでに威力を落とし先ほどまでの明るさも音もない。
 試しにモモの頭の方向をずらして亀裂を広げられそうかやってみるも、とくに亀裂がより広がったり、そこが割れたりすることもなかった。
 そしてついには光線は消えてしまった。
 モモはすやすやと息を立てて寝ている。光線を出して疲れちゃったんだろうね。

「もう、拳しかねえだろ」

 あまり顔色が良くはないが、ベルナーが拳にナックルダスターを嵌めて笑みを浮かべる。
 俺はそれに、かぶりを振って返した。

「いや、俺たちにはこれ触れないんだって」
「そうかぁ? ここまで見れたらできそうじゃねえか」

 そう言ってベルナーは腕をぐるぐると回すと、モモから手を離し障壁の傍まで向かう。
 溜めを作ってから綺麗な動作で右ストレートを打ち込むが、予想通りその拳は障壁に当たることなく素通りしてしまった。

「くっそ、なんで見えるのにすり抜けるんだぁ?」
「たぶん、遺跡の物質だけに反応する何かがあるのかもね」

 悔しそうにするベルナーを見て、俺は眉尻を下げる。
 そして数秒して自分の言ったことに気がついて、「あ」とこぼした。

「これ、ゴーレムのかけらとかを当てれば、割れるんじゃない?」
「やってみる価値はあるな。おし、でけえの持ってくるわ」

 ベルナーがボス部屋へと戻っていく。
 なんか、爛々とした目つきでめちゃくちゃ楽しそうだったけど、それは気のせいということにしておこう。

「なんか、よさそうな武器あったかな……」

 彼がゴーレムの欠片を取りに行っている間に、俺はアイテムバッグをまさぐり投擲によさそうな武器を探す。
 とはいえ、投擲の武器ってあまり調整することなかったから、持ってきてないんだよね。
 魔法砲とかと違って回路がごく単純なやつが多かったし、あったとしても耐久力をあげる程度の依頼しかなかったし。

「うーん……ないなぁ」

 やはり店にあった武器を厳選してつっこんだアイテムバッグには、投擲用の武器は見つからなかった。

「持ってきたぜ」
「ありがとう、ベルナー……って、でかいな!」

 ベルナーが持ってきたのは、俺の腰くらいの高さがある、黒々とした球体の石。これたぶんマスターゴーレムの頭だ。
 それを肩に乗せて、足がもたつくことなく危なげなく運んできていた。
 ふう、とため息をついて地面に欠片を置くベルナー。
 ドスン、と地面が揺れた。

「……もしかしてなんだけど、スキル二つ持ってたりする?」
「二つ? いや、一個しか持ってねえけど」
「じゃあ、それは自前の腕力なんだ……」

 昔、王都の祭りで同じくらいの大きさの岩を動かせたら賞金、みたいな催しがあったような気がする。
 たしか誰も持ててなくてクレームが殺到していたと記憶しているけど、もしかしたらベルナーみたいな怪力を対象としてたのかもしれない。
 いや、もしかしたら見た目だけ重そうで、実はめちゃくちゃ軽いのかも。
 そう思ってマスターゴーレムの頭に触れたけど、ビクともしなかった。

 …………やっぱり、もうちょっと鍛えるかな……

「で、なんか良い武器あったか?」
「それが……これしかなくて」

 俺は首を横に振りながら、アイテムバッグから一つの武器を取り出した。
 投擲とはまったく関係の薄い、バットである。
 たしか以前、剣士の人が調整屋にやってきたときに置いていったものだった。曰く、森の中で武器が壊れたときに、近くに生えている木で作った……だとか。
 木で作ったというバットのわりには回路が複雑だったから残しておいたんだよね。

「ちょうどいいじゃねえか。これ、めちゃくちゃ耐久力あげるのってできるか?」

 苦々しい表情を予想していたから、笑顔が返ってきて面食らう。
 しかし彼も冗談ではなさそうだったので、言われた通り、外装を極限まで厚くして耐久力をあげておいた。

「おし、ちょうどいいな。モモと一緒にちょっと離れてな」
「え……、うん」

 一体こいつは何をするのだろうか。
 そんな考えの俺をよそに、俺がモモを抱えて距離を取ったのを確認すると、ベルナーは一旦バットを地面に置き、マスターゴーレムの頭を両手で抱きかかえる。

「うぉりゃぁっ!」

 それを、上空に投げた。
 あんな大きな石、投げられるんだ……
 俺がそんな感想を胸の内に浮かべている間に、ベルナーは地面からバットを拾って大きく振りかぶる。

「どっせぇぇぇええええいっ!」

 自由落下してきたマスターゴーレムの頭を、そのままバットで打ち抜いた。
 とてつもない衝撃なのだろう、ベルナーの足元がへこみ、彼の脚が震える。さらには辺りの地面に亀裂が入り陥没するが、それでもベルナーは体勢を崩すことなく、バットに力を込め続ける。

「どおりゃあああっ!」

 咆哮とともに、バットを振り抜いた。
 ブオンという勢いとともにバットは振られ、それに負けないくらいの勢いでマスターゴーレムの頭が空の彼方へと飛んでいく。
 その途中、障壁にぶつかったものの勢いなんて減ることなく、障壁をぶち割り遥か彼方へ飛んで行った。
 マスターゴーレムの頭がぶち抜いたとこから、障壁の亀裂がどんどんと大きくなる。やがて障壁全体にそれが波及すると、パリン、と小さな音を立てて障壁が瓦解した。

「わぁ……」

 それがまるでキラキラとゆっくりと降り注ぐ光の雨のようで、思わず目をみはる。

「んー……どうしたんだぜ?」
「あ、モモ。見て見て」
「うーん?」

 同じタイミングでモモが目を覚ましたので、俺はモモを抱きかかえたまま上を向かせた。

「おー、綺麗な光景だぜ……して、これはなんだぜ?」
「障壁を割ったんだよ。あのキラキラしたやつは全部、障壁だった欠片」
「へー…………え?」

 ぐるりとモモの顔が勢いよくこちらに向く。

「障壁、なくなったんだぜ?」
「うん、そうだよ。ほら!」

 俺はモモを抱えたまま、先ほどまで障壁が邪魔していた場所を通る。
 障壁があったころはモモだけが通れなかったが、障壁が消えた今はモモだって簡単に通り抜けられる。

「おぉ……」

 感嘆の声がモモの口から漏れる。
 遠くでベルナーがサムズアップしてこちらを見ていたので、俺もサムズアップして返しておいた。

「これでモモも、自由だね」
「う、嬉しいぜ! 嬉しいぜ!!!!」

 耳がピンと上を向き、尻尾がぶんぶんと凄まじい勢いで振られる。
 モモを腕から下ろすと、飛び回り、走り回り、何度も何度も障壁があった場所を行ったり来たりする。

「本当だぜ! もうここ、通れるんだぜ!! あの花も見に行けるし、この良い匂いも追えるんだぜ!」
「なんだか、ああしてるの見ると、嬉しくなるなぁ」

 いつの間にか隣に来ていたベルナーが、そんなモモを見ながら感慨に耽る。
 俺はこくりと頷いて応えて、その様子をじっと見つめていた。


「さて、と。そろそろ行かねえと日が暮れるな」
「おう、本当にありがとうなんだぜ!」

 モモが初めての“外”を踏みしめて楽しんでいるうちに、いつの間にか空が茜色になってきていた。
 たしか地図で見た限りではこの近くに村があったから、今日中にそこまで行って宿をとりたい。野宿はなるべくやりたくないからね。

「これで本当にさよならだね」
「じゃ、楽しくセカンドワンコライフを楽しめよ!」

 俺たちは荷物を背負い、旅支度を整える。といっても、ほとんどはベルナーのアイテムバッグに入れてるから、俺は武器を片付けたくらいんなんだけど。

「そうか……ここでお別れなのかだぜ……」
「ま、冒険してりゃいつかまた会えるじゃねえか?」

 耳をぺしょりと垂らして、尻尾も地面につきそうなモモに対して、ベルナーは沈んだ様子などなくけろっとしている。
 冒険者として歴が長いベルナーにとっては、こういう出会いと別れはよくあることなんだろう。

「うーん……」
「カイン、どうした?」

 俺は顎に手をやりながら、モモをちらりと見やる。
 黒々とした瞳でこちらを縋るように見つめてくるモモと目が合った。

「モモさ……一緒に行く?」

 途端に耳がピンと跳ね上がり、尻尾がぶんぶんと振られる。

「い、いいんだぜ!?」
「おいおい、お前別に冒険者になくて、帝国で店を開くつもりなんだろ? 一緒にいちゃ可哀想じゃねえか」
「でも、帝国までは一緒に行けるじゃん。その先はわからないけど、せっかくここで仲良くなったんだし、外を見たいモモと帝国に行きたい俺、利害は一致してると思うけど」

 眉間に皺を寄せるベルナーを見ながら、俺は肩を竦める。

「だがなぁ……」
「行く! 行くんだぜ!」
「モモもこう言ってるし」
「まぁ、モモが言ってんなら、いいか」

 けろりと表情を変え、笑みを浮かべるベルナーに、「ありがと」と返す。
 俺はモモを抱きかかえて、その小さな頭を軽く撫でた。

「じゃ、これからよろしくね、モモ」
「おうなんだぜ!」

 別にベルナーと二人旅もいいけど、人が増えたほうが話に花が咲くし、違う視点はたくさんあったほうがいい。
 ……それにほら、旧文明の遺物といつ会えるかわからないから、今のうちに触れておきたいし……

「なんか、失礼なこと考えてるんだぜ?」
「い、いや……そんなことはないよ?」

 図星をつかれて、とっさに首を横に振る。
 胡乱げな目つきから逃れつつも、俺はモモを抱きかかえたまま、ゆっくりとダンジョンを後にした。
 いや、たしかに普段生活している上では絶対に触るどころか見ることすら叶わない旧文明の遺物に触れていたいという下心はある。
 だけど割合的には、モモも一緒の三人旅が良いというほうが多いから!

「やっぱり、失礼なこと考えてるんだぜ?」
「モモ、人間ってのは往々にして、腹黒い生き物なんだ」
「二人とも、やめてよ!」

 ははは、と静かな森に笑い声が響く。
 そうして俺たちは、波乱だったダンジョンを無事に乗り越え、帝国へ一歩近づいたのであった。

 ……ついで、俺の考えにも少し変化があったのだった。