「さて、ダンジョンだあぁっ!」
「……はぁ……」
結局、いろいろと考え込んだ末にダンジョン経由で迂回することになった俺たちは、王都から北西に位置するダンジョンへやってきていた。
この国のダンジョンは様々な形態があり、遺跡のような石造りのものもあれば、南国の木々が生い茂ったジャングルなどもあるし、外から見ればただの洋館といったようなものもある。
そもそもダンジョンの定義というものが『旧文明の遺跡によって、絶え間なくモンスターが湧いているエリア』なので、姿形は問わないのである。
「まぁここはもう人の手が入ってるし、そんなに大きなとこじゃねぇから、気にすんな!」
「とはいってもさぁ……」
目の前に広がる石造りの遺跡群を前に、俺はガックシと頭を垂れた。
王都を出てから数日。
武器調整屋という珍しい職業ではあれど、基本的には商人というか職人として生きてきた俺が、なぜダンジョンに来ることになってしまったのか。
戦いには慣れていないし、武器を振るうことも慣れていない。
モンスターを見たらびっくりしちゃうし、本当にちゃんと戦えるのか不安でしかないのだ。
俺は何度目かのため息をつく。
するとベルナーはバシバシと俺の背中を叩いて、ガハハハッと笑った。
「大丈夫だ、モンスターは俺がなんとかしとくから、武器を調整してくれたらあとは陰で隠れてりゃいいさ」
「……そうさせてもらうよ……」
あまりに気が進まなすぎるが、でもここまで来てしまった以上、もう腹をくくるしかない。
幸いなことに魔力だけはあるほうだから、いざとなったら防御系の魔法具を取り出して隠れてよう。
「あとは、いつか空を飛ぶ魔法具を開発して、ダンジョンの上を通れるようにしよう……」
「なんか言ったか?」
意気込むために深呼吸をしながらブツブツ呟いていると、ベルナーの声が届く。
「なんでもない――って! ちょっと置いてかないで!」
顔を上げるとすでに彼はダンジョンの先のほうに歩いていっている。
俺は慌てて彼のもとに走っていった。
ベルナーの言う通り、すでに人の手が入っているダンジョンということもあって、道中は思いの外サクサクと進むことができていた。
「は~! 疲れた~!」
ダンジョンに入ってからはや数時間。
モンスターが入ってこられない魔法具が設置された安全エリアにようやくたどり着いた俺は、バッグを下ろしその場に座り込んだ。
安全エリアは人が数人入れる程度の大きさのエリアで、今は誰もいない。
ゆっくり休めそうでよかった、と俺は息をついた。
ちなみにここまでに現れた敵はすべて、ベルナーがさくさくとナックルダスターで倒していた。
調整スキルでナックルの強度を頑丈にしつつ、ナックルダスター全体に魔力が行きわたりやすいようにしたから、魔法を帯びさせて戦うのもそれなりに楽だったと思う。
この遺跡のモンスターは、石でできたゴーレムという種類のモンスターが主。
動きこそ遅いが体が大きくて重いため、一撃くらっただけでも大怪我に繋がるらしい。
さらには剣の刃だと攻撃するどころかとっとと刃こぼれしてダメになってしまう。
だからベルナーにはナックルダスターを渡したうえで、魔法を帯びさせてゴーレムの外壁を壊しやすくしたというわけだ。
「こんなところで疲れてちゃ、まだまだ先は長いぜ?」
「仕方ないだろ、もともとインドア派だったんだから」
「ははっ、じゃあ運動不足解消だな」
くるくるとナックルダスターを手で回しながら、 ベルナーは笑った。
普通の武器商人であれば金属を武器にするために槌を振るうし、そもそも剣やハンマーといった金属を自分で採取する人もいる。
対照的に、武器調整屋だった俺は、材料は必要ないし槌を振るう必要もないから、普段から体を動かすわけではない。
この数日、ダンジョンまでやってきて、ダンジョン内を歩いた歩数だけで、これまでの歩数と同じくらい歩いているんじゃないだろうか。
やっぱり運動って大事だな、って実感する。
「お手柔らかに頼みたいよ……」
俺が手をひらひらとさせると、ベルナーは「けけっ」と笑い、そしてふいにあたりをぐるりと見回しはじめた。
彼の手にはまだナックルダスターがはめられている。
「ちょっくら小物退治に行ってくるわ、ここから出るんじゃねえぞ」
「はーい」
返事をするなり、ベルナーはとっとと安全エリアから出て行ってしまった。
耳を澄ますとゴーレムが移動するドシンという重い音が近くから聞こえるから、そのゴーレムと戦いに行ったのかな。
拳で戦うのは初めて、って言ってたから、慣れさせるという目的もあるのだと思う。
「ふ~……」
まだまだダンジョンを通り抜けるまでには数日必要だし、なんならまだダンジョンに入って一日も経ってないが、体の疲れがそれなりに溜まっている。
この調子でダンジョンを通り抜けて、帝国にいけるだろうか……なんて思いになってしまう。
体を休ませるために、その場に横たわる。
安全エリアの魔法具さえ壊さなければここにモンスターが来ることはないから、気楽に過ごすことができる……とベルナーが言っていた。
――とはいえ、いつかはここから出てダンジョンを歩かないといけないんだけど。
「よう、兄ちゃん。悪いがちょっと端に寄ってもらってもいいか?」
「あっと、すみません!」
ふいに凄まじくダンディな声が響く。
他にもこの迂回路を使う人がいたのか。ベルナーだけだと思ってたんだけど、そうでもないらしい。
俺はすぐに体を起こすと安全エリアの端に寄って声の主を見る。
だが視界には人の姿が見当たらない。
「ん? あれ?」
「どうした兄ちゃん」
もう一度声の方向を見るが、人は見当たらない。
そうして視線を下ろしていくと、訝しげな表情の生物を見つけた。
「そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して、何か我輩の顔に変なものでもついているか?」
凄まじく低音で、落ち着くような声音。
そんな声を発するのは――
「……ポメラニアン?」
「おう! ポメラニアンだ!」
白くて可愛い、ふわふわな毛並みの、子犬だった。
俺は目の前に突如として現れた、しゃべる子犬を見下ろして呆然とする。
目の前のポメラニアンの見た目はとても可愛らしく、ふわふわで真っ白な毛並みに顔でも突っ込めば、今抱えている不安や心配ごとはすべて掻き消えるだろう。
しかし、その低い声は癒されこそすれどおそらく方向性が全然違うので、見た目と声のギャップに戸惑ってしまう。
「脇に寄ってくれて、助かるぜ!」
そう言い、子犬はトテトテと安全エリアの中に入り、すんとお座りした。
「兄ちゃんは、王都から旅か?」
「え? あ、はい。帝国に」
……ポメラニアンって、どういうスタンスで接すればいいのだろうか。
見た目だと完全に愛玩動物だから気楽に接したいだけど、声がそれを邪魔するんだよな。
「帝国!? だいぶ遠回りだな!」
「まぁ、いろいろとありまして」
ゴーレムと戦う音を遠くに聞きながら、俺はポメラニアンに事の経緯をゆっくりと話す。
はたから見ると絵面がすごくシュールそうに見えるが、それはいったん無視しておこう。
「はー! いろいろと不幸が立て続いちまったんだな、兄ちゃん」
「ま、まぁそうですね……」
「んじゃ、このゴーレムと戦ってるやつが一緒に来たって奴か?」
ポメラニアンがピンと耳を立てる。
俺も耳を澄ますと、先ほどから聞こえていたゴーレムが何かしらにぶつかるような音は激しさを増していた。
しかも邪悪そうな叫びのような笑い声まで聞こえてくる。
ベルナー、戦闘ジャンキーとは聞いてたけど、なんか性格まで変わってない?
俺が眉尻を下げて頷くと、ポメラニアンは「大変そうだな」とふんと笑った。
それからはゴーレムの戦闘音を背景に、ポメラニアンと30分ほど話していた。
ポメラニアンの名前はモモ。
物心ついたときにはすでにこのダンジョンに放置されていたようで、このダンジョンの外の様子を知らないらしい。
親もとくにおらず、ダンジョンの中にたまに生えるキノコを食べながら生き延びているのだとか。
ちなみになんで人間の言葉をしゃべっているのかは、わからないそうな。
本人曰く「乙女の秘密」なのだとか。
どこをどう見てもどう聞いても乙女ではないが、とりあえずそれは無視しておいた。
俺も自分の境遇なんかをしゃべっているうちに意気投合してしまって、たった30分なのにかなり打ち解けていた。
そしてたった30分の間に、遠くから聞こえるゴーレムの戦闘音はより激しく、悪魔のような笑い声もさらに邪悪なものになっていた。
「兄ちゃんの連れ、なんだかすげえな」
もはや戦闘音だけでなく、安全エリアのあたりの床が揺れさえしはじめた。
え? もしかして俺が知らないだけで、戦闘するとこんなに揺れるもんなの?
この間のイノシシ型モンスターのときはたくさんモンスターがいたから、地揺れみたいなのは感じてたけど、ここそんなにモンスターいなくない?
首を傾げながらそう呟くと、ポメラニアン――モモは、はたと何かに気が付いたように視線をこちらに向けた。
「待った。もしかしてこの30分くらい、ゴーレムと戦闘し続けてるのか?」
「たぶん。小物退治してくるって言ってたから」
「まずいな……」
「え?」
モモはとてとてとこちらに歩み寄ると、あぐらをかく俺の膝にポンと手を置いた。
「ここのダンジョンはさほど強いモンスターはいないんだが、倒しまくるとどんどんゴーレムが増えるんだ……そしてもっと倒しまくると、ドデカくて強~いゴーレムが現れんだよ」
「ま、マジ……?」
「マジマジ。そしてそのドデカイゴーレムはな、安全エリアを無視できるんだ」
背中に冷や汗が流れる。
そんな怖いモンスターとかち合ってしまったら、ベルナーは狂喜乱舞するかもしれないけど、俺は普通に死んでしまう。
モモは……わからないけど、でも真正面から戦うにはちょっと無理があるサイズ感だと思う。
「じゃ、じゃあ、ベルナーを止めないと」
「おう」
「……あ、ちょっと待って」
良いことを思いついた。
俺は立ち上がりきょろきょろと辺りを見回す。するとモモが訝しげな様子でこちらを見上げた。
「何してんだ?」
「他にも安全エリアってあるのかなって思って」
「すぐそばに1つあるが……それがどした?」
「なら大丈夫かな」
そして安全エリアを生成している魔法具に手で触れた。
この魔法具、床にはめ込まれていて動かせないように見えるのだが、他の床や壁と見てみても明らかに後付けのもの。
調整スキルでどうにかこうにかしたら、もしかしたら外れて安全エリアを持ち歩けるのでは? と思ったわけだ。
脳裏に魔法具の回路が描出される。
普通機械や魔法具ではないのものには回路はないのだが、思った通り、魔法具から回路が床に延びていて外れないようになっている。
おそらく今俺がやっているような盗難防止だろう。
だが調整スキルにかかればそんなものは造作もないわけで。
「できた!」
床に延びた回路をプチンと切ってやるだけで、手のひら大の持ち歩き可能な魔法具に早変わりした。
近くに安全エリアがあるらしいから、後ろから来た人はそっちにいってほしい……ついでにそう念じておいた。
この魔法具は、どうやら辺りの大気から魔力を吸収する構図になっているらしく、俺が触れるだけで魔力を持ってかれることはない。
つまり魔力の濃いダンジョンから出ればお役御免ということだ。
「お前さん、便利なスキル持ってんな~」
「まぁ、こうやって改造することくらいしかできないけどね」
ちょちょっと改造して、安全エリアの範囲を少し拡張してみる。
そうすると、さっきまでは人二人分くらいのサイズだったのが、二回りほど大きくなって、モンスターが出てきても安心できるくらいのサイズになった。
魔力効率を良くしても改造したせいで俺から魔力を吸収するようになったが、別にそんなに大した量ではないからまぁいいか。
「じゃあ、行こうか」
「おう!」
そうして俺とモモは、ベルナーを探しにダンジョンをさまようことになったのだった。
「うわぁ…………」
ダンジョンをさまよい始めて、はや10分ほど。
先ほどまでいたところはゴーレムがいても1,2体で、安全エリアには近づかないからほとんど見なかったが、遺跡を奥へ進むにつれどんどんと多くなっていた。
今では、街の大きめの商店の広さの空間に20体は余裕で歩いている。
「兄ちゃんの連れ、どんだけ倒してんだ?」
「ははは……」
モモの指摘には、乾いた笑いしか出てこなかった。
そもそもとして、このダンジョンのどこかにある旧文明の遺跡のせいで、ダンジョンの中は自動的にモンスターが湧くようになっている。
ダンジョンの外には出られないが、ダンジョンの中には無尽蔵に現れる。
このダンジョンの特性なのかはわからないが、モモ曰く、倒しまくるとゴーレムが増える……ということだから、それはそれは倒したのだろう。
ベルナーみたいな戦闘狂はめちゃくちゃ嬉しいはず。
……俺はもう帰りたいけど。
「だが兄ちゃんのおかげで動きやすくて助かるな。ゴーレムも近寄ってこないし、ダンジョンのトラップも反応しないし」
「いやぁ、まさかこの魔法具にそんな機能があるなんてね」
俺は手元の魔法具に視線を落とす。
かすかに発光しているそれは、俺の調整スキルでちょっと効力を底上げしたこともあり、ダンジョン内のすべてから守ってくれている。
あとはモモがいっていたドデカイゴーレムとやらが出現しなければ、これで軽々と突破できる。
「お~い兄ちゃん、早く抜けたいのはわかるが、もうちょいスピードを落としてくれ~」
「あ、ごめんね」
そんなやり取りもあって、俺は左手に魔法具、右手にモモを抱き上げてダンジョンの奥へ奥へと進んでいった。
少しずつ悪魔のような笑い声が大きくなり、ついで床の振動がどんどんと大きくなりはじめる。
振動とともにダンジョンの壁からほこりやら土煙やらが漂うから、相当この振動大きいな。
ダンジョン内に限るが、倒されたモンスターはダンジョンに吸収されてしまうから、死体まみれで歩きづらい、ということがないのは幸いか。
そこから扉を数回くぐり、ゴーレムがひしめく空間を幾度すり抜けたか。
「……お、そろそろ兄ちゃんの連れが近いな」
すんすんと匂いを嗅ぐように鼻を動かしたモモが、そう言った。
「やっぱり匂いでわかるもんなの?」
「いや。匂いっていうよりかは、辺りの空気の魔力量だな。モンスターがダンジョンに吸収されるときにある程度魔力がその場に残るから、モンスターを倒した直後ってのは魔力が多いんだ」
「へーそうなんだ。それって人体に害とかは?」
「まぁ、ないわけじゃあないが、それよりも重大な問題が出るから、そこまで気にされてないな」
なんだか不穏な言葉で、俺は思わず口端をひくつかせる。
そんなまさか冗談だよね、と言おうとしたそのとき。
一際大きな足音とともに今いる場所が大きく揺れた。
ただ問題だったのは、その足音が『後ろから』聞こえてきたことだ。
「え?」
「あぁ……」
俺の間抜けた声と、モモの諦観するような声が一緒に響く。
そしてそのまま、まるで錆びついた歯車のようにギギギと後ろを振り返った。
「でか……」
「あれが、ドデカイゴーレムってやつだな。……ところで兄ちゃん、遺書の準備は済んでるか?」
先ほどまでいたゴーレムとは比較にならないほどの、大きなゴーレムだった。
体長は他のゴーレムの3、4倍はゆうにあるだろう。
汚れた石畳みたいな色のゴーレムとは異なり、まるで黒曜石のように黒光りして硬そうな体躯。
そして動きも普通のものより早く、歩幅が大きいこともあってこちらにずんずんと近づいてきていた。
頭の位置にある赤い目はもちろん、俺をロックオンしているようだった。
安全エリアの魔法具を持っていてもこちらを見ているということは、これがモモの言うドデカイゴーレム。
「ぎゃーーーーーっ!!!」
このままではひとたまりもなく死んでしまう。
武器調整関連で死ぬならともかく、こんな道半ばみたいなところで死んでたまるか!!!!!
たまらず、俺はモモを抱きかかえながら走りはじめた。
道の分岐があってもとりあえずどっちでもいいから進み、ドデカイゴーレムから逃げよう。
ありがたいことに魔法具があるから、罠にもかからないし、普通のゴーレムには何も反応されない。
とにかく逃げるべし!!
基本的にダンジョンのモンスターは、ダンジョンから出ることはできない。これは特殊条件下で発生したドデカイゴーレムのようなものでも変わらないと思っている。
ならば、とにかく外に行こう!
後ろに下がれないから元の道には戻れないけど、明るいほうとか、上のほうに行けばすぐにたどり着くはず!!!!!
……そう思っていたのだが。
「はぁ、はぁ…………外どこ?」
「あー……どうにも最深部に近づいてそうだな」
おかしい。なぜか物々しい雰囲気の岩でできた廊下が俺たちを出迎えてくれた。
人の手が入っているダンジョンとは聞いていたけど、そこまでたくさんの人がいるわけでもない。現に俺、全然人と会ってない。
なのに、なぜか松明には煌々と火が灯っている。
「え、じゃあ戻らないと」
「無理だろうなぁ」
モモが肩を竦めると同時に、ドスンと大きく地面が揺れる。
背後にはもちろん、あのドデカイゴーレム。
もう十分以上全力疾走で逃げたというのに、まだあいつ俺のこと狙ってんの!?
前門の怪しい廊下、後門のドデカイゴーレム。
どっちに行ったところで、俺の生き残る術がないように思えるのは俺だけだろうか。
「だが兄ちゃんの連れの匂いは濃くなってるから、進むんだったら奥に進むしかないだろうな」
「じゃあとりあえず、ベルナーと合流するしかない!」
「なんだかんだ言って、思い切りはいいよな、兄ちゃん」
息を整えた俺が再び走り出すと同時に、モモが何か呟いた気がしたが、それを聞く余裕も、返答する余裕もなかった。
松明が灯る廊下を全速力で進んで数分。ついに今度は怪しい彫刻が彫られた扉の前にたどり着いた。
ゴゴゴ、と岩をひきずるような音と共に扉は勝手に開く。
中に何があるのかも見ず、俺は勢いのままその中に飛び込んだ。
扉の向こうは、宿の部屋が何十個も入りそうな広さの、開けた円形の空間だった。
何本もの柱のような装飾が部屋の壁に彫られ、荘厳な雰囲気を漂わせている。
だが中では大量のゴーレムがひしめき、中央に襲い掛かるゴーレムをひたすら殴り続けているベルナーがいた。
すごく笑顔で、そして悪魔ような声で殴りつづける彼は、なかなか近づきがたい様子をしている。
ただ後ろから足をひきずるような音が聞こえてくるので、時間の余裕はない。
近づくことは難しいので、ひとまず彼に呼びかけることにした。
「ベルナー!」
「お? カイン、どうかしたか?」
「いったんそのゴーレムたちを倒すのやめて!」
「は?」
途端に怪訝な顔になるベルナー。
しかしとくに手を止めることなく、ゴーレムの拳を受け止めては殴り返している。
さっきまでは一発で仕留めていたから、倒さなくなっただけ譲歩ということなのか。
「ドデカイゴーレムが出たんだよ!」
「ドデカイゴーレム……?」
首を傾げて訝るベルナー。
とりあえず彼に危機感を植え付けよう。
そしてとっととこのダンジョンから逃げることを考えさせなければ。
「なんかめちゃくちゃ大きいし、めちゃくちゃ硬そうで黒々としてるんだよ!」
「ほう……」
「なんかすごい強そうだし、安全エリアも全然効かないし――」
「その、後ろのやつみたいな感じか?」
「そうなんだよ! …………え?」
ベルナーに促されて振り返る。
いつの間にか再び扉がひらいていて、先ほど追いかけてきたドデカイゴーレムが背後に立っていた。
その赤い目は、さきほどと変わらず俺を見ている。
「ぎゃーーーーーー!!!!」
「ちなみにそいつは、マスターゴーレムって言って、このダンジョンのボスに当たるんだ」
「いまそんな説明はいらないよ!!!」
俺はひとまずモモと安全エリアの魔法具を抱えたまま、部屋の端に沿って走って逃げる。
ベルナーはというと、ドデカイゴーレム――もといマスターゴーレムを認識した瞬間に目をカッと見開き、それまで戦っていたゴーレムたちとの戦闘を早々に切り上げてしまった。
一応俺の傍までやってきて、マスターゴーレムから距離を取っているものの、戦いたくてうずうずしている……ような雰囲気を感じる。
戦闘狂たる所以はこれか……
「ここから逃げる手段ないの!?」
「そうだな……ところでその子犬はなんだ?」
「モモだぜ!」
「モモか。よろしくな」
「おう!」
「しゃべってる場合じゃないんだけど!!!!」
右腕で抱えるモモと普通にしゃべるベルナー。
あれ、もしかして王都に引きこもってた俺が知らないだけで、世にはしゃべる犬って結構いたりする?
冒険者の中だと当たり前の存在だったりするのかな。
いや、いまはそんなことどうでもいい!
「さっさとこの部屋から出て、ダンジョン出ようよ!」
「いや、出られねえ。ダンジョンの最深部の部屋は、ボスを倒さないと出られない仕様になってるんだ」
「はぁっ!?」
突然のその言葉に、開いた口が塞がらない。
あの超絶硬そうなあいつを倒す……?
「ちなみにあれの倒し方は……?」
そう問うとベルナーは、それはそれは素敵な笑顔で、右手につけたナックルダスターを俺に見せてきた。
「そりゃあもちろん、拳で、よ」
「…………」
脳筋ここに極まれり、ということか。
がっくしとうなだれる。
「お二人さん、だがこのダンジョン、まだ完全制覇はされてないぜ」
走りながら、やはりベルナーと一緒にやってくるという選択を間違えたか、と心の中で落胆していると、右腕のモモがふいに口を開いた。
「そうなの?」
俺がそう問い、ベルナーも首を傾げている。
「ここは何十年も前に俺たち冒険者ギルドが、あのボスを倒しただろ? その戦利品もギルドに保管されてるはずだ」
「ああ。だが、それはあくまで第一段階の制覇なだけであって、完全制覇じゃないぜ」
すでにこの部屋に入って、マスターゴーレムから逃走し続けること数分。
もうこの部屋の端を回るのも、何週目か。
相も変わらずマスターゴーレムは俺たちに狙いを定めて追いかけてきている。
全速力で走る必要はなく、他のゴーレムとの比較で速いとはいえ速度自体はそこまで早くはない。
でもそろそろ疲れてきたから止まりたいんだが。
「完全制覇すれば、この追いかけっこもなくなる?」
「おうよ! というか、完全制覇すればダンジョンからモンスターがいなくなるぜ!」
「そうなのか!」
ベルナーが目を瞠って、モモを見つめる。
副統括長からすれば、危ないダンジョンで命を落とす危険のある冒険者を減らしたいだろうね。
「ちなみにその方法は?」
「こんな可愛い子犬が知るわけないだろ?」
そうダンディな声で言い放ち、モモはぱちりとウィンクをした。
ちょっとイラついたから、魔法具をいったんベルナーに渡して、その手でモモの顔を掴み、ぶるぶる震わせた。
「今そういうのは求めてないんだけど!!!!」
「あわわわ、やめろ~~~」
そうしてちょうど逃げ続けて、マスターゴーレムが入り口の傍を通って何週目になったか。
ピシリ、と大きな音が部屋の中に響いた。モモじゃなくてもわかるくらいの大きな音だ。
するとマスターゴーレムが立ち止まり、なぜか丸まりはじめた。周りを見るとその他のゴーレムもなぜか丸くなっている。
俺たちも立ち止まり、辺りを警戒しはじめる。
「……なんだ?」
「さぁ…………って、ん?」
部屋の様子を見ていると、ふいに視界に違和感を覚え、おれはそちらに視線を移す。
「なんか、柱にヒビみたいなのが入ってない?」
たしか、この部屋に入ったときには、そんなボロボロなものではなかったはず。
そうして俺が柱の様子を見ようと足を踏み出そうとした瞬間。
ビシビシイッ!と一際大きな音がしたと思ったかと思うと、部屋が大きく揺れ、そして――
「うわぁああああっ!!!!!!」
部屋の床が、一気に崩れた。
「……はぁ……」
結局、いろいろと考え込んだ末にダンジョン経由で迂回することになった俺たちは、王都から北西に位置するダンジョンへやってきていた。
この国のダンジョンは様々な形態があり、遺跡のような石造りのものもあれば、南国の木々が生い茂ったジャングルなどもあるし、外から見ればただの洋館といったようなものもある。
そもそもダンジョンの定義というものが『旧文明の遺跡によって、絶え間なくモンスターが湧いているエリア』なので、姿形は問わないのである。
「まぁここはもう人の手が入ってるし、そんなに大きなとこじゃねぇから、気にすんな!」
「とはいってもさぁ……」
目の前に広がる石造りの遺跡群を前に、俺はガックシと頭を垂れた。
王都を出てから数日。
武器調整屋という珍しい職業ではあれど、基本的には商人というか職人として生きてきた俺が、なぜダンジョンに来ることになってしまったのか。
戦いには慣れていないし、武器を振るうことも慣れていない。
モンスターを見たらびっくりしちゃうし、本当にちゃんと戦えるのか不安でしかないのだ。
俺は何度目かのため息をつく。
するとベルナーはバシバシと俺の背中を叩いて、ガハハハッと笑った。
「大丈夫だ、モンスターは俺がなんとかしとくから、武器を調整してくれたらあとは陰で隠れてりゃいいさ」
「……そうさせてもらうよ……」
あまりに気が進まなすぎるが、でもここまで来てしまった以上、もう腹をくくるしかない。
幸いなことに魔力だけはあるほうだから、いざとなったら防御系の魔法具を取り出して隠れてよう。
「あとは、いつか空を飛ぶ魔法具を開発して、ダンジョンの上を通れるようにしよう……」
「なんか言ったか?」
意気込むために深呼吸をしながらブツブツ呟いていると、ベルナーの声が届く。
「なんでもない――って! ちょっと置いてかないで!」
顔を上げるとすでに彼はダンジョンの先のほうに歩いていっている。
俺は慌てて彼のもとに走っていった。
ベルナーの言う通り、すでに人の手が入っているダンジョンということもあって、道中は思いの外サクサクと進むことができていた。
「は~! 疲れた~!」
ダンジョンに入ってからはや数時間。
モンスターが入ってこられない魔法具が設置された安全エリアにようやくたどり着いた俺は、バッグを下ろしその場に座り込んだ。
安全エリアは人が数人入れる程度の大きさのエリアで、今は誰もいない。
ゆっくり休めそうでよかった、と俺は息をついた。
ちなみにここまでに現れた敵はすべて、ベルナーがさくさくとナックルダスターで倒していた。
調整スキルでナックルの強度を頑丈にしつつ、ナックルダスター全体に魔力が行きわたりやすいようにしたから、魔法を帯びさせて戦うのもそれなりに楽だったと思う。
この遺跡のモンスターは、石でできたゴーレムという種類のモンスターが主。
動きこそ遅いが体が大きくて重いため、一撃くらっただけでも大怪我に繋がるらしい。
さらには剣の刃だと攻撃するどころかとっとと刃こぼれしてダメになってしまう。
だからベルナーにはナックルダスターを渡したうえで、魔法を帯びさせてゴーレムの外壁を壊しやすくしたというわけだ。
「こんなところで疲れてちゃ、まだまだ先は長いぜ?」
「仕方ないだろ、もともとインドア派だったんだから」
「ははっ、じゃあ運動不足解消だな」
くるくるとナックルダスターを手で回しながら、 ベルナーは笑った。
普通の武器商人であれば金属を武器にするために槌を振るうし、そもそも剣やハンマーといった金属を自分で採取する人もいる。
対照的に、武器調整屋だった俺は、材料は必要ないし槌を振るう必要もないから、普段から体を動かすわけではない。
この数日、ダンジョンまでやってきて、ダンジョン内を歩いた歩数だけで、これまでの歩数と同じくらい歩いているんじゃないだろうか。
やっぱり運動って大事だな、って実感する。
「お手柔らかに頼みたいよ……」
俺が手をひらひらとさせると、ベルナーは「けけっ」と笑い、そしてふいにあたりをぐるりと見回しはじめた。
彼の手にはまだナックルダスターがはめられている。
「ちょっくら小物退治に行ってくるわ、ここから出るんじゃねえぞ」
「はーい」
返事をするなり、ベルナーはとっとと安全エリアから出て行ってしまった。
耳を澄ますとゴーレムが移動するドシンという重い音が近くから聞こえるから、そのゴーレムと戦いに行ったのかな。
拳で戦うのは初めて、って言ってたから、慣れさせるという目的もあるのだと思う。
「ふ~……」
まだまだダンジョンを通り抜けるまでには数日必要だし、なんならまだダンジョンに入って一日も経ってないが、体の疲れがそれなりに溜まっている。
この調子でダンジョンを通り抜けて、帝国にいけるだろうか……なんて思いになってしまう。
体を休ませるために、その場に横たわる。
安全エリアの魔法具さえ壊さなければここにモンスターが来ることはないから、気楽に過ごすことができる……とベルナーが言っていた。
――とはいえ、いつかはここから出てダンジョンを歩かないといけないんだけど。
「よう、兄ちゃん。悪いがちょっと端に寄ってもらってもいいか?」
「あっと、すみません!」
ふいに凄まじくダンディな声が響く。
他にもこの迂回路を使う人がいたのか。ベルナーだけだと思ってたんだけど、そうでもないらしい。
俺はすぐに体を起こすと安全エリアの端に寄って声の主を見る。
だが視界には人の姿が見当たらない。
「ん? あれ?」
「どうした兄ちゃん」
もう一度声の方向を見るが、人は見当たらない。
そうして視線を下ろしていくと、訝しげな表情の生物を見つけた。
「そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して、何か我輩の顔に変なものでもついているか?」
凄まじく低音で、落ち着くような声音。
そんな声を発するのは――
「……ポメラニアン?」
「おう! ポメラニアンだ!」
白くて可愛い、ふわふわな毛並みの、子犬だった。
俺は目の前に突如として現れた、しゃべる子犬を見下ろして呆然とする。
目の前のポメラニアンの見た目はとても可愛らしく、ふわふわで真っ白な毛並みに顔でも突っ込めば、今抱えている不安や心配ごとはすべて掻き消えるだろう。
しかし、その低い声は癒されこそすれどおそらく方向性が全然違うので、見た目と声のギャップに戸惑ってしまう。
「脇に寄ってくれて、助かるぜ!」
そう言い、子犬はトテトテと安全エリアの中に入り、すんとお座りした。
「兄ちゃんは、王都から旅か?」
「え? あ、はい。帝国に」
……ポメラニアンって、どういうスタンスで接すればいいのだろうか。
見た目だと完全に愛玩動物だから気楽に接したいだけど、声がそれを邪魔するんだよな。
「帝国!? だいぶ遠回りだな!」
「まぁ、いろいろとありまして」
ゴーレムと戦う音を遠くに聞きながら、俺はポメラニアンに事の経緯をゆっくりと話す。
はたから見ると絵面がすごくシュールそうに見えるが、それはいったん無視しておこう。
「はー! いろいろと不幸が立て続いちまったんだな、兄ちゃん」
「ま、まぁそうですね……」
「んじゃ、このゴーレムと戦ってるやつが一緒に来たって奴か?」
ポメラニアンがピンと耳を立てる。
俺も耳を澄ますと、先ほどから聞こえていたゴーレムが何かしらにぶつかるような音は激しさを増していた。
しかも邪悪そうな叫びのような笑い声まで聞こえてくる。
ベルナー、戦闘ジャンキーとは聞いてたけど、なんか性格まで変わってない?
俺が眉尻を下げて頷くと、ポメラニアンは「大変そうだな」とふんと笑った。
それからはゴーレムの戦闘音を背景に、ポメラニアンと30分ほど話していた。
ポメラニアンの名前はモモ。
物心ついたときにはすでにこのダンジョンに放置されていたようで、このダンジョンの外の様子を知らないらしい。
親もとくにおらず、ダンジョンの中にたまに生えるキノコを食べながら生き延びているのだとか。
ちなみになんで人間の言葉をしゃべっているのかは、わからないそうな。
本人曰く「乙女の秘密」なのだとか。
どこをどう見てもどう聞いても乙女ではないが、とりあえずそれは無視しておいた。
俺も自分の境遇なんかをしゃべっているうちに意気投合してしまって、たった30分なのにかなり打ち解けていた。
そしてたった30分の間に、遠くから聞こえるゴーレムの戦闘音はより激しく、悪魔のような笑い声もさらに邪悪なものになっていた。
「兄ちゃんの連れ、なんだかすげえな」
もはや戦闘音だけでなく、安全エリアのあたりの床が揺れさえしはじめた。
え? もしかして俺が知らないだけで、戦闘するとこんなに揺れるもんなの?
この間のイノシシ型モンスターのときはたくさんモンスターがいたから、地揺れみたいなのは感じてたけど、ここそんなにモンスターいなくない?
首を傾げながらそう呟くと、ポメラニアン――モモは、はたと何かに気が付いたように視線をこちらに向けた。
「待った。もしかしてこの30分くらい、ゴーレムと戦闘し続けてるのか?」
「たぶん。小物退治してくるって言ってたから」
「まずいな……」
「え?」
モモはとてとてとこちらに歩み寄ると、あぐらをかく俺の膝にポンと手を置いた。
「ここのダンジョンはさほど強いモンスターはいないんだが、倒しまくるとどんどんゴーレムが増えるんだ……そしてもっと倒しまくると、ドデカくて強~いゴーレムが現れんだよ」
「ま、マジ……?」
「マジマジ。そしてそのドデカイゴーレムはな、安全エリアを無視できるんだ」
背中に冷や汗が流れる。
そんな怖いモンスターとかち合ってしまったら、ベルナーは狂喜乱舞するかもしれないけど、俺は普通に死んでしまう。
モモは……わからないけど、でも真正面から戦うにはちょっと無理があるサイズ感だと思う。
「じゃ、じゃあ、ベルナーを止めないと」
「おう」
「……あ、ちょっと待って」
良いことを思いついた。
俺は立ち上がりきょろきょろと辺りを見回す。するとモモが訝しげな様子でこちらを見上げた。
「何してんだ?」
「他にも安全エリアってあるのかなって思って」
「すぐそばに1つあるが……それがどした?」
「なら大丈夫かな」
そして安全エリアを生成している魔法具に手で触れた。
この魔法具、床にはめ込まれていて動かせないように見えるのだが、他の床や壁と見てみても明らかに後付けのもの。
調整スキルでどうにかこうにかしたら、もしかしたら外れて安全エリアを持ち歩けるのでは? と思ったわけだ。
脳裏に魔法具の回路が描出される。
普通機械や魔法具ではないのものには回路はないのだが、思った通り、魔法具から回路が床に延びていて外れないようになっている。
おそらく今俺がやっているような盗難防止だろう。
だが調整スキルにかかればそんなものは造作もないわけで。
「できた!」
床に延びた回路をプチンと切ってやるだけで、手のひら大の持ち歩き可能な魔法具に早変わりした。
近くに安全エリアがあるらしいから、後ろから来た人はそっちにいってほしい……ついでにそう念じておいた。
この魔法具は、どうやら辺りの大気から魔力を吸収する構図になっているらしく、俺が触れるだけで魔力を持ってかれることはない。
つまり魔力の濃いダンジョンから出ればお役御免ということだ。
「お前さん、便利なスキル持ってんな~」
「まぁ、こうやって改造することくらいしかできないけどね」
ちょちょっと改造して、安全エリアの範囲を少し拡張してみる。
そうすると、さっきまでは人二人分くらいのサイズだったのが、二回りほど大きくなって、モンスターが出てきても安心できるくらいのサイズになった。
魔力効率を良くしても改造したせいで俺から魔力を吸収するようになったが、別にそんなに大した量ではないからまぁいいか。
「じゃあ、行こうか」
「おう!」
そうして俺とモモは、ベルナーを探しにダンジョンをさまようことになったのだった。
「うわぁ…………」
ダンジョンをさまよい始めて、はや10分ほど。
先ほどまでいたところはゴーレムがいても1,2体で、安全エリアには近づかないからほとんど見なかったが、遺跡を奥へ進むにつれどんどんと多くなっていた。
今では、街の大きめの商店の広さの空間に20体は余裕で歩いている。
「兄ちゃんの連れ、どんだけ倒してんだ?」
「ははは……」
モモの指摘には、乾いた笑いしか出てこなかった。
そもそもとして、このダンジョンのどこかにある旧文明の遺跡のせいで、ダンジョンの中は自動的にモンスターが湧くようになっている。
ダンジョンの外には出られないが、ダンジョンの中には無尽蔵に現れる。
このダンジョンの特性なのかはわからないが、モモ曰く、倒しまくるとゴーレムが増える……ということだから、それはそれは倒したのだろう。
ベルナーみたいな戦闘狂はめちゃくちゃ嬉しいはず。
……俺はもう帰りたいけど。
「だが兄ちゃんのおかげで動きやすくて助かるな。ゴーレムも近寄ってこないし、ダンジョンのトラップも反応しないし」
「いやぁ、まさかこの魔法具にそんな機能があるなんてね」
俺は手元の魔法具に視線を落とす。
かすかに発光しているそれは、俺の調整スキルでちょっと効力を底上げしたこともあり、ダンジョン内のすべてから守ってくれている。
あとはモモがいっていたドデカイゴーレムとやらが出現しなければ、これで軽々と突破できる。
「お~い兄ちゃん、早く抜けたいのはわかるが、もうちょいスピードを落としてくれ~」
「あ、ごめんね」
そんなやり取りもあって、俺は左手に魔法具、右手にモモを抱き上げてダンジョンの奥へ奥へと進んでいった。
少しずつ悪魔のような笑い声が大きくなり、ついで床の振動がどんどんと大きくなりはじめる。
振動とともにダンジョンの壁からほこりやら土煙やらが漂うから、相当この振動大きいな。
ダンジョン内に限るが、倒されたモンスターはダンジョンに吸収されてしまうから、死体まみれで歩きづらい、ということがないのは幸いか。
そこから扉を数回くぐり、ゴーレムがひしめく空間を幾度すり抜けたか。
「……お、そろそろ兄ちゃんの連れが近いな」
すんすんと匂いを嗅ぐように鼻を動かしたモモが、そう言った。
「やっぱり匂いでわかるもんなの?」
「いや。匂いっていうよりかは、辺りの空気の魔力量だな。モンスターがダンジョンに吸収されるときにある程度魔力がその場に残るから、モンスターを倒した直後ってのは魔力が多いんだ」
「へーそうなんだ。それって人体に害とかは?」
「まぁ、ないわけじゃあないが、それよりも重大な問題が出るから、そこまで気にされてないな」
なんだか不穏な言葉で、俺は思わず口端をひくつかせる。
そんなまさか冗談だよね、と言おうとしたそのとき。
一際大きな足音とともに今いる場所が大きく揺れた。
ただ問題だったのは、その足音が『後ろから』聞こえてきたことだ。
「え?」
「あぁ……」
俺の間抜けた声と、モモの諦観するような声が一緒に響く。
そしてそのまま、まるで錆びついた歯車のようにギギギと後ろを振り返った。
「でか……」
「あれが、ドデカイゴーレムってやつだな。……ところで兄ちゃん、遺書の準備は済んでるか?」
先ほどまでいたゴーレムとは比較にならないほどの、大きなゴーレムだった。
体長は他のゴーレムの3、4倍はゆうにあるだろう。
汚れた石畳みたいな色のゴーレムとは異なり、まるで黒曜石のように黒光りして硬そうな体躯。
そして動きも普通のものより早く、歩幅が大きいこともあってこちらにずんずんと近づいてきていた。
頭の位置にある赤い目はもちろん、俺をロックオンしているようだった。
安全エリアの魔法具を持っていてもこちらを見ているということは、これがモモの言うドデカイゴーレム。
「ぎゃーーーーーっ!!!」
このままではひとたまりもなく死んでしまう。
武器調整関連で死ぬならともかく、こんな道半ばみたいなところで死んでたまるか!!!!!
たまらず、俺はモモを抱きかかえながら走りはじめた。
道の分岐があってもとりあえずどっちでもいいから進み、ドデカイゴーレムから逃げよう。
ありがたいことに魔法具があるから、罠にもかからないし、普通のゴーレムには何も反応されない。
とにかく逃げるべし!!
基本的にダンジョンのモンスターは、ダンジョンから出ることはできない。これは特殊条件下で発生したドデカイゴーレムのようなものでも変わらないと思っている。
ならば、とにかく外に行こう!
後ろに下がれないから元の道には戻れないけど、明るいほうとか、上のほうに行けばすぐにたどり着くはず!!!!!
……そう思っていたのだが。
「はぁ、はぁ…………外どこ?」
「あー……どうにも最深部に近づいてそうだな」
おかしい。なぜか物々しい雰囲気の岩でできた廊下が俺たちを出迎えてくれた。
人の手が入っているダンジョンとは聞いていたけど、そこまでたくさんの人がいるわけでもない。現に俺、全然人と会ってない。
なのに、なぜか松明には煌々と火が灯っている。
「え、じゃあ戻らないと」
「無理だろうなぁ」
モモが肩を竦めると同時に、ドスンと大きく地面が揺れる。
背後にはもちろん、あのドデカイゴーレム。
もう十分以上全力疾走で逃げたというのに、まだあいつ俺のこと狙ってんの!?
前門の怪しい廊下、後門のドデカイゴーレム。
どっちに行ったところで、俺の生き残る術がないように思えるのは俺だけだろうか。
「だが兄ちゃんの連れの匂いは濃くなってるから、進むんだったら奥に進むしかないだろうな」
「じゃあとりあえず、ベルナーと合流するしかない!」
「なんだかんだ言って、思い切りはいいよな、兄ちゃん」
息を整えた俺が再び走り出すと同時に、モモが何か呟いた気がしたが、それを聞く余裕も、返答する余裕もなかった。
松明が灯る廊下を全速力で進んで数分。ついに今度は怪しい彫刻が彫られた扉の前にたどり着いた。
ゴゴゴ、と岩をひきずるような音と共に扉は勝手に開く。
中に何があるのかも見ず、俺は勢いのままその中に飛び込んだ。
扉の向こうは、宿の部屋が何十個も入りそうな広さの、開けた円形の空間だった。
何本もの柱のような装飾が部屋の壁に彫られ、荘厳な雰囲気を漂わせている。
だが中では大量のゴーレムがひしめき、中央に襲い掛かるゴーレムをひたすら殴り続けているベルナーがいた。
すごく笑顔で、そして悪魔ような声で殴りつづける彼は、なかなか近づきがたい様子をしている。
ただ後ろから足をひきずるような音が聞こえてくるので、時間の余裕はない。
近づくことは難しいので、ひとまず彼に呼びかけることにした。
「ベルナー!」
「お? カイン、どうかしたか?」
「いったんそのゴーレムたちを倒すのやめて!」
「は?」
途端に怪訝な顔になるベルナー。
しかしとくに手を止めることなく、ゴーレムの拳を受け止めては殴り返している。
さっきまでは一発で仕留めていたから、倒さなくなっただけ譲歩ということなのか。
「ドデカイゴーレムが出たんだよ!」
「ドデカイゴーレム……?」
首を傾げて訝るベルナー。
とりあえず彼に危機感を植え付けよう。
そしてとっととこのダンジョンから逃げることを考えさせなければ。
「なんかめちゃくちゃ大きいし、めちゃくちゃ硬そうで黒々としてるんだよ!」
「ほう……」
「なんかすごい強そうだし、安全エリアも全然効かないし――」
「その、後ろのやつみたいな感じか?」
「そうなんだよ! …………え?」
ベルナーに促されて振り返る。
いつの間にか再び扉がひらいていて、先ほど追いかけてきたドデカイゴーレムが背後に立っていた。
その赤い目は、さきほどと変わらず俺を見ている。
「ぎゃーーーーーー!!!!」
「ちなみにそいつは、マスターゴーレムって言って、このダンジョンのボスに当たるんだ」
「いまそんな説明はいらないよ!!!」
俺はひとまずモモと安全エリアの魔法具を抱えたまま、部屋の端に沿って走って逃げる。
ベルナーはというと、ドデカイゴーレム――もといマスターゴーレムを認識した瞬間に目をカッと見開き、それまで戦っていたゴーレムたちとの戦闘を早々に切り上げてしまった。
一応俺の傍までやってきて、マスターゴーレムから距離を取っているものの、戦いたくてうずうずしている……ような雰囲気を感じる。
戦闘狂たる所以はこれか……
「ここから逃げる手段ないの!?」
「そうだな……ところでその子犬はなんだ?」
「モモだぜ!」
「モモか。よろしくな」
「おう!」
「しゃべってる場合じゃないんだけど!!!!」
右腕で抱えるモモと普通にしゃべるベルナー。
あれ、もしかして王都に引きこもってた俺が知らないだけで、世にはしゃべる犬って結構いたりする?
冒険者の中だと当たり前の存在だったりするのかな。
いや、いまはそんなことどうでもいい!
「さっさとこの部屋から出て、ダンジョン出ようよ!」
「いや、出られねえ。ダンジョンの最深部の部屋は、ボスを倒さないと出られない仕様になってるんだ」
「はぁっ!?」
突然のその言葉に、開いた口が塞がらない。
あの超絶硬そうなあいつを倒す……?
「ちなみにあれの倒し方は……?」
そう問うとベルナーは、それはそれは素敵な笑顔で、右手につけたナックルダスターを俺に見せてきた。
「そりゃあもちろん、拳で、よ」
「…………」
脳筋ここに極まれり、ということか。
がっくしとうなだれる。
「お二人さん、だがこのダンジョン、まだ完全制覇はされてないぜ」
走りながら、やはりベルナーと一緒にやってくるという選択を間違えたか、と心の中で落胆していると、右腕のモモがふいに口を開いた。
「そうなの?」
俺がそう問い、ベルナーも首を傾げている。
「ここは何十年も前に俺たち冒険者ギルドが、あのボスを倒しただろ? その戦利品もギルドに保管されてるはずだ」
「ああ。だが、それはあくまで第一段階の制覇なだけであって、完全制覇じゃないぜ」
すでにこの部屋に入って、マスターゴーレムから逃走し続けること数分。
もうこの部屋の端を回るのも、何週目か。
相も変わらずマスターゴーレムは俺たちに狙いを定めて追いかけてきている。
全速力で走る必要はなく、他のゴーレムとの比較で速いとはいえ速度自体はそこまで早くはない。
でもそろそろ疲れてきたから止まりたいんだが。
「完全制覇すれば、この追いかけっこもなくなる?」
「おうよ! というか、完全制覇すればダンジョンからモンスターがいなくなるぜ!」
「そうなのか!」
ベルナーが目を瞠って、モモを見つめる。
副統括長からすれば、危ないダンジョンで命を落とす危険のある冒険者を減らしたいだろうね。
「ちなみにその方法は?」
「こんな可愛い子犬が知るわけないだろ?」
そうダンディな声で言い放ち、モモはぱちりとウィンクをした。
ちょっとイラついたから、魔法具をいったんベルナーに渡して、その手でモモの顔を掴み、ぶるぶる震わせた。
「今そういうのは求めてないんだけど!!!!」
「あわわわ、やめろ~~~」
そうしてちょうど逃げ続けて、マスターゴーレムが入り口の傍を通って何週目になったか。
ピシリ、と大きな音が部屋の中に響いた。モモじゃなくてもわかるくらいの大きな音だ。
するとマスターゴーレムが立ち止まり、なぜか丸まりはじめた。周りを見るとその他のゴーレムもなぜか丸くなっている。
俺たちも立ち止まり、辺りを警戒しはじめる。
「……なんだ?」
「さぁ…………って、ん?」
部屋の様子を見ていると、ふいに視界に違和感を覚え、おれはそちらに視線を移す。
「なんか、柱にヒビみたいなのが入ってない?」
たしか、この部屋に入ったときには、そんなボロボロなものではなかったはず。
そうして俺が柱の様子を見ようと足を踏み出そうとした瞬間。
ビシビシイッ!と一際大きな音がしたと思ったかと思うと、部屋が大きく揺れ、そして――
「うわぁああああっ!!!!!!」
部屋の床が、一気に崩れた。

