◆ ◇ ◆
翌日。
モンスター掃討作戦で疲弊した体を朝寝坊でなんとか回復させた俺は、再びマダムのところに赴き朝ごはんを食べていた。
時刻は午前10時すぎ。冒険者の朝ごはんにしては少々遅いが、まぁ俺は冒険者じゃないし。
マダムの酒場はどうやら午前中もご飯処として開いている。
さほど人はいないが商人や観光客のような人たちがパラパラ見受けられていた。
俺は酒場の隅の一角にある席に腰を落ち着け、朝ごはんを頼む。
窓から昨日のピエトリの森と青空が一望できる、良い席だった。
やがて大きなお皿に肉と豆が載せられ、これまた大きな黒パンが隣に置かれたトレイが運ばれてくる。
俺はゆっくりと味わうようにそれを完食した。
お腹も落ち着いてひと息つく。
「さて、これからどうしようかな……」
「おう、いたいた」
「ん?」
突然、小慣れた口調が聞こえたかと思うと、男が向かいに座る。
昨日こそ夜で見えなかったが、彼の後ろで一つにまとめた赤色のくせ毛と、黒いレザージャケットには覚えがあった。
「あれ、君は……ベルナー?」
「覚えてくれたか、友よ」
口端を吊り上げて笑んだベルナーは、そのままマダムに朝ごはんを頼み始めた。
「よく回復したね。昨日魔力枯渇してたんじゃなかったの?」
「まあ腐っても冒険者だからな、それくらいはなんてこたないさ」
ベルナーは肩を竦める。
彼はそう軽々と言うが、枯渇した魔力というのは普通、一夜ごときでは回復しない。
魔力の回復が早くなるスキルもあるが、昨日の戦いの話を聞く限り、ベルナーがそんなスキルを持っているという話はない。
だとすると、単純に冒険者として培った体質……ということになる。
さすがは昨夜、辺りの冒険者を統括できるほどの手腕と信頼を持った手練れの冒険者だ。
「さすが冒険者様だな」
「どうってことねえぜ」
すごいな、と彼を見ながら思っていると、ベルナーの食事が運ばれてきた。
そして、俺と同じメニューだが2倍くらいの量があるそれを、一瞬にして食い尽くした。
「ふう、やっと腹が落ち着いたぜ」
「……良かったな……」
あまりの速度に呆然としてしまう。
食べる量は俺の2倍、食べる速度はおそらく俺の10倍ほど。
冒険者って、ご飯食べる最中も何かに襲われたりするんだろうか。
「それで?」
ベルナーが俺にそう聞いてきたことで、ハッと意識を取り戻す。
意図が理解できず俺が首を傾げると、ベルナーは挑戦的な笑みでこちらを見つめながらにやりと笑んだ。
「あんた。これからどうするんだ?」
「どうしようって……君には関係ないだろ?」
「いや、これが関係あるんだな~!」
訝しげに見る俺から、ベルナーは目を離さない。
「俺さ、お前のあのスキルに惚れちまったのよ」
「あのスキルって……調整スキルのこと?」
ベルナーはそう言うと、ぎゅっと目を瞑り胸に手を当てる。
その光景は……まるで恍惚としているようで、背筋に悪寒が走った。
――まずい、ここから逃げないといけないかも。
そう思い立ち上がろうとしたが、すぐにベルナーに制された。
いつの間にかベルナーは座っている俺の隣におり、肩にポンと手を置かれる。
「えっ……見えなかった……」
「ひどいなぁ友よ。俺を置いてこうとするなんて」
「は、ははっ……」
見た目からは想像できないほど強く掴まれていて、俺は立ち上がることができないでいる。
しかも俺が窓側を選んだせいで、逃げ道がない。
まずい、と思ったときにはすでに遅かった……ということか。
「ちょ、ちょっと野暮用が」
「まあまあちょっと落ち着けよ」
さらには肩に手を回されて、もう本当に逃げられなくなってしまった。
「昨日のあの魔法砲……最高だったんだよ」
「ハハハ……よくある魔法砲だよ……」
「そんなこたないぜ。あの魔力を全部吸い尽くす感覚と、手元から放たれる弩級の一撃。もう、イッちまいそうだったよ」
思い出すように呟くベルナーを前に、俺は乾いた笑いしか出なかった。
「言ったかもしれないが、俺のスキルは初見でも人並みにどんな武具でも防具でも使えるってやつだ。そして俺は昨日はじめて魔法砲を使ったんだが」
ベルナーはぎゅっと拳を握って話を続ける。
「いまだかつてないほど、最高だったよ。今でもあの魔法砲の感触が忘れられねぇ。俺が欲していたのは、あの感覚だったんだよ」
「……良かったじゃないか、見つかって」
「ああそうだ。そして俺はこれからもう離れられねぇんだってな」
ベルナーの笑みがさらに恍惚としたものになる。
ここまで来ると、もう恐怖の域だ。
「だから、あんたに付いてくことにした」
「………………はぁ!?」
しかし突然の一言で、俺を支配していた恐怖がすべて驚きに塗り変わった。
「付いていく……って君、今所属しているパーティはどうするのさ!?」
「幸いなことに、今は一匹狼なんだよな~」
そう言いながら、ベルナーは対面にあった椅子を俺の横に移動させ、そこに座った。
もう逃がさないという意気をひしひしと感じる。
どうにかこうにか退路を探さなければと、俺は目だけで辺りを見回す。
すると遠くのほうに冒険者の集団がいるのに気づいた。しかも見知った顔もいた。
「ジェシカさん!」
「あれ? 昨日の調整屋くんじゃ~ん」
大声をあげると、昨日魔力枯渇で眠りこけたベルナーを運んでいった女性、ジェシカはこちらを見て手を振り、そして隣にいるベルナーを見るなり爆笑しはじめた。
「調整屋くん、やっぱり捕まっちゃったんだ~!!!」
「笑わないで助けてくださいよ!!」
「おいおい、俺の口説きは無視して他人を口説くってのかぁ?」
「ちょっとねっとりした声で変なこと言うな!!」
ジェシカは爆笑しながら集団に一声かけると、やはり爆笑したまま俺たちの座る席へやってくる。
そしてほかの空いているテーブルから椅子を取り、俺の向かいに座った。
現状、俺の向かいにジェシカ、そして左隣にベルナーがいる。
なんだこの布陣。メンツすらも謎すぎるだろ。
「ちょっとジェシカさん、この人どうにかなりませんか?」
「ん~……ならないと思うよ?」
「そんな即答しなくても……!」
ようやく笑いが収まってきたのか、「は~、笑った笑った」と言うとジェシカは肩を竦めた。
「その男はね、ちょうど三日前にパーティから最後の一人が脱退したところなの」
「……脱退?」
「おいジェシカ、あんまりバラすんじゃねえよ」
そっと左を一瞥すると、ベルナーが口を尖らせている。
おそらくジェシカの言うことは、彼にとっては俺に知られたくないことなのだろう。
聞いておいてよかった!!!!!
「ベルナーはね、戦闘ジャンキーなの」
「戦闘ジャンキー?」
「そう。どこの街に行くにしてもダンジョンを通ってモンスターと戦いたがるし、ちょっとした寄り道でもダンジョンに潜って最下層に行こうとするの」
「仕方ねえじゃん。俺、戦うの好きなんだから」
「仕方ないで済む話か?」
思わず左に突っ込んでしまう。
その様子をおかしそうに見つつ、ジェシカは話を続けた。
「しかもそいつ、体力お化けで魔力お化けだから、ま~~じでいつ何時でもダンジョンに行きたがるわけ。だからパーティの面々はそれに嫌気がさして全員いなくなっちゃったっていうのが、事の経緯ね」
「なるほどわかりました。ではベルナー、いつかどこかでまた会いましょう」
「おいおいそんな性急に事を決めちゃあ、いろんなことを見逃しちまうぜ」
心外とでも言わんばかりに、ベルナーはかぶりを振る。
でもここまで一切の否定はしてないから、おそらくジェシカの言ったことは本当のことなんだろうな。
「でも、ベルナーがそんなに人を気に入るなんて、珍しいじゃない。やっぱり昨日のやつで?」
「おうとも! あの戦いはしびれたぜ!」
「あら~……調整屋くん、大変なやつに好かれちゃったわね~。もう諦めてパーティ組んでやったら?」
ぐっと拳を握りしめるベルナーに、眉尻を下げてこちらを見つめるジェシカ。
まさか昨日の最後の魔法砲でこんなことになるなんて、思いもしなかった……!
だが、俺にはまだ切り札がある。
ここでベルナーとパーティに入ってダンジョンに連れられて大変な思いをするより、優雅な馬車で悠々自適に行きたいじゃないか!!
幸いなことに、王都のお店のときに貯めたお金はあるから、多少豪遊してもなんとかなるほどのお金はあるからな!
「ベルナー、君は勘違いしてる」
「おん?」
きょとんとするベルナー。ジェシカも首を傾げている。
そんな二人に、俺は静かに告げた。
「俺はそもそも、冒険者じゃない」
そう、そもそもとして、俺は冒険者ではないのだ。
もともと武器調整屋として活動していたから、王都の商業ギルドには加盟していたものの、王都から出るにあたって会員登録を凍結させている。
だが、冒険者としての登録はここまでしていないし、するつもりもない。
冒険者になると国に入るときの制限がかなり緩和される反面、昨夜のようなモンスター襲来などへの対処が義務となる。
武器調整しかできず戦えないと思っても、街中に避難するのは叶わず、武器を手に戦わないといけないのだ。
昨夜のことでさえいっぱいいっぱいだったというのに、再び同じことが起きても対処することは難しい……
そんなことを二人に(主にベルナーに)話したのだが、ベルナーはすぐに普段の表情に戻ると、レザージャケットのポケットを探り始めた。
「なんだ、そんなことか。ほれ」
「そんなことって……え?」
彼が取り出したのは、冒険者ギルドの登録証。
そして氏名欄には『カイン・デメタミス』という俺の本名が書かれていた。
「こんなのを用意するなんざ、朝飯前だぜ」
反論しようにも、驚きのあまり喉がカスカスで声にならない。
ジェシカはその様子を見て、爆笑しながら手を叩いていた。
「あっはっは! 調整屋くん、本当にベルナーに気に入られちゃったのね!」
「ま、待って! 俺登録とかしてないのに、なんで!」
「だってそいつ、冒険者ギルドの副統括長だもん。書類を“作る”だなんて、ちゃちゃっとできるわ! あー、おかしい」
俺は呆然としながらジェシカを見て、そしてベルナーに視線を移す。
ベルナーはすさまじく自慢げに胸を張っているが、これバレたら普通に犯罪じゃないか。
「書類の偽造がバレたら、君お縄じゃないの!?」
「そこはあんたが黙ってればいい話だろ?」
さらりとのたまうベルナーに、呆れが止まらない。
「…………そもそも、どこから俺の個人情報を手に入れたのさ」
「それはまぁ、俺の伝手でちょちょいとな」
商業ギルドにしか出しておらず、どこにも公開していない苗字が判明している時点で、もう察するところはある。
十中八九、ベルナーは本気だ。
にっこりと満面の笑みでこちらを見るベルナー。
しかしその瞳は、獰猛な狼のようにこちらを見据えて離そうとしない。
たとえここから逃げようとしても、逃がさないと言わんばかりに。
向かいにいるジェシカは笑いっぱなしで助けは求められなさそうだし、他に周りに助けてもらえそうな冒険者の人たちもいない。
――あれ、これもうベルナーとパーティを組むしか道はないのでは?
そうして俺が折れるまで、そこから数分も必要としなかった。
「ところで、どこに行こうとしてるんだ?」
酒場から出た俺はジェシカと離れ、そして不本意にもベルナーと合流することとなり、荷物を持って王都外の馬車ターミナルへ向かっていた。
王都の中にも馬車ターミナル自体はあるが、王都の街の外周に住む住民たちのために外にも設置されている。
俺は歩きながら、頭一つ以上も上にあるベルナーを見上げて、動揺を隠せなかった。
「君、本当に何も考えずに俺とパーティ組んだんだな」
「そりゃそうさ、行き先なんざ重要じゃないからな。大事なのは、戦えるかどうかってことな。んで? 結局どこへ」
「一応今のところは帝国へ。武器屋だったら別にダンジョンが近いところだったらどこでも仕事できるけど、調整屋は場所を選ぶからな」
自慢げに言う彼に呆れつつ、俺は再びそう言いまっすぐ前を向いた。
なんだかかすかに笑っていたような気がしたが……さすがにそれは気のせいだろう。
そう思いつつ、内心でふう、とため息をついた。
結局、ベルナーの押しに負けた俺だったが、一つだけ条件を付けることができた。
まず、俺といる間はダンジョンをわざと通るようなことはしない、ということ。
戦いが好きなのは結構だが、俺自身戦いに慣れているというわけではない。
それに可能であればとっとと帝国に行ってお店を開きたいので、途中でどうしても通らないといけなかったり、この間のようなモンスター襲来だったりを除き、戦いはなるべく避けること。
しかしなぜか、ベルナーからも条件がついた。
それは至極簡単。
『必ず調整スキルを俺の武器に使うこと』だそうな。
まあ、俺とパーティを組んだ理由が、魔法砲の快感が忘れられないってことだし、その条件を付ける理由はわからないでもない。
別に彼一人でダンジョンに行くのは止めないから、ダンジョンに一人で行く前に調整スキルを使うのは構わない、と思い俺はそれに頷いたのだった。
なんだか、よくわからない帝国への道中になりそうだ。
再び内心でため息をつき、俺は馬車ターミナルへたどり着いたのだが――
「へ? 帝国行きの馬車は、全部お休み!?」
「そうなんだよ、兄ちゃん」
馬車ターミナルの案内係のおじさんは、残念そうに頭を横に振りながら言った。
「この王都と帝国を結ぶ街道に橋があるんだが、一番王都側の橋の機構がイかれちまったんだとさ」
「またなんでそんな急に……」
「そんなに詳しく知ってるわけじゃあないが、最新の技術を使った橋で雷魔法の力で上げ下げするらしいんだが、昨日のモンスター襲来でその仕組みが壊れちまったんだと」
本当に困ったよなぁ、とかぶりを振るおじさんを前に、一気に背筋に冷や汗が流れる。
俺もその橋の話は聞いたことがある。
王都にほど近く、ここからでも見られる広い橋に最新鋭の橋ができたのは数年前。
もともと上流からの土砂や木々の量が結構多く、季節が変わるときの大雨などで橋が数年に一度崩れてしまっていた。
それを解決したのがいわゆる可動橋だ。
単純に土砂が橋げたに溜まらないようにする、というのもあるが、おそらく帝国と何らかの諍いになったときに、すぐに大きな街道を通行止めにできる、というのも採用理由だろう。
広い橋に架かった大きな可動橋ということで、当時はかなり話題になったものだ。
そして、たしかにそのときも言っていた。
人力で動かすにはあまりに重すぎるので、最新鋭の技術を使った、と。
……そして、それが壊れた理由が、昨日のモンスター襲来だと。
「これ、俺たちの魔法砲――」
「ベルナー、ちょっと黙ろうか」
ベルナーがなんとなしに言おうとするのを必死に止める。
たしかに、昨夜の魔法砲はかなり広い範囲にまで広がっていたはず。
何せ、王都の南に広がる広大な森、ピエトリの森の全域をカバーするくらい、雷魔法を行きわたらせたのだから。
だとすると、ほど近いところにある橋は余裕で範囲内だ。
そしてその雷魔法を発動したのは――俺たちだ。
衝撃の事実に到達し頭を抱える俺。
「出だしから、困っちまったなぁ……」
その隣でベルナーも腕を組んでそう呟く。
「本当に困ったもんだよなぁ……王都の上の連中に聞いたところだと、どうやら直すのには1か月くらいかかるそうだよ」
1か月!?
1か月もあれば帝国の中心都市である帝都と、ここ王都は馬車ぐらいなら余裕で往復できてしまう。
でもその1か月封鎖になるのは、おそらく、十中八九、確実に、この間の魔法砲のせいなのだ。
だってそんなことになるなんて思わないじゃん!
それにとっとと帝国に行こうとするので精一杯だったし、王都に戻れるんだったらこっちだって王都に戻ったよ!
だけどあのアホが王都からの追放を王族特権で発令させたから、できなかったんだよ!
じゃあもう全部あのアホのせいじゃねえか、あのアホーーーー!!!!
…………と、心の中で悪態をつきまくるが、そんなことをしている場合ではない。
帝国に早く行って調整屋を再開させなければ、常連の冒険者の人たちの迷惑になってしまう。
俺はアイテムバッグから地図を取り出し広げ、おじさんに縋りついた。
「お、おじさん! どこか迂回できる場所とかってありますか? なるべく早めに帝都に行きたくて!!」
「あー……そうだなぁ……」
帝国はこの国の北に位置し、王都のすぐ北には大きな川が流れている。
だとすると、東か西に行って別の街道にかかる橋を渡る、もしくは流れがもう少し狭いところまで行って川を渡るということになる。
「だとすると西だな。さすがにあの大河が渡れる程度まで上流に行くにゃ、時間がかかりすぎるぜ」
「西か……たしかに、それが一番早く着くところだろうな。だが……」
ベルナーが首を突っ込み、それにおじさんが頷きながら答える。
さすが冒険者ギルドの副統括長!
このあたりの地図は頭に入っているようで、助かった!
俺は嬉々として王都の西を地図で見る。
たしかに川の上流である東に行くと、結構な距離を迂回することになってしまう。しかも上流に行くとかなり山のほうになるから、おそらく馬車は使えない。
それに対して西のほうは、なだらかな土地が広がるのでおそらく馬車まで行ける――と思ったところで、その道中にとあるものがあるのに気がついた。
「…………ん?」
西のほうに行くためには、一つやや大きな山脈を越えることになる。
とはいえ少しばかり南に進めば山脈が途切れるところがあり、そこを突っ切る経路があったのだが……
「ここから西に行くには、そのダンジョンを通らないと凄まじい遠回りになるんだよ。それこそ東でも西でも変わらないくらい」
「…………ベルナーさん?」
おじさんがため息をつきながら言い放つ。
それを聞くなり俺は、西の経路を提案した彼に、ギギギとゆっくりと首を動かしながら視線を向けた。
「ん?」
端的な返答ではあったが、その表情は非常に雄弁だった。
さきほどの酒場で見せた以上に、楽しそうな笑顔を浮かべていた。

