「第2回は次の月の下旬。場所は帝国の西部にある港町グルースのダンジョンだ」

 自身も書類をめくりながら、ベルナーが説明してくれる。

「火山の中にあるダンジョンだから、体力と耐性をつけていかないとな」
「わかった」

 書類に目を通した限り、ここから馬車で1週間ほどの町のようだ。
 つまり体力養成に割けるのは、おおよそ1ヶ月程度。

「火山っていうくらいだから、暑さに関係する遺物があるのかな?」

 それこそ以前ジェシカたちが持っていた水筒だったり、体を冷やすような服だったり……
 想像が広がりだして止まらない。
 今度アゼルにお土産何がいいか聞いてこよ。アゼルはそのダンジョンに行ったことはあると思うけど、距離的に頻繫には行けてないだろう。
 俺は何度も何度も書類内を目で往復しながら、今後のダンジョンについて思いを馳せていたのだった。

「ふふ、まるで玩具を与えられた子供のようだね」
「だな。楽しそうだ」

 アンとベルナーがそんなことを話しているのにはまったく気づかなかった。

 ◆   ◇   ◆

「うわぁ、楽しみだなぁ~!」
「我輩も、楽しみなんだぜ!」
「おいおいカインもモモも、いまからそんなはしゃいでたら、疲れちまうぜ」

 商業ギルドを出てからも高揚感は消えることがなく、俺はベルナーと一緒にお店に戻る道中も、るんるんと軽やかに歩いていた。前に抱いているモモも、心なしかわくわくしている気がする。
 仕方なそうに苦笑するベルナーの声が後方から聞こえるが、楽しみなのだから仕方ない。

「それにしても、カイン」

 ゆっくりと近づいてきて、ベルナーは俺の隣にやってくる。
 そして、口角をにやりと上げた。

「ずいぶんと冒険者らしくなったな」
「そう?」
「ああ。最初はダンジョンなんて通りたくない~~って、あんなに言ってただろ?」

 いたずらめいて言うベルナーに苦笑しつつも、俺はこれまでのことを思い出す。
 たしかに、王都から出る前は調整屋一本のつもりだったし、旧文明の遺物どころかダンジョンに興味なんてなかった。疲れる肉体行動だってごめんだったし。
 ベルナーが半ば強制的に俺を冒険者にしたのも、最初は嫌だったけど、意外とゆっくり慣れていった。

 ……まぁ、旧文明の遺物がなかったら、ダンジョン探索は続けていないとは思うけど。

「それもこれも、遺物のためだし。遺物と出会うためなら、ダンジョンだろうが、ここからめちゃくちゃ遠い僻地だろうが、どこにだって行くんだから」
「……なるほど?」
「…………なにさ」

 ベルナーはにやついた笑顔のまま歩く俺の前にやってくると立ち止まり、俺にとある本を手渡した。
 ぱっと見は、少し古びた大きなサイズの分厚い本。何度も湿気を吸ったのか、少し硬くなったページをめくると、複雑な絵がどのページにも描かれていた。

「絵本?」

 これがどうしたの――ページをめくりながらそう聞こうとした瞬間、見覚えのあるものが視界に入った。
 何かに乗る人間が数人描かれていて、遠く離れたところを行き来している。
 どう見ても、この間あの第三王子を遠くに飛ばしたワープゾーンの遺物だ。
 見入ったままページをめくり続けると、こまごまとした絵が集められたページにたどり着き、水中服やゴーグルといった遺物まで描かれていた。

 少女からもらった知識とすり合わせても、1割くらいは合致する。
 間違いない。これは、遺物を集めた図鑑のようなものだ。
 勢いよく顔を上げてベルナーを見る。

「これって!」
「ああ、全世界の旧文明の遺物が描かれた、古書だ」

 彼はそう言うと、本を閉じ表紙を見せる。
 普段俺たちが使う言語とは違う言葉だから読めないが、ベルナーは表紙の題字のようなところを指でなぞり、「遺物辞典」とつぶやいた。

「場所が描かれてないから調べるところから始まるが、おそらく全世界のダンジョンにある遺物について書かれている。……どうだ、行きたくないか?」
「行きたい!!」
「言うと思ったぜ」

 くくっ、とベルナーは笑う。

「アンのところからパクっておいてよかった。じゃ、アンからの仕事以外にも、これを探そうぜ」

 なんだか聞き捨てならないことが聞こえたような気がする。たぶんアンにはバレてるんじゃなかろうか。
 いや、それは脇に置いておこう。
 ふと疑問が浮かび上がってきて、俺は踵を返して歩き出そうとするベルナーを止めた。

「ベルナーはいいの?」
「んあ?」

 きょとんとして彼は立ち止まる。

「だって、ギルドの仕事もあるだろうし、ベルナーも冒険者だからいろいろなダンジョンに行きたいんじゃないの?」
「あー……」

 そもそも俺についてきてくれてはいるが、この人は冒険者ギルドの副統括長なのだ。
 普段こそ俺のそばにいることが多いが、俺の調整屋をしているときは大概会議に出ていたり、副統括長の仕事をしたりしているのだろう……見たことはないけど。
 でも、時たま忙しそうにしているのは知ってるから、俺の遺物探しに付き合わせるのは少し申し訳なさがあった。

 ベルナーは少しの間考え込むような素振りを見せていたが、俺の持つ本のページを再びめくり、後ろのほうのページを開いた。
 他の場所とは違い、ここだけは文章が羅列されている。
 読めない文字ではあるが、誰かが注釈したかのように訳が書かれていたから、内容はわかった。

「遺物を見つけるときに出会ったモンスター一覧、らしい」

 その言葉で、すべて腑に落ちた。
 ベルナーは、このモンスターたちと戦いたいのだ。

「お前は遺物に出会える、俺は強いモンスターと戦える……win-winだろ?」
「なるほど……」
「それに、副統括長の退職届は出してきたからな」
「なるほど…………え?」

 聞き捨てならないことが再び聞こえたような気がする。
 ちょっと待って、副統括長を、やめた?
 呆然とする俺の顔を見るなり噴き出したベルナーは、くしゃくしゃと俺の頭をかき乱してから、ポンと置いた。

「そりゃあ、副統括長なんて肩書きあったら、こんなダンジョン周遊なんてできねえじゃねえか。毎月1度はギルドの会議に顔ださないといけねえし」

 そう言い、口を尖らせる。子供みたいなこと言うなこの人。
 ……ただ、どうやらこの本の持ち主はそれを織り込み済みだったようだ。

「でもベルナー、退職願は突き返されちゃったみたいだよ」
「は?」

 今度はベルナーが呆然とする番だった。
 なんと本の最後のページに、3枚の紙が挟まれていたのだ。
 1枚は意外と綺麗な字で書かれた退職願。おそらくこれはベルナーが書いたものだろう。
 もう1枚は辞令と書かれた紙。
 そして最後は小さな紙に走り書きしたような文字の、手紙だ。

 辞令にはベルナーを、冒険者ギルドの特任総隊長に任命する、というもの。
 手紙には退職願とはまた違った、水が流れるような美しい文字で「ベルナーへ」と始まっていた。

「『君のお父様との約束で、王族に戻らない限りは面倒を見ることになっているんだ。最大限譲歩はしたから、これで許してくれ』だって」
「……はぁ……」

 途端に、ベルナーは頭を抱えてため息をついた。
 ちなみに手紙の下のほうには俺宛てのものもあり、『きっと暴走するだろうから、うまく手綱を握ってほしい』とあった。
 やはり、アンはベルナーよりも1歩2歩どころか、30歩くらい前を進んでいるような気がする。二人束になってもこれは勝てないよ。

「まさかここで生まれが枷になるとはな……」
「まあまあ。でも帰ってくるのは年に2、3回で済むみたいだし、会議じゃなくてアンさんのところに顔を出せばいいみたい」
「あー……だが……ええ?」

 まるで愚図る子供みたいに、眉間と鼻にしわを寄せるベルナーに、思わず噴き出してしまう。

「俺も調整屋のお店があるから、1年とかは開けるのは避けたいし、ちょうどいいんじゃない?」
「……お前が言うなら、仕方ねえか……」

 なんとか言いくるめられたようだ。
 ベルナーはこんなこと言ってるけど、人をまとめる能力はあるし、カリスマ性はあるから、約束があったとしてもアンも頼りにしたい節はあるのだと思う。

「じゃあ、これからどうするんだぜ?」
「そうだなぁ……」

 足元にいたモモの問いに、うーんと考え込む。
 調整屋のほうもなんとかしないといけないし、移動調整屋のものもいろいろと揃えたいし、ベルナーとモモと行くダンジョンの旅の準備もしないといけないし……

「いったん、家に帰ってから考えようか」
「わかったんだぜ!」
「ベルナーも。それでいい?」
「……おう」

 まだ納得しきれていない様子のベルナーの手を引き、後ろからモモが押す。
 調整屋のお店に戻ることにした俺たちは、ゆっくりと日が沈みかける大通りを進みはじめたのだった。


 途中で買い物に寄ったせいで、お店につくころにはすでに空は随分と茜色になっていた。
 肉串を食べて元気を取り戻したベルナーを先頭に、俺が最後尾で店に入ろうとしたとき、ふいに空に目をやるなり、胸がきゅっと締め付けられるような感覚になった。

「懐かしいなぁ……」
「カイン? どした?」
「いやぁ、王都の店から離れたときもこんな天気だったなぁ、と思って」

 あのお店に未練はないし、王都にももうない。
 でも、あのお店から離れたときから随分と人生が変わって、視野もひらけて、考えも変わっていった。
 なんだか自分の過去が走馬灯のように流れてきて、つい懐かしくなったのだった。
 って言っても、王都を出てからまだそこまでの時間は経ってないんだけど。
 ベルナーは扉を開きながら、こちらを心配そうにうかがう。モモはもう店の中にはいったようで、姿はなかった。

「ベルナーには感謝してるよ。君が俺をここまで連れ出してくれてなかったら、視野が狭いままだった」
「へへっ、言うじゃねえか相棒」
「ただ、モンスターと会うたびに突っ込む癖はどうにかしてほしいかな」
「言うじゃねえか、相棒……」

 そうして二人で見つめ合い、ハハハッと大声で笑った。

「ほら、とっとと作戦会議すっぞ」
「うん、わかった」

 そうして俺はもう一度茜色の空を見てから、店の中に入った。
 次に出会う旧文明の遺物はなんだろう。
 次に行くダンジョンはどんなしかけがあるんだろう。
 考えるだけで、心がウキウキしてくる。

 ――あー、楽しい!

 考える時間も、動く時間も、楽しさで心がいっぱいになった。
 まさか俺が冒険者になるなんて王国から出るまでは思いもしなかったし、汗水たらして体を酷使してダンジョン制覇しようとも思わなかった。

 ――意外と、やってみると楽しいんだよね……

 運が良かった、というのは大きいが、みんなのおかげでやりたいことが新しく見つかったから、前より生活が充実していたりする。
 武器調整屋をやっていたときよりも、なんだか幸せだった。

「おーい、カイン」
「はじめるんだぜ~!」

 さっそく2階の居住部分に上がるなり用意が終わっているベルナーとモモの声がする。

「わかったってば!」

 俺はその声に返しながら手元の本をぎゅっと握りしめ、るんるんと楽しい気分で、軽やかにベルナーたちの待つ2階へ向かったのだった。