どさりと何かが落ちた音がする。それと同時に、「終わったぜ」と俺たちに向かって声がかけられた。

「おつかれ……さま……」

 なんとかスライムの触手から身を守る壁を、調整スキルで消したものの、魔力が底を尽きかけていて満身創痍の状態だった。
 ちなみにアゼルも俺と同じ状況になっていて、今は意識を失いながらジェシカの作ったゼリーを食べている。のどに詰まらせないかが心配だ。
 そのジェシカも、普段よりも口数が少ない。表には出していないが、ここまで魔力が減ることはないのだろう。

「ベルナー、すごいんだぜ!!!」
「だろ? あいたたた……」

 唯一元気なのは、光線を打ったモモだけ。
 尻尾をぶんぶんと振り、こちらにやってきたベルナーの脚にしがみついていた。

「なんだなんだお前ら、実際に戦った俺より疲れてるじゃないか」
「あんたみたいな体力馬鹿と、一緒にしないでよ……」
「ははぁっ、まだまだだな」

 安堵しながらも、ジェシカが悪態をつく。
 武器を作り、武器を調整し、滋養強壮の効果で回復する。
 一見普通に回復しそうに見えるが、ジェシカのスキルは魔力を回復するものではなく、魔力を回復しやすくなる料理を作るためのもの。実際のところ、収支で言えばぎりぎりマイナスくらいだった。

 そして最後の、モモの光線。それのせいで三人はほとんどの魔力を持っていかれていたのだ。
 ただでさえスキルを使い続けて魔力が少なかった俺たちは、モモが光線を打つための魔力で、とどめを刺されたのだった。

「あー、楽しかったぜ!」
「あれ、怪我してる? 大丈夫?」

 ベルナーが俺の隣にどかりと座る。
 すると汗の熱気とともに血の匂いがしてきて彼を見ると、至るところに擦り傷があったり、なんなら肩から結構大きめに出血したりしていた。
 特に中盤以降は武器を作るので精一杯で戦いの様子はほとんど見られていないが、実はかなりギリギリの戦いだったのかもしれない。
 しかしベルナーはけろりとして、かぶりを振った。

「いや、これくらいならかすり傷だから、まったく問題ねぇな。あとで薬だけつけとくわ」
「かすり傷……? いや、でも肩すごいよ」
「これか? 返り血返り血」
「スライムの血が赤いわけないでしょうよ……」

 ジェシカの突っ込みも、のらりくらりとかわす。
 どうにかしてでも、自分の怪我とは認めたくないらしい。
 まぁ、きっと副統括長だから怪我しない、みたいなプライドみたいなものがあるのかもしれない。無事に家に戻れたら、アンにお願いして馴染みの医者を呼んでおこう。

 そんなことを考えながら、いつものようにおちゃらけるベルナーを見つめる。
 とそのとき、ふと思い出した。

「あ、そうだ」
「ん? どした?」

 ベルナーが首をかしげてこちらを見てくるが、俺は構わず彼に近づき――

「いでででで!!!!!」
「旧文明の遺物を投げ捨てた理由、言ってみようか」

 両頬をつまみ、勢いよく引っ張った。
 実は戦いが始まる直前、ベルナーはあのゴーグルを外してこの空間の端のほうに投げ捨てていたのだ。
 水中服であればアゼルがスキルで複製しているからいいが、あのゴーグルはまだ複製したことのない一点物のものだった。
 だというのにこの野郎、あろうことか戦いにゴーグルを使わず、捨てやがったのだ。

「ほへはひふんほひははへはははいははっはんは!」

 自分の力で戦いたかった、とな。
 途中でモモが拾ってきてくれたからよかったものの、あのまま壊れていたらこれからの遺物の調査に多大な影響をもたらしてしまうところだった。

「へぇ……そうなんだ」

 鼻で息をついてから頬を離すと、ベルナーは両手で頬を撫でながら「俺だって頑張ったんだよぉ……」とめそめそしはじめた。
 頑張ったのはよくわかるけど、それとこれとは別問題なのだ。一応アンには報告しておこう。

 そんなふうに戯れつつ、体力を回復しておく。
 ここから入口のテントのところに戻るまででも、時間がかかりそうだしね。
 ジェシカの用意してくれたご飯を食べ終え、アゼルも回復して起きてきたところで、最奥に横たわっていた少女がぱちりと瞼を開いた。

「あ、起きた? もうスライム倒したから、安心してね!」

 数秒ほど少女はまるで寝ぼけたようにぼーっとしていたが、ようやっと俺の言葉の意味を理解したようで、目を見開くと勢いよく奥まった空間から這い出て、遺物の前に立った。
 俺もそれを追いかけて、隣に立つ。
 少女は胸に手を当てて、感慨深そうに遺物を見上げていた。
 以前のダンジョンで出会った遺物のように、光沢のある金属質ではなく、小さな穴が無数に開き、スライムで溶けた跡もかなりある。
 あとベルナーが剣で突き刺したあとも。……さっきこれについても説教しておけばよかったかな。

「……大丈夫?」

 問いかけると、少女はこくりと頷く。
 そして、そっと遺物に手を伸ばした。
 その瞬間、薄暗かったこの空間が空に浮かぶ島の景色に舞い戻った。
 遺物はいつの間にか大木になっていて、先ほどよりもちょっとだけ木は小さくなったように見える。
 ここに来たときの空の色はピンクがかっていたが、今は橙色で、綺麗な夕焼けだ。

「な、なんだ!?」

 後方からベルナーたちの驚いたような声が聞こえる。
 そういえばあの三人、この光景は見たことがないんだっけか。
 綺麗な光景に目を奪われていたが、ハッとして目の前の少女に視線を戻す。
 すると彼女は俺の手をそっと握り、にこりとほほ笑んだ。

「ありがと」

 少女はそう一言呟く。
 その瞬間、大木に桃色の花が咲き乱れた。
 後方からベルナーたちの驚きの声がふたたび聞こえるが、俺は目の前の少女に釘付けだった。

「君は……」
「ここの、あるじ」
「つまり……このダンジョンの真のボスってことか!」

 こくりと少女は頷く。
 まさかこんなに可憐な少女がダンジョンの真のボスだなんて……と思ったものの、薄々そんな予感はしていた。
 だって、こんなダンジョンの深いところに、装備もないまま歩いてたし、なんか力を使ったかと思ったら鉱物が生えてきたし。
 それに、俺にしか見えてないし。
 俺の考えていることがわかったのか、少女はふふ、と笑った。

「あなたがいちばん、しんじられそうだった、から」
「それは、その……どうも……」
「このばしょよりも、いぶつにしか、きょうみなさそうだった」

 すごい、この子、俺と全然話してないのに俺のことよくわかってる!

「でも、いぶつ、きえちゃう」
「…………え!?」

 素っ頓狂な声をあげてしまう。目をみはる俺を前に、少女は申し訳なさそうに、ふるふるとかぶりを振った。
 少女が言うには、このダンジョン内の鉱物や遺物というのは、少女が作った幻想に過ぎないのだとか。
 まぁ、このダンジョンの海底も砂浜もジャングルも、今目の前にある大木も、全部幻想だからね。
 で、道中拾った遺物も、アゼルが複製したものも、素材には彼女の幻想が入っているから、ダンジョンから外に出ると、たちまちなくなってしまう……と彼女は話した。

「そっか……」
「……ごめん」
「ううん、構造は覚えてるから、別の素材でアゼルに作ってもらってみるよ」
「それなら、だいじょうぶ」

 目を細めた彼女は、安心したように息をつく。
 そして辺りをぐるりと見回した。

「そろそろ、じかん」
「時間? なんの?」
「わたしが、きえるまで」
「…………え」

 唐突に衝撃的なことを言われて驚く。
 それと同時に、少女の体が下から花びらとなって消えはじめた。

「もんすたーにやられて、きえそうだった。あなたたちのおかげで、ここまでもちこたえた」
「そうだったのか……」
「さいごに、ぷれぜんと、あげる」

 プレゼント? と聞き返す前に、少女は俺の手をひらき遺物へぺたりとくっつける。
 そして何かを呟いたかと思うと、手のひらを通じて頭に大量の情報が詰め込まれはじめた。

「――っ!?!?」
「ちょっとだけ、がまんして」

 頭がちかちかして、目を開いているのに目の前が見えないみたいになっている。
 反射的に大木から手を離そうとするも、少女が強い力で押さえつけるものだから、離すこともできない。
 ただそれは数秒で終わり、すぐに頭の中も普段の状態に戻った。
 唯一、とある知識だけが追加されているだけで……

「こ、これって!」
「いぶつの、ちしき。すきでしょ?」
「好きだけど、こ、これ!」

 脳内に綺麗に記憶されたのは、旧文明の遺物の知識だ。
 以前のダンジョンで見た壁から飛び出る砲や、今回のダンジョンで出会ったゴーグルや水中服、それ以外にも膨大な量の旧文明の遺物の性能や使い方が、記憶として定着していた。
 しかもそれだけでなく、その遺物の中に埋め込まれた回路が、どのようにして効果を発揮するようになっているのか、などもある。

「ぜんぶじゃないけど、わたしがしってるのは、いれた」

 にこりと可憐な少女のような表情でぼそっと言うけれど、言ってることはとんでもないことだ。

「たすけてくれた、おれい。いぶつ、たのしんでね」
「え、あ……う、うん!」
「それじゃあ、ばいばい」

 戸惑いを消化しきれないままあたふたしていると、少女が手を振る。
 いつの間にか、体はお腹あたりまで花びらとなって消えていて、もうすぐにでも全身が消えそうだった。

「ば、ばいばい! プレゼント、ありがと!」

 言いたいことはたくさんあったけれど、俺もとりあえず手を振ってそう返す。
 すると彼女は今まで一番の笑みを浮かべて――花びらとなって舞い散った。


 そうして俺たちは十分な休憩をとったあとに、主を失ったことで幻想を失ったダンジョンから出ることにした。
 ベルナーたちに少女のことや、少女に遺物の知識をもらったと話したところ、四者四葉の反応が返ってきた。

 ベルナーは顔をしかめて、「それは……とんでもねえな。アンに相談しないとなぁ」とつぶやき、ジェシカはキラキラとした目で「ダンジョンの真のボスが調整屋くんに助けを求めたなんて、ロマンティック!」とうっとりしている。
 俺の話を聞くなり俯いてしまったアゼルは「俺の……素材……」と嘆き、モモは「俺のことはわかるんだぜ!?」と興奮気味に尻尾を振り回していた。
 ちなみに、少女からもらった遺物の知識にモモはなかった。それを伝えたら、一瞬で尻尾は垂れ下がってしまった。

 当の俺は、高揚感でいっぱいだった。
 自分で遺物を調べないで知識を得てしまった、というのはあるけれど、それでも大量の遺物の知識がある中で、まだまだ世の中にはこれ以上の遺物がある、と教えてもらったようなものだ。
 くだらないものから、おそらく国を潰せるような大きなものまで。

 なんて遺物というのは素晴らしいものなんだろう!
 手のひらよりも小さな機械を動かすだけで、そのあたり一体を一気に持ち上げて移動できるようにするものとか、空を自由自在に飛べるものとか!

 …………あれ、これってもしかして、知っちゃいけなそうな知識を知った感じ?

 黙ったままちらりとベルナーを見ると、こくりと頷きが返ってきた。

「アンには言ってもいいが、王族の前では絶対に言うなよ。下手すりゃお前、軟禁だからな」

 それは嫌だ~~~!!! まだまだダンジョンにもぐって、遺物を探索した~~~~い!
 絶対に王族となんか会うものか!!!!!!
 ――しかし、その決意も、無惨にすぐ散ってしまう。

「うわ、眩し……」
「本当の陽の光は、やっぱ格別だな!」

 長く歩き、ようやっとダンジョンから出た瞬間。
 燦燦と降り注ぐ温かな陽の光を邪魔するように、無粋でやかましい声が俺たちに襲い掛かった。

「ダンジョン制覇の偉業は見せてもらったぞ、カイン! これから私の配下として存分に働くがいい!!!」
「…………はぁ?」

 キラキラゴテゴテの悪い意味で眩しい衣装に身を包んだ、俺が王都から出なくてはいけなくなった元凶の第三王子(アホ)が立っていた。