夕方に店を出て、王都を出てすぐのところにある商業街道に着くころにはすでに、辺りはすっかり暗くなっていた。
 さすがに夜移動をするわけにもいかないので、今日は商業街道の宿に泊まり、明日の朝から移動を始めることになる。
 王都の外とはいえ王都のすぐそばということもあって、大きめの酒場や豪華な宿屋がいくつもある。
 ひとまず、腹も減ったし酒場で飯でも食おう――そう思い、空いてる酒場に赴き、意気揚々と席に着いたのだが……

「ごめんね~お兄さん。かまどの火の調子が悪くてねぇ……」
「あー、なるほど……」

 メニューを持ってきくれたマダム曰く、温かい料理が軒並み作れないとのことだった。
 どんな料理があるのかざっと目を通すと、ステーキやスペアリブといった冒険者に大人気のガッツリしたものから、タンク職の人が好んで食べるポテトやナゲット、神官など菜食主義の人が食べやすいスープまであるのだが、すべて温かいメニューだ。
 残念なことに、いまこの酒場で出せるのは、葉物系のサラダのみ。

 だからか。
 こんな酒場としてはめちゃくちゃ稼ぎの時間だってのに、人が全然いないのは。

 百人はゆうに入りそうなとんでもなく大きなワンフロア。
 たくさんある机だけでなく、奥にはカウンターみたいなところもあり、そこで調理を見ながらご飯を食べられるのだろう。
 しかし、どこもかしこもすっからかん。
 いるのは、葉物のサラダを丁寧な所作で食べる神官のみ。
 その数も片手で収まる程度だ。
 まず、夜の酒場の雰囲気ではない。

「もし温かい料理が食べたいのなら、他の酒場さんところ行ったほうがいいと思うんだけど……」
「ん~、そうですねぇ……」

 心配そうにこちらを見るマダムを前に、考える。
 たしかに、とっととガッツリしたメニューにありつくには、他の店に行ったほうが良いというのはその通り。
 だが、こんな酒場の稼ぎ時、みたいな時間はどこもかしこも混んでいるだろうから、今いったとて1、2時間は食べるまで待ってしまうかもしれない。
 俺も明日は冒険者ギルドに朝から行って護衛を頼まなきゃいけないから、なるべく早めに宿に帰りたい。
 けど、夕飯には温かい料理が食べたい…という俺の欲もある。
 少しの間考え込んで、出た返答が――

「ちょっとお伺いしたいんですが」
「なんだい?」
「このお店のかまどって、魔道具ですか?」
「あぁ、そうだけど」
「なら俺、応急処置くらいならできると思います」
「本当かい!」

 マダムは目をみはって喜ぶ。

「ただ、魔道具を修理するわけではないので、応急処置を終えたらなるべく魔道具修理のプロに直してもらってほしいんですが」
「いや、応急処置でも助かるよ! 明日の朝にならないと修理の人は来ないからさ!」

 そう言うなり、マダムはたいそう嬉しそうに、バンバンと俺の肩を叩く。
 ちょっと痛い。
 さすが酒場で大量のビールを一気に運ぶ訓練を受けてきた人の力だ。

「じゃあ、ちょっと見せてください」

 俺はマダムの手をなんとか避けながら立ち上がると、マダムに案内されてキッチンの奥のほうへ向かったのだった。


 キッチンは、フロアに比べると小さいものの、それでも俺がやってたお店に比べると大きな、十数人が一斉に動いてもまったく妨げにならない程度の大きさがあった。
 壁には冷蔵庫や保存用の棚が並び、中央にはおそらく食材を切ったりする用の作業台が置かれている。
 そのそばには何台ものコンロがずらりと並び、冷蔵庫とは反対の壁にはロースト機などの大きな機械があるものの、そちらは今は稼働していない。
 ずいぶんと静かなキッチンだった。

「このコンロがねぇ、全然動かなくて……」

 そう言いながら、マダムはコンロの着火ボタンを押すが、その上の炎が出るであろう場所にはなんの変化も見られない。

「それじゃ、ちょっと触らせてもらって……」

 俺はコンロに手を置き、目をつむる。
 すると、リリーの杖を直したときと同様、コンロの構造が見えてきた。
 着火ボタンとその隣にある消火ボタンから回路がそれぞれ伸びていて、コンロの真ん中に置かれている石へと向かう、わりと単純な構造だ。
 このコンロは、不安定な魔力が込められた石が入っており、着火ボタンを押して微量の魔力を消費して石に振動を与えることで、石が蓄えられた魔力を炎として発散させる、といった機序で動いているらしい。
 ちなみに火を消すときは消火ボタンを押すことで再び微量の魔力が石に行き、石の魔力放出を抑える、という動きだ。

 回路は良好。
 途中で寸断していたり、壊れていたりする場所はなく、綺麗な回路だ。
 わりとコンロの見た目自体は油汚れなどがあったから、使っていくうちに回路が壊れてしまったのかと思っていたけれど、意外とそうでもないのかもしれない。
 つまり問題は、石にあるか、ボタンにあるか、だ。

「この中にある石って、いつぐらいに交換しました?」
「たしか……1週間前くらいになるかなぁ」
「なるほど……ちなみにコンロが動かなくなったのって、いつですか?」
「昨日の営業時間までは無事に使えてたから、今日の昼頃くらいかねぇ……」

 となると、石に問題がある……というのはなかなか考えづらくなる。
 石が不良品で、1週間も経たずに魔力がなくなる……というのは考えられなくはないが、基本的こういった石は1ヶ月くらいは保つし、俺が今見ている限りでも、魔力が枯渇しているようには見られない。
 間違った種類の石を入れてうまく作動しない、という可能性もあるが、昨日までは使えていたということを考えると、それも考えにくい。
 となると問題は、着火ボタンにある可能性が高くなる。
 試しに着火ボタンを押してみる。

「……当たり!」

 こういった普段使いするものは、本当に微量の魔力しか使わないように設計されているので意識を研ぎ澄ませないとなかなか魔力の消費というのはわからない。
 しかし、いま着火ボタンを押したところで、魔力が消費されている感覚は微塵もない。
 つまり、着火ボタンが故障してしまったことが原因だろう。
 着火ボタンに焦点を当てて、再び魔力を流して構造を見る。
 コンロを見るときにもやろうと思えば着火ボタンの細かな構造まで見ることはできたが、そうすると自分の脳内に流れる回路が多すぎて原因がわからなくなってしまう。
 なので、まずは大雑把なところを確認して、ついで細かい構造を見ることにしているのだ。

 着火ボタン自体はシンプルな構造で、ボタン表面にある魔力を吸い取るためのシート、そして吸い取った魔力を回路に流す機構、最後に回路、の三段階。
 いま壊れているのはどうやら、一番目の魔力を吸い取る機構。
 どうやら長年使ったことでシートが擦り減り、手と触れる面積が極端に少なくなったことで、うまく手から魔力を吸い取れなくなってしまったようだ。
 このシート自体は普通の人の目で見えるわけじゃなく、魔力を意識的に使いこなす人じゃないと見えないものだから、マダムは気付かなかったのだろう。

「それじゃあ、こうすれば……っと」

『調整』を使い、まだかすかに残っているシートを薄く薄く延ばしていく。
 それをボタンの表面に出すことで手と触れる面積を増やし、魔力を吸い取る機構の応急処置の成功だ。

「こんな感じでどうでしょう?」
「あら、もうできたの? …………まぁっ!」

 ものの数分で処置したせいか、訝しげに俺を見るマダムだったが、コンロが無事についたところを見るなり、目をみはって嬉しそうに手を叩いた。

「ありがとう! これで無事に今日の営業ができるわ」
「どういたしまして。ただあくまで応急処置なので、明日にでも修理の人を呼んで、着火ボタンを直すか、新しいものに代えてもらってください」
「ええ、そうするわ!」

 そうしてマダムは「お礼に、温かいお料理をサービスするから、さっきいたところで待っててね」と言って、キッチンを忙しく動き始めた。
 邪魔になるのもよくないので、言われたとおりに席についた。

 ……のだが。

「イノシシ型のモンスターだ!!!!」
「はやく王都の中へ!!!」

 席に座って一息つくなり、にわかに外が騒がしくなる。
 しかも、モンスター、とな。
 王都の中ではほとんど聞かなかった単語に、焦りが募りはじめる。
 王都自体は結界魔法の使い手によって結界が構築されているので、基本的にモンスターが侵入してくることはない。
 数百年前に一度、結界がなんらかの理由で緩み、さらに同時に結界をものともしないモンスターの出現によって侵入した……と何かの本で読んだ記憶がある。

「王都の外に一歩出ただけでこれかぁ……」

 幸先がなんだか不安だ。
 しかし、どこぞのアホのせいで王都には入れない身だ。
 どうにか、王都に逃げ込む以外の方法で対処しなければ。
 俺はキッチンにいるマダムに「モンスター出たから王都の中に!」と叫びつつ、とりあえず外に出た。


 店の外に出ると、数十匹のイノシシ型のモンスターがこちらに向かってくる最中だった。
 街道には剣や弓矢、魔法銃、盾といった武具を携えた冒険者たちが各々待ち構えており、武器を持たない一般人と思しき人は皆続々と王都へ走って向かっている。
 残念ながら、俺に実戦経験はない。
 なのでひとまず、壁をよじ登って酒場の屋根の上にあがる。
 屋根の上には、偵察をしていると思しき男性が一人。

「あーくそっ! こんな暗くちゃうまく見えねえ!」

 長い癖毛後ろに一つで結んだ彼は、双眼鏡を眺めながら悪態をついていた。

「それ、ちょっとだけ触っていい?」
「わっ! なんだ突然……!」

 本当は何かを調整するときには事前に説明をしないとトラブルのもとになるのだが、緊急事態だ。何十分も説明していては、このあたりが壊滅するかもしれない。

「調整するだけ。ほら」

 そう言い男の持つ双眼鏡に触れ、魔力を通す。
 ざっと構造を確認するに暗視機能はついていない様子。そりゃこんな夜に遠くの景色が見えるわけがない。
 とはいえ、調整スキル自体は何かを新しく追加することはできない。
 なので、いったんレンズ部分をちょっと調整して、取り込む光の量を極端に多くしてみた。

「これでどう?」
「は? っと、おおっ! 向こうが見えるようになった!?」
「微調整できるから、もし要望があったら言って」
「……あんたもしかして、カインか!」

 双眼鏡から手を離して男の顔を伺うと、彼は目を見開いてこちらを見ていた。
 暗くてよく見えていないけれど、なんだか見覚えがあるようなないような……

「あ、もしかして顧客の人だった?」
「いや、店に行ったことはないんだ。ただ詳しい人から話を聞いていてね」

 なんだ、気のせいだったか。

「それで、どう? 双眼鏡の使い心地は」
「あーっと……もう少し光絞れるか? 逆に眩しすぎて目がチカチカしちまう」
「オッケー」

 もう一度双眼鏡に触れ、言われた通り取り込む光の量を少し絞るように調整する。
 すると、男はサムズアップで応え、すぐに街道で構える冒険者たちに大声で指示を出し始めた。

「さて、と……」

 今から街道に出て武器を調整することもできはするのだが、男の指示内容をかいつまむ限り、もうそろそろモンスターがやってきそうだ。
 となると十中八九邪魔になるだけなので、とりあえずは屋根で待機して、何か要望がでたら対応しよう。

「…………ふう」

 ため息をつくと、ぐ~、とお腹から音がする。
 結局酒場では何も食べられていないし、キッチンから漂う美味しそうな匂いは嗅いじゃったものだから、空腹が余計に刺激されてしまっていた。

「はやくあったかいご飯が食べたい……」

 思わずため息がもれてしまう。
 そんなため息は、やがて大きくなり始めた、何十匹ものモンスターが土を蹴る音にかき消された。

「この魔法銃! なんか急に弾が出なくなったんだけど!」
「うーん、銃身が熱すぎて歪んだみたい! 直しておいたのと、銃身の熱放射をよくしておいたから頻度は減るはず!」

「たいへん! 剣が折れた!」
「折れたのは直せないから、これ使って! めちゃめちゃ頑丈にしといたから、骨に当たったくらいじゃおれないと思う!」

「盾の補強を頼みたい!」
「任せて! どんなものも貫かないようなかってえ盾にしておいたよ!」

 モンスターとの戦いが始まり、はやくも小一時間程度が経った。
 その間俺は屋根の上で待機しつつ、ときおりやってくる調整をこなしていた。
 俺の突発調整屋に並ぶ人がいなくなり一段落して、ふう、とため息をつく。
 普段はここまで魔力を急に消費することがないから、少し疲れてしまった。
 とはいえ、魔力自体はまだまだあるので問題ないが、これが2、3日続くとなるとまた話は変わってくる。

「いまどんな感じかな?」

 屋根から落ちないように気を付けつつ、あたりを見回す。
 イノシシ型のモンスターと戦う人たちが多く見えた。
 先ほどよりも減ったようには見えるが、街道の奥にある森のほうからまだ続々とこちらにやってきているみたいだった。

「カイン!」
「はーい! って、さっきの人」
「よ。……って、危ないからあんま屋根の端に行くなよ」
「ごめんごめん」

 やってきたのは、さきほど双眼鏡を調整した男だった。
 両手に魔法銃を持ちながら屋根にあがってきた彼はさっさと座ると、身に着けるレザージャケットのポケットからビスケットを取り出し食べ始めた。

「戦いの首尾はどんな感じ?」
「あー……」

 ビスケットを食べ始めるのだから結構余裕があるのかも……と思って聞いてみるが、男は急に眉根を寄せてしまった。

「ヤバいわけではねえが……まだまだ終わんねえだろうな。なんせピエトリの森のモンスターが一気にやってきてるからなぁ」
「ピエトリの森の?」

 ピエトリの森は王都の南にある大きな森林で、この国で一番大きいとされる王都の数倍の大きさがある。そこにはこの国でも有数の大きさを誇るダンジョンがあり、初心者にはもってこいの難易度だ。
 ただ彼が言うに、なぜかそこにいるモンスターが軒並み王都に向かってやってきているんだとか。

「大移動ってこと?」
「それにしてはこちらに敵意を向けてるんだよなぁ……。誰かが巣にちょっかいでもかけたか?」
「さすがにそんなことはしないでしょ。冒険者じゃない俺だって、モンスターの巣には手を出しちゃダメって知って――」

 そこでふと思い出す。
 あのアホ第三王子、たしか南のダンジョン行ったとか言ってたような……
 しかもあれのことだから、きっとモンスターの基礎知識とか学んでなさそうだよね……
 いや、いまそんなことを考えてる暇はない。

「となると、あとどれくらいでこれって終わりそう?」
「そうだな……3日くらいってとこか」
「3日!?」

 空腹も相まって、くらっとめまいがする。

「それくらいすれば、モンスターたちも落ち着くと思うんだよな。さすがにモンスター全部倒すとなると、3か月とかかかると思うが」

 なんてことだ。となると最低3日は温かいご飯にはありつけないということになる。幸先不安なスタート再びだ……

「もし疲れてるようなら、王都の中に逃げると良い。今の王都は結界がしっかりしてるから、モンスターが来ても入れないはずだ」
「ちょっと諸事情で、王都に戻れないんだよ……」

 がっくりと項垂れる。
 あのアホ第三王子め。なんてことをしてくれたんだ……
 となると、さっさとこのモンスター退治を終わらせるには、何かしらの一手を打たないといけないってことになる。
 どうしようか、と辺りを見回す。

「ベルナー!」

 すると、冒険者の女性が一人、屋根の上に跳んであがってきた。
 ここ4階くらいの高さがあるんだけど……と思ったが、おそらく跳躍スキル持ちなのかもしれない。
 彼女は双眼鏡の男――ベルナーという名前らしい――を見つけると、すぐに駆け寄ってくる。

「どうした?」
「打開策が見つかったわ。あのモンスター、雷魔法を与えると痙攣して倒れるんだけど、そのあと何事もなかったかのように森へ帰っていくの!」
「本当か!」

 俺は盗み聞きしつつ、期待に胸を膨らませる。
 つまりリリーのような魔法の使い手がいれば、この戦いは終わったといっても過言ではない!
 ……しかし、俺の希望は無残にも打ち砕かれる。

「いまここに雷魔法を使えるのは、俺と、あと数人しかいないな……この少人数でいけるか……?」

 盗み聞きしながら、再びがっくしと項垂れた。
 しかし、ふと思いつく。

「ねぇ、ベルナー」
「ん?」

 俺は二人に近づく。女性のほうが怪訝な顔をするが、ベルナーが「王都の調整屋、カインだ」と紹介してくれると、「あぁ! あそこの有名なところね」と友好的になった。

「で、どうした。カイン」
「ベルナーさ、魔法銃使ってたよね」
「使ってたが……それが?」
「大きい魔法銃って使える?」
「使ったことはないが……武器はおおよそ使えるぜ。俺のスキルはちょっと特殊で、簡単に言や、どんな初見の武具防具でも人並みに扱える、ってやつだからな」

 ベルナーは腰に手を当てて、俺に自信満々の笑みを向ける。
 よし、なら行けそうだ!

「さっきの雷魔法の話で、ちょっと試したいことがあって」

 俺はそう言うと、手元のアイテムバッグから武器を取り出した。
 これは元のお店に置いてあった、俺の身長より大きな砲身を持つ魔法砲だ。
 機序的には魔法銃と同じではあるが、図体が大きいからその分威力もでかい。
 難点といえば衝撃が大きさの分強いため、扱える人間が少ないことと、魔力の消費が馬鹿みたいに多すぎて何発も打てないということ。

「待った……今どこから取り出した……?」
「うん? 普通のアイテムバッグ。あ、調整スキルでちょっと改造してるけどね」
「改造……? いや、まぁいいか。それでこれを?」
「調整スキルでいまから扱えるようにするからさ、これで一網打尽にするってのはどう?」

 戦闘なんてはじめて経験するから、この提案はもしかしたらあまり良くないものかもしれない。
 しかし俺はしっかりと見えた。

 ベルナーの口の端が、ニヤリとあがるところを。

「なるほど……それはだいぶ、ロマンだな」
「でも、やってみたくない?」

 俺も口端を上げてにやりと笑う。
 するとベルナーもふんと笑いつつ拳を出してきた。
 それに拳を当てれば、作戦決行の合図だ。
 ベルナーは笑いを顔に乗せたまま、女性のほうを向いた。

「ジェシカ、10分後にカインと作戦を始めるから、それまでにいま戦ってるやつらを地面じゃないところに避難させてくれ」
「おーけー。建物の2階以上にいれば大丈夫よね?」
「ああ。間に合わなかったらイノシシたちと一緒におねんねタイムだ、とでも言っておいてくれ」

 冗談まじりに言うベルナーを見て、女性――ジェシカは一瞬珍しそうに目をみはったが、すぐに「わかったわ」と言って、屋根から飛び降りた。

「さてカイン。一網打尽にするってのを、やってみようじゃないか」

 表情からして、すごく楽しそうにするベルナー。
 なんだかそれを見ていると、こっちも楽しくなってくる。
 思い返してみると、今まで客の要望に応じてできる範囲で武器の調整をしていたが、できる範囲とか無視してやりたい調整をやる、というのは、やったことがないかもしれない。
 しかも、この武器は王都の店に置かれていた、所有者のいない武器。
 たぶん誰かがダンジョンで拾ってきたものの、使いこなせなくてお店に置いていったんだと思う。
 モンスターに襲われている……という状況の中、不謹慎ではあるものの、なんだかすごく高揚感に満ちあふれていた。

「ジェシカの合図とともに、作戦決行だ。それまでに調整できるか?」
「もちろん! 俺を誰だと思ってるのさ」
「くくっ……この国唯一の武器調整屋だったな」

 再び笑うベルナーを視界の端に捉えた俺は、魔法砲をしっかりと手に持ち目をつぶる。
 魔力を流し込むと、その構造が詳しく脳内に流れ込んできた。
 魔法砲は、持ち手の部分から持ち主の魔力を吸収し、砲身の内部にある貯蔵エリアに魔力を溜める。そして、貯蔵エリアから発射口まで一本の回路が伸びていて、そこを通りながら魔力を実体化させ、弾にして打つという武器だ。
 つまるところ、こいつをしっかりと扱えるものになるには、持ち主の魔力吸収を最適化させることと、魔力を実体化させる際のロスを最小限にすること。
 そして、魔力を発射するときの勢いをとにかく大きくすることだ。

「……行けるじゃん」

 そう独り言ちると、俺は魔法砲に魔力をぐっとつぎ込んだ。
 普段、武器を調整するときからは想像できないほど、身体の魔力を持っていかれる。
 しかし、高揚感に支配されたこの体では、あまり気にならなかった。

「試しに魔力を入れてみて……っと、完璧!」
「時間ぴったしだな」

 調整が終わって目を開くと、ちょうど近くの建物の屋根の上で、ジェシカが赤い旗を振っているのが見えた。

「じゃあ、これ。頼んだよ」
「もちろんだとも。俺を誰だと思ってんだ?」

 そう言うと、ベルナーは魔法砲を肩に担ぎ上げ、照準を眼下に向ける。
 そして魔法砲が淡い紫色の光をまといはじめた。これが魔力を吸収している合図になる。

「……くっ、結構魔力を持っていきやがるな」
「大丈夫?」
「はん、これくらいなら朝飯前だな」

 一瞬よろめきそうになったベルナーだったが、足を踏ん張らせて姿勢を保つ。

「行くぜぇっ!」

 魔法砲がちかちかと点滅しはじめ、辺りがにわかに暑くなる。
 魔力を実体化させるうえで、生じる反応熱だ。
 砲身もうっすら赤くなっているから、相当な熱を持っていそうだが、ベルナーは微塵も手放すことなく、むしろより強く持つ。

「ぶっ放せぇええええっ!!!!」

 そう叫んだベルナーが引き金をひくと、発射口から凄まじい明るさの紫電が解き放たれた。
 まるで砲身から何十本、いや何百本もの雷が同時に落ちたような光景に、思わず目をつぶる。
 瞼越しでも明るすぎる光は数秒続き、そしてゆっくりと暗くなっていった。
 なんなら先ほどよりも暗い。魔法砲の光が明るすぎたからだろうか。
 じっと目を凝らすと、ようやくすぐ前にいたベルナーの姿を捉えた。

「……?」

 先ほどの姿勢を保ったまま、彼は微動だにしない。
 しかし次の瞬間には、どさりとそのまま横に崩れ落ちた。

「ベルナー!」
「だい、じょうぶ、だ……。魔力を、使いすぎただけで……」

 震える手で弱々しくサムズアップをするものの、どう見ても元気ではない。

「それ、よりも……モンスターは……?」
「えっと……」

 ベルナーに問われて、屋根の上から下を覗く。

「おぉ……全部倒れてる……」
「やったぞぉっ!」

 俺の感嘆のあまり漏れ出た呟きと、周囲の歓声はほぼ同時だった。
 直前まで戦っていた人たちは屋根の上から次々と降りると、互いにハイタッチをして、健闘をたたえはじめる。
 ジェシカも同じタイミングで俺たちのもとにやってくると、腰に手をやり少し嬉しそうな表情とともにため息をついた。

「あーあー……カイン。あんた、ベルナーのお気に入りになっちゃったわね」
「お気に入り?」
「そ。見てごらん、こいつの顔」

 促されてベルナーの顔を見る。
 疲労困憊なうえにまともに立てなくなるくらい魔力を限界まで使いきったからか、彼は眠ってしまっていた。
 でもその表情は、めちゃくちゃ満足そうだった。

「じゃ、こいつは回収しとくから、また会ったら相手してやってね」
「うん、わかった」

 そう言い、ジェシカはベルナーの足を持つと、そのまま周りの冒険者が撤収する方向に引っ張って行ってしまった。
 いや、それでいいの? 運び方。
 たしかにベルナー、図体が大きいから持ち運べなさそうだけども。

「そういえば、お気に入りってなんだったんだろ」

 結局、ジェシカは詳しいことは言わなかった。
 まぁでも、冒険者なんて一期一会って話を聞くし、明日くらいに会ったとしても、きっとそれが最後だろう。
 俺はぶるぶると首を横に振る。
 それはさておき、お腹が減った。はやく温かいスープが食べたい!

「さっきコンロ直してくれたお兄ちゃん、まだいるか~い?」
「いま~す!」

 下のほうから、先ほどの酒場のマダムの声がする。

「モンスターたち片付いたみたいだし、食べてってきな~!」
「やった!」

 俺はいそいそと屋根から降りて、酒場の中へ戻る。
 マダムはステーキや熱々のスープを用意してくれていて、俺は満足するまでそれを食べて、とっておいた宿に戻ったのだった。

 というか、マダム、モンスターたちとの戦っている間も、王都の中に逃げてなかったんだ。肝っ玉座ってるな……