◆ ◇ ◆
俺たちが向かったのは、砂漠のエリアを通り過ぎた次の、海岸エリア。
砂でできた一本道がずっと水平線の向こうまで伸びており、その横は真っ青な海が広がっている。
燦燦と先ほどの砂漠エリアと同じ日差しが指していて、常夏の島にでも遊びに来たような気分になった。
「一本道で、初心者に向いていると思ったんだがぁ……」
「この範囲全部、探索するんだもんね……」
ベルナー曰く、これまでは日差しを遮るものがないだけの簡単なエリアだったが、水中マスクの登場ですべてが変わったらしい。
どことなく元気がなくなったベルナーの肩を、ポンポンと手で叩いておいた。
海岸エリアに来るまでの水場も探索するため何人か分かれたから、いまこの海岸エリアに残っているのは、俺たち含めて十数人程度。
対して、目の前に広がるのは、それはそれはたいそう広い海。
「1日じゃさすがに無理だよね」
「ま、それが冒険の醍醐味ってことだ。ほら、持ち場割り振るから、集まれ!」
今度は俺がベルナーに励まされる番だった。
そうして俺とベルナー、モモの2人と1匹が担当することになったのは、一本道のちょうど中間地点のあたりの海の、入口から見て右側のエリア。
ちなみに左側のエリアは、アゼルたちの担当だ。
一本道の中間地点には、休憩できそうな円形の広い場所があり、冒険者初心者である俺がすぐに休憩地点に行けるように、と配慮してくれたらしい。
「意外と水中で動くってのは、体力がいるからな」
「でも、旧文明の遺物があるなら、元気100倍だから!」
「我輩も頑張るんだぜ!」
仕方なそうに肩を竦めるベルナーをよそに、俺とモモは手を合わせながら、意気揚々とマスクをつけて水中に飛び込んだ。
海を模しているからそのまま目を開けると痛いかもしれない、と少し構えていたがそんなことはなく、目を開いてもとくに痛くもないし違和感もない。
かなり綺麗な水だからか、地面やそこいらを泳ぐ魚が綺麗に見える。
しかも先ほどまでとんでもない日差しの下で暑かったからか、ひんやりした水がとても気持ちいい。
冒険に来たはずなのに、まるでバカンスにでも来たようだった。
「わぁ……!」
「あんまり生き物には近づくなよ。調査してねえから、毒があるかもしれねえ」
「我輩、海の中初めてなんだぜ!」
キャッキャとはしゃぐ俺とモモと、それをたしなめるベルナー。
なんだか鍛冶屋の前に通っていた幼年学校を彷彿とさせながらも、俺たちはひとまず辺りを探索し始めたのだった。
数十分くらいならとくに変わらず、2時間ほどが経ったあたりで、体中を違和感が襲い始めた。
「ベルナー。ちょっと休憩してくるね」
「おう、水もちゃんと飲んでおけよ」
なんだか体中が気だるい。
海中を泳いで、見たことのない魚にはしゃいで、地面や岩を注意深く観察していただけなのに、なんだか一気に体調が悪くなった気がする。
それになんだかめちゃくちゃ眠い。まぶたが今にも落ちそうで、油断したら海の中で寝ちゃいそうだ。
そう思い、モモと一緒に一本道の上にある休憩地点に行こうとするも、なかなか前に進めない。
「も、モモ~……」
「仕方ないやつなんだぜ!」
最終的には、モモに引っ張ってもらい、なんとかして地上にあがったのだが。
「か、体が……重い!?」
水中から出た瞬間、全身にのしかかる強大な力。
まさか俺たちが海の中を探索している間に、ダンジョンの性質が変わったとか……!?
よたよたと老いぼれのようにゆっくりと歩きながら辺りを見回す。
「あれ、調整屋くんもちょうど休憩~?」
「ジェシカ、さん……」
「あれ? 調子悪い感じ?」
しかし、ちょうど同じタイミングで休憩地点に向かっていたジェシカは、すたすたといつも通りのスピードで歩いている。
あれ? じゃあこれ、俺だけ?
心配そうに駆け寄ってくる彼女だったが、俺を見るなり、ふふ、と笑った。
「なんかあれだね、疲れ果てた子供みたい」
その言葉で、ピンと来た。
この倦怠感、まぶたの重み。
ベルナーが言っていた「水中では体力がいる」という話。
これ、めちゃくちゃ疲れてるんだ。
「なる……ほど……」
「ほら、とりあえず服と髪乾かしてあげるから、一旦寝な寝な」
「そうし、ます」
熱い日差しの中、一瞬だけ体が温かい風に包まれる。
肌に張り付いていた服が乾き、髪もいつも通りに戻る。
「ほら、あと少しで着くから、頑張って」
もう声を発する気力もなく、ジェシカに手を引かれながら、用意されたテントへ向かう。
そして寝床に案内されるなり、気絶するように倒れ、そのまま真っ暗な世界に入っていった。
寝に入る直前、「アゼル、あんたもか!」とジェシカの声が聞こえた気がしたが、気に留めることもできなかった。
でも、これで学んだ。
水中ってのは、意外と体力いるんだ、って。
目を覚ますと、暗かった。
体が重い。まるで子どもの頃、とにかくめちゃくちゃ遊んだあとの疲れに似てる。
「い、いたたた……」
そして筋肉痛なのか、全身があまりに痛すぎる。
なんとか苦労しながら体を起こすと段々と目が慣れてきて、そばで人が寝ているのに気がついた。
「アゼル、か」
鍛冶屋の彼が、歯を食いしばり無意識なのか腕や足をさすりながら寝ていた。
鍛冶のための素材をよく採りにダンジョンにやってきている、みたいなことを言っていたけど、さすがにここまで動くことはないようだ。
彼はまだ起きそうにないので、俺は痛む体を必死に動かしてテントの外へと這い出した。
「お、起きたか」
「おはようなんだぜ!」
「おはよ、調整屋くん。疲れは取れた?」
テントの外は、ここに来るまでの陽光が噓のように暗く、涼しい。
たき火を囲むように座りこちらに視線を向けたのは、ベルナーとモモ、そしてジェシカだった。
たき火には鍋が置かれていて、良い匂いが鼻をくすぐった。
「ご飯、食べられそう?」
「美味かったんだぜ!」
ジェシカの問いと、モモの感想を聞いて、お腹がぐうと鳴る。
するとベルナーがたき火にかけられていた鍋の蓋を開け、お皿にスープをよそった。
「ほら、これ食べて体力戻しな」
「ありがと……あててて……」
のそのそ、と巨体動物のようにゆっくりと歩きながらベルナーの隣に座り、お皿をもらう。
澄んだスープに魚の切り身が入っていて、美味しそうだ。
「私のスキルで体を回復させる成分たくさん入れてるから、どんどん食べてね」
「ジェシカさんのスキル?」
そういえばこれまで聞いたことなかった。
どうやら聞くに、彼女のスキルは食べ物に滋養強壮の効果を付けられるというものらしい。
しかもそれは食べ物を美味しいと感じるものに比例するようで、その過程でジェシカは冒険者業以外に自分のレストランを持っているのだとか。
「うん、美味しい!」
「それは良かった。このダンジョンの魚、あまり調理しないから不安だったのよね」
「大丈夫なんだぜ! めちゃくちゃ美味かったんだぜ!!」
よかった、と言って、ジェシカはモモの頭をゆっくり撫でた。
彼女の言う通り、たしかにこの海の中にはどちらかというと観賞用のような魚のような見た目をした種のほうが多かった。
同じ魚ではあるのだが、人間が食べて満足できるのかは大違い。
しかしそんな魚だとしても、美味く調理できるジェシカはすごいな……しかも、食べ進めているうちにどんどんと体の気だるさや痛みが消えていっている。
そうして夢中で魚のスープ飲んでいると、ふいにベルナーがハッと思いついたように口を開いた。
「そうだ、カイン。お前に見てもらいたいものを見つけたんだった」
「俺に?」
「ああ。なんだか服みたいなんだが、見たことがなくてな」
「服? こんなところで?」
冒険者の落としものだろうか。とはいえ、ここを探索するのはおそらく俺たちが最初のはず。
それに普通の服だったらベルナーが相談してくるはずもないし……
そんな風に、魚のスープをおかわりしてがっついていると、いつの間にかベルナーが近場の別のテントからくだんの服とやらを持ってきた。
「これなんだが」
ひとまずお皿の上にあるスープをすべて食べきってから、それを見る。
服、と言って想起するには少々形や素材が違うようで、形は長袖のシャツと長ズボンが一体化したようなもので、服の素材は布よりももっと厚く硬い。しかし伸縮性はあるようで、意外にもひっぱるとよく伸びた。
黒い色と硬くざらざらしているので、なんだかサメのようだ。
「……ん?」
触れているうちに違和感がして、ベルナーの許可をとって調整スキルを使う。
すると服全体に回路が現れ、胸元の箇所に魔法陣があった。
これはまごうことなく、旧文明の遺物だ。
魔法陣や回路を読み解いていくと、おおよその効果がわかった。
「これ、水中での動きを補助してくれるやつみたい」
「ほー、そんな遺物もあるのか」
「たしか2つ見つかったし、調整屋くんと鍛冶屋くんが使えばいいんじゃないかな」
感心したように呟くベルナーと、良いことを考えたとばかりに身体の前で手を叩くジェシカ。
「え……でも、いいの? 俺たちだとあまり戦力にならなそうだけど……」
しかし俺はどちらかというと不安だった。
たしかにこの服を着れば、先ほどみたいに疲労で早々に戦線離脱して寝落ち……なんていうことにはならないだろう。なんか、自動回復みたいなのもついてそうだし。
ただ、あくまでそれはマイナス戦力がプラスマイナスゼロになっただけ。
他の冒険者、それこそベルナーが着れば、ただでさえプラス戦力がもっと強くなるのではないか。
そう思ったのだが、ベルナーはかぶりを振った。
「今からでけえ敵をやっつけに行くんだったらそうしたかもしんねえが、いま必要なのは手数だ。俺がこれを着たとて手数が増えやしないからな」
「なるほど……じゃあ、明日から着させてもらおうかな」
副統括長がそう言ってくれるのなら、甘えさせてもらおうか。
そう言いながら今後のことについて話していると、俺が寝ていたテントが揺れ、アゼルが外に出てきた。
「体が……痛い……」
「さっきの調整屋くん、あんな感じだったよ」
ジェシカが悪戯めいた笑みを向けてくるので、なんだか恥ずかしくなる。
「アゼル、おはよう。こっち来て、ジェシカさんのスープ飲みな」
「おう……いててて……」
彼の動きに、本当に既視感があって、なんだか笑えてきてしまう。
「何笑ってんだよ」
「いやごめん。俺もさっき同じことになっててさ」
そんな風に言いながら、俺は鍋からジェシカ特製スープを皿に取り出し、体をさすりながらたき火の近くまでやってきて座ったアゼルに、お皿を渡したのだった。
「すごい! 着てると着てないとじゃ、大違いだ!」
翌日。昨日見つけた水中補助用の服――水中服と名付けた――に身を包み、水中探索を始めた俺は、腕や脚が嘘のようにすいすいと動くのに興奮していた。
ベルナーの許可をとって水中服に補助をかけたことで、だいぶ動きやすく、そして疲れにくいものになっていた。
そもそもの効果としては、四肢の動きを助けつつ水圧のせいで減る体力を減らす、というものだった。
調整スキルをかけたことでその効果を倍以上に増やしつつ、表面のざらざらしたサメ肌も強化しておいたので、水中の動きが水中服が無いときよりも倍以上早くなっている。
……まぁ、それでもベルナーよりは遅いから、俺がもともと遅かっただけなんだろうけど。
「はしゃぎすぎて、結局昨日みたいに疲れ果てちゃ意味ねえからなー」
「わかってるよ。でも、少しくらいこの万能さを堪能させてくれたっていいじゃん!」
仕方なそうに肩をすくめるベルナーを視界の端に捉えつつ、俺は口を尖らせる。
とはいえ、ベルナーの言うことももっともだ。
それに昨日の探索では、広大な海の1割も探索できていない。このまま俺が遊んでたら、いつまで経ってもこのダンジョンから出られないのだ。
「その分旧文明の遺物を探索できるのは、ありがたいことだけどね――っと」
そんなことをぼやきながら魚を避けつつ、辺りを観察する。
海底に広がる砂利や石をじっと見つめ、違和感がないかどうかを見つけようとするが、そんな簡単に行くものでもないようだ。
何かあるかも、と思って石をどかしても、あるのはその下にいる石、ときどき蟹。
水中服のおかげで昨日よりも格段に動けてはいるけれど、なかなか戦果は芳しくない。
そして時たま起こるのが……
「ぶへぇっ!」
水中を移動中、顔面が勢い良く何かにぶつかる。
しかし目をかっぴらいてもそこには何もなく、ただ海が向こうに続くのみ。しかしそこから先はいけないのだ。
「カイン、大丈夫か~?」
「大丈夫……さっきと同じ~……」
ベルナーの心にもこもっていないような心配の声に、こちらも気だるげに返す。もう何度も遭遇しているから仕方ないとはいえ、もう少し心配してくれても良いとは思うんだけど。
この海には、見えない壁が存在するのだ。
というのも、陽の光が燦燦と降り注ぎ、広大な大海原が広がるエリアとはいえ、元々はダンジョンの一角にすぎない。
この海も、しょっぱい水ではあるが、厳密には海ではない。
海の向こうに見える陽も、向こうのほうに飛ぶ海鳥も、遠くに見える山々も、海の中に続く砂利や石も、ある一定ラインからはまやかしに過ぎないのだ。
「いたた……まったく……行けないんだったら、もう少しわかりやすくしてくれてもいいじゃん!」
「ま、そのおかげで意外と探索範囲が狭くて助かってるんだから、良いじゃねえか」
「そういうものかな……?」
首を傾げつつ、そんなことをしている場合ではないので探索を続ける。
「そういや、今回は海底に調整スキルは使わねえのか? ほら、このダンジョン入ってすぐんとこにあったジャングルのときみたいに」
「あー……」
とはいえベルナーもちょっと飽きてきているのか、探索し始めたときよりかは会話が弾む。
「できなくはないし、実はもうやったんだけど……」
「だけど?」
「この海の石とか岩とか砂利とかって、1個1個全部に回路があるみたいでさ、調整スキルで回路を見ようにも、ありすぎてまったくわからないんだよね」
視線は海底に投げながらそう言うと、「ほ~」と残念そうな声が聞こえた。
……あんまり興味なさそうだ。それとも疲れてるのかな。
そろそろ一旦休憩入れようか、と言おうと思いベルナーのほうを見やる。
すると、俺のそばで地面を掘っていたモモが何かを首に巻いて、こちらに泳いできた。
「見つけたぜ!」
「……それは?」
「わかんないんだぜ!」
モモの首にあるのは、大人用のゴーグルのようなもの。
砂漠などに向かう冒険者がつけているものに似ているから、もしかしたらここに探索しに来た人が落としちゃったやつかな。
とりあえず陸に上がってから見てみようか、ということで、俺たちはテントへと戻ることにしたのだった。
「カイン、これすごいな!」
すでに陸にはアゼルも戻っていて、俺を見るなり水中服を指差しながら興奮気味に声を上げていた。
たぶんこのあと、アゼルだったらスキルで作るだろうな……と思っていたら、すでに大量の水中服が作られていた。
どうやら水中服に感動するがあまり、テントに戻ってくるや否や、手持ちの素材をフル活用して人数分作り上げたらしい。
「あとで調整だけしておいてくれ」
「行動が早くて助かるよ」
そもそもアゼルはたしか、ここに素材を採りにきていたはず。水中服を作ったとなると、完全にマイナス収支になるんだけどいいのかな……
そう思ってアゼルを見たが、とても楽しそうだったから、言わないでおくことにした。
「そういえば、モモがゴーグル見つけたんだよね」
「だぜ!」
テントの前のたき火でひと息つきながら昼食を終えると、話題はモモの発見したものになった。
パッと見ではただのゴーグルで、目を覆う2枚の黒いガラスと、それを繋げる革、そして後頭部にも革がありサイズ調整できるようになっている。
あまり見ないデザインだけど、どこかの鍛冶屋か防具屋が作ったのかな……
そんな考えは、モモの首から取るために手に取った瞬間に消えた。旧文明の遺物だったからだ。
すぐに調整スキルをかけると、ゴーグル全体に回路が走り、眉間の革の部分に魔法陣が形成されている。
魔法陣が少し壊れていたから一緒に修理すると、ガラスがほのかに緑色を帯びた気がした。
「暗視の効果があんのか!」
「へぇ~! ずいぶんなお宝じゃん」
ベルナーが目を見開いて声をあげ、ついでジェシカも目をきらめかせる。
「旧文明の遺物だから、いったんはアンさんに渡さないといけないからね」
そう言いながら、俺は効果の確認のためにゴーグルをつけた。
「ん? …………お、おぉ!」
着けた瞬間は視界が暗くなるだけだったが、すぐに緑色の線で辺りの光景が映し出されたかと思うと、どのくらい離れたところに何があるかというのが表示された。
目の前にいるベルナーたちもそうだが、砂でできた一本道の向こうのほうに表示された「次のエリア」という文字。
そして少し下のほうを見ると、海中と思しきところに「旧文明の遺物」というマークがいくつか表示された。
見たいものを念じるとそれ以外の表示は消える……という便利な機能まであった。
俺はゴーグルを外しながらベルナーに手渡しつつ、その機能を伝える。ベルナーはそれを身に着けると「すげえっ!」と感嘆しながら、辺りを見回しはじめた。
「アゼルさ、このゴーグルを複製できるだけの素材ってある?」
「ふん、僕を誰だと思ってるんだ?」
珍しいものが目の前にあるのに、いつもみたいに興奮していない彼を不思議に思いつつ、そう問いかける。だってこれ、あったほうが絶対便利だもん。
ダンジョンの外で使えるかどうかはわからないけど。
すると、アゼルは自信満々に胸を張ると、自前のマジックバッグの蓋を開けて俺に見せてきた。
「水中服の量産で、素材は使い切った」
したり顔ですっからかんの中身を見せつけられ、俺は「そうだ、こいつ計画性がないんだった」と思い出したのだった。

