「おかしくない?」
後ろを振り返ると、まだ鬱蒼とした森林地帯が見えるが、もう一度前を向くとそこら中砂だらけの砂漠地帯。
唯一池のようなものと日を遮られそうな木々があるとはいえ、あまりに環境差がでかすぎる。
そもそもなんでダンジョンという空間の中なのに、空があるんだよ。
俺が前と後ろを何度も見返していると、ベルナーが「ガッハッハ」と高笑いした。
「こんなもんで驚いてたら、この先命がもたねえよ。高山エリアを通ったあとに深海が現れる、みてえなダンジョンもあるしな」
高山から深海とか……
そもそもダンジョンに出てくる深海って、呼吸できるのかな。なんか必須の装備があるとか?
そんなことを考えながらベルナーたちと一緒にオアシスのほうに向かっていると、徐々に木々が作る影の下に、人影があるのが見えてきた。
初心者冒険者は、今はこのダンジョンに入れないことになってるから、中級以上の実力を持った冒険者なのかな。
「このダンジョンって、初心者冒険者さん用なんじゃなかったっけ」
「そうだが、武器を作るための素材だったり、冒険者ギルドの仕事で上のランクの冒険者が来ることは全然あるぜ」
そして今日は後者だ、と言うと、ベルナーは小走りで彼らに近づき、片手を上げて挨拶をした。
人影たちもベルナーを見るなり手を振ったり、頭を下げたりしている。
意外とコミュニケーション能力は高いんだよな、ベルナーは。
俺と、地面が熱すぎるので俺に抱えられたモモも、彼らに近づく。
「あ、調整屋くんじゃ~ん!」
「ジェシカさん!」
聞き覚えのある声がしてそちらを向くと、王都でイノシシ型のモンスターと戦ったときに出会ったジェシカさんが、こちらに手を振っていた。
近づくとモモを見るなり、「わんこ連れなんて、余裕だね~」といたずらっ子のような目つきでこちらを見てくるので、苦笑まじりにほほ笑んだ。
「こいつはモモです。帝国に来るまでのダンジョンで会った仲間です」
「モモだぜ!」
「わ、しゃべるんだ! よろしくね、モモちゃん」
「よろしくなんだぜ!」
うわ声低っ、とニコニコしながらモモと会話するジェシカ。
「そういえば、ジェシカさんはどうしてここに?」
「あれ? ベルナーから聞いてない?」
彼女は視線を遠くのほうで別の冒険者と話すベルナーに向ける。
俺もそれを追って見るが、とくに聞いた覚えはない。
ふるふるとかぶりを振ると、ジェシカは仕方なそうに眉尻を下げてから口を開いた。
「今日はね、君たちのお手伝いで来てるんだ」
「お手伝い?」
「そ。初心者用のダンジョンで湧くのが雑魚モンスターではあるんだけど、数だけは結構湧くし、なんかいろいろと調査するんでしょ? それのお手伝い」
なるほど、と頷く。
さすがアンの采配だ。
俺、普通にベルナーとモモの、二人と一匹で調査するんだと思ってた。
まぁ、無理だよね。主に俺が。
内心で納得しながらうんうんと頷いていると、ふとジェシカの表情が陰ったことに気づいた。
「どうかされました?」
「え?」
どうやら無意識だったらしい。俺の言葉に彼女は目を見開いて応えた。
「いやなんか、体調が悪いわけではなさそうなんですけど、気になることでもあるのかなって」
「あー……はは、わかっちゃう?」
ジェシカは頬の辺りをむにゃむにゃ手で揉みながら、へらりと笑う。
そして、もっと奥のほうにいる冒険者たちに視線をやった。
「今日、中級者以上の冒険者が集まってるんだけど、なんか運が悪い日みたいで、武器とか防具とか魔法具が不調気味なんだよね~……」
「不調?」
そう言ってジェシカは、懐から筒のようなものを取り出した。
細長い筒で、上の方に飲み口みたいなものがある、水筒だ。
しかし普通に水を保存するためのものではなく、察するに水が自動で湧き出るようになっている冒険者用のもの。
筒自体もおそらく温度を一定に保つ魔法具でできているが、とくに重要なのが中に入れる水を蓄えられる魔法具。それを中に入れることで、長くダンジョンに潜っても何度も水を入れ直す必要がない、便利な代物だ。
「なんか、ここが溶けちゃってさ~……」
「溶ける?」
ジェシカが見せてくれたのか、筒の下部分。たしかによく見ると、小さく穴が開いている。
しかも針とか鋭いものであけたものではなく、本当に溶けたような跡。
「え、ここって酸の攻撃とかしてくるモンスターいるんですか!?」
「それがさ、いないのよね」
だから原因がわからなくて、とジェシカは目を伏せた。
話を聞くと、遠くのほうで休憩している冒険者たちもどうやら武器やら防具やらに溶けた跡があって、それが理由で十分に実力を発揮できないらしい。
「じゃあ、俺の出番じゃないですか!」
目に見えてテンションが下がっていくジェシカだったが、俺は違った。
なんのために、ダンジョンを冒険することにしたのか。
いや、アンに頼まれたり、旧文明の遺物に出会うことが主目的ではあるのだけど、それ以外にもある。
きょとんとするジェシカに、俺は一枚のカードを渡す。
「移動……調整屋?」
「そうなんです。実はお店での調整屋以外に、ダンジョンでいろいろなアイテムを調整する、移動調整屋を始めたんです!」
カードには、お店の住所と名前、そして『移動調整屋、カインの店』という名前。
実はこれ、アンからいろいろな書類をもらったときに、一緒に入っていたもの。
やっぱりあの人、怖いよ。
店の名前とか決めてはいたけど、なんで当たってるんだよ。国が保護するとかいう予知系のスキルを持ってるとしか考えられないよ。
「今はお店の名前を広めるために、お求めやすい価格でやってるんで、もしよろしければ!」
にかっと笑い、ジェシカに向く。
しばらくカードに目を落としていたジェシカだったが、途端に嬉しそうな笑みを浮かべ始めた。
「え、すごくいいじゃん!」
そうして、俺の移動調整屋一発目の仕事が決まったのだった。
まずはジェシカの水筒。
とはいえ、ただ溶けた跡ということなのであれば、調整スキルで穴を埋めるのはすぐに終わる。回路を伸ばすついでに素材も伸ばして完了。
「はい、これどうぞ!」
「やっぱり早いね、調整屋くんは。ありがと」
「ついでに中の水を生成する魔法具と、水筒の保冷機能もメンテナンスしておいたんで、多少使いやすくなるとは思います」
ただ直すだけだったら、調整スキルを持っていなくても、最悪パテやら何やらで埋めれば使うこと自体はできる。
ただ、調整スキル、という、魔法具に触れるのに最適なスキルを持っている以上、何かしらやっぱり同業者との差別化は不要だよね。
ということで俺は、使い勝手に関わらない程度に魔法具のメンテナンスをサービスに含めることにしていた。
「ほんと!? 最近中の魔法具、寿命かなって思ってたんだけど、冒険者になって初めての報酬で買ったやつだから捨てきれなくて……。嬉しいよ!」
「まぁ、とはいえここから数年使い続けられるわけじゃないので、気になったら買い替えをオススメします」
「りょーかい」
ジェシカは水筒をしげしげと見つめていたが、にかっと笑ってもう一度「ありがと」と言ってくれた。
「そういえば、料金っていくら?」
「そうですねぇ……」
調整スキル自体ほぼほぼ他の人では見ないスキルということもあって、結構相場が曖昧ではあるが、王都にいたころは鍛冶系の武器屋は国がある程度金額を定めていた、ということもあって、生活費とほんの少しの貯金を賄えるくらいの価格に設定させられていた。
ただ帝国に来たら話は変わる。
王国とは違って、帝国はこちらで勝手に金額を設定していいらしい。
アンが紹介してくれた(というか、すでに借りることになっていた)あそこのお店は、人通りの良い繫華街からほど近く、それなりの大きさのあるところだから、結構家賃は高そう。
店を借りるお金を稼がなくてはいけないのだ。
……まぁ、その資料だけはなぜか手元になかったんだけど。
まさか、アンとかギルドが払ってくれる……なんてことはないだろうしね。
とはいえ上げすぎてお客さんが減っちゃうのも避けたい。
ただでさえ働く場所が帝国で働き始めるに変わったこともあってお客さん減ってるんだから、帝国のお客さんの認知度もあげたいし。
うーん……と数分考え込んだのち、俺は指を4本立てた。
銅貨4枚、小さな弁当屋で買う安めの弁当、1食分くらいの金額。
「新装開店サービスも含めて、これくらいになります」
「あ、思いのほか安いんだね! はい、これお代」
少し不安げな表情だったジェシカは再び朗らかな表情になると、バッグの中から財布を取り出し、硬貨を支払ってくれた。
支払ってくれた……のだが……
「あの、ジェシカさん」
「どしたの?」
「硬貨が違います」
いや、俺がちゃんと説明しなかったのが悪い、という前提はある。
そもそも帝国には硬貨が三種類、銅貨・銀貨・金貨とあって、俺が待っていたのはその中でも一番価値の低い銅貨。ちなみに銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚、くらいの価値だ。
銅貨だけだと大したことはできないが、調整スキルって大したことはしていないので、まぁ新装開店サービス込みでこのくらいかな、という数字。
しかし、ジェシカが渡してきたのは、一番額の大きな金貨。
これを4枚となると、豪遊しない限り1ヶ月分の食事が賄えてしまう。
ただ穴をふさいで魔法具をメンテしたくらいで、こんなにはもらえない。
「金貨じゃなくて、銅貨です」
「ど、銅貨!? え、そ、そんな安くていいの!?」
硬貨を返しながらそう言うと、先ほどの「思いのほか安い」から一転、彼女は目をとびきりに見開いて驚き始めた。
「え、そんなんでやってけるの!?」
「ちょっと待ってください。もしかして帝国の物価って、王国よりも高かったりします?」
まだ帝国に来てから数日しか経ってないけど、そんな覚えはない。
むしろちょっと良心的な価格だな、とか思ってた。
「ううん、王国より税金安いから、帝国の物価はもう少し安いけど……ってそうじゃなくて!」
ジェシカは俺の手をぎゅっと握り、俺が戻した硬貨に加えて、さらにもう1枚金貨を俺の手に握り込ませてきた。
「ぜっっっったいもらってね!!!!」
「ちょ、ちょっと待ってください! こんなにはもらえません!!!」
「いいや、そんなことないわよ!!」
値切りならともかく、客自ら値上げするなんて聞いたことないぞ。しかも少しじゃなくて結構な額を。
そんな「もらって」「もらえない」の押し問答をしていると、大声を聞きつけたベルナーが怪訝そうな表情でこちらにやってきた。
「おいジェシカ、あんまりカインをいじめるなよ」
「だってベルナー、聞いてよ!!」
ジェシカは先ほどのことをベルナーに説明する。
うんうん、と頷いていたベルナーだったが、話を聞き終えると俺の手首をぎゅっと握った。
「カイン、これはもらってくれ」
「でしょーーー!!!」
「なんで!?」
まさかベルナーが敵に回るとは思わなかった。
結局俺の手には、金貨が5枚やってきてしまった。ただ水筒直しただけなのに……
「そもそもダンジョンで武器やら何やらを修理できること自体が珍しいんだから、もっと金とってもいいくれぇだぞ。商人であるお前が価格崩壊させてどうするよ」
「でも、これじゃあ前のお店からかなり金額あがっちゃうよ。お客さん減らしたくないし……」
「むしろ、厄介な客が減っていいんじゃねえか?」
たぶんあっただろ? と聞かれると、脳裏にアホ王子が思い浮かぶ。
そうしているうちに、なんとベルナーがほかの武器を修理しないといけない人から武器とお金を持ってきてしまっていた。
溶けた跡を直し、そして全体的なメンテをする。
これだけで、金貨がおよそ30枚。もう、結構長い間暮らしていけるよこれ。
なんだか腑に落ちないが、ベテラン冒険者たちがこう言ってるから、もらっていいのかな。
「うーん……まぁ、あのお店の家賃のこともあるし、価格設定はこれくらいにしておくのがいいのかな」
「いや、あそこはアンが払ってくれるらしいから、カインが払う必要はないぜ」
「え?」
俺の呟きに返ってきたベルナーの言葉に啞然とするが、ベルナーはさっさと調整しおえた武器を持ち主に返しに行ってしまった。
「じゃあ……もう貯金するしかないじゃん……」
「調整屋くん……王国で苦労してたんだね……」
その場で立ち尽くす俺を、ジェシカが憐れみの視線とともにぎゅっと抱きしめてくれた。
後ろを振り返ると、まだ鬱蒼とした森林地帯が見えるが、もう一度前を向くとそこら中砂だらけの砂漠地帯。
唯一池のようなものと日を遮られそうな木々があるとはいえ、あまりに環境差がでかすぎる。
そもそもなんでダンジョンという空間の中なのに、空があるんだよ。
俺が前と後ろを何度も見返していると、ベルナーが「ガッハッハ」と高笑いした。
「こんなもんで驚いてたら、この先命がもたねえよ。高山エリアを通ったあとに深海が現れる、みてえなダンジョンもあるしな」
高山から深海とか……
そもそもダンジョンに出てくる深海って、呼吸できるのかな。なんか必須の装備があるとか?
そんなことを考えながらベルナーたちと一緒にオアシスのほうに向かっていると、徐々に木々が作る影の下に、人影があるのが見えてきた。
初心者冒険者は、今はこのダンジョンに入れないことになってるから、中級以上の実力を持った冒険者なのかな。
「このダンジョンって、初心者冒険者さん用なんじゃなかったっけ」
「そうだが、武器を作るための素材だったり、冒険者ギルドの仕事で上のランクの冒険者が来ることは全然あるぜ」
そして今日は後者だ、と言うと、ベルナーは小走りで彼らに近づき、片手を上げて挨拶をした。
人影たちもベルナーを見るなり手を振ったり、頭を下げたりしている。
意外とコミュニケーション能力は高いんだよな、ベルナーは。
俺と、地面が熱すぎるので俺に抱えられたモモも、彼らに近づく。
「あ、調整屋くんじゃ~ん!」
「ジェシカさん!」
聞き覚えのある声がしてそちらを向くと、王都でイノシシ型のモンスターと戦ったときに出会ったジェシカさんが、こちらに手を振っていた。
近づくとモモを見るなり、「わんこ連れなんて、余裕だね~」といたずらっ子のような目つきでこちらを見てくるので、苦笑まじりにほほ笑んだ。
「こいつはモモです。帝国に来るまでのダンジョンで会った仲間です」
「モモだぜ!」
「わ、しゃべるんだ! よろしくね、モモちゃん」
「よろしくなんだぜ!」
うわ声低っ、とニコニコしながらモモと会話するジェシカ。
「そういえば、ジェシカさんはどうしてここに?」
「あれ? ベルナーから聞いてない?」
彼女は視線を遠くのほうで別の冒険者と話すベルナーに向ける。
俺もそれを追って見るが、とくに聞いた覚えはない。
ふるふるとかぶりを振ると、ジェシカは仕方なそうに眉尻を下げてから口を開いた。
「今日はね、君たちのお手伝いで来てるんだ」
「お手伝い?」
「そ。初心者用のダンジョンで湧くのが雑魚モンスターではあるんだけど、数だけは結構湧くし、なんかいろいろと調査するんでしょ? それのお手伝い」
なるほど、と頷く。
さすがアンの采配だ。
俺、普通にベルナーとモモの、二人と一匹で調査するんだと思ってた。
まぁ、無理だよね。主に俺が。
内心で納得しながらうんうんと頷いていると、ふとジェシカの表情が陰ったことに気づいた。
「どうかされました?」
「え?」
どうやら無意識だったらしい。俺の言葉に彼女は目を見開いて応えた。
「いやなんか、体調が悪いわけではなさそうなんですけど、気になることでもあるのかなって」
「あー……はは、わかっちゃう?」
ジェシカは頬の辺りをむにゃむにゃ手で揉みながら、へらりと笑う。
そして、もっと奥のほうにいる冒険者たちに視線をやった。
「今日、中級者以上の冒険者が集まってるんだけど、なんか運が悪い日みたいで、武器とか防具とか魔法具が不調気味なんだよね~……」
「不調?」
そう言ってジェシカは、懐から筒のようなものを取り出した。
細長い筒で、上の方に飲み口みたいなものがある、水筒だ。
しかし普通に水を保存するためのものではなく、察するに水が自動で湧き出るようになっている冒険者用のもの。
筒自体もおそらく温度を一定に保つ魔法具でできているが、とくに重要なのが中に入れる水を蓄えられる魔法具。それを中に入れることで、長くダンジョンに潜っても何度も水を入れ直す必要がない、便利な代物だ。
「なんか、ここが溶けちゃってさ~……」
「溶ける?」
ジェシカが見せてくれたのか、筒の下部分。たしかによく見ると、小さく穴が開いている。
しかも針とか鋭いものであけたものではなく、本当に溶けたような跡。
「え、ここって酸の攻撃とかしてくるモンスターいるんですか!?」
「それがさ、いないのよね」
だから原因がわからなくて、とジェシカは目を伏せた。
話を聞くと、遠くのほうで休憩している冒険者たちもどうやら武器やら防具やらに溶けた跡があって、それが理由で十分に実力を発揮できないらしい。
「じゃあ、俺の出番じゃないですか!」
目に見えてテンションが下がっていくジェシカだったが、俺は違った。
なんのために、ダンジョンを冒険することにしたのか。
いや、アンに頼まれたり、旧文明の遺物に出会うことが主目的ではあるのだけど、それ以外にもある。
きょとんとするジェシカに、俺は一枚のカードを渡す。
「移動……調整屋?」
「そうなんです。実はお店での調整屋以外に、ダンジョンでいろいろなアイテムを調整する、移動調整屋を始めたんです!」
カードには、お店の住所と名前、そして『移動調整屋、カインの店』という名前。
実はこれ、アンからいろいろな書類をもらったときに、一緒に入っていたもの。
やっぱりあの人、怖いよ。
店の名前とか決めてはいたけど、なんで当たってるんだよ。国が保護するとかいう予知系のスキルを持ってるとしか考えられないよ。
「今はお店の名前を広めるために、お求めやすい価格でやってるんで、もしよろしければ!」
にかっと笑い、ジェシカに向く。
しばらくカードに目を落としていたジェシカだったが、途端に嬉しそうな笑みを浮かべ始めた。
「え、すごくいいじゃん!」
そうして、俺の移動調整屋一発目の仕事が決まったのだった。
まずはジェシカの水筒。
とはいえ、ただ溶けた跡ということなのであれば、調整スキルで穴を埋めるのはすぐに終わる。回路を伸ばすついでに素材も伸ばして完了。
「はい、これどうぞ!」
「やっぱり早いね、調整屋くんは。ありがと」
「ついでに中の水を生成する魔法具と、水筒の保冷機能もメンテナンスしておいたんで、多少使いやすくなるとは思います」
ただ直すだけだったら、調整スキルを持っていなくても、最悪パテやら何やらで埋めれば使うこと自体はできる。
ただ、調整スキル、という、魔法具に触れるのに最適なスキルを持っている以上、何かしらやっぱり同業者との差別化は不要だよね。
ということで俺は、使い勝手に関わらない程度に魔法具のメンテナンスをサービスに含めることにしていた。
「ほんと!? 最近中の魔法具、寿命かなって思ってたんだけど、冒険者になって初めての報酬で買ったやつだから捨てきれなくて……。嬉しいよ!」
「まぁ、とはいえここから数年使い続けられるわけじゃないので、気になったら買い替えをオススメします」
「りょーかい」
ジェシカは水筒をしげしげと見つめていたが、にかっと笑ってもう一度「ありがと」と言ってくれた。
「そういえば、料金っていくら?」
「そうですねぇ……」
調整スキル自体ほぼほぼ他の人では見ないスキルということもあって、結構相場が曖昧ではあるが、王都にいたころは鍛冶系の武器屋は国がある程度金額を定めていた、ということもあって、生活費とほんの少しの貯金を賄えるくらいの価格に設定させられていた。
ただ帝国に来たら話は変わる。
王国とは違って、帝国はこちらで勝手に金額を設定していいらしい。
アンが紹介してくれた(というか、すでに借りることになっていた)あそこのお店は、人通りの良い繫華街からほど近く、それなりの大きさのあるところだから、結構家賃は高そう。
店を借りるお金を稼がなくてはいけないのだ。
……まぁ、その資料だけはなぜか手元になかったんだけど。
まさか、アンとかギルドが払ってくれる……なんてことはないだろうしね。
とはいえ上げすぎてお客さんが減っちゃうのも避けたい。
ただでさえ働く場所が帝国で働き始めるに変わったこともあってお客さん減ってるんだから、帝国のお客さんの認知度もあげたいし。
うーん……と数分考え込んだのち、俺は指を4本立てた。
銅貨4枚、小さな弁当屋で買う安めの弁当、1食分くらいの金額。
「新装開店サービスも含めて、これくらいになります」
「あ、思いのほか安いんだね! はい、これお代」
少し不安げな表情だったジェシカは再び朗らかな表情になると、バッグの中から財布を取り出し、硬貨を支払ってくれた。
支払ってくれた……のだが……
「あの、ジェシカさん」
「どしたの?」
「硬貨が違います」
いや、俺がちゃんと説明しなかったのが悪い、という前提はある。
そもそも帝国には硬貨が三種類、銅貨・銀貨・金貨とあって、俺が待っていたのはその中でも一番価値の低い銅貨。ちなみに銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚、くらいの価値だ。
銅貨だけだと大したことはできないが、調整スキルって大したことはしていないので、まぁ新装開店サービス込みでこのくらいかな、という数字。
しかし、ジェシカが渡してきたのは、一番額の大きな金貨。
これを4枚となると、豪遊しない限り1ヶ月分の食事が賄えてしまう。
ただ穴をふさいで魔法具をメンテしたくらいで、こんなにはもらえない。
「金貨じゃなくて、銅貨です」
「ど、銅貨!? え、そ、そんな安くていいの!?」
硬貨を返しながらそう言うと、先ほどの「思いのほか安い」から一転、彼女は目をとびきりに見開いて驚き始めた。
「え、そんなんでやってけるの!?」
「ちょっと待ってください。もしかして帝国の物価って、王国よりも高かったりします?」
まだ帝国に来てから数日しか経ってないけど、そんな覚えはない。
むしろちょっと良心的な価格だな、とか思ってた。
「ううん、王国より税金安いから、帝国の物価はもう少し安いけど……ってそうじゃなくて!」
ジェシカは俺の手をぎゅっと握り、俺が戻した硬貨に加えて、さらにもう1枚金貨を俺の手に握り込ませてきた。
「ぜっっっったいもらってね!!!!」
「ちょ、ちょっと待ってください! こんなにはもらえません!!!」
「いいや、そんなことないわよ!!」
値切りならともかく、客自ら値上げするなんて聞いたことないぞ。しかも少しじゃなくて結構な額を。
そんな「もらって」「もらえない」の押し問答をしていると、大声を聞きつけたベルナーが怪訝そうな表情でこちらにやってきた。
「おいジェシカ、あんまりカインをいじめるなよ」
「だってベルナー、聞いてよ!!」
ジェシカは先ほどのことをベルナーに説明する。
うんうん、と頷いていたベルナーだったが、話を聞き終えると俺の手首をぎゅっと握った。
「カイン、これはもらってくれ」
「でしょーーー!!!」
「なんで!?」
まさかベルナーが敵に回るとは思わなかった。
結局俺の手には、金貨が5枚やってきてしまった。ただ水筒直しただけなのに……
「そもそもダンジョンで武器やら何やらを修理できること自体が珍しいんだから、もっと金とってもいいくれぇだぞ。商人であるお前が価格崩壊させてどうするよ」
「でも、これじゃあ前のお店からかなり金額あがっちゃうよ。お客さん減らしたくないし……」
「むしろ、厄介な客が減っていいんじゃねえか?」
たぶんあっただろ? と聞かれると、脳裏にアホ王子が思い浮かぶ。
そうしているうちに、なんとベルナーがほかの武器を修理しないといけない人から武器とお金を持ってきてしまっていた。
溶けた跡を直し、そして全体的なメンテをする。
これだけで、金貨がおよそ30枚。もう、結構長い間暮らしていけるよこれ。
なんだか腑に落ちないが、ベテラン冒険者たちがこう言ってるから、もらっていいのかな。
「うーん……まぁ、あのお店の家賃のこともあるし、価格設定はこれくらいにしておくのがいいのかな」
「いや、あそこはアンが払ってくれるらしいから、カインが払う必要はないぜ」
「え?」
俺の呟きに返ってきたベルナーの言葉に啞然とするが、ベルナーはさっさと調整しおえた武器を持ち主に返しに行ってしまった。
「じゃあ……もう貯金するしかないじゃん……」
「調整屋くん……王国で苦労してたんだね……」
その場で立ち尽くす俺を、ジェシカが憐れみの視線とともにぎゅっと抱きしめてくれた。

