結局、俺はそのあと資料の本を自腹で買った。三千円は痛い出費だった。でも単位のためを思えば背に腹は代えられない。
幸い大学の生協に併設された本屋へ行くと、普通に置いてあった。外の本屋まで行かなくて済んだのはまだマシだったと思うしかない。
提出期限の前日には、朝の五時まで起きてレポートを完成させた。徹夜明けの電車は二日酔いの時よりも気持ち悪かったけれど、なんとか締め切りの十二時までには間に合った。
「ではでは、伊澄のレポートが終わったことを祝して~~~~カンパーイ!」
ハヤトの乾杯の音頭に続いて、同じくサークル仲間の森岡が「カンパーイ!」とジョッキ同士を打ち付けてくる。
いつも俺たちが集う居酒屋チェーン。半個室のテーブルには、枝豆や唐揚げやポテトといった、いつも注文するつまみが並んでいる。
俺はビールを一口飲み、テーブルにダンッと置いた。
「いや~今回はマジで死んだかと思った」
「聞いた? コイツ三千円する資料、自腹で買ったんだぜ」
ハヤトが笑って言うと、森岡が「もったいねー」と続けた。
「図書館で借りればよかったじゃん。レポートの資料って普通大学に置いてあるだろ」
「借りようとしたけど無理だったの!」
森岡のアドバイスに、俺は事情を説明した。不本意だったけど、一回授業で隣の席になっただけの相手に借りようとしたことも話した。
「すげえ。おまえ、それはヤバすぎるって」
ハヤトを筆頭に森岡が爆笑する。
自分の情けない話や失敗した話も、飲みの席では自虐ネタになる。飲み会のこういうところが、俺は地味に居心地がよかったりする。
明日も一限から授業がある。今日こそは飲み会の誘いを断ろうと思ったけど、来たら来たでなんだかんだ楽しいんだよな。
「俺だって途中マジで焦ったわ。俺かなりヤベー奴じゃんって」
「しかも断られたんだっけ?」
「そうだよ!」
「恥ず~」
俺とハヤトのやり取りを見ながら、森岡が「そりゃ断るだろ」と正論をかます。続けて、
「ちなみに誰に貸してって聞いたん? 俺らが知ってるやつだったらオモロくない?」
と切り込んできた。
「うーん、どうかな、知ってんのかなー」
「名前は? 学年とか」
「出席カードに黒沼って書いてあったのを見たけど、学年は……わかんないなあ。でも一年の時、たまーに教室で見かけたことあったような気がするんだよな~」
一年の夏休み明けから二年生にかけて、俺は飲み会やサークルの合宿、バイトに明け暮れていた。授業にはほとんどと言っていいほど出席していないので、記憶が当てにならない。
「それってつまり同じ学年ってことじゃん」
「そうなのかな。なんか見かけるときはいつもチェックのシャツ着てる。あと意外と背が高かった」
俺は自分の頭の上で平行にした手をびよーんと天井に向けて上げた。黒沼の高身長を表現したつもりだけど、あれは実際に見ないと伝わらないだろうなと思った。その他の特徴――左手の中指に小さな星のタトゥーがあることは、なぜか言う気になれなかった。
「俺そいつ知ってるわ」
そう言ったのは、ハヤトだった。
「まじ?」
「黒沼だろ。下の名前は知らんけど」
「たしかショウヤじゃね?」
ハヤトに助け舟を出したのは森岡だ。
「そうだっけ? 興味ねー」と言うハヤトに、俺は「なに、どういう繋がり⁉」と前のめりになる。
「同じゼミにいんだよ、そいつ」
「そーそー」
森岡が頷く。
「伊澄が言ってるやつって、分厚い眼鏡かけてる陰キャだろ? 髪がモサーってしてる」
「髪はモサッてしてるけど陰キャ……かな? 見た目は確かに地味だし、ちょいオタクっぽいけど」
これまで二回話したことがある地味系男子こと黒沼だけど、二回とも当たりが強かった印象しかない。陰キャというのとはちょっと違う気がした。もしかしてハヤトたちはタトゥーのことを知らないのかな。
「ぜってー陰キャだろ。あいつ、ゼミで一言も喋んないんだぜ」
え、一言も?
「ゼミ発表の時はさすがに喋ってるっしょ」
森岡の指摘に、ハヤトは苛立ったように悪態をついた。
「でもボソボソ喋ってて何言ってるか聞こえねーよ」
森岡は「確かにな」と苦笑いしたあと、口にジョッキを傾けた。
ハヤトと森岡が言う黒沼という男子と、自分に厳しくあたる男が同じ人間だとは思えなかった。俺の脳内は軽くパニックになる。
「それ本当に同じやつ? 俺この前めっちゃけちょんけちょんにされたんだけど」
「毎回ダサいチェック着てんだろ? プラス、タッパある同じ学年の黒沼っつったら、あの黒沼しかいねーよ」
「へ、へえ」
「伊澄、黒沼に自分より下に思われたんじゃねぇ?」
イライラした口調から、ハヤトの声が冗談ぽいトーンに変わった。
「下っ? 俺が? なんで⁉」
「ほら、おまえも俺らと一緒にいなきゃ陰キャに見えるし」
う……。出た、ハヤトのイジリ。酒が入ると、ハヤトってこういうこと言い出すんだよな。言われても大丈夫なメンタルの時もあるけれど、連日課題や小テストに終われて疲れている今はちょっと……。
俺は手元のジョッキをぐいっと飲み干したあと、
「じゃあ俺もチェック着た方がいい⁉」
勢いよくボケた。ハヤトと森岡がドッと笑う。よかった。ウケた。
「おまえあのダサシャツ着んの? ヤベー、めっちゃ似合うんじゃね?」
「やっぱ色は緑かな? それとも赤の方がいいと思う?」
「どっちでもいいわ! じゃあ次のおまえの誕プレ、チェックのシャツな」
続くハヤトのイジリに、俺は重たくなった口角を無理やりつり上げた。
「いや本気かよ! それよりまず先に二郎奢れし!」
「いや~最近まじ金欠でさあ」
「逆にいつ金欠じゃなくなるんだよおまえは!」
大丈夫。自分の立ち位置ぐらいわかってる。ボッチになって残りの大学生活を送るより、イジられる方がずっとましだから。
俺はその場をやり過ごすように、タブレットメニューから新しいレモンサワーを注文した。
幸い大学の生協に併設された本屋へ行くと、普通に置いてあった。外の本屋まで行かなくて済んだのはまだマシだったと思うしかない。
提出期限の前日には、朝の五時まで起きてレポートを完成させた。徹夜明けの電車は二日酔いの時よりも気持ち悪かったけれど、なんとか締め切りの十二時までには間に合った。
「ではでは、伊澄のレポートが終わったことを祝して~~~~カンパーイ!」
ハヤトの乾杯の音頭に続いて、同じくサークル仲間の森岡が「カンパーイ!」とジョッキ同士を打ち付けてくる。
いつも俺たちが集う居酒屋チェーン。半個室のテーブルには、枝豆や唐揚げやポテトといった、いつも注文するつまみが並んでいる。
俺はビールを一口飲み、テーブルにダンッと置いた。
「いや~今回はマジで死んだかと思った」
「聞いた? コイツ三千円する資料、自腹で買ったんだぜ」
ハヤトが笑って言うと、森岡が「もったいねー」と続けた。
「図書館で借りればよかったじゃん。レポートの資料って普通大学に置いてあるだろ」
「借りようとしたけど無理だったの!」
森岡のアドバイスに、俺は事情を説明した。不本意だったけど、一回授業で隣の席になっただけの相手に借りようとしたことも話した。
「すげえ。おまえ、それはヤバすぎるって」
ハヤトを筆頭に森岡が爆笑する。
自分の情けない話や失敗した話も、飲みの席では自虐ネタになる。飲み会のこういうところが、俺は地味に居心地がよかったりする。
明日も一限から授業がある。今日こそは飲み会の誘いを断ろうと思ったけど、来たら来たでなんだかんだ楽しいんだよな。
「俺だって途中マジで焦ったわ。俺かなりヤベー奴じゃんって」
「しかも断られたんだっけ?」
「そうだよ!」
「恥ず~」
俺とハヤトのやり取りを見ながら、森岡が「そりゃ断るだろ」と正論をかます。続けて、
「ちなみに誰に貸してって聞いたん? 俺らが知ってるやつだったらオモロくない?」
と切り込んできた。
「うーん、どうかな、知ってんのかなー」
「名前は? 学年とか」
「出席カードに黒沼って書いてあったのを見たけど、学年は……わかんないなあ。でも一年の時、たまーに教室で見かけたことあったような気がするんだよな~」
一年の夏休み明けから二年生にかけて、俺は飲み会やサークルの合宿、バイトに明け暮れていた。授業にはほとんどと言っていいほど出席していないので、記憶が当てにならない。
「それってつまり同じ学年ってことじゃん」
「そうなのかな。なんか見かけるときはいつもチェックのシャツ着てる。あと意外と背が高かった」
俺は自分の頭の上で平行にした手をびよーんと天井に向けて上げた。黒沼の高身長を表現したつもりだけど、あれは実際に見ないと伝わらないだろうなと思った。その他の特徴――左手の中指に小さな星のタトゥーがあることは、なぜか言う気になれなかった。
「俺そいつ知ってるわ」
そう言ったのは、ハヤトだった。
「まじ?」
「黒沼だろ。下の名前は知らんけど」
「たしかショウヤじゃね?」
ハヤトに助け舟を出したのは森岡だ。
「そうだっけ? 興味ねー」と言うハヤトに、俺は「なに、どういう繋がり⁉」と前のめりになる。
「同じゼミにいんだよ、そいつ」
「そーそー」
森岡が頷く。
「伊澄が言ってるやつって、分厚い眼鏡かけてる陰キャだろ? 髪がモサーってしてる」
「髪はモサッてしてるけど陰キャ……かな? 見た目は確かに地味だし、ちょいオタクっぽいけど」
これまで二回話したことがある地味系男子こと黒沼だけど、二回とも当たりが強かった印象しかない。陰キャというのとはちょっと違う気がした。もしかしてハヤトたちはタトゥーのことを知らないのかな。
「ぜってー陰キャだろ。あいつ、ゼミで一言も喋んないんだぜ」
え、一言も?
「ゼミ発表の時はさすがに喋ってるっしょ」
森岡の指摘に、ハヤトは苛立ったように悪態をついた。
「でもボソボソ喋ってて何言ってるか聞こえねーよ」
森岡は「確かにな」と苦笑いしたあと、口にジョッキを傾けた。
ハヤトと森岡が言う黒沼という男子と、自分に厳しくあたる男が同じ人間だとは思えなかった。俺の脳内は軽くパニックになる。
「それ本当に同じやつ? 俺この前めっちゃけちょんけちょんにされたんだけど」
「毎回ダサいチェック着てんだろ? プラス、タッパある同じ学年の黒沼っつったら、あの黒沼しかいねーよ」
「へ、へえ」
「伊澄、黒沼に自分より下に思われたんじゃねぇ?」
イライラした口調から、ハヤトの声が冗談ぽいトーンに変わった。
「下っ? 俺が? なんで⁉」
「ほら、おまえも俺らと一緒にいなきゃ陰キャに見えるし」
う……。出た、ハヤトのイジリ。酒が入ると、ハヤトってこういうこと言い出すんだよな。言われても大丈夫なメンタルの時もあるけれど、連日課題や小テストに終われて疲れている今はちょっと……。
俺は手元のジョッキをぐいっと飲み干したあと、
「じゃあ俺もチェック着た方がいい⁉」
勢いよくボケた。ハヤトと森岡がドッと笑う。よかった。ウケた。
「おまえあのダサシャツ着んの? ヤベー、めっちゃ似合うんじゃね?」
「やっぱ色は緑かな? それとも赤の方がいいと思う?」
「どっちでもいいわ! じゃあ次のおまえの誕プレ、チェックのシャツな」
続くハヤトのイジリに、俺は重たくなった口角を無理やりつり上げた。
「いや本気かよ! それよりまず先に二郎奢れし!」
「いや~最近まじ金欠でさあ」
「逆にいつ金欠じゃなくなるんだよおまえは!」
大丈夫。自分の立ち位置ぐらいわかってる。ボッチになって残りの大学生活を送るより、イジられる方がずっとましだから。
俺はその場をやり過ごすように、タブレットメニューから新しいレモンサワーを注文した。
