朝目が覚めると、昨日の大雨が嘘のように止んでいた。雲一つない空は晴れて澄んでいる。窓から届く朝日は爽やかで、俺の泣き腫らした目には眩しすぎるほどだ。

 シャワーを浴び、普段着に着替えてリビングに向かう。お父さんはもう会社に行ってしまったようで、リビングでは琴音とお母さんが朝ご飯を食べていた。
「伊澄も食べるでしょ?」
 俺が椅子に座ると、お母さんが立ち上がった。
「うん」

「これはツナマヨ、こっちは肉味噌。あ、今あたしが食べてるのは鮭昆布ね。ママ、今日朝からいっぱい作ったんだって」
 琴音は説明しながら、鮭と昆布の入ったおにぎりをパクッと食べた。
「お父さんが今日から出張でしょ? あの人、出張の日はママ特製のおにぎりを食べないとやる気が出ないって言うのよねー、昔から」
「愛だね~」
「まあ、おにぎりは冷凍しておけるから」
「そしてパパがいない間に、あたしたちの朝ご飯や夜食になると」
「そういうことー」
 お母さんが俺の前に置いたグラスに麦茶を注いでくれる。
「ありがとう」
「伊澄も早く食べちゃいなさい」
 お母さんはそう言うと、冷蔵庫に麦茶のポットを戻した。

 さっき洗面所の鏡で見た俺の顔は、ひどいありさまだった。一晩中泣いた目は赤く腫れ、なかなか寝付けなかったせいで目の下にはクマもある。
 でも……不思議と気持ちは晴れ晴れとしていた。

 ラップにくるまれたおにぎりたちが乗ったお盆に手を伸ばす。ラップを剥がして頬張る。俺が手に取ったのは肉味噌おにぎりだったらしい。ピリッとした甘辛の具が米に染みていて、ますます食欲をそそる。

 ――無限にいけるわ。

 いつか黒沼が家に来た時のことを思い出す。黒沼が気に入ってくれたこのおにぎりを、また一緒に食べたい。いろんなものを一緒に食べて、笑いあいたいと思った。
「そういえば伊澄のお友達、元気にしてる?」
 お母さんが椅子に座りながら聞いてきた。
「友達って、あのイケメン?」
 先に口を開いたのは琴音だ。
「かっこよかったよね~。今の子って、みんなあんなに足長いものなの?」
「ねえママ。あたしと伊澄見たらわかるでしょ?」
「あ、それもそっか」
「ちょっと~! そこは否定してよー!」
「ごめんね二人とも……ママに似ちゃって」
 泣きマネをするお母さんに、琴音がキャハキャハと笑う。

 賑やかな朝の風景が俺の日常が目の前に広がっている。俺は脱線していた二人を戻すように、「元気じゃないかも」と黒沼の近況を
口にした。
「えっ? なに、具合悪いの?」
 琴音の質問に、俺は首を横に振る。

「昨日俺が怒らせることしたから、今日は元気じゃないと思う」
「やだ~、あんた何したのよ」
「お母さん、こないだ『また来てね』って言ってたじゃん。黒沼に」
 お母さんは「そうね」と頷く。
「もしかしたら、もう二度と来てくれないかもしれない」
 そこでようやく、琴音とお母さんもただ事じゃないと悟ったらしい。ワーワーと賑やかだった食卓がしんと静まり返る。

「でも俺は黒沼にまたこの家に来てもらいたいなって。そう思ってる」
 顔を上げて言い切った。二人はポカンとしていたけれど、呆れているような表情ではなかった。
「う、うん……よくわからないけど、頑張れ」
 一番に声を発したのはお母さんだ。
 俺は「ごちそうさまでした」と言い、麦茶を一気飲みする。リュックを背負って立ち上がると、振り向きざまに言った。

「行ってきます」