「御子柴くん、誕生日おめでとうでした」
二学期の始まりの日。みんなが帰り支度をしている時、すれ違いざまにそう言ってきたのは天野さんだった。
「おー、ありがと」
気楽な様子でひらひらと手を振り合う二人を見比べる。天野さんが去った後、俺は御子柴に尋ねた。
「お前、今日が誕生日なのか?」
すると御子柴は首を振る。
「いや、八月の二十三日だけど」
「でも、天野さんがさっきおめでとうって」
「おめでとうでしたって言ってたろ」
確かに過去形だったけども。
「夏休みに誕生日くるから、昔から忘れられがちなんだよな。天野は几帳面だから覚えてたんだろ」
俺は思わず後ろを振り返った。天野さんは友人と連れ立って、教室を出て行くところだった。
なんだか釈然としない思いが胸のうちに渦巻く。
御子柴と俺は……なんというか、付き……付き合って、いる。
未だに実感が湧かないのだが、ともかく夏休みの始めの方にそうなったのだ。
そういう関係なのに、誕生日を知らないのは、そして他のクラスメートが承知しているのは、こう、腑に落ちないのである。
「なんで教えてくんなかったんだよ」
口調に少しの恨みがましさが混じる。それを知ってか知らずか、御子柴はひょいと肩を竦めた。
「だって聞かれなかったし」
「言ってくれたら……」
口をもごもごさせていると、御子柴は口元に微笑みを浮かべる。
「祝ってくれた?」
「……まぁ」
小さく頷くと、御子柴は弾むように「そっかそっか」と頷いている。
「ちなみに水無瀬はいつ?」
「五月十二日」
「……いや、過ぎてんじゃん。なんで言わなかったんだよ」
「聞かれなかったし……」
「おい」
御子柴がすんっと真顔になる。
だって仕方ないだろ。……ただの友達にいきなり誕生日を教えるもんじゃない。
俺が口をヘの字に曲げているのを見て、御子柴は軽くため息をついた。
「しょーがねーなー。じゃ、今日、ラーメン行こうぜ。んで、お互いにおごりあうってことで」
「はぁ? それ意味あるか?」
「あるじゃん。プレゼント交換」
——というわけで、俺たちは帰り道、御子柴おすすめのラーメン屋に寄った。
入り口で御子柴が食券機の前に立つ。長い指が並ぶメニューを差した。
「どれがいい?」
「えっと、塩ラーメン」
「せっかくの誕プレなのにトッピングしなくていいんですか?」
「そんなに食えねぇし」
御子柴は千円札を入れて、食券を買い、俺に手渡してきた。
「誕生日おめでと」
「あ、ありがとう」
俺も御子柴とまったく同じようにする。御子柴も同じく塩ラーメンを選んだ。
「おめでと……」
「ありがとうございまーす」
御子柴はにこにことそれを受け取る。俺と御子柴の手には同じ食券が握られていた。
……ほんっとうに、意味あるか、これ?
御子柴は軽い足取りでカウンター席につく。俺もその後ろをついていった。店員は差し出された食券の半分を切り取り、もう半分をこちらに返す。ラーメンを待っている間、俺は手元の食券を見下ろしていた。
これが初めての誕生日プレゼントかぁ……。
ラーメンを食べ終わり、席を立つとき、御子柴がその半券を財布に入れた。ゴミとして残しておくのも忍びなく、俺もそれにならった。
ラーメン屋を出ると、九月の厳しい残暑に後押しされた強い西日が、俺たちを照らした。御子柴はこちらにくるりと振り返り、輪郭を赤く染めている。
「ごちそーさまでした」
にこっと笑顔で言うものだから、よく分からないけどこれでいいのか、という気分になってしまう。
「こちらこそ、ごちそうさま」
「いえいえ」
御子柴は一つ頷いて、前方に向き直る。俺は手の中にあった食券を無造作に制服のポケットへ突っ込んだ。
◇
そんなこともあったなぁ、と俺はカレンダーを眺めた。
御子柴が借りている部屋の壁はクリーム色をしている。その色に溶け込むようにしてアイボリー色のチェストがあり、その上に卓上カレンダーがあった。本日の日付は八月二十三日。一緒に過ごす、三回目の御子柴の誕生日だ。
テーブルにはハンバーグを始めとした夕飯が並べられている。本日の主役である御子柴のリクエストだ。
大学の用事で遅くなるという御子柴の帰りを待ちながら、俺は最初に過ごした誕生日に思いを馳せていた。
あの食券は自室の引き出しにしまってある。……まぁ、思い出の品だし。品というのか分からないけど。
そのうち、玄関ドアの鍵が開く音がして、よく通る声が響く。
「ただいまー」
「おかえり」
時刻は夜の八時だった。朝から晩まで大学にいたことになるが、さしてくたびれた様子もない、いつもの御子柴である。
「あれ、メシ食ってて良かったのに」
「そういうわけにもいかないだろ、誕生日なんだから」
「そっか、ありがと」
からかわれるかと思ったが、御子柴は素直にそう言った。……時々、こういうことをするのがずるいと思う。
「あとでケーキもあるから」
「やった。あ、お金払う。いくら?」
「だから誕生日だっつってんだろ」
「他にプレゼント用意してくれたんだろ。じゃ、メシは俺が出すのが約束じゃん」
言って、御子柴は財布を取り出し、中身を探る。今日ばかりはもらうわけにはいかないと固辞しようとしたその時、
「あっ」
レシートやカードが財布から数枚、床に落ちた。
反射的に拾おうとしゃがんで——俺は妙なものがあることに気付く。
それは神社のお守りだった。交通安全と書いてある小さな札が、ビニールの容れ物に包まれている。もしかしたら御子柴がおばあちゃんからもらったものかもしれない、と思った。この中で一番大切なものだろうと思い、拾い上げる。
その裏に、畳まれたお守りではないものが入っているのに気付いた。
なんだ? 何か書いてある。
「塩ラー……?」
思わず読み上げたその時、御子柴がそのお守りをさっと奪った。
それはもう目に留まらぬ速さだった。ぽかんとしている俺には目もくれず、御子柴は床にちらばったカードやレシートを拾い集める。
「うわ、あぶね。キャッシュカード落としてたわ。良かった、外じゃなくて」
「御子柴、さっきのお守りの」
「ああ、あれね。高校生ん時、おばあちゃんが京都旅行で平安神宮行った時に買ってきてくれてさ。ほんとは神社に返して新しいの買わないといけないんだろうけど」
「塩ラーメンの食券——」
「まぁ、なかなか神社行く機会もないしなぁ。せっかくくれたもんだし、返すってのもさぁ」
いつになく早口でそう言いながら、御子柴は押しつけるように五千円を渡してきた。そしてそそくさと洗面所に向かう背中を眺めながら——俺は密かに苦笑した。
二学期の始まりの日。みんなが帰り支度をしている時、すれ違いざまにそう言ってきたのは天野さんだった。
「おー、ありがと」
気楽な様子でひらひらと手を振り合う二人を見比べる。天野さんが去った後、俺は御子柴に尋ねた。
「お前、今日が誕生日なのか?」
すると御子柴は首を振る。
「いや、八月の二十三日だけど」
「でも、天野さんがさっきおめでとうって」
「おめでとうでしたって言ってたろ」
確かに過去形だったけども。
「夏休みに誕生日くるから、昔から忘れられがちなんだよな。天野は几帳面だから覚えてたんだろ」
俺は思わず後ろを振り返った。天野さんは友人と連れ立って、教室を出て行くところだった。
なんだか釈然としない思いが胸のうちに渦巻く。
御子柴と俺は……なんというか、付き……付き合って、いる。
未だに実感が湧かないのだが、ともかく夏休みの始めの方にそうなったのだ。
そういう関係なのに、誕生日を知らないのは、そして他のクラスメートが承知しているのは、こう、腑に落ちないのである。
「なんで教えてくんなかったんだよ」
口調に少しの恨みがましさが混じる。それを知ってか知らずか、御子柴はひょいと肩を竦めた。
「だって聞かれなかったし」
「言ってくれたら……」
口をもごもごさせていると、御子柴は口元に微笑みを浮かべる。
「祝ってくれた?」
「……まぁ」
小さく頷くと、御子柴は弾むように「そっかそっか」と頷いている。
「ちなみに水無瀬はいつ?」
「五月十二日」
「……いや、過ぎてんじゃん。なんで言わなかったんだよ」
「聞かれなかったし……」
「おい」
御子柴がすんっと真顔になる。
だって仕方ないだろ。……ただの友達にいきなり誕生日を教えるもんじゃない。
俺が口をヘの字に曲げているのを見て、御子柴は軽くため息をついた。
「しょーがねーなー。じゃ、今日、ラーメン行こうぜ。んで、お互いにおごりあうってことで」
「はぁ? それ意味あるか?」
「あるじゃん。プレゼント交換」
——というわけで、俺たちは帰り道、御子柴おすすめのラーメン屋に寄った。
入り口で御子柴が食券機の前に立つ。長い指が並ぶメニューを差した。
「どれがいい?」
「えっと、塩ラーメン」
「せっかくの誕プレなのにトッピングしなくていいんですか?」
「そんなに食えねぇし」
御子柴は千円札を入れて、食券を買い、俺に手渡してきた。
「誕生日おめでと」
「あ、ありがとう」
俺も御子柴とまったく同じようにする。御子柴も同じく塩ラーメンを選んだ。
「おめでと……」
「ありがとうございまーす」
御子柴はにこにことそれを受け取る。俺と御子柴の手には同じ食券が握られていた。
……ほんっとうに、意味あるか、これ?
御子柴は軽い足取りでカウンター席につく。俺もその後ろをついていった。店員は差し出された食券の半分を切り取り、もう半分をこちらに返す。ラーメンを待っている間、俺は手元の食券を見下ろしていた。
これが初めての誕生日プレゼントかぁ……。
ラーメンを食べ終わり、席を立つとき、御子柴がその半券を財布に入れた。ゴミとして残しておくのも忍びなく、俺もそれにならった。
ラーメン屋を出ると、九月の厳しい残暑に後押しされた強い西日が、俺たちを照らした。御子柴はこちらにくるりと振り返り、輪郭を赤く染めている。
「ごちそーさまでした」
にこっと笑顔で言うものだから、よく分からないけどこれでいいのか、という気分になってしまう。
「こちらこそ、ごちそうさま」
「いえいえ」
御子柴は一つ頷いて、前方に向き直る。俺は手の中にあった食券を無造作に制服のポケットへ突っ込んだ。
◇
そんなこともあったなぁ、と俺はカレンダーを眺めた。
御子柴が借りている部屋の壁はクリーム色をしている。その色に溶け込むようにしてアイボリー色のチェストがあり、その上に卓上カレンダーがあった。本日の日付は八月二十三日。一緒に過ごす、三回目の御子柴の誕生日だ。
テーブルにはハンバーグを始めとした夕飯が並べられている。本日の主役である御子柴のリクエストだ。
大学の用事で遅くなるという御子柴の帰りを待ちながら、俺は最初に過ごした誕生日に思いを馳せていた。
あの食券は自室の引き出しにしまってある。……まぁ、思い出の品だし。品というのか分からないけど。
そのうち、玄関ドアの鍵が開く音がして、よく通る声が響く。
「ただいまー」
「おかえり」
時刻は夜の八時だった。朝から晩まで大学にいたことになるが、さしてくたびれた様子もない、いつもの御子柴である。
「あれ、メシ食ってて良かったのに」
「そういうわけにもいかないだろ、誕生日なんだから」
「そっか、ありがと」
からかわれるかと思ったが、御子柴は素直にそう言った。……時々、こういうことをするのがずるいと思う。
「あとでケーキもあるから」
「やった。あ、お金払う。いくら?」
「だから誕生日だっつってんだろ」
「他にプレゼント用意してくれたんだろ。じゃ、メシは俺が出すのが約束じゃん」
言って、御子柴は財布を取り出し、中身を探る。今日ばかりはもらうわけにはいかないと固辞しようとしたその時、
「あっ」
レシートやカードが財布から数枚、床に落ちた。
反射的に拾おうとしゃがんで——俺は妙なものがあることに気付く。
それは神社のお守りだった。交通安全と書いてある小さな札が、ビニールの容れ物に包まれている。もしかしたら御子柴がおばあちゃんからもらったものかもしれない、と思った。この中で一番大切なものだろうと思い、拾い上げる。
その裏に、畳まれたお守りではないものが入っているのに気付いた。
なんだ? 何か書いてある。
「塩ラー……?」
思わず読み上げたその時、御子柴がそのお守りをさっと奪った。
それはもう目に留まらぬ速さだった。ぽかんとしている俺には目もくれず、御子柴は床にちらばったカードやレシートを拾い集める。
「うわ、あぶね。キャッシュカード落としてたわ。良かった、外じゃなくて」
「御子柴、さっきのお守りの」
「ああ、あれね。高校生ん時、おばあちゃんが京都旅行で平安神宮行った時に買ってきてくれてさ。ほんとは神社に返して新しいの買わないといけないんだろうけど」
「塩ラーメンの食券——」
「まぁ、なかなか神社行く機会もないしなぁ。せっかくくれたもんだし、返すってのもさぁ」
いつになく早口でそう言いながら、御子柴は押しつけるように五千円を渡してきた。そしてそそくさと洗面所に向かう背中を眺めながら——俺は密かに苦笑した。



