今から5年前、お母さんがまだ生きてた頃、
私はお母さんと一緒にラベンダー畑へ。
二人でバスに乗って、電車にも乗って、遠いところ
まで向かった。
目的地のゲートを潜ると、辺り一面にラベンダー畑が
見えた。
これ程まで大きな花畑を見た事が無かった私は、小さいながらも感動した。
近づくととても良い匂いがする。
スタッフの人にお願いして、広がるラベンダー畑を
背景にお母さんとツーショットの写真を撮った。
その時の写真に写る私たちは、今まで以上に幸せそうな笑顔だと、お母さんが居なくなった今よく感じる。
ラベンダー畑で撮ったその写真は今でも大切に小さな額縁に入れ飾っている。そのせいかよく夢に見る。
「お母さん、このお花綺麗だね!」
私の姿は毎回見えないから、私目線なのだろう。
小さな頃の私の声が側で聞こえる。
見上げる先にはお母さんの姿。
お母さんの姿ははっきりと見えるのに、何故か顔が
ぼやけてしまって見えない。
一番見たいのは顔なのに。
顔が見たい、そんな思いでお母さんの服の裾を引っ張ろうと手を伸ばしたところでお母さんは向き直って
こちらを一瞥もせずに去って行く。
「待って!待ってお母さん!」
まだ一緒に居たい、まだお母さんの声を聞いていたい
必死の思いでお母さんを追いかける。
他の日も、このラベンダー畑を背景に、それぞれ違うパターンでお母さんが去って行く夢を見る。
毎回必死で追いかけるのに、毎回私の手は届かない。
そして目を覚ます。
いつも息が上がっている。
必死で走っているからなのだろうか。
目を開けた瞬間流れる小さな涙。
また見ちゃったか、と思いいつもの様に起き上がる。
いつもなら一人でこの動作をしているが、今回は違う
朝から白い悪魔がこちらを見ていた。
しかも変な格好で。
私は思わず驚いて「うわっ」と声を上げる。
「起きたか蒼。どうした、何が悪い夢でも見たか?
魘されてたから気になって見にきたんだが...」
「ちょっとね、居なくなったお母さんの夢を...」
「もしかして、あの写真の事か?」
カズラはタンスに飾ってあった写真を指差す。
「よくわかったね。...てか、何その格好。」
「これか。これは、“使い魔召喚”の儀式をしていたのだ。」
私は欠伸しながら答える。
「やっぱり悪魔でもちょっと厨二病要素入って...」
「違う!まあ、特別に見せてやろう。来るがいい生贄よ!」
そう私は寝起き早々カズラに連れられ、カズラに貸している元々お母さんの部屋だった場所にやって来る。
シンプルなデザインだったお母さんの部屋は一気に
厨二病感満載なダークな部屋に。
(こいつっ、容赦なくお母さんの部屋をこうやって...)
一発殴りたくなったがその意欲を抑え、出てしまっていた左拳を右手で抑えた。
「見よ!これが使い魔召喚の魔法陣だ!」
見ると、思ったより小さくて安っぽそうな魔法陣だった。
「やっぱり生贄が逆らった時に生贄を押さえ付けられたり生贄を狙う無礼者が居た時の為に使い魔は必要だろう。」
そう自信満々に説明するカズラに私は欠かさず聞く。
「これ、どこで買った。」
「すぐ届くという通販だ。昨日頼んだ。」
「何で買った。」
「もちろん生贄の使う人間機器だ。」
「何円した。」
「“1”と“0”が4個ある値段だ。」
「何を使ってその値段を支払った。」
「もちろんお前の金入りカードだ。あれ凄いよな...」
私の中で何かが切れた音がした。
「ふっざけんじゃねぇっ!!」
私は構わずカズラに殴りかかった。
「よくも私のスマホで、私の数少ない貴重な金が入ったクレジットカードで、1万のこんな魔法陣買いやがったなぁ!!」
「お、落ち着け生贄!生贄が悪魔に逆らって良いと思ってるのか!」
「ここに住まわせてんの誰だと思ってるんじゃ!お母さんの部屋も気軽に模様替えしやがってよぉ!原型を残せ原型を!」
「わ、分かった分かった、あれだろ?召喚した俺の使い魔、お前も使いたいんだろ?だったら使わせてやるからさ、な?だから、落ち着こう、な?」
「そういう問題じゃねぇっ!」
暫くして、私の怒りが収まった為、解放してやった。
「本当に、どうしてくれるの。」
「すまない、蒼。」
「あーあ、これで今月の食費・学費共にギリギリになりましたーどーしてくれるんですかー?」
「だからすまないって、」
「あーあー、またこれでもやしだーもやし生活だー、24時間もやし1袋生活だー。」
「すっごい罪悪感かけてくるなこいつ。」
「あーもう分かったよ。もし食料ギリギリになったら
俺が天界から何か調達してきてやんよ。もちろん俺の奢りで。」
「本当⁉︎...あー、早速今日の昼ご飯からもう残り少ないんだよなー、もやしとツナ缶だけじゃ何もできないなぁー」
「この生贄他人に頼れると分かった瞬間思いっきり寄りかかってきやがって...」
「でもまあこれでお互い様だ。な?」
カズラはそう、私の顔を覗き込んでくる。
私のクレジットカードから勝手にお金を引き出されて物を買われたのは屈辱的だけど、食費を賄ってくれるのはなかなか有難い。
このチャンスを逃さまいと、私は口を尖らせ言った。
「まあ、それなら...許す。」
その時、私の頭に一つ疑問が浮かぶ。
「そういやこのエセ儀式、いつからやってたの?目に隈すっごいけど。」
「エセ言うな。」
「この儀式はお前が寝た23時から大体7時間はやっていた。」
7時間?23時から?って事は...
私は頭で時計を思い浮かばせ、短い針を動かす。
答えが出てから、私は遅れて驚く。
「今日の6時まで⁉︎」
「ああ。6時になった瞬間お前の魘され声が聞こえたから気になって中断したんだ。」
「もう私の睡眠時間丸々じゃん...寝なくて大丈夫なの?」
「何を言ってる。俺は悪魔だぞ?人間らの様にか弱い身体ではないし、大丈夫だ...」
そうカズラが立ち上がった瞬間、カズラの身体がフラッと揺れ、倒れそうになった。
「ちょ、危なっ」
私はカズラの背中を支え倒れない様抑える。
「大丈夫じゃないじゃないの!」
カズラは私に身を委ねながら目を逸らして言った。
「何故だー?前は三日間睡眠なしで耐えられたのにー」
そうカズラはなかなか身を起こしてくれない。
どうやらわざと身を委ねている様だ。
「ちょ、早く立て直してくれない⁉︎」
「あー、まだ無理だなぁ、」
「良い加減にしてっ!」
私は思い切りカズラを突き飛ばす。
「おい生贄、何が何でも乱暴過ぎんだろ、ったく。」
「さっきの、絶対わざとでしょ。」
「はぁ...勘のいい生贄は嫌いだよ。」
そう首元を掻きながら部屋を出て行くカズラ。
「何か聞いた事ある台詞...ってか、部屋片付けてよ!」
私はそれを追いかける。
今日は休日だ。だから一日中、カズラの世話をしないといけない。
出かけたりなんてしたら、何しでかすか分からない。
好き勝手するカズラを厳しい目で見守る私は、本当に
“生贄”という立場なのだろうか。
本当に、この悪魔に命を奪われて死ぬ立場なのか。
━ 「誰しもが悪魔という種族を望んで悪魔に生まれてきたわけじゃない、それを分かって欲しいんだ。」
でも...
カズラもああ見えて真面目に自分の願いと向き合ってるんだ。
協力すると誓ったからには、やり切るしかない。
お母さんはきっと許してくれないだろう。
悪魔に命を売って、それで死ぬなんて。
もし全てやり遂げて、お母さんのいるあの世に行ったとしたら、私の事を見守ってくれていたであろうお母さんは、絶対に私を叱るだろう。
叱られてもいい、悪魔でもなんでも、誰かを救って
死ねるなら。
「おい生贄ー、儀式で肩凝った。揉んでくれ。」
「何それ、お年寄り?」
「人間の年寄りと一緒にすんな。ほら、早く。」
ソファの背もたれに寄っ掛かり肩揉みを求めるカズラに仕方なく私は肩揉みをする。
「もうちょっと右、あちょっと左。」
カズラの指示通りに私は手を動かす。
「もうちょっと強くできないのか。」
「クレームは受け付けてません。」
「全く、使いづらい生贄だな。」
すごく生意気な態度だ。
頼んだのは自分なのに。
あの時、抱きしめられた時の態度とは大違い。
あの時は悪魔だなんて思わないほど素直だったけど、
今では欲張りな大悪魔だ。
私はあまり従ってられないとカズラの肩から手を離し
静かに去ろうとする。
「おい、どこ行く、待てよっ、」
ソファの前を通りかかった瞬間、手を伸ばしたカズラに捕まり、身体を引き寄せられてしまった。
「生贄、勝手に逃げろなんて指示してねぇんだよ。」
耳元でカズラの囁き声が聞こえる。
「でも、あまりにもこき使い過ぎじゃないかな。私、生贄になる事は誓ったけど貴方の使用人になる事は認めてないから。」
「ほーん、言うじゃねぇか。」
突然、カズラが私を抱きしめる強さが変わった。
「お前凄いよなぁ。こんな悪魔目の前にちっとも怯みやしない。むしろこうやって生意気な態度叩ける。」
「生意気なのはあんたでしょうが!離してよ!」
そう私は足掻き、カズラの手を抜ける。
カズラは勢いよく立ち上がった。
「お前、本当我儘だな。」
そして真顔でそう言い残し、階段を上がっていった。
何だか苛立っている様だった。
けれど私も十分苛立っていた。
「何よ、我儘なのはそっちでしょ。寝不足悪魔。」
後々、ドアを勢いよく閉める音が2階から響いた為、
相当怒っている事が分かった。
少し申し訳ないかと思ったけれど、流石に使用人みたいにこき使われるのは堪えた。
今がチャンスだと思い、私は音を立てない様にバッグを手にして買い物に出かけた。
(カズラなんて居なくても良いんだから。)
そんな気持ちを抱いて。
*
スーパーにて、
できるだけ安い食材を探し回っていると、
「あっ、蒼!」
背後から聞いたことのある高い声が。
振り向くと今年私が通う学校から卒業したばっかりの先輩、春香先輩が。
春香先輩は私が唯一仲良く出来た先輩。
「お久しぶりです。」
「久しぶりやなぁ。卒業してから一度も会わへんかったから今日会えて嬉しいわぁ。」
先輩は関西からこちらへやって来た人で、関西弁が
抜けていない。でもそこがまた魅力だ。
「先輩も買い物へ?」
「まあなぁ。この後、同級生と遊ぶ約束してん。でも集合時間になってもなかなかこーへんから、菓子でも買ってこう思てなぁ。蒼は買い出し?」
「はい、朝のうちに昼とかの分を。」
「そっかぁ、大変やなあ。でもここ、朝から空いてるから便利よなぁ。」
「はい、結構助かってます。...先輩はこんな朝早くに集合して一体何処へ?」
「ああ、みんなで朝活ちゅうもんしてからそのままカラオケ行こうってことになってん。」
「へぇ、そうなんですか。カラオケ良いですね。」
話しやすいには話しやすいけど、やっぱり何故か会話を繋ぐのに必死になってしまう。
これも人見知りの特性なのだろうか。
「蒼も今度一緒に行こうな!」
「は、はいっ!」
思わず変な声で返事をしてしまう。
どうしてふとした瞬間に限ってこうしてへんな声に
なってしまうのだろう。
出せば良いのはたったの二文字なのに。
先輩は私の変な声を聞いて満面の笑みを見せる。
「全く、昔から蒼は可愛ええなぁ。」
「そっ、そうですかね...」
素直に照れていると、先輩は「あっ、そういえば」と何かを思い出した。
「可愛いと言えば、最近あそこの路地のシロちゃん、
見なくなっちゃったなぁ。」
「シ、シロちゃんですか?」
私は冷や汗混じりに聞いた。
「ああ。前はずっとあの通路に雨の日も雪の日も必ず居たのに、今は一回も見ないんよ。どうしたんかなぁ、具合でも悪くなっちゃったんかなぁ。」
「さぁ、長く居るし、多分そうなんじゃないですか?」
「早く治ってくれると良いけどなぁ、」
あまりシロちゃんの話題を出してはいけない、と話を逸らそうとしたところ、丁度良いタイミングと言わんばかりに、先輩の友達らしき人達が見えた。
先輩はそれを見つけ、
「じゃあ行くわ。また今度な、」
と私の頭をポンポンと撫でて走っていった。
相変わらず茶髪の似合う先輩だな、とふと思った。
先輩の茶髪はどうやら地毛らしい。
私もレジで会計を済ませ、スーパーを出る。
色々じっくり探し回って更には先輩と話していたからかいつの間にか結構な時間が経ち、7時に入ったはずが出た時はもう8時過ぎになっていた。
帰る途中で、私は顔見知りの近所の人とすれ違う。
「あら蒼さん、朝から買い出し?」
何故か近所の大人の人や歳下の小学生とはすぐ仲良くなれる。
はい、そうです、と答えると、偉いわねぇ、と返ってくる。
近所さんが散歩していたペットのポメラニアンがこちらを向いて尻尾を振っていた為、私は荷物をその場に置いてわしゃわしゃとその子を撫でた。
「全く、シュシュもこんなに懐いちゃって。蒼さんは本当に昔からよく動物に好かれるのね。何だか羨ましいわ。」
「そんなそんな、良いことばっかりじゃないですよ。
時々凶暴な動物に好かれたりもするんで、」
そう笑って良いながら、私は頭の中で猫とか、猫とか
猫とか、と復唱した。
「あらそう?」
そんな会話の中でもシュシュは気持ちよさそうに尻尾を振っている。
もし私が生贄になった相手が猫ではなく犬だった場合
俗に言う犬系男子の様に素直で懐いてくれたのではないか、だとしたら犬がよかった...と勝手にそう考える
近所さんと会話している間にも、シロちゃんことあいつの話題が出た。
その事を経て、近所さんと別れた後、やっぱりシロちゃんは色んな人に好かれていたのかと考え込む。
でも、シロちゃんを好く色んな人は、私みたいに悪魔という正体を知らない人だから、と言い訳した。
シロちゃんが悪魔だという事を知って、あんな生意気な態度見せられたら誰だって私みたいな扱いになる、そうに決まってる、と。
出た時と同様、静かに家の鍵を開け、入る。
いつもみたいにただいまなんか言わなかった。
リビングの様子は落ち着いていて、特に荒れた様子はない。やっぱりカズラは、あれ以来一回も部屋から
出て来ていないみたいだ。
それでも私は知らんふりをして、午前午後と過ごした
*
結局夜になって私がベッドについてもカズラは出てこなかった。
流石に謝ろうかと思ったけど、明日に回す事にした。
そして今日はもう、寝る事にした。
常夜灯に照らされて、目を瞑っている時だった。
突然部屋のドアが開く音がする。確認したかったけど
誰がドアを開けたのか、大体見当がついたので、寝たふりで無視する事に。
「なんだ、もう寝てんのか。」
そうカズラの気配がだんだんこちらへ近づいてくる。
「せっかく俺の気が向いたってのに。」
カズラの顔が近付いてきているのが分かる。
カズラの身体の温かさを、身近に感じているのが。
私は笑わない様必死に堪えていた。
笑ってしまったら嘘寝がバレてしまうから。
「こいつ...今日知らない人間に頭ポンポンしてもらった挙句、近所の毛玉犬まで愛でやがって...」
そんなカズラの妬ましさが籠った一言を聞いて、私は思わず目を開けた。
「なんで知ってんの⁉︎」
そしてそう声を上げる。
「なんだ、起きてんのかよ!」
カズラは驚いた様子で顔を遠ざける。
そして少し立て直してから、
「まあ、聞こえていたんなら丁度いい。」
「てか、なんで私が先輩に会って頭ポンポンしてもらって近所さんのシュシュ撫でてきた事知ってんのよ。」
私はすかさず聞いた。
カズラは案外すぐ答えてくれた。
「お前が出て行く音が聞こえたから、何しに行ったのか“水晶”で見ていたんだよ。」
「待って、水晶?」
今日の朝カズラの部屋を見た時、水晶なんて一見見当たらなかったから、もしかしてまた通販で買ったのかと私は疑った。
それを察知してか、カズラは慌てて言った。
「いや、魔法陣みたいにお前の人間機器で買ったわけじゃない。ちゃんと天界の通信販売で、俺の金で買った。」
なら良いか、と思ったのも束の間、そもそもの話、
そんなものを使って私を見ていたなんて聞き捨てならない。
「私のスマホと私のお金で買わなかったのは良かったけど、そんな天界道具で私を見張らないで。ただ買い物に行ってただけだし。」
「なんだ、金あったのか。てっきり今日の昼からない、って朝言ってたから、金無いのかと。」
「それは...冗談。」
確かにそんな事も言っていたな、と今更思い出し、
冗談という事にした。
「それはそうと...」
少しして、カズラが口を開いた。
「朝のこと...すまん。かっとなり過ぎた。我儘なのは
俺の方だったみたいでな。」
「私もごめんなさい。カズラの願い叶えるって誓ったはずなのに、こんな事になっちゃって。」
私は外方を向いて返した。
本当に申し訳ないと思う。誓ったはずなのに、カズラの事を捨てようとしていた。
カズラがこうだったら、カズラがいなければ、なんて
自分で決めた事なのに、私はカズラに善意と理想を追求していた。
忘れるな、カズラは悪魔だ。白い悪魔だ。
そう考えると、カズラは悪魔という立場にありながら
頑張っていると思う。
“悪魔は悪で黒い”という勝手に作られた常識を
覆すために。
カズラは頑張ってる。私も頑張らないと。
そう考えていると、次第に涙が溢れてくる。
外方を向いているから、カズラには気づかれていない
(この前泣いたばっかりなのに...)
私は必死で、かつバレない様に涙を拭った。
そして大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせ、立て直した。
鼻をかんでなんとか泣き止むと、カズラが口を開く。
「今日は俺の昔話を聞かせてやる。」
いきなりそんな事を言うものだから、私は戸惑う。
「俺の母さんの話だ。そこに座れ。」
私はまだ戸惑ってその場に立ったままだった。
「良いから座れ。」
暗くて顔が見えづらいカズラの指示に従い、私はベッドの上に座る。
カズラは私の座る反対側に座り、早速話し始めた。
「俺の母さんは、悪魔の中でも他人思いで優しくて、
何でも出来る悪魔だった。」
私はカズラの話を大人しく聞き始めた。
“俺が住んでいた天界にあった悪魔だけの小さな村のまとめ役になっていた母さんは、よく村の外へと出かけていた。
「じゃあ、行ってくるわね。」
「母さん!またどっか行くのか?」
「ええ。この村の発展の為に、他の村に勉強しに行くのよ。」
「えー、じゃあ今日も遅いじゃねぇか。いつになったら母さんと一緒に過ごせるんだよー!」
「ごめんねカズラ。でも、母さんは村の大事な役目を担っているの。なかなか仕事は抜けないわ。でも、近いうち抜けるってなった時、絶対抜いて、カズラと過ごす時間にするわ。」
「約束だぞ。」
「ええ、もちろん、可愛い子猫ちゃん。早く人間みたいな姿になれると良いわね。じゃあ、行ってきます」
いつもの様に母さんは出かけていた。
あの時母さんはああ言っていたけど、本当に俺と過ごす時間が作れるのかと俺は半疑になっていた。
でも、母さんなら約束は破らないと、信じる一面も
あった。
正直期待していた。
けど、そんな俺の期待は叶わなかった。
ある日、また村の外へ出かけた母さんの帰りが、かなり遅い日があった。
何があったのか、家を出て村の人に尋ようとしていると、突然村の開いていた門から黒い羽の生えた連中が複数人やってくる。
何が来たのかとよく見ていると、先頭の奴らが持っていたのは、母さんのボロボロになった身体だった。
「母さんっ!」
俺は思わず飛び出そうとした。
「行っては駄目!」
けれどすぐ、同じ村に住んでいた他の悪魔に尻尾を掴まれ、それを制された。
「何でだよっ!あれ母さんだ、行かせてくれよ!」
そう駄々を捏ねていた俺。
「ここが悪魔のみが住むとさる最後の村だな。」
でもすぐに、目の前の連中のうちの一人の威圧感ある一言に、駄々をこねる気力を失った。
すると代わりに、俺の尻尾を掴む悪魔が口を開く。
「この村に、何のようだい。シロスフィさんを離しなさい。」
「断る。こいつはこの村の長とほぼ同等な立場なようだな。この村を滅ぼす前に、まずこいつを処する儀式を上げさせてもらう。その為に今ここに来た。」
周りの悪魔がざわめき出す。
そして次第に、批判の声が多く上がった。
「ふざけるな!シロスフィさんが何をした!」
「やめて!可哀想よ!」
「こんなの間違ってる!」
「粛に!!」
再び連中のうちの一人の一言に、全体が静まる。
「悪魔は存在してはならない。この天界の為にも、他の世界の為にも。」
もう誰も何も言わなかった。
きっとまだ、言いたいことは誰もが沢山あっただろう。
けど、みんな口を噤んでいた。
その後、母さんを処する儀式の準備がされる。
母さんは十字架に縛り付けられ、すぐ真下には薪が設置されていた。
「これより、火炎の刑を開始する。」
そして始まった、母さんを殺す儀式。
薪に火がつけられ、それが次第に豪火となる。
爪先から燃えて行く母さんの身体。
それを見てその場にいた悪魔全員が絶望した。
もちろん俺もだ。
母さんは、意識が朦朧としているのか、我慢しているのか、少し呻いた後は何も言わなかった。
でも、母さんの身体が全て豪火に包まれかけた時、
母さんは何か言ったんだ。
俺には何て言っているか、よく分かった。
「覆せ」と、言っていた。
母さんがそう言った直後、母さんの身体は豪火に包まれ、母さんは火だるまになった。
母さんの姿が完全に焦げて見えなくなった後、炎が
紫に変色する。
儀式を行った連中はそれを見て、
「儀式は完了した。もうじきこの炎が村全体に行き渡り、この村も壊滅する。お前ら悪魔は、死屍累々となる。」
そう言って一度に去っていく連中。
そこにいた悪魔が、膝から崩れ落ちたり、嘆いていたりした。
俺も言葉が出なかった。
最愛の母親を、公開処刑で、目の前で殺された。
怒りと悲しみと、信じられない気持ちが入り混じって何だか複雑だった。
そんな気持ちに浸っていたのも束の間、俺の目に突然飛び火が飛んできて直撃する。
俺は痛みで俯いた。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
今までに無いほど叫んだ。
どうしてこんな事に、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだって━。”
「あの時受けた飛び火から、俺の左目は紫に光るようになってしまった。ほら、こんな風に。」
カズラは自分の左目を紫に光らせてみせた。
それを見て私はハッとした。
カズラと初めて出会った時、カズラの片目が紫に光ったように見えたのは、決して気のせいなんかじゃなかったんだ。
私はそう、確信した。
「俺は母さんから大切な使命を担っている。だから...」
その時だった。カズラが突然、バタンと倒れた。
「カズラ⁉︎どうしたの⁉︎」
驚いて見たのも束の間、カズラは眠りについていた。
私は一つ溜息を吐く。
「もう、ちゃんと寝ないで使い魔召喚しようとするから...」
そう私はカズラの身体を正しい位置に戻して、掛け布団をかけた。
(仕方ない、私は一階のソファで...)
と立ち上がったその瞬間、私は背後で手を掴まれる。
「行かないで...一緒にいて...」
「え?」
恐らく寝言だったのだろう。
手を離す様子が見られない為、私は仕方なくカズラの隣に潜った。
隣、すぐそばで、カズラの寝息が聞こえる。
それを聞いて、何だか緊張してきた。
今夜はどうやら、そんな簡単に眠れなさそうだ。
私はお母さんと一緒にラベンダー畑へ。
二人でバスに乗って、電車にも乗って、遠いところ
まで向かった。
目的地のゲートを潜ると、辺り一面にラベンダー畑が
見えた。
これ程まで大きな花畑を見た事が無かった私は、小さいながらも感動した。
近づくととても良い匂いがする。
スタッフの人にお願いして、広がるラベンダー畑を
背景にお母さんとツーショットの写真を撮った。
その時の写真に写る私たちは、今まで以上に幸せそうな笑顔だと、お母さんが居なくなった今よく感じる。
ラベンダー畑で撮ったその写真は今でも大切に小さな額縁に入れ飾っている。そのせいかよく夢に見る。
「お母さん、このお花綺麗だね!」
私の姿は毎回見えないから、私目線なのだろう。
小さな頃の私の声が側で聞こえる。
見上げる先にはお母さんの姿。
お母さんの姿ははっきりと見えるのに、何故か顔が
ぼやけてしまって見えない。
一番見たいのは顔なのに。
顔が見たい、そんな思いでお母さんの服の裾を引っ張ろうと手を伸ばしたところでお母さんは向き直って
こちらを一瞥もせずに去って行く。
「待って!待ってお母さん!」
まだ一緒に居たい、まだお母さんの声を聞いていたい
必死の思いでお母さんを追いかける。
他の日も、このラベンダー畑を背景に、それぞれ違うパターンでお母さんが去って行く夢を見る。
毎回必死で追いかけるのに、毎回私の手は届かない。
そして目を覚ます。
いつも息が上がっている。
必死で走っているからなのだろうか。
目を開けた瞬間流れる小さな涙。
また見ちゃったか、と思いいつもの様に起き上がる。
いつもなら一人でこの動作をしているが、今回は違う
朝から白い悪魔がこちらを見ていた。
しかも変な格好で。
私は思わず驚いて「うわっ」と声を上げる。
「起きたか蒼。どうした、何が悪い夢でも見たか?
魘されてたから気になって見にきたんだが...」
「ちょっとね、居なくなったお母さんの夢を...」
「もしかして、あの写真の事か?」
カズラはタンスに飾ってあった写真を指差す。
「よくわかったね。...てか、何その格好。」
「これか。これは、“使い魔召喚”の儀式をしていたのだ。」
私は欠伸しながら答える。
「やっぱり悪魔でもちょっと厨二病要素入って...」
「違う!まあ、特別に見せてやろう。来るがいい生贄よ!」
そう私は寝起き早々カズラに連れられ、カズラに貸している元々お母さんの部屋だった場所にやって来る。
シンプルなデザインだったお母さんの部屋は一気に
厨二病感満載なダークな部屋に。
(こいつっ、容赦なくお母さんの部屋をこうやって...)
一発殴りたくなったがその意欲を抑え、出てしまっていた左拳を右手で抑えた。
「見よ!これが使い魔召喚の魔法陣だ!」
見ると、思ったより小さくて安っぽそうな魔法陣だった。
「やっぱり生贄が逆らった時に生贄を押さえ付けられたり生贄を狙う無礼者が居た時の為に使い魔は必要だろう。」
そう自信満々に説明するカズラに私は欠かさず聞く。
「これ、どこで買った。」
「すぐ届くという通販だ。昨日頼んだ。」
「何で買った。」
「もちろん生贄の使う人間機器だ。」
「何円した。」
「“1”と“0”が4個ある値段だ。」
「何を使ってその値段を支払った。」
「もちろんお前の金入りカードだ。あれ凄いよな...」
私の中で何かが切れた音がした。
「ふっざけんじゃねぇっ!!」
私は構わずカズラに殴りかかった。
「よくも私のスマホで、私の数少ない貴重な金が入ったクレジットカードで、1万のこんな魔法陣買いやがったなぁ!!」
「お、落ち着け生贄!生贄が悪魔に逆らって良いと思ってるのか!」
「ここに住まわせてんの誰だと思ってるんじゃ!お母さんの部屋も気軽に模様替えしやがってよぉ!原型を残せ原型を!」
「わ、分かった分かった、あれだろ?召喚した俺の使い魔、お前も使いたいんだろ?だったら使わせてやるからさ、な?だから、落ち着こう、な?」
「そういう問題じゃねぇっ!」
暫くして、私の怒りが収まった為、解放してやった。
「本当に、どうしてくれるの。」
「すまない、蒼。」
「あーあ、これで今月の食費・学費共にギリギリになりましたーどーしてくれるんですかー?」
「だからすまないって、」
「あーあー、またこれでもやしだーもやし生活だー、24時間もやし1袋生活だー。」
「すっごい罪悪感かけてくるなこいつ。」
「あーもう分かったよ。もし食料ギリギリになったら
俺が天界から何か調達してきてやんよ。もちろん俺の奢りで。」
「本当⁉︎...あー、早速今日の昼ご飯からもう残り少ないんだよなー、もやしとツナ缶だけじゃ何もできないなぁー」
「この生贄他人に頼れると分かった瞬間思いっきり寄りかかってきやがって...」
「でもまあこれでお互い様だ。な?」
カズラはそう、私の顔を覗き込んでくる。
私のクレジットカードから勝手にお金を引き出されて物を買われたのは屈辱的だけど、食費を賄ってくれるのはなかなか有難い。
このチャンスを逃さまいと、私は口を尖らせ言った。
「まあ、それなら...許す。」
その時、私の頭に一つ疑問が浮かぶ。
「そういやこのエセ儀式、いつからやってたの?目に隈すっごいけど。」
「エセ言うな。」
「この儀式はお前が寝た23時から大体7時間はやっていた。」
7時間?23時から?って事は...
私は頭で時計を思い浮かばせ、短い針を動かす。
答えが出てから、私は遅れて驚く。
「今日の6時まで⁉︎」
「ああ。6時になった瞬間お前の魘され声が聞こえたから気になって中断したんだ。」
「もう私の睡眠時間丸々じゃん...寝なくて大丈夫なの?」
「何を言ってる。俺は悪魔だぞ?人間らの様にか弱い身体ではないし、大丈夫だ...」
そうカズラが立ち上がった瞬間、カズラの身体がフラッと揺れ、倒れそうになった。
「ちょ、危なっ」
私はカズラの背中を支え倒れない様抑える。
「大丈夫じゃないじゃないの!」
カズラは私に身を委ねながら目を逸らして言った。
「何故だー?前は三日間睡眠なしで耐えられたのにー」
そうカズラはなかなか身を起こしてくれない。
どうやらわざと身を委ねている様だ。
「ちょ、早く立て直してくれない⁉︎」
「あー、まだ無理だなぁ、」
「良い加減にしてっ!」
私は思い切りカズラを突き飛ばす。
「おい生贄、何が何でも乱暴過ぎんだろ、ったく。」
「さっきの、絶対わざとでしょ。」
「はぁ...勘のいい生贄は嫌いだよ。」
そう首元を掻きながら部屋を出て行くカズラ。
「何か聞いた事ある台詞...ってか、部屋片付けてよ!」
私はそれを追いかける。
今日は休日だ。だから一日中、カズラの世話をしないといけない。
出かけたりなんてしたら、何しでかすか分からない。
好き勝手するカズラを厳しい目で見守る私は、本当に
“生贄”という立場なのだろうか。
本当に、この悪魔に命を奪われて死ぬ立場なのか。
━ 「誰しもが悪魔という種族を望んで悪魔に生まれてきたわけじゃない、それを分かって欲しいんだ。」
でも...
カズラもああ見えて真面目に自分の願いと向き合ってるんだ。
協力すると誓ったからには、やり切るしかない。
お母さんはきっと許してくれないだろう。
悪魔に命を売って、それで死ぬなんて。
もし全てやり遂げて、お母さんのいるあの世に行ったとしたら、私の事を見守ってくれていたであろうお母さんは、絶対に私を叱るだろう。
叱られてもいい、悪魔でもなんでも、誰かを救って
死ねるなら。
「おい生贄ー、儀式で肩凝った。揉んでくれ。」
「何それ、お年寄り?」
「人間の年寄りと一緒にすんな。ほら、早く。」
ソファの背もたれに寄っ掛かり肩揉みを求めるカズラに仕方なく私は肩揉みをする。
「もうちょっと右、あちょっと左。」
カズラの指示通りに私は手を動かす。
「もうちょっと強くできないのか。」
「クレームは受け付けてません。」
「全く、使いづらい生贄だな。」
すごく生意気な態度だ。
頼んだのは自分なのに。
あの時、抱きしめられた時の態度とは大違い。
あの時は悪魔だなんて思わないほど素直だったけど、
今では欲張りな大悪魔だ。
私はあまり従ってられないとカズラの肩から手を離し
静かに去ろうとする。
「おい、どこ行く、待てよっ、」
ソファの前を通りかかった瞬間、手を伸ばしたカズラに捕まり、身体を引き寄せられてしまった。
「生贄、勝手に逃げろなんて指示してねぇんだよ。」
耳元でカズラの囁き声が聞こえる。
「でも、あまりにもこき使い過ぎじゃないかな。私、生贄になる事は誓ったけど貴方の使用人になる事は認めてないから。」
「ほーん、言うじゃねぇか。」
突然、カズラが私を抱きしめる強さが変わった。
「お前凄いよなぁ。こんな悪魔目の前にちっとも怯みやしない。むしろこうやって生意気な態度叩ける。」
「生意気なのはあんたでしょうが!離してよ!」
そう私は足掻き、カズラの手を抜ける。
カズラは勢いよく立ち上がった。
「お前、本当我儘だな。」
そして真顔でそう言い残し、階段を上がっていった。
何だか苛立っている様だった。
けれど私も十分苛立っていた。
「何よ、我儘なのはそっちでしょ。寝不足悪魔。」
後々、ドアを勢いよく閉める音が2階から響いた為、
相当怒っている事が分かった。
少し申し訳ないかと思ったけれど、流石に使用人みたいにこき使われるのは堪えた。
今がチャンスだと思い、私は音を立てない様にバッグを手にして買い物に出かけた。
(カズラなんて居なくても良いんだから。)
そんな気持ちを抱いて。
*
スーパーにて、
できるだけ安い食材を探し回っていると、
「あっ、蒼!」
背後から聞いたことのある高い声が。
振り向くと今年私が通う学校から卒業したばっかりの先輩、春香先輩が。
春香先輩は私が唯一仲良く出来た先輩。
「お久しぶりです。」
「久しぶりやなぁ。卒業してから一度も会わへんかったから今日会えて嬉しいわぁ。」
先輩は関西からこちらへやって来た人で、関西弁が
抜けていない。でもそこがまた魅力だ。
「先輩も買い物へ?」
「まあなぁ。この後、同級生と遊ぶ約束してん。でも集合時間になってもなかなかこーへんから、菓子でも買ってこう思てなぁ。蒼は買い出し?」
「はい、朝のうちに昼とかの分を。」
「そっかぁ、大変やなあ。でもここ、朝から空いてるから便利よなぁ。」
「はい、結構助かってます。...先輩はこんな朝早くに集合して一体何処へ?」
「ああ、みんなで朝活ちゅうもんしてからそのままカラオケ行こうってことになってん。」
「へぇ、そうなんですか。カラオケ良いですね。」
話しやすいには話しやすいけど、やっぱり何故か会話を繋ぐのに必死になってしまう。
これも人見知りの特性なのだろうか。
「蒼も今度一緒に行こうな!」
「は、はいっ!」
思わず変な声で返事をしてしまう。
どうしてふとした瞬間に限ってこうしてへんな声に
なってしまうのだろう。
出せば良いのはたったの二文字なのに。
先輩は私の変な声を聞いて満面の笑みを見せる。
「全く、昔から蒼は可愛ええなぁ。」
「そっ、そうですかね...」
素直に照れていると、先輩は「あっ、そういえば」と何かを思い出した。
「可愛いと言えば、最近あそこの路地のシロちゃん、
見なくなっちゃったなぁ。」
「シ、シロちゃんですか?」
私は冷や汗混じりに聞いた。
「ああ。前はずっとあの通路に雨の日も雪の日も必ず居たのに、今は一回も見ないんよ。どうしたんかなぁ、具合でも悪くなっちゃったんかなぁ。」
「さぁ、長く居るし、多分そうなんじゃないですか?」
「早く治ってくれると良いけどなぁ、」
あまりシロちゃんの話題を出してはいけない、と話を逸らそうとしたところ、丁度良いタイミングと言わんばかりに、先輩の友達らしき人達が見えた。
先輩はそれを見つけ、
「じゃあ行くわ。また今度な、」
と私の頭をポンポンと撫でて走っていった。
相変わらず茶髪の似合う先輩だな、とふと思った。
先輩の茶髪はどうやら地毛らしい。
私もレジで会計を済ませ、スーパーを出る。
色々じっくり探し回って更には先輩と話していたからかいつの間にか結構な時間が経ち、7時に入ったはずが出た時はもう8時過ぎになっていた。
帰る途中で、私は顔見知りの近所の人とすれ違う。
「あら蒼さん、朝から買い出し?」
何故か近所の大人の人や歳下の小学生とはすぐ仲良くなれる。
はい、そうです、と答えると、偉いわねぇ、と返ってくる。
近所さんが散歩していたペットのポメラニアンがこちらを向いて尻尾を振っていた為、私は荷物をその場に置いてわしゃわしゃとその子を撫でた。
「全く、シュシュもこんなに懐いちゃって。蒼さんは本当に昔からよく動物に好かれるのね。何だか羨ましいわ。」
「そんなそんな、良いことばっかりじゃないですよ。
時々凶暴な動物に好かれたりもするんで、」
そう笑って良いながら、私は頭の中で猫とか、猫とか
猫とか、と復唱した。
「あらそう?」
そんな会話の中でもシュシュは気持ちよさそうに尻尾を振っている。
もし私が生贄になった相手が猫ではなく犬だった場合
俗に言う犬系男子の様に素直で懐いてくれたのではないか、だとしたら犬がよかった...と勝手にそう考える
近所さんと会話している間にも、シロちゃんことあいつの話題が出た。
その事を経て、近所さんと別れた後、やっぱりシロちゃんは色んな人に好かれていたのかと考え込む。
でも、シロちゃんを好く色んな人は、私みたいに悪魔という正体を知らない人だから、と言い訳した。
シロちゃんが悪魔だという事を知って、あんな生意気な態度見せられたら誰だって私みたいな扱いになる、そうに決まってる、と。
出た時と同様、静かに家の鍵を開け、入る。
いつもみたいにただいまなんか言わなかった。
リビングの様子は落ち着いていて、特に荒れた様子はない。やっぱりカズラは、あれ以来一回も部屋から
出て来ていないみたいだ。
それでも私は知らんふりをして、午前午後と過ごした
*
結局夜になって私がベッドについてもカズラは出てこなかった。
流石に謝ろうかと思ったけど、明日に回す事にした。
そして今日はもう、寝る事にした。
常夜灯に照らされて、目を瞑っている時だった。
突然部屋のドアが開く音がする。確認したかったけど
誰がドアを開けたのか、大体見当がついたので、寝たふりで無視する事に。
「なんだ、もう寝てんのか。」
そうカズラの気配がだんだんこちらへ近づいてくる。
「せっかく俺の気が向いたってのに。」
カズラの顔が近付いてきているのが分かる。
カズラの身体の温かさを、身近に感じているのが。
私は笑わない様必死に堪えていた。
笑ってしまったら嘘寝がバレてしまうから。
「こいつ...今日知らない人間に頭ポンポンしてもらった挙句、近所の毛玉犬まで愛でやがって...」
そんなカズラの妬ましさが籠った一言を聞いて、私は思わず目を開けた。
「なんで知ってんの⁉︎」
そしてそう声を上げる。
「なんだ、起きてんのかよ!」
カズラは驚いた様子で顔を遠ざける。
そして少し立て直してから、
「まあ、聞こえていたんなら丁度いい。」
「てか、なんで私が先輩に会って頭ポンポンしてもらって近所さんのシュシュ撫でてきた事知ってんのよ。」
私はすかさず聞いた。
カズラは案外すぐ答えてくれた。
「お前が出て行く音が聞こえたから、何しに行ったのか“水晶”で見ていたんだよ。」
「待って、水晶?」
今日の朝カズラの部屋を見た時、水晶なんて一見見当たらなかったから、もしかしてまた通販で買ったのかと私は疑った。
それを察知してか、カズラは慌てて言った。
「いや、魔法陣みたいにお前の人間機器で買ったわけじゃない。ちゃんと天界の通信販売で、俺の金で買った。」
なら良いか、と思ったのも束の間、そもそもの話、
そんなものを使って私を見ていたなんて聞き捨てならない。
「私のスマホと私のお金で買わなかったのは良かったけど、そんな天界道具で私を見張らないで。ただ買い物に行ってただけだし。」
「なんだ、金あったのか。てっきり今日の昼からない、って朝言ってたから、金無いのかと。」
「それは...冗談。」
確かにそんな事も言っていたな、と今更思い出し、
冗談という事にした。
「それはそうと...」
少しして、カズラが口を開いた。
「朝のこと...すまん。かっとなり過ぎた。我儘なのは
俺の方だったみたいでな。」
「私もごめんなさい。カズラの願い叶えるって誓ったはずなのに、こんな事になっちゃって。」
私は外方を向いて返した。
本当に申し訳ないと思う。誓ったはずなのに、カズラの事を捨てようとしていた。
カズラがこうだったら、カズラがいなければ、なんて
自分で決めた事なのに、私はカズラに善意と理想を追求していた。
忘れるな、カズラは悪魔だ。白い悪魔だ。
そう考えると、カズラは悪魔という立場にありながら
頑張っていると思う。
“悪魔は悪で黒い”という勝手に作られた常識を
覆すために。
カズラは頑張ってる。私も頑張らないと。
そう考えていると、次第に涙が溢れてくる。
外方を向いているから、カズラには気づかれていない
(この前泣いたばっかりなのに...)
私は必死で、かつバレない様に涙を拭った。
そして大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせ、立て直した。
鼻をかんでなんとか泣き止むと、カズラが口を開く。
「今日は俺の昔話を聞かせてやる。」
いきなりそんな事を言うものだから、私は戸惑う。
「俺の母さんの話だ。そこに座れ。」
私はまだ戸惑ってその場に立ったままだった。
「良いから座れ。」
暗くて顔が見えづらいカズラの指示に従い、私はベッドの上に座る。
カズラは私の座る反対側に座り、早速話し始めた。
「俺の母さんは、悪魔の中でも他人思いで優しくて、
何でも出来る悪魔だった。」
私はカズラの話を大人しく聞き始めた。
“俺が住んでいた天界にあった悪魔だけの小さな村のまとめ役になっていた母さんは、よく村の外へと出かけていた。
「じゃあ、行ってくるわね。」
「母さん!またどっか行くのか?」
「ええ。この村の発展の為に、他の村に勉強しに行くのよ。」
「えー、じゃあ今日も遅いじゃねぇか。いつになったら母さんと一緒に過ごせるんだよー!」
「ごめんねカズラ。でも、母さんは村の大事な役目を担っているの。なかなか仕事は抜けないわ。でも、近いうち抜けるってなった時、絶対抜いて、カズラと過ごす時間にするわ。」
「約束だぞ。」
「ええ、もちろん、可愛い子猫ちゃん。早く人間みたいな姿になれると良いわね。じゃあ、行ってきます」
いつもの様に母さんは出かけていた。
あの時母さんはああ言っていたけど、本当に俺と過ごす時間が作れるのかと俺は半疑になっていた。
でも、母さんなら約束は破らないと、信じる一面も
あった。
正直期待していた。
けど、そんな俺の期待は叶わなかった。
ある日、また村の外へ出かけた母さんの帰りが、かなり遅い日があった。
何があったのか、家を出て村の人に尋ようとしていると、突然村の開いていた門から黒い羽の生えた連中が複数人やってくる。
何が来たのかとよく見ていると、先頭の奴らが持っていたのは、母さんのボロボロになった身体だった。
「母さんっ!」
俺は思わず飛び出そうとした。
「行っては駄目!」
けれどすぐ、同じ村に住んでいた他の悪魔に尻尾を掴まれ、それを制された。
「何でだよっ!あれ母さんだ、行かせてくれよ!」
そう駄々を捏ねていた俺。
「ここが悪魔のみが住むとさる最後の村だな。」
でもすぐに、目の前の連中のうちの一人の威圧感ある一言に、駄々をこねる気力を失った。
すると代わりに、俺の尻尾を掴む悪魔が口を開く。
「この村に、何のようだい。シロスフィさんを離しなさい。」
「断る。こいつはこの村の長とほぼ同等な立場なようだな。この村を滅ぼす前に、まずこいつを処する儀式を上げさせてもらう。その為に今ここに来た。」
周りの悪魔がざわめき出す。
そして次第に、批判の声が多く上がった。
「ふざけるな!シロスフィさんが何をした!」
「やめて!可哀想よ!」
「こんなの間違ってる!」
「粛に!!」
再び連中のうちの一人の一言に、全体が静まる。
「悪魔は存在してはならない。この天界の為にも、他の世界の為にも。」
もう誰も何も言わなかった。
きっとまだ、言いたいことは誰もが沢山あっただろう。
けど、みんな口を噤んでいた。
その後、母さんを処する儀式の準備がされる。
母さんは十字架に縛り付けられ、すぐ真下には薪が設置されていた。
「これより、火炎の刑を開始する。」
そして始まった、母さんを殺す儀式。
薪に火がつけられ、それが次第に豪火となる。
爪先から燃えて行く母さんの身体。
それを見てその場にいた悪魔全員が絶望した。
もちろん俺もだ。
母さんは、意識が朦朧としているのか、我慢しているのか、少し呻いた後は何も言わなかった。
でも、母さんの身体が全て豪火に包まれかけた時、
母さんは何か言ったんだ。
俺には何て言っているか、よく分かった。
「覆せ」と、言っていた。
母さんがそう言った直後、母さんの身体は豪火に包まれ、母さんは火だるまになった。
母さんの姿が完全に焦げて見えなくなった後、炎が
紫に変色する。
儀式を行った連中はそれを見て、
「儀式は完了した。もうじきこの炎が村全体に行き渡り、この村も壊滅する。お前ら悪魔は、死屍累々となる。」
そう言って一度に去っていく連中。
そこにいた悪魔が、膝から崩れ落ちたり、嘆いていたりした。
俺も言葉が出なかった。
最愛の母親を、公開処刑で、目の前で殺された。
怒りと悲しみと、信じられない気持ちが入り混じって何だか複雑だった。
そんな気持ちに浸っていたのも束の間、俺の目に突然飛び火が飛んできて直撃する。
俺は痛みで俯いた。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
今までに無いほど叫んだ。
どうしてこんな事に、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだって━。”
「あの時受けた飛び火から、俺の左目は紫に光るようになってしまった。ほら、こんな風に。」
カズラは自分の左目を紫に光らせてみせた。
それを見て私はハッとした。
カズラと初めて出会った時、カズラの片目が紫に光ったように見えたのは、決して気のせいなんかじゃなかったんだ。
私はそう、確信した。
「俺は母さんから大切な使命を担っている。だから...」
その時だった。カズラが突然、バタンと倒れた。
「カズラ⁉︎どうしたの⁉︎」
驚いて見たのも束の間、カズラは眠りについていた。
私は一つ溜息を吐く。
「もう、ちゃんと寝ないで使い魔召喚しようとするから...」
そう私はカズラの身体を正しい位置に戻して、掛け布団をかけた。
(仕方ない、私は一階のソファで...)
と立ち上がったその瞬間、私は背後で手を掴まれる。
「行かないで...一緒にいて...」
「え?」
恐らく寝言だったのだろう。
手を離す様子が見られない為、私は仕方なくカズラの隣に潜った。
隣、すぐそばで、カズラの寝息が聞こえる。
それを聞いて、何だか緊張してきた。
今夜はどうやら、そんな簡単に眠れなさそうだ。
