問題児——俺は、きっとそれに該当する。
学ランのボタンは4つも開けるし、髪は校則違反の茶髪。
テストは平均点に届けば奇跡、授業中はほぼ睡眠。成績表は3以下が並ぶ。
課題は提出しないし、やる気もない……それなのに、なぜか無遅刻無欠席で皆勤賞。自分でも意味がわからない。
1年生の頃から、担任は篠原先生だった。
国語の担当も同じく篠原先生。地味で真面目で、物静かで、だけどやたらと根気のある教師だ。
先生は2か月に1回くらいのペースで、生徒にレポートを書かせていた。
テーマは毎回違う。だけど、どれもこれもが、妙に重たかった。
そのたびに俺たち生徒は頭を抱えた……そして俺は、何も書けずに提出をサボる。
だって、わからないし。無理だし。
そうやって、俺は何度も、何度も、篠原先生に反抗してきた。
◇
「……佐原ぁ」
「んえ?」
放課後の図書室。
俺はペンを握ったまま、机に突っ伏していた。
ゆっくりと扉が開く音がして、ふと顔を上げる。入ってきたのは、篠原先生だった。
先生は手に缶ジュースを2本持っている。そのひとつを無言で俺の前に置き、隣の椅子に腰を下ろす。
「……」
先生は何も言わずにプルタブを開け、ごくりと喉を鳴らしながらジュースを飲んだ。
それだけ。先生はずっと沈黙している。何も言わなかった。
「……」
——いや、なんだよその無言の圧。怖いわ。
喉まで出てきていた言葉は、吐き出さずに飲み込む。
先生、もしかして怒っているのだろうか。感情ひとつない、先生の真顔を、じっと見つめ続けた。
「……なんすか?」
「……いや、レポート、書いているんだなって思って」
「どゆこと?」
「散々、君は課題を無視してきた。だから、今回もそうされると、心のどこかで思っていたんだ」
「信用ゼロってことね」
「うん」
——うん、じゃねーよ。
そこは否定してくれよ、なんて思いつつ、俺は差し出されたジュースを受け取った。
先生は、やはり今も真顔だった。
日ごろからそんなに感情を丸出しにするタイプでもないが、ここまで真顔なのも珍しい。
「佐原は、明日、来てくれるの?」
「はぁ? レポートの提出をしなきゃならないんだろ?」
「うん。でも、いつもみたいに提出を怠るかもしれない。明日、君は学校に来ないかもしれない」
「……信用ゼロだな」
「うん」
——うん、じゃねーーーーって!!
ムッとした顔をわざと先生に向けると、先生は驚いたように目をまるくして……それから、ほんのすこしだけ笑った。
その顔に、なんか悔しくなって、小さな声で言葉を継いだ。
「……なんかさ、提出しなきゃって思って。先生の顔を見てたら、なんか無視もできない気がして。先生もさ、真顔で冷静装っているつもりだろうけど、ほんとうは不安で怖いんでしょ? 俺が来るか来ないかはもちろん、地球が滅亡するという事実そのものがっ!!」
「……佐原、ついに人の心中を察するスキルを手に入れたんだな」
「バカにしてんじゃねーーーーよ!」
先生からもらった缶ジュースのプルタブを開けて、勢いよく飲み干した。
甘さが喉から胸にかけて広がり、なんだか、わかんないけど、泣きそう。
「大人だからって余裕ぶっているのか知らないけど、不安なら不安って、正直に言葉を吐き出せばいいのに!」
「……」
「ったく、俺はかならずレポートを書いて、明日の朝、学校に来る! これは俺の意志だ。かならず来るから! お望み通り、生と死について、最初で最後のレポートを書いてきてやるよ!!」
「……」
先生は黙ったまま、ジュースの缶を見つめていた。
眼鏡の奥の目が、すこし揺れた気がする。でも、それ以上は何も言わなかった。
俺はそれを見なかったことにして、荷物を鞄にしまいこみ、勢いで立ち上がる。
「とにかくさ、明日は来るから! 先生もちゃんと来てよ! それで、俺のレポート受け取って、ついでに感動して泣け!」
「……感動するとは限らないが、来るよ。佐原の締め切り、見届けないといけないし」
その言葉に、ふっと肩の力が抜ける。
俺は鞄を肩にかけて、最後にもう一度だけ顔を向けた。
「……ジュース、ありがと。また明日、先生」
春の夕陽が差し込む廊下へ出る。
さっきまで胸の中にあった重さが、すこしだけ軽くなった気がした。
◇
家に帰り、珍しく俺はすぐに机に向かった。
もう意地だった。
あれだけ啖呵を切った手前、なかったことにはできない。
家の中は、いつもと変わらなかった。
誰も、朝見たニュースの話題には触れない。
いつも通り、風呂に入って、晩ごはんを食べて——そして、いつも通りの夜を迎えたのだ。
「……んー」
書きかけのレポート見ながら、小さくうなる。
『正直言って、生とか死とか、そんなテーマで何かを書くなんて無理だと思った』
そうやって、数時間前の俺は紙に書いていたからだ。
自分で書いておいて、笑ってしまう。
何が〝無理だと思った〟だ。それでもこうやって、バカ真面目にレポートと向き合っているというのに。
そう思いながらも、どうにか紙を埋めようと頭をフル回転させる。
すると、ふいにあの眼鏡が思い浮かんだ。
真顔でジュースを渡してきた、あの教師のこと。
ずっとバカ真面目で、基本的に物静かで、でもちょっと人間くさくて——。
「……」
——このレポートは、きっと自分のためではない。
たぶん俺は今、あの人に渡すために、このレポートを書いている。なんだか、そんな気がした。
「……生きているってことは、何かを選ぶことの繰り返し」
「くだらない選択に見えても、それが〝生きている証〟……」
「死ぬっていうのは、何も選ぶことができなくなること……」
ペン先が、紙の上をゆっくり走る。
書きながら、不思議とすこしずつ気持ちが落ち着いていくような気がした。それと同時に、頭をよぎる。
これはまるで、遺書のような——。
「……」
ペン先が、すこしずつ走り出す。
「生と死」というテーマが、さっきよりも、すこしだけ現実味を持って見えてきた。
深夜。部屋の時計が、日付の境目をゆっくりと越えていく。
その音を聞きながら、俺はひと文字、またひと文字、レポートの続きを書き続けた。



