この春が終わる前に


「えー、なに。碧人、本気で書いてんの!?」
「……」
 休み時間、俺は珍しく真面目に紙と向き合っていた。
 篠原先生のことを「バカ真面目」と笑ったけど、俺も大概バカ真面目だと思う。
 ……まあ、過去のことは置いといて。
「なんかさ、先生の目が怖くて」
「目?」
「……無視できないなって、思ってさ」
「どゆこと?」
「……」
 明日、休校。つまり教師たちも休みだろう。
 でも篠原先生は「明日の朝に提出しろ」と言った。
 つまり——先生も学校に来るってことだ。
 それがわかってしまったから、俺も無視できなくなった。
 とはいえ。
「……だけどさ」
 テーマがテーマなだけに、ペンはまったく進まない。『生と死』——『人生』より重たいって、なんなんだよ。
 簡単に書けるわけがない。
「生と死……生きる、死ぬ……んーーーー」
 ペンを置いて、天井を見つめる。
 どれだけ考えても、やはり何も浮かばなかった。



 帰りのショートホームルームで、篠原先生がテレビをつけた。
 今朝とは打って変わって、どのチャンネルも、彗星衝突のニュース一色になっていた。
 アナウンサーも芸能人も、みんな動揺を隠せていない。
 テレビ越しの焦燥感に、半信半疑だったクラスメイトたちも色を変え始めた。
 明日が休校だという事実も相まって、教室には妙な緊張感が漂う。
 画面の中では、巨大彗星に関する情報が淡々と語られていた。
 NASAが何年も前から動いていたこと。
 民間企業と協力して対策を試みていたこと。
 でも、どれもうまくいかなかったということ。
 そして——今回の彗星は、約6,600万年前の恐竜絶滅クラスどころか、それを遥かに超える規模だと、アナウンサーが淡々と伝える。
 テレビには、恐竜のイラストが大きく映し出されていた。
「……ありえねぇ」
 もう、映像すら見たくないと思った。
 俺は顔を伏せ、両耳を両手で塞ぐ。
 もう、聞きたくなかった。聞いてしまえば、認めてしまいそうだったから。



 放課後の教室は、なんとも言えない雰囲気だった。
 泣き出すやつ。固く抱き合うやつ。
 いつも以上に声を張り上げて笑いあうやつ。みんながそれぞれの感情と向き合っていた。
 先生たちは部活の中止を決めて、教室の使用を自由にした。
 〝最後の時間〟を、それぞれが好きに過ごせるように。生徒たちへの配慮だった。
 ——これで彗星衝突がなかったことになれば面白いのに。
 そんなしょうもないことを思いながら、俺は迷わず図書室に向かった。
 ひとり、レポートを書き上げるために。

 図書室には誰もいなかった。窓際の机に座ると、遠くで風が木を揺らす音が聞こえた。時間だけが、まるで何事もないかのように流れている。
 ほんとうは、そんなことしてる場合ではないのかもしれない。
 みんなみたいに、大切な時間を人と過ごすべきかもしれない。
 でも、書かなければならないと思った。
 どうしても書ききらなければいけない気がした。
 ——何度も、何度も、篠原先生の顔が浮かぶ。
「んああああっ、くそっ!」
 いつもみたいに、課題なんてなかったことにすればいいのに。
 それなのに、どうしてもあの真顔が、俺の脳裏に焼き付いて離れない。胸のうちが重くて、なんだかどんよりする。
 とにかくレポートを書かなければならないという思いで、頭もいっぱいだった。