教室の空気は、いつもよりすこしだけ重たかった。
その原因は、間違いなく『地球が滅亡するらしい』というニュースにある。
泣いているやつもいれば、笑っているやつもいた。
机に突っ伏したまま起き上がらないやつ。
スマホでネットニュースを読み漁っているやつ。
誰もが、何かを装いながら今をやり過ごそうとしていた。
いつも通りの朝——のように見せかけて、クラスの誰もが、〝いつも通り〟ではなかった。
「なぁ、マジで彗星が落ちてくるのかな?」
「マジでしょ。だってほら、アメリカの大統領とNASAが対談しているの見たけど、あれはガチだったよ」
「いや、でもさ、ワンチャン破壊できるんじゃね? 映画とかだとそうじゃん?」
「ハリウッド映画じゃねーんだからさぁ~」
俺は自分の席につき、横から聞こえるくだらない会話に耳を傾けながら、鞄を開いた。
中から筆箱と一緒に、くしゃくしゃになったプリントを取り出す。
それは、明後日が提出締め切りのレポートだった。
配られたのは、たしか先々週の火曜日か。テーマは『人生について』。
高校2年生に『人生』なんて語らせようとするなんて、このときの担任は、いったい何を考えていたのか。
俺にとってこのテーマは、あまりにも漠然としていて、まったく筆が進まなかった。
だけど正直な話、別に出さなくてもいいかな、と思っていた。
自慢ではないが——俺はたいてい、課題の提出をサボる。そして先生も既に諦めていた。
だからこれも、きっとそのひとつになる。
そう、思っていた。
だがその矢先に、地球滅亡のお知らせ。
言い方は悪いが、すこしだけ嬉しかった。
——地球がなくなるなら、レポートもなかったことにできるのでは……!?
今回はサボったわけではない。〝地球が滅亡するから〟提出ができなかったんだ。
そうやって最後くらい、自分を正当化できると思った。
なんて——実感が湧かない非現実的な現実のはずなのに、どこか軽く考えている自分がいる。自分のことなのに、いったい俺は何を考えているのか、それすらわからない。
「はーい、着席」
チャイムが鳴り終わらないうちに、ゆっくりと扉が開いた。
そして、担任の篠原先生が入ってくる。先ほど校門で見たときと変わりない。いつも通りのグレーのスーツ、黒縁の眼鏡。
篠原先生は表情ひとつ変えず教壇に立つと、日直に号令を促した。
「日直、号令」
静かな声だった。けれどその声には、どこかいつもと違う重みがあるように感じる。
先生はいつも通り出席をとり、手帳を開きながら、連絡事項を淡々と読み上げていた。
「あー、そうだ。佐原碧人」
「え?」
突然名前を呼ばれ、顔を上げる。
「レポートの未提出者、あと君だけな。必ず提出しろよ」
「えぇ!?」
教室のあちこちから笑い声が上がった。
俺は驚きを隠せないまま立ち上がり、先生と向き直る。
先生は真顔だった。
「せっかくだ。テーマを『生と死』にしよう。提出の締め切りは——明日の朝だ」
「明日の朝!?」
笑いに包まれていた教室だったが、今度は一瞬で凍る。
篠原先生はそれでも真顔のまま、落ち着いた口調で続けた。
「このあと、臨時の全校集会がある。詳しくはそこで話すが、明日は休校となる。ニュースの情報が正しいならば——どうか明日は、大切な人とすごしてほしい。国からの通達だ」
教室の空気が張り詰める。
誰かが小さく、息を呑んだ気配があった。
でも俺は——正直、それどころではない。
「待て待て待て!!」
明日は休校になるということはわかった。
それなのに、レポートの締め切りが明日の朝って、どういうことだ!?
「ね、先生!!」
無意識に、声が大きくなっていた。
「それ、締め切りが明日の朝って、おかしくね!?」
「ん?」
「〝ん?〟じゃなくて!! 明日の朝、地球終わるんだよ!? みんなは休みでしょ!? なんで俺だけ学校に来なきゃなんないの!」
俺の焦りに、再び教室に笑いが起きた。
けれど、先生は動じない。
真顔のまま、感情の波ひとつ見せず、静かにこちらを見ていた。
ふと、その眼差しが真っ直ぐに俺の心を貫く。
声には出していないが、まるで「黙って書いて出せ」と言っているようだった。
「……」
——ふざけんな。
強い反発が胸の中に湧く。
そんなもの、書けるわけがない。
世界が終わるというのに、レポートなんて。
しかも『生と死』だと?
そんなもの、『人生』以上に書きにくい!!
俺は強く睨みつける。
けれど、先生にはいっさい通じなかった。
「佐原。いいから、ちゃんと書いて提出しろよ」
篠原先生は、ほんのすこしだけ口角を上げた。
だが、その目つきは、いっさい変わらなかった。



