「今日から私が担当させていただきます」

 雑誌を読みながら店長を待っていた時、声に驚いて顔を上げると、鏡の中に夢丘愛乃がいた。

「えっ⁉」

 思わず声が出た。目をまん丸くしたわたしの顔が鏡に映っていた。

 夢丘の話によると、新人美容師カット・コンテストで入賞して、晴れてお客様担当美容師になったのだという。それだけでなく、最初に担当するお客様は高彩さんに決めていたというのだ。びっくりするやら嬉しいやらで頬が緩みそうになったが、必死になって引き締めた。

「高彩さん、よかったね、愛乃が担当になって」

 後ろを通り過ぎた店長が軽口を叩いたので、〈そんな~〉と返そうとして鏡を見たら、顔がにやけていた。思わず下を向いた。
 でも、嬉しかった。やった! とケープの下で何度も拳を握った。すると、あることが思い浮かんだ。浮かんだだけではなく、絶対に実行しなくてはならないと強く思った。だからシャンプー台に移動した時、小さな声で彼女を誘った。

「お祝いしよう」

「えっ、お祝いですか?」

「そう。コンテストの入賞とお客様担当美容師誕生のお祝い」

 びっくりしたような、それでいて嬉しいような表情が浮かんだので、わたしは間髪容れず待ち合わせの日時を告げた。

        *

 水曜日、それは、夢丘愛乃の定休日だった。待ち合わせ場所は彼女と美容室外で初めて会ったところだった。駅前のスーパーの入口。

 講義をすっぽかしたその日は朝から時計がなかなか進まなかった。だから、ジャケットを羽織っては何度も玄関の姿見に映したし、少しでも男前が上がるように色々なポーズを取ったりした。
 それでも、そんなことをしてもなかなか時間が進まなかった。1分おきくらいに腕時計を見ては、その度にため息をついた。
 そのうち身が持たなくなった。そわそわして家にいても落ち着かなかった。ゆっくり歩いていくことにした。それでも30分前に着いてしまった。

        *

 待ち合わせの5分前に彼女がやって来た。赤とピンクの花柄が控えめに咲いている膝上丈の白いワンピースを着ていた。
 色白の彼女に良く似合っていると思いながら見つめていると、彼女がこちらに向かって手を振った。その時、カールした髪がふわっと揺れて、笑みがこぼれた。息を呑んだ。〈なんて綺麗なんだ〉と息を呑み続けた。夢ではないのはわかっているが、それでも頬を(つね)りそうになった。

 その日はレストランでシェフのお任せコースを食べただけのデートとも言えないようなものだったが、最高に幸せだった。家に帰ってからも、彼女の表情や声を思い出しては幸せに浸った。