「同情するわ」

 黒江は尾を下げた。
 威嚇するべき対象ではないと判断したようだ。

「あなたの願い事はなにかしら。幽世にまで生きたまま来るほどだもの。よほど、時間がないのでしょう? 黒江にはわかるわ。黒江が手助けをしてあげる」

 黒江は手を差し出した。
 それを紅蓮が払い除けた。

「紅蓮様!?」

「騙されるな。小賢しい狐のすることにはすべて裏があると思え」

「ですが、ご好意で言ってくださっているかもしれません」

 春代の言葉に紅蓮は頷かなかった。

 ……裏があるのでしょうか。

 黒江は純粋に問いかけたようにしか見えない。

「紅蓮様は聡明ですこと」

 黒江はけらけらと笑った。

「手助けをした見返りに現世に戻ってもらおうとしただけのことよ」

 黒江には裏があった、

 見返りとして現世に戻るなどありえないことだ。春代には現世に居場所はない。神宮寺家から逃げ出した以上、二度と、父親の庇護のもとに戻るわけにはいかなかった。

 そのような事情など黒江には関係がない。

「おかしいことではないでしょう? 生きた人間は現世にいるべきですもの」

「幽世に招かれた人間も少なくはない」

「知っていますわ。神隠しだなんて大層な名前で呼ばれていることでしょう?」

 黒江は紅蓮の言葉に引くつもりはないようだ。

 神隠しはあやかしや神格の持つ神によって異界や幽世に招かれることを指す。招かれた人間は一人では現世に戻ることができない。幽世と現世の境界線に辿り着くことができないからだ。

 春代は現世に戻る力がなかった。

 母にもう一度会いたいという気持ちを利用され、幽世に連れて来られたのだ。

 逃げ場はない。

 すべてが紅蓮の思い通りに事が運んでいた。

「紅蓮様がそれを行うほどに執着を見せているとは驚きましたわ」

 黒江は春代に視線を向ける。
 その視線には嫉妬が混ざっていた。

 手に入れられないものを手に入れることができた春代への嫉妬だ。