曰く、この世の美味全てを注いだ天上の酒。
 曰く、その美味ゆえに不治の病すら治す奇跡の酒。
 曰く、あの三女神すらも唸らせた神の酒。

 この手の伝説にありがちなもので、何割増しかには大げさなのだろう、語り文句。それでも、私の心を動かすには十分すぎた。

「一緒に探してみない?」

 即座に乗るのは少し欲望に忠実すぎるかもと、あれこれ、スズネさん程の人と行動するのはきっと良い経験になるだとか、智慧の使い方を学ぶにはまず体験してみなければだとか、自分の中で言い訳を考えてみるけれど、そんな事を考えている間に首が勝手に頷いてしまう。口が、はいという音を漏らしてしまう。

「じゃあ決まり!」

 そんな私にスズネさんは、それはもう、眩しいほどの笑顔を返した。

 その日はウィスキーのかかったアイスを食べて、お開きとなった。またスズネさんについて宿まで帰ると、彼女は朝食後に集合だと言って最上階、四階に消える。足取りは普段のままで隙は無く、あまりの蟒蛇(うわばみ)っぷりに感心してしまった。
 彼女、ギルドでどれだけ飲んでいたかは知らないけれど、私といる間だけでも樽一つ分は飲んでいる筈なのに。

 翌朝、朝食を済ませた私たちは昨日と同じ場所でスズネさんと落ち合った。彼女は今日も、小説を手に私達を待っていた。

「あ、おはよ。よく眠れた?」
「はい、おかげさまで」
「良き良き!」

 本当に、スズネさんの笑顔は眩しい。妹っぽい感じもするけれど、同時にお姉ちゃんっぽさもある。不思議な人。でも、一緒にいるのが心地よい。アストから珍しがられたくらいには、彼女と同じ時間を過ごすことに積極性を持ってしまっていた。

「それじゃ、まずは情報集めだね。残念ながら私たちじゃ、その手の資料は閲覧できない。けど、ここらじゃ有名な話みたいだから、住人なら名前くらいは知ってるはずだよ」
「分かりました。地道な聞き込みですね」
「そゆこと!」

 本をしまい、宿の入り口に向かって歩き出すスズネさんの後に付いて行く。『智慧(ちえ)の館』を使えばすぐに分かるのだけれど、確実に怪しまれるから使わない。彼女相手に上手くごまかせる自信は、正直言って一切なかった。

「あ、そうだ」

 宿を出て、さあどちらへ行こうかと考えていると、スズネさんが急に振り返る。

「あのさ、私もソフィアちゃんって呼んでいい?」
「え、えっと、はい。大丈夫ですけれど……」

 アスト以外だとまだ一人、ティカにしか許していない呼称だけれど、スズネさんならまあいいか。
 
「ありがと! じゃあ私のこともスズって呼んでいいよ!」

 聞けば、彼女と親しい人はそう呼ぶらしい。

「分かりました。スズさん」
「ん、よろしい!」

 ……可愛い。あれだけ強いのにこんな可愛いの、正直反則だと思う。

 それから暫く、私たちは街のあちこちで聞き込みをした。二手に分かれても良かったのだけれど、一番の目的は二人で楽しむことなのだと却下された。まあ、是が非でも見つけなければいけない訳ではないのだから、私としても吝かではなかった。

「それっぽい情報、ないねー」
「ですね……」

 スズさんと二人、ベンチに座ってぼやく。後ろにあるのは、ノウムドワン王国の初代国王らしい銅像だ。職人としての矜持を第一に置くこの国らしく、彼の手にも鍛冶用の槌が握られている。
 ふと上を見れば、もう太陽は天頂を過ぎていた。けれど、ここまでの収穫と言えば、今頬張っている屋台の串焼きくらい。

「やっぱり、本命は職人街の方ですかね?」
「だね。はむ、うん、ご馳走さまっと」

 スズさんが最後の一口を飲み込んで立ち上がった。私も倣って立ち上がり、ベンチの上で伸びをしていたアストを頭の上に乗せる。

大親方(マニユスマジスター)の誰かなら知ってるかもね。会えるか分からないけど」
「まあ、行くだけ行ってみましょう」

 お酒関係、ということで酒蔵の大親方を尋ねる事にした私たちだけれど、結果を言えば、あっさりと会う事が出来た。大親方って、他国で言えば公爵だとか、そのレベルの大貴族にあたるんだけれど、そこはスズさんの名声が仕事をした。冒険者じゃなくて、酒豪としての方が。

「なんか、凄くフランクな普通おっちゃんだったね?」
「酒蔵のドワーフ達相手に飲み比べで圧勝したスズさんは普通じゃないですけれどね。なんで普通に歩けてるんですか?」

 仲間意識の強いドワーフの職人らしく、かたき討ちだと次々スズさんに挑んでいったのだ。
 この人の肝臓は、いったい何で出来ているのだろう? たぶん、そこらの魔導合金よりも頑丈ね。こうして話している間にも顔の赤みが引いていってるし、人間じゃないと思う。

「む、なんか失礼な事考えたでしょ! 私が人間じゃない的な!」

 す、鋭い……。アスト、欠伸してないで誤魔化すの手伝って?

「そ、それより、収穫ありましたね!」
「……まあ、いいか。うん、そうだね。めちゃくちゃ近づけたね!」

 笑顔が眩しい……。
 それは兎も角、収穫の方だ。酒蔵の大親方さんは、そのお酒の情報自体は持っていなかった。けれど、それを知ってそうな相手なら教えてくれた。

「ヘパストさんだっけ? 鍛冶師の大親方」
「そうね。というかアスト、ちゃんと聞いてたのね」
「一応ね」

 捧げ物だって貰ったココアのお酒でほわほわしていたから、聞いていないと思ってた。今眠そうにしてるのもそれの影響だろうし。なんでココアのお酒なんてものがあるのかは、たぶん、ドワーフだから、で良いのだろう。

「かなり偏屈な方らしいですけど、大丈夫ですかね?」

 誰よりも職人らしい職人、らしい。
 
「うーん、まあ、お土産も貰ったし、大丈夫でしょ!」

 スズさんは、さっき貰った酒瓶を手に笑う。神事で使うものや王に献上するものより格が落ちるらしいが、それでも大親方の作った一本だ。正直、私が飲みたい。

「あ、ここだ」

 教えてもらったそこは、日本の学校ほどはありそうな大きさの工房だった。酒蔵の方もそうだったけれど、たくさんの弟子を抱え、国に関わるあれやこれやを手がける以上は相応のスペースが必要なんだろう。特に鍛冶師は、武具や防具に限らず、精度の必要な金属製の道具も作っているみたいだし。

「こんにちはー?」
「お邪魔します」

 開けっ放しになっている入り口から中を覗くと、まずむわっとした空気が顔を撫でまわした。同時に金属を叩く甲高い音や、怒鳴り声が耳に飛び込んで来て、奥にたくさんの職人たちの姿が見える。
 パッと見た感じでは、誰がどの立場なのかよく分からない。見た目年齢で推しはかろうにも、そちらは一層分からないのだからどうしようもない。

「聞いてみる? 知り合い見つけたし」
「そうですね。お願いします」

 スズさんは気負った様子もなく、堂々と入って行く。忙しそうだし、怒られないかと懸念したけれど、案外で誰も気にした様子がない。冒険者個人の顧客もいるんでしょうね。

「やっほ。今大丈夫?」
「え、ああ、スズネちゃん。作業しながらで良けりゃな」
「おけおけ」

 スズさんが聞いてくれている間に、この国の職人制度について軽く調べてみる。大きくは三つの階級に分かれているらしくて、職人としての階級は他国でいう貴族の位に等しいモノみたい。
 つまり、職人は貴族階級。ただし研鑽によって昇級されるものという認識。

 三つの階級は、これから会おうとしている大親方(マニユスマジスター)を頂点として、親方(マジスター)職人(フェラリウス)と続く。職人の中で更に細かく分かれるみたいだけれど、それはまあ良いだろう。
 その人の階級は身体のどこかに付けている装飾で見分けることができるみたい。装飾は各々が自分自身で作成する物から、その職人の腕を直接示すものにもなっていると。

 なるほど、職人の種族と言われるドワーフらしい身分制度ね。

 今スズさんと話してる人は、どれくらいの人なんだろう? 装飾は、あれか。そんなに目が肥えてるわけではないけれど、粗い作りに見える。

「うん?」
「どうしたの、ソフィア」
「今スズさんと話してる人の階級が分からなくて。館の一覧に同じのが載ってないのよ。……あ、これかしら」

 職人である三つの階級の下に、もう一つ、制度上は平民にあたる立場があった。職人見習い、ルーディスと言うそう。実質的に職人に準じる立場として扱われるみたいだけれど。

「お待たせ! 道順まで聞いてきた。勝手に行って大丈夫だってさ」
「ありがとうございます。見習いの判断で、勝手に……なんだか嫌な予感がしますね」
「そうだねー。ほんとに偏屈らしいし」

 他の職人に委ねられないような、確固たる判断基準がある、のかもしれない。
 まあ、まずは行くだけ行ってみよう。