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気がつけば、石のブロックを積み上げた小部屋にいた。薪になった村人達も、村そのものも、何もない。当然おっちゃんもいなくて、私とファウロスだけが存在している。
「大丈夫?」
「えっ、あ、……はい」
痣はしっかり残ってたから聞いたんだけど、うん、これは私に怯えてるやつだ。彼もさっきの村人達が、実体がある幻に近しいもの、というのは分かっているはずだ。だとしても、人の姿をした存在を何の躊躇もなく消し炭にした相手なんて、普通の人間からしたら怯えて然るべき対象だろう。
『なかなか胸くそだったな』
『怪我はちゃんと残ってるんだな』
『ていうかなんか地雷ふんだんか』
『久々にキレハロさん見たな。龍の逆鱗だっけ?』
逆鱗、とファウロスの呟く声は、少し震えている。
んー、まずったかな? まだしばらく一緒に潜らないとなのに、やりづらくなるかも。
いやまあ、彼にどう思われようと気にしないけど、面倒くさいことが増えるのは勘弁してほしい。
仕方ない。少し気分転換を挟もうか。
っと、その前に傷を治してあげよう。
「――っ!」
「治療するだけだよ。そのままじゃ痛いでしょ?」
うぅむ、これは重傷。
とりあえず、内出血やら裂傷やらをさくっと治してあげるか。さくっと、ただしゆっくり時間を使って。お話もしておいた方が良いだろうから。
「悪かったね、驚かせてしまって。……私たち龍には逆鱗っていうのがあってね、それに触れられると、抑えきれない激情に駆られてしまうんだ」
わざとゆっくり治しながら、できるだけ穏やかな口調を心がける。
「といっても物理的なものではなくて、精神的な部分にあるものなんだけど。私の故郷だと、昔は地雷だなんて言い方をしてたやつだね」
コメント欄には今も使ってる人がいるけど、最近の子が使ってるのは見たことないかな。
「私の場合は、私自身や、大事な人の自由を不当に害されること」
龍になりたてのころは不安定で、見知らぬ女の子のことにも怒りを覚えてしまっていたんだけど。
「だからまあ、ファウロスやイリニちゃんに怒るなんてことは、まず無いと思うよ」
ファウロスは一瞬視線を彷徨わせた後、やや目を伏せて、すみませんと漏らす。弱々しく小さな声だったけど、私の耳にはそれで十分だ。
まだ内心、いくらかは怯えているだろう。今ので彼の恐怖を取り去れるだなんて思ってはいない。ただ、言葉にする必要はあると思ったから。
実際、怒ることはないだろう。直接的な害意は知らないけど、私の自由を害するような事になる未来は見えないから。それに、ファウロスなんて私からすれば子供みたいな年齢なんだし、多少の粗相は気にならない。なんて思ったら、つい頭に手を置いてしまった。
『あっ! ずるい! ハロさんの頭なでなで!』
『うお、ダーウィンティーさん』
『相変わらず強火くさいな』
『微笑まれたのまでは許しましたけど、それは流石に看過できません!』
『え、微笑んでたの?』
『なんで画面に映ってない表情分かってるんだこの人』
『ウィンテさんだから』
あー、うん、本当になんで分かるんだろうね? 他の部分の動きも見えない角度だったよね?
これはまた百合板が加速するかも。ていうかアレもいつまであるんだろう?
「えーっと、ダーウィンティーさん、すみません?」
「ほら、ファウロスが困惑してるから」
『ぐぬぬ、庇われまでして……! いやでもハロさんが言うなら……』
ファウロスの方から助けを求める視線が。急になんなんだコイツって感じよね。
まあ、ウィンテはわざとやってくれたんだろうけどね。空気を変えられるように。何割かは本気だと思うけど。なんかプライベートスレッドの方で帰ったら私にもしてくださいって来てるし。
「はい、それじゃあこの話は終わり。まだ先は長いんだし、さっさと出発するよ」
『はーい』
うむ、素直でよろしい。
さて、気分転換タイムの本番はここからだ。
「ところでファウロス」
「はい?」
「空、飛んでみたい?」
きょとんとする彼の手を引き、次の階層に歩かせる。九十一階層は木がずいぶん減っていたなんて喜びはおいておいて、着物を情報として魂力の内にしまう。なんかファウロスが慌てる気配が伝わってきたけど、魔物の気配は感じないので放置。
さて、この魔法を使うのはいつぶりか。何度やっても肉体の変化する感覚は奇妙なものだね。視覚的にも、身体を動かさないままに頭上にあった枝が近づいてきて、そして遠ざかるのだから、やはり奇妙だ。
『今日来て良かった』
『龍の姿もあったんだ』
『久しぶりに見ましたね。子供のころ以来。』
『やっぱ綺麗だなー』
振り返ると、ファウロスが口を開けたままポカンとしていた。瞳に映っている白い影は私だ。真っ白な鱗に真っ白な鬣を持った、金眼の龍。自分でその姿を見たことは無いけど、突然顔見知りがそんな姿に変わって見下ろしてきたら、そりゃあ呆けてしまうか。
「ほら、乗せてあげる」
一番前の腕を下げてやる。頭に乗せるのは、百歩譲っても鬼秀までだ。
声も出せないまま恐る恐る足をかける彼の表情には、期待が五割ってところか。ファウロスも一児の父とはいえ、男の子だね。
ようやく乗り込めたね。普通の人間にはあの高さも大変だったか。まあ、周りに対衝結界くらいは張ってあげよう。風を感じられる程度の弱ーいやつ。
ん、なんかコメント欄にうらやましがる声がたくさん。って、ウィンテは乗せたことあるでしょ。しかも特等席。ほら、コメント欄でもツッコまれてる。
「それじゃあ行くよ。しっかり捕まってて」
「は、はい!」
この緊張は私への恐怖からではないね。よきよき。
さて、空の旅の始まりだ。
気がつけば、石のブロックを積み上げた小部屋にいた。薪になった村人達も、村そのものも、何もない。当然おっちゃんもいなくて、私とファウロスだけが存在している。
「大丈夫?」
「えっ、あ、……はい」
痣はしっかり残ってたから聞いたんだけど、うん、これは私に怯えてるやつだ。彼もさっきの村人達が、実体がある幻に近しいもの、というのは分かっているはずだ。だとしても、人の姿をした存在を何の躊躇もなく消し炭にした相手なんて、普通の人間からしたら怯えて然るべき対象だろう。
『なかなか胸くそだったな』
『怪我はちゃんと残ってるんだな』
『ていうかなんか地雷ふんだんか』
『久々にキレハロさん見たな。龍の逆鱗だっけ?』
逆鱗、とファウロスの呟く声は、少し震えている。
んー、まずったかな? まだしばらく一緒に潜らないとなのに、やりづらくなるかも。
いやまあ、彼にどう思われようと気にしないけど、面倒くさいことが増えるのは勘弁してほしい。
仕方ない。少し気分転換を挟もうか。
っと、その前に傷を治してあげよう。
「――っ!」
「治療するだけだよ。そのままじゃ痛いでしょ?」
うぅむ、これは重傷。
とりあえず、内出血やら裂傷やらをさくっと治してあげるか。さくっと、ただしゆっくり時間を使って。お話もしておいた方が良いだろうから。
「悪かったね、驚かせてしまって。……私たち龍には逆鱗っていうのがあってね、それに触れられると、抑えきれない激情に駆られてしまうんだ」
わざとゆっくり治しながら、できるだけ穏やかな口調を心がける。
「といっても物理的なものではなくて、精神的な部分にあるものなんだけど。私の故郷だと、昔は地雷だなんて言い方をしてたやつだね」
コメント欄には今も使ってる人がいるけど、最近の子が使ってるのは見たことないかな。
「私の場合は、私自身や、大事な人の自由を不当に害されること」
龍になりたてのころは不安定で、見知らぬ女の子のことにも怒りを覚えてしまっていたんだけど。
「だからまあ、ファウロスやイリニちゃんに怒るなんてことは、まず無いと思うよ」
ファウロスは一瞬視線を彷徨わせた後、やや目を伏せて、すみませんと漏らす。弱々しく小さな声だったけど、私の耳にはそれで十分だ。
まだ内心、いくらかは怯えているだろう。今ので彼の恐怖を取り去れるだなんて思ってはいない。ただ、言葉にする必要はあると思ったから。
実際、怒ることはないだろう。直接的な害意は知らないけど、私の自由を害するような事になる未来は見えないから。それに、ファウロスなんて私からすれば子供みたいな年齢なんだし、多少の粗相は気にならない。なんて思ったら、つい頭に手を置いてしまった。
『あっ! ずるい! ハロさんの頭なでなで!』
『うお、ダーウィンティーさん』
『相変わらず強火くさいな』
『微笑まれたのまでは許しましたけど、それは流石に看過できません!』
『え、微笑んでたの?』
『なんで画面に映ってない表情分かってるんだこの人』
『ウィンテさんだから』
あー、うん、本当になんで分かるんだろうね? 他の部分の動きも見えない角度だったよね?
これはまた百合板が加速するかも。ていうかアレもいつまであるんだろう?
「えーっと、ダーウィンティーさん、すみません?」
「ほら、ファウロスが困惑してるから」
『ぐぬぬ、庇われまでして……! いやでもハロさんが言うなら……』
ファウロスの方から助けを求める視線が。急になんなんだコイツって感じよね。
まあ、ウィンテはわざとやってくれたんだろうけどね。空気を変えられるように。何割かは本気だと思うけど。なんかプライベートスレッドの方で帰ったら私にもしてくださいって来てるし。
「はい、それじゃあこの話は終わり。まだ先は長いんだし、さっさと出発するよ」
『はーい』
うむ、素直でよろしい。
さて、気分転換タイムの本番はここからだ。
「ところでファウロス」
「はい?」
「空、飛んでみたい?」
きょとんとする彼の手を引き、次の階層に歩かせる。九十一階層は木がずいぶん減っていたなんて喜びはおいておいて、着物を情報として魂力の内にしまう。なんかファウロスが慌てる気配が伝わってきたけど、魔物の気配は感じないので放置。
さて、この魔法を使うのはいつぶりか。何度やっても肉体の変化する感覚は奇妙なものだね。視覚的にも、身体を動かさないままに頭上にあった枝が近づいてきて、そして遠ざかるのだから、やはり奇妙だ。
『今日来て良かった』
『龍の姿もあったんだ』
『久しぶりに見ましたね。子供のころ以来。』
『やっぱ綺麗だなー』
振り返ると、ファウロスが口を開けたままポカンとしていた。瞳に映っている白い影は私だ。真っ白な鱗に真っ白な鬣を持った、金眼の龍。自分でその姿を見たことは無いけど、突然顔見知りがそんな姿に変わって見下ろしてきたら、そりゃあ呆けてしまうか。
「ほら、乗せてあげる」
一番前の腕を下げてやる。頭に乗せるのは、百歩譲っても鬼秀までだ。
声も出せないまま恐る恐る足をかける彼の表情には、期待が五割ってところか。ファウロスも一児の父とはいえ、男の子だね。
ようやく乗り込めたね。普通の人間にはあの高さも大変だったか。まあ、周りに対衝結界くらいは張ってあげよう。風を感じられる程度の弱ーいやつ。
ん、なんかコメント欄にうらやましがる声がたくさん。って、ウィンテは乗せたことあるでしょ。しかも特等席。ほら、コメント欄でもツッコまれてる。
「それじゃあ行くよ。しっかり捕まってて」
「は、はい!」
この緊張は私への恐怖からではないね。よきよき。
さて、空の旅の始まりだ。



