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 町は、青年ことファウロス君を見つけた所から然程離れていない場所にあった。移動時間は短い方が良いかと思って彼を小脇に抱えて走ったけど、そこまでしなくても良かったかもね。周囲の魔族たちも近づいては来なかったし。わざわざ派手に暴れた甲斐があったよ。

 ぱっと見た感じ、あまり大きな町ではない。にも拘わらず、積み上げられた石の壁は見上げるほどで規模に合っていない。風化具合からしてもスタンピードが起きてからそれなり以上の時間が経ってるみたいだね。
 人口は、千人くらいかな。日光対策に壁の白い家々からは活力に溢れる気配が漏れ出していて、少なくとも荒廃はしていないことが分かる。治安は分からないけど、私たちには関係ないか。

「ん、港もあるの?」

 奥の方から潮の香りがする。この感じだと、壁の内側のはずだ。
 
「え、そりゃありますけど、それがどうかしました?」

 ふむ、少なくともこの島ではあるのが当たり前か。道を思うに他にも人間の集落はあるだろうけど、全部海岸沿いってこともあり得そうだね。

「いや、お魚が食べたいなって思っただけ」
「でしたら、後でごちそうしましょう。助けていただいたお礼もしたいですし」
「それは楽しみだ」

 せっかくだしお呼ばれしようか。現地飯、大事。

 ファウロスの家は町の中央あたりにあった。けっこう起伏の激しい道だったけど、さすがは地元民。慣れた様子だったね。魔人達からあそこまで逃げられたのも納得。
 家自体は特別大きなものではない。旧時代の東京にあった一般的な家の倍くらい。小高いところにあるから、町並みや港、青い海がよく見える。彼はこの景色の良い一軒家に娘さんと二人で暮らしているらしい。

「イリニ、帰ったぞ!」

 返事はない。けど弱々しい気配の動く音が聞こえた。

「娘さんは病気かなにか? ずいぶん弱ってるみたいだけど」
「分かりますか。うつる心配はないので、安心してください。呪いに近しいものだと、町の医者は言っていました」
「ふぅん……」

 この辺りの文明水準はだいたい見えてきたね。機械の類いはあまり見なかったからどうかと思ったけど、案外衰退していないらしい。それでもパソコンなんかがある今の日本ほどではない。
 まあ、離島だから内陸とは乖離してる可能性はあるけど。

「外にいたのは薬の材料でも集めてたの?」
「それもありますね。ああ、そうそう、この町にいる間はうちを使ってください。宿はないので」
「助かるよ」

 あとで空き部屋に案内してくれるらしい。そう何日も滞在する気は無いけど、一日二日くらいは甘えないと彼の気が済まなさそうだ。気になることだらけではあるし、まあいいんだけど。

 時刻は間もなく正午になろうかってくらい。これからお昼ご飯を作ってくれるらしい。待つ間暇だし、雑談がてら色々聞いてみる。

 まずこの町の名前。アレオマンデラというらしいけど、これが旧時代からある地名なのかは分からない。町自体はやっぱりずっとあるらしいから、あの頃にもあったんじゃないかな。
 ぶっちゃけこれは良い天気だねって会話と大して変わらないし、どっちでもいい。それよりも、この島がミコノス島という名前だったことの方が大事だ。

 ギリシャ神話においてはゼウスとギガースの戦いの地であり、その名前はアポローンの孫に由来する。歴史だとイオニア人関連だったりアテネへの臣従だったり、オスマン帝国やらヴェネツィアによる支配だったりが関わってくる。立地的にも貿易で賑わっていただろうし、探せば面白そうなものが色々出てくるだろう。迷宮にいけば、当時の記憶の再現にも出会えるかもしれない。

 これだけでも観光の価値は十分。でもまだ終わりじゃない。
 この島に来たとき、妙に気になった小島、あれがデロス島らしい。ここも色んな神話に関わる島で、アポローンやアルテミスの生まれたとされる地だ。あとディオニューソスを祀る遺跡もあったはずだね。

 このあたりの神に関わる迷宮はあるだろう。どの迷宮も楽しそうだ。アポローンとアルテミスはオリンポス十二神だし、ディオニューソスもそれに数えられる場合がある。
 まあ、一つ選ぶとしたらディオニューソス関連かな。なにせ、彼はバッカスの名でも知られる豊穣と葡萄酒と酩酊の神だ。美味しい葡萄酒は確実にある。もしかしたらネクタルもあるかもしれない。

 ううむ、どこから回るか悩んじゃうね。

「ところでさ、さっきの化け物たちは昔からこのあたりにいるの?」
「悪魔達ですか? 少なくとも、僕の生まれる以前からいたとは聞いてます」

 ファウロスは二十三って言ってたっけ。それだとまだ何とも言えないね。町中でちらほら長命種も見たし、彼らならもっと詳しく知ってそうではある。あとで訪ねてみるのも良いかもしれない。

「悪魔か。もう少し詳しく聞いても?」

 実のところ、これが一番気になってる。状況的にちょっと、思い当たる節があるから。
 
「詳しくですか。と言っても、僕も教えられることはあまりないですよ」
「分かる範囲で良いよ」

 ふむ、ある日突然現れたと。聞いた感じスタンピードより後っぽいけど、この島だからって可能性はあるね。内陸なら、条件を満たす誰かがいる方が自然だ。
 呼称については何も知らないみたいだったけど、たぶんキリスト教の悪魔に準えて誰かが言い出したんだろうね。つまりは、キリスト教文化は何らかの形で残ってる可能性が高いと。

 何にせよ、会話の中では悪魔って言った方が良いだろうね。

「じゃあさ、昔からあんな風に群れてた?」
「さぁ、どうでしょう? あ、でも、長老達から聞く話でもだいたいそうですね」
「なるほどねー」

 これは、ますます黒に近づいたなぁ。
 もう一つ聞いておきたいところだけど、それは後でいいか。なんか集まってきてるし、そっちの対処の方が先だね。

「まだ少し時間がかかるよね?」
「そうですね。二、三十分くらいかかるかと」
「じゃあ少し出てくるよ。出来上がるまでには戻るから大丈夫」

 少しお散歩だ。私のお昼ご飯の邪魔はさせないよ。