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 その災いが牛音(ニヨウイン)に牙を剥いた。炎となった魔力が第三皇女の息吹に乗って吹き荒れる。今の彼にはいささか強すぎるか。それだけで決定打にはならないまでも、致命的な一撃には十分すぎる。

「さぁ、チャンスだよ」

 私の呟きに応えるように黄の亜龍が動いた。ブレスへ向けて地を蹴り、すれ違うようにして第三皇女へ迫る。余波は音の防壁で流し、最短距離を。

「なっ!?」

 牛音が接近戦を選ぶとは思わなかったのだろう。皇女たちの反応が遅れた。
 その隙に拳打が獅子の顎へと叩き込まれた。音の権能を込めた一撃が脳を揺らし、第三皇女の意識を奪う。獅子の瞳が白く裏返って、そのまま地へと横たわった。

 これで第二皇女は迂闊に力を使えない。勝負あり、だ。

「総員さが――くぅっ」
「やはりアナタも、戦場向きではありませんね」

 力だけあれば良いわけではない。そういう意味では、牛音の言うとおりだろう。今も判断を間違えた。

 身体能力に任せてどうにか牛音の攻撃を凌いではいるけど、無様と言うほか無い動きだ。私が鍛え、できる限りの経験も積ませたソレをいつまでも凌ぎきれるものではない。

 まぁ、互いに基礎を修めただけという状態ならどうにかなったかもね。

 第二皇女も人の身で勝ち目はないと悟ったんだろう。無理矢理に亜龍、蒲牢(ほろう)の姿へ変じようとして、牛音に妨害される。このミスが命取りだった。

 妹同様に顎を打ちぬかれ、脳を揺らして意識を飛ばす。
 あとは兵のみ、だけど、第一皇子たる彼を兵が命令なしに害そうと動くかは怪しいし、仮に動いても敵ではない。

「ここも終わりだね。あとは虎憲(フーシェン)か」
「アレこそ問題あるまい」
「上手く使いこなせるなら、ね」

 とか言いつつ、あまり心配はしていない。使えると思ったものを渡したから。使えなければ、私の見る目がなかっただけだ。

 さてさて、今はどんな状況かな?
 戦いは始まってるみたいだけど……。

「こっちは互いに皇族のみか。……ほう?」

 これは、誤算かもしれない。
 あちらはやはり二人組。派手な方は第一皇女。いつか見た掃きだめを作った張本人。もう一人の青い衣を纏った方は、初めて見る美丈夫。残った第五皇子か。

 問題なのは、この皇子の方。かなり強い。
 虎憲が以前言っていた自分より強い兄弟というのは、彼のことだろう。

 下手をすれば今の虎憲よりも強い。私のあげた武器を使いこなせたら、結界の影響を受け弱体化した今の状態でもどうにかなるだろうか。

 疑問なのはどうして私の討伐に付いてこなかったかだね。もし来てたら、もう少し楽しい戦いになっただろうに。

 なんにせよ、会話は聞き取れるようにしておこう。

「相当腕を上げましたね、兄上」
「軽くあしらっておいてよく言う。いつも通り部屋に籠っていてくれたなら、こちらも楽だったのだがな」
「そうもいきません。それに、この方が都合が良いでしょう?」

 第五皇子も文官系というか、引き籠り体質なのかな? その割には武芸にも秀でてるようだけど。彼の振るう槍は正確で、隙が少ない。経験の差で拮抗しているようだけど、それも時間の問題かな。

 救いとしては、第一皇女があまり戦力になれていないところか。いつでも攻撃できるように準備はしている。けどその機会を上手く使えていない。
 常に横から狙っているだけでプレッシャーを与えられるはずなのに、彼女に隙を狙う力がないせいで虎憲は殆ど無視できている。

 あれではただ弟たちが刃を交わすのを見ているだけだ。

 皇女の魂を見るまでもなく、戸惑い、苛立ちを募らせているのがよくわかる。あの感じならそろそろ動くかな。なんて考えてたら、動いた。

 その身を火の鳥の姿へ変え、第五皇子すらも巻き込む勢いで熱風の嵐を巻き起こす。なかなか際どいタイミングだ。ともすれば味方であるはずの第五皇子すら無視できないダメージを負ってしまう。
 それを第五皇子は、示し合せたわけではないだろうに、完璧なタイミングで避けてみせた。影響範囲に残されたのは、虎憲ただ一人。

 その彼は、只人ならば骨すら残らない超高温の嵐を前にして、静かに純白の青龍刀を構える。そして一閃。ただそれだけで嵐は断たれる。

 魔法現象の絶対切断。それが鬼秀の能力を参考にして作り上げた、あの青龍刀の力だ。あの剣がある限り、虎憲に生半可な魔法は効かない。

 まぁ、あれに込めた以上の魂力への干渉能力さえあれば突破できるんだけど。

「ずいぶん物騒な剣をお持ちで」
「さるお方よりいただいたものだ。まだまだ使いこなせてはいないがな」

 うん、分かっているみたいだね。
 剣の力自体は使えてる。けど、まだ使えてるだけ。もし自分の体の一部のようにあの剣を扱えたなら、もっと面白いことができる。

 ふむ、あの第五皇子は勘がいいね。一気に勝負を決めに来た。虎憲が剣の力を使いこなせるようになったら自分に勝ち目がないのを理解したんだ。

 受け身だった先ほどまでとは打って変わって、怒涛の攻めを見せる。鋭い切先で虎憲の目を狙い、避けられたと見るや即座に柄を使った打撃で側頭部を狙う。
 私の槍と違って斬りつけるには向かない形状だけど、叩きつける分には関係ない。強化されたあの柄で殴られたなら、亜龍である虎憲の頭蓋だって砕けるだろう。

 それを虎憲は必死に凌ぐ。完全に防戦一方だ。弱体化の結界の影響で動体視力すらも落ちているんだろう。スピードで負け、膂力で負け、徐々にだが壁際へ追い込まれていっている。

 これ、第五皇子が私と同じ槍使いじゃなかったらとっくに負けてたかもね。

「――はぁ……」

 この溜息は、虎憲に、じゃないね。第一皇女に向けてか。
 一瞬ほの暗い目を見せたかと思うと、不意に飛び退り、虎憲から距離をとった。入れ替わるようにして、第一皇女が急襲する。

 二人の間に強引に割り込んだような一撃を、虎憲は容易く避けた。その間に体勢を整えて闖入者の首を見据え、剣を振るう。牛音(ニヨウイン)狼戦(ランチヤン)が兄弟姉妹に向けていたのとも、彼が第五皇子に向けていたのとも、明らかに違う、殺意の籠った剣だ。

 火の鳥の首が胴より別たれて、宙を舞う。鮮血をまき散らし、宮を汚す。

「ああ、なんということだ」

 態とらしい、芝居がかった声だ。

「私の力不足故に、姉上を手にかけてしまった」

 感情の籠らない、冷たい瞳だ。

「戦いの場です、仕方がありません」
「ああ、そうだな、弟よ」

 虎憲は剣に付いた血を一振りで払い飛ばして第五皇子へ向き直る。つい今しがた切った姉へは一瞥もくれない。

 あの女は、彼の思い描く未来に必要がない。この動乱の中で事故死したなら都合が良い。つまりはそういうことだろう。

 第五皇子が初めに言っていた、この方が都合が良いというのも、手加減のできない状況の方が後の言い訳になって良いだろうという意味で間違いない。

 第一皇女は身内からすらかなり酷い評価をくだされていたってことだね。あの退廃しきった町を思えば、然もありなんとは思うけども。

 身から出た錆。自業自得。とはいえ、あんな形でしか幸せを求められなかったことには、憐れみを覚えなくもない。

 ――お、やっとか。

「さて、ようやく本気で立ち合える」
「思った以上に早かった。なかなか優秀な部下をお持ちのようで、羨ましい」

 辺りを包んでいた力場が消え去って、虎憲の纏う力がよりいっそう強くなる。それはつまり、解放軍の兵たちが結界の解除に成功したって証左。

 ここからが本番だ。