152
 拮抗を保たせていた魂力の支配域を一気に押し広げると、青帝青龍王の魂に当惑の揺らぎが見えた。
 まあ、それもそうか。彼は天帝。有名な四神にも青龍はいるけれど、それとは、いや、それらの長とも言われる瑞獣(すいじゆう)麒麟(きりん)すら超える格を持った原初のひと柱だ。まあ、この辺りに関しては時代によって様々だから、今の世界での正確なところは分からないけど。

 なんにせよ、創造神に近しい存在であることは間違いない。それなのに、彼にとって挑戦者でしかない私に圧倒されてるんだ。龍としての能力がなくたって、その心中は察せられる。

「だからって何か変わるわけではないんだけど」

 彼の周囲を純粋な熱の情報で充たす。粒子同士の衝突で発生するものでも、化学反応によるエネルギー放出とも違う、純粋な熱だ。
 光を放つ訳でもなく突如として生じたそれは、温度にして六千度超。太陽の表面温度を優に超える熱に、青帝青龍王は苦悶の表情を見せる。防御のためにか生み出された樹木は一瞬にして灰となり、用を成さない。

 完璧に制御された熱が彼の周囲から水を消し去り、命を燃やす。それでも表情を変えるばかりで済んでいるのは、彼が龍たる証か。

「まったく、伊邪那美さんの黒炎はどれだけの熱量だったんだろうね」

 確かに命の危機を感じた黒に、つい苦笑いが漏れる。

 まあ、このまま焼いても彼の命に届かないのは確かだ。
 動かない彼を囲むように生み出したのは、幾千の雷槍。どうにか支配領域を押し返そうとする彼に見せつけるように、広く展開する。

 この状況でも私を殴りに来ないのは、ただの傲慢だろう。それでこそ龍ではあるけれど、同時に愚かにも感じる。傲慢であるなら、それ相応の研鑽を積まなければならない。傲慢に足るものを積み上げていなければならない。

 それが私の持論。

 静かに、槍を射出する。
 彼は僅かばかりに残された己の領域を生き木で満たし、咆哮に抵抗の意思を乗せる。

「それじゃあ駄目だよ」

 抵抗だなんて。電気抵抗、絶縁、まあ、分かるけどさ。
 でも、龍の王を名乗るなら、食い破って欲しいね。

 雷が古の神を貫き、その鱗を、臓腑を焼く。殆ど防がれたのは、一応さすがと言っておこうか。

 ただ、残念ながら、一つ一つに込めた威力は私でも侮れないものだ。彼の命になら、その一つであっても届きうる。急所を守ったのは良い判断だったね。

 余波で弾けた山々が土煙を上げる。その隙間から睨み付けてくる同胞は明らかに満身創痍で、しかしそれでもその尊厳は失っていない。誇り高く、猛々しい気配を纏ったまま、桜色の瞳が強い視線を向けてくる。

 彼にいつもの無表情を向けていると、巨体が僅かに頭を下げた。次の瞬間、彼の牙が私の視界を埋める。

「中々速いね」

 私をかみ砕かんと迫る上のソレを左手で掴み、下は足をかけて抑える。純粋な膂力では遙かに劣る私でも、魔法と身体の使い方で十分に抑えられてしまう。

 ただそれは向こうも分かっていたことなのか、気にした様子もなく突進を続ける。左右の景色が高速で前へ流れ、僅かばかり方向音痴のきらいのある私には上下が分からなくなってしまった。

 さて、どうしようか。このまま体内を焼く? いや、さすがに体内は彼の支配が強いか。ここで外部への魔法を使っても大した威力にはならなそう。

 まあ、すこし待ってみよう。彼がどうするつもりなのか興味もあ――お?

 背中に感じたのは鋼鉄にでもぶつかったかのような硬い衝撃。それから肌の濡れるのを感じて、川面へ突っ込んだのが分かる。
 溺死でも狙ってる? いや、そんなの意味が無いのは分かってるはず。

 続いて感じる魔力の高まり。急速に高まり口内に留められるこれは、ブレスの予兆か!

 そう判ずるや否や、閃光が私を包んだ。凄まじい激流だ。さすがは龍の神だね。至近で放出されたそれが私の着物を、肌を焼き、魂を砕かんとしているのが分かる。

 はっきり言って大ダメージだ。このままくらい続けてたら、何の間違いでも無く死ねるだろう。
 黙ってくらい続けてたらだけど。

 魂力の支配領域を一気に狭め、彼の巨体を覆う程度の範囲に集中させる。
 目的は、私の意思の及ぶ強さを高めるため。鬼秀に学んだ技だ。

 そうして発動したのは、純然たる力の魔法。私の生み出す運動エネルギーをそっくりそのまま、指定した範囲に再現する魔法。

 利き手に持った槍を振りかぶり、この数百年の研鑽を乗せて振るう。
 今の体勢にあって、無駄の一切を廃した一撃。それは青龍の王の息吹を割る。

 続けて彼の身体が大きく波打ち、私は水上へ放り出された。悲鳴に続けて、水面の赤く染まるのが見える。
 赤の源は、青の巨躯だ。

 美しかった青い鱗は無残に切り裂かれ、無数の傷から止めどなく血を垂れ流している。
 先の一撃によるものだけど、残念、両断は出来なかったか。

「まだ強くなる余地はありそうだ」

 この呟きは、たぶん彼には届いてない。
 もう風前の灯火ってところだろう。

 じゃあ、終わらせてあげようか。可哀想だし。

 傷と着物はそのままに、愛槍を一振り。
 万全の体勢からの一撃は彼我の距離を無に帰して、違うことなく青帝青龍王の首を捉える。そして両断し、一つの時を終わらせた。

 桜の瞳は私に何かを求めるような、或いは称えるような色を残して、灰となる。遺されたのは、瞳と同じ色の宝石の付いた美しいイヤリングだ。親指の先程しかない片耳用のそれだけど、感じる力は凄まじい。

 これ、私の瞳の色と合うかな?
 まあ、大丈夫か。

 もうイヤリングの神器は私を主と認めている。だったら、付けてあげないと可愛そうだ。
 そう思って、左耳に付けてみる。重さらしい重さも感じないし、戦闘の邪魔にはならないだろう。

 イヤリングから流れ込んでくる力は当然凄まじい。得た能力は、命を育むものかな。まだ直感の段階。しっかり検証が必要ではあるけど、期せずして夜墨の対になるような力を得てしまったね。

 まあ、それはいいや。
 メインディッシュの前に強化イベントが入っちゃった訳だけど、あまり関係なさそうなのが幸いかな。領域の違いによる制限が割合制限っぽいせいで、感じた力ほど振るえる力に差が出てない。

「行くか」
「うん、そうだね」

 準備運動に丁度良いくらいには、ちゃんと強かったね。あっさり勝ちはしたけど。
 この迷宮を一応支配したら、さっさと帰ろう。そろそろ準備出来てるはずだし。