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 迷宮を出ると、外はすっかり夜が更けていて、頼りになるのは青白い月明かりばかりとなっていた。
 この辺りには人の集落はないから、冷たい光がよく映える。

 それを覆い隠すようにして、一つの影が私の前に降り立った。
 境内に収まるよう、いくらか小さくなった夜墨だ。

 小さくなったとは言っても、半径がキロの単位の境内を埋め尽くすほどだから、十分に巨大なんだけど。

「終わったよ」
「そのようだな」

 夜墨は、私を静かに見つめたまま、何も言わない。
 きっと、色々思っていることはあるのだろうけど。

「はい、これ。アナタのでしょ」
「……良いのか?」

 差し出したのは、伊邪那美が残した、茜色の宝玉。
 夜墨が元々持っていて、彼自ら切り離した物。

「アナタは、私だ。私の一部だ。そうでない部分もあるけれど、今更、()が負けると思う?」
「……そうだな。受け取ろう」

 宝玉はひとりでに私の手を離れると、明滅し、茜色の輝きを強めながら、大きくなっていく。
 そして夜墨の五指の中に収まって、ひときわ強い輝きを放った。

 まるで突然太陽が現れたような、強烈な光だ。
 夜を昼に変えんばかりのそれは、宝玉自身が(あるじ)の下に帰れたことを喜んでいるよう。

 同時に感じる、恐ろしく強い力。
 封印を解かれ、[龍神の器]として完全に目覚めた私には及ばない。
 それでも、素戔嗚さんや、天照さんに匹敵しかねないほど巨大な力だ。

 その持ち主は、今、私の目の前にいる。
 
 私の称号が完全なものとなった影響で、ただでさえ膨れ上がっていた力が、更に大きくなった。
 これが、夜墨の本当の力か。

 湧き上がる衝動を今暫く抑えて、けれど口の端に少しだけ漏らしながら、彼へ問いかける。

「気分はどう?」
「ああ。悪くはない」

 雰囲気は、あまり変わっていない。

「古き世で隔世(かくりよ)大神(おおかみ)などと呼ばれた私でも、今のロードには及ばなかった。それが、心地よい」

 隔世の大神、すなわち、大国主。
 それが、かつての夜墨の名。
 墨の如き鱗に、星の如き瞳を持った、美しき巨龍の正体。

 けど、夜墨は夜墨だ。
 私の一部だ。

「本気で戦ったら分からないでしょ?」
「ロードが戦いたいだけであろう」

 うん、バレて

 でも、分からないってのは本当。
 力の総量じゃ私の方が断然上だけど、あの神器、いや龍器の能力次第では、負けもあり得る。
 それくらいに、夜墨は強い。

「何があろうとも、私はロードの一部であり、ロードの従者だ。忘れるな」
「はいはい」

 分かってるよ。
 
 けど、改めてそんな事を言われたら、戦いづらい。
 私は、私自身には我が儘だから。

 まあ、いつか、その内。

「ウィンテと令奈は、どれくらい強くなってるかな?」

 あの二人も、天照さんの神器を受け継いでいたからね。
 相当に強くなってるはずだよ。

「どうであろうな」

 そうでなくたって、追いついてくるだろう。

 例え、称号の封印が解け、更には[龍神]なんて称号まで得てしまった私相手でも。
 でなかったら、色んなものを夜墨に押しつけた私が、あの二人を受け入れたはずがない。

「とりあえず、今日はいったん帰ろうか。夜風に吹かれたい気分だ」

 迷宮の転移機能を使っても良いんだけど、今は、ね。

「乗れ」

 皆まで言うまでも無く、促してくれる夜墨へ礼を言って、その頭部へ飛び乗る。
 さわり心地の良い、美しい漆黒の鬣に腰を下ろすと、彼は一気に飛び上がった。

 ぐんぐん離れる地上を眺め、新しい我が家の庭に郷愁の念を抱く。
 思い出すのは、ここ百五十年の記憶と、人間として故郷で過ごした二十年弱の記憶。

 長かったような、短かったような。
 将来的には、たった、なんて付けるようになるだろう程度の、ひと瞬きの間に過ぎてしまうような時間。

 その筈なのに、今の私には、凄く長い時間に思える。

「龍神、か」

 月の光を、神秘的なほどに白い髪が跳ね返す。
 その髪が風に靡くのを感じながら、彼方へ視線を向けた。

 色々、考えないといけないね。
 配信のこととか、これからのあり方とか。

「人として有りたいのならば、そう努めれば良い。人として受け入れてくれる友もいよう」
「……そう、だね」

 少なくとも、今は、人として、自由にありたい。
 例え、大半の人間が、私を神と扱ったとしても。

 そして願わくば、いつか完全な世捨て人として――。

◆◆◆
「祖だと……?」

 絢爛豪華な宮殿の中、その内で最も豪華に飾り付けられた一室で、男は問う。
 幅の広い豪奢な椅子に体重を預ける姿は、この世の全ては自分の物なのだと言わんばかりの態度で、彼がどのような立場にあるのかを示していた。

 外見から窺える齢は、三十やそこら。
 髪と同じ黄土色の、華美な文様が縫い込まれた衣を纏っている。
 鋭い眼光を放つ瞳は濃い金色で、縦に一筋の黒が入っていた。

 その目に照らされて、問いかけられた小男は恐る恐る口を開く。
 
「は、はい。先日捉えた()が口走っていたようです。羽民(うみん)の祖たる己に、貴様ら凡兵ごときが勝てるものか、と」

 金眼を細める己が主に、小男はひっと声を漏らした。

「ま、まあ、結局はあなた様の兵達に取り押さえられたようですが。流石でございます。は、はは……」

 小男の努力もむなしく、部屋の主は何の反応も示さない。

「祖……。つまりは、朕より先に、()った者が居る可能性があるわけだな?」

 明らかに不機嫌だった。
 小男は、どんどん鮮明になる自身の未来に、滝の如く汗を流す。
 どうにかその未来を回避する(すべ)を探して、視線を彷徨わせるが、前方から感じる圧力(プレツシヤー)に、思考がまとまらない。

「どうなのだ」
「っ……! は、はい。その可能性が、ござ――」

 直後、小男は血だまりと肉の塊に姿を変えた。

 突然の惨劇にも、声を発するものはいない。
 壁の方に待機していた若く美しい女官達ですら、表情一つ変えない。

「探せ。真なる龍とは、朕より他に無し」

 気配のいくつかが消えたのを確認すると、男は立ち上がり、部屋を去る。
 残ったのは、人であった肉塊と、それを無言のまま片付ける女官達の姿だけだった。