「どこの神さまがそんなことすんだよ!」

 ここから一歩も通さないと言わんばかりに立ちはだかるわたしに、とうとう降参したのか、基樹は絶望的な面持ちのままその場に座り込んだまま大きなため息をついた。

 今から部活に向かうところだったのだろう。一緒にいた仲間には退散してもらった。

「死神かよ!」

「別に命とろうってわけじゃないわ」

「疫病神か!」

「どちらかというとそうかも」

「……」

 額の汗を拭い、予想以上に声を荒げて子供っぽいことを言う彼に思わず怒りを忘れて口元が緩みかけた。いつも冷静沈着ですまし顔の大人ぶった今のあいつとはまるで別人だ。

 自分の発言に気付いてか、本人も恥ずかしそうに顔をそむける。

 ダメだ、耐えられない。

「……うーん、まぁ、神様といえば、北瀬川《きたせがわ》神社の神様かな?」

 そういえば、怒りに身を任せて向かった先は北瀬川神社だった。たしか、わたしはそこに向かって……あれ。

「そうよそうよ。わたし、北瀬川神社に行ってから、気付いたらここにいたんだ」

 そうだ。そうなのだ。

 なんだか一瞬、赤い世界が広がったような気がしたけど、じわじわと靄のかかった霧が晴れ、記憶が少しずつ蘇り始める。

「はぁ? 正気かよ。その神社、俺に復讐させるためにあんたに力を貸したってこと?」

 神も仏もあったもんじゃないなと絶望している基樹の姿が面白い。

「そもそもなんでこんな女と付き合ったんだよ、未来の俺……いや、本当にそれ、俺なのか? 俺、ケバい女って一番無理なんだけど……」

「け、けばっ……」

 もはやこちらの姿が目に入っていないのだろうか。いや、見えているはずだけどあまりに動揺しているのか本人を目の前にして、ずいぶんと失礼なことをただただ自分に言い聞かせるようにやみくもに繰り返す。

(けばい女が嫌い?)

 鼻で笑いそうになる。

「何言ってんの。中学時代からキラキラした高校生のお姉さんたちと付き合ってたくせに」

 いつもさり気なくはぐらかしていたけど、知っているんだから。

「はぁ? 付き合ってねぇえよぉおおおおお!」

 驚くほど見慣れない様子で困惑する基樹に対し、通り過ぎる人たちもひとり、またひとりと視線を向けていく。

 あの、赤石基樹が……とでも思われているのかもしれない。いや、間違いない。中学校時代(まぁ、今も変わらないけど)の基樹は、学校で知らない人がいないくらい人気者だったのだから。

 わたしがなにも知らなかったとでも思っているのだろうか。

 片思い歴二年半を舐めないでほしい。

 ずっと見ていた。

 それはそれはもう、遠く遠くから。

 毎日毎日飽きもせず、ずっとずっと見ていたのだ。

 近づけないのはわかっていても好きで好きでたまらなかった。

 でも、基樹は当時から人気者だったし、校門で待ち構える美人な高校生がいたことは当時のわたしもしっかり目撃していた。

 じゃあどうして、そんな人気者とわたしが付き合えたのか……うん。それはわたしにとっても永遠の疑問だ。

「落ち込んでるところ大変申し訳ないけど事実なのよ。とっとと受け入れなさいよ。というか、いちいち失礼よね。これでもミス修徳《しゅうとく》高校に選ばれてるんですけど」

 結構見た目には自信あるのだと続けると、うそだぁぁぁぁとさらに荒れ狂う彼に、なんだか怒りよりもだんだん可哀そうな気持ちがわいてきた。

 つくづくわたしも甘いなって思うけど、何も知らない中学生を捕まえて、知りもしない未来について話すことにだんだん罪悪感が生まれ始めてきたことも確かだ。

「もう、いいわ」

「……は?」

「行けば? 部活、始まるんでしょ」

 なんだか、どうでもよくなってきた。

 これ以上無防備に直射日光を浴びることも耐えられないし。

「復讐なんて冗談よ。浮かれてバカ笑いしてるあんたを見たらムカッとしただけで、悪いのはわたしの知ってる基樹なわけであんたではないわけだから……まぁ、とりあえず、もういいから」

「でもあんた、校門から出られないんだろ?」

 嫌だ嫌だと言いつつも、この嘘のようなわたしの話を信じてくれたのだろう。(いや、信じるしかないのだろうけど)

 強い光を放つ瞳がわたしを映す。

 ああ、変わってないなと思う。

「……どうにかなるわよ」

 今まで見たこともないくらい動揺した基樹が見れた。仕返しをするとしても、きっとここまでだ。これ以上はどうすることもできない。

「まー、もし、あんたが部活終わる頃もまだこのままだったら、何かほかの仕返しを考えとくわ」

「……あんた、名前は?」

「聞く必要ある?」

 あんた、このまま部活に行ってそのまま帰る気なんじゃないの?

「い、一応だよ……」

「エマよ」

 真剣な表情と驚くほどまっすぐな眼差しで聞かれるものだから、答えるしかなかった。

 あんなに嫌がっていた相手なんだから放っておけばいいのにと内心わたしが思ったほどだ。

「……エマか。珍しい名前だな」

「そうね」

「ま、まぁいい。一時休戦だ。部活が終わって何も変わってなかったらまた考え……」

「おいっ、赤石! おまえ、キャプテンが何やってんだっ!」

 遠くの方で雷先生と呼ばれたサッカー部顧問、林田《はやしだ》が怒鳴ってるのが聞こえた。

 少し離れたグランドにて、大きな声で号令のかかるサッカー部の姿に「やべっ」と勢いよく立ち上がった基樹は、こちらを振り返ることなく駆け出す。サッカーのことになると他が見えなくなる。やっぱり基樹だ。

 そんな彼の姿を見ていたら、わたしは彼を再び呼び止めることなんてできなかった。